バカと天才は紙一重?
物語に出て来るキャラクターですが、頭の良さで分類出来ますよね。
ドラえもんののび太、ちびまる子ちゃんの山田等は、代表的な「バカ」イメージのあるキャラクターです。
デスノートのライト、コードギアスのルルーシュ、アイアンマンのトニースターク等は「天才」のイメージがあります。
「バカ」と「天才」って「頭脳の出来」で分けられているのは分かりますが、漠然と「頭が良い悪い」ってだけでは、創作者はキャラクターを創れません。
「バカ」にも「天才」にも、種類があります。
この記事では、創作者が「バカ」と「天才」を描く上で、絶対に知っていた方が良いポイントを紹介します。
なお、キャラクターに限った話ではなく、現実にも適応される話ですので、実際の「バカ」や「天才」のイメージを、あなたが持つ人を思い出しながら読んで頂いても、楽しめると思います。
その1:天才を凡人が描ける3つの理由
「天才」を表現する創作作品の作者が「天才」とは限りません。
なのに、どうしてリアリティ溢れる「天才」を描く事が出来るのか。
そんな疑問を持った事ありませんか?
天才キャラクターを描くのは、自分には無理と思っている創作者も、いると思います。
ですが、物語創作では、天才を誰にでも描けます。
ポイントは、
- 時間と知性の圧縮
- 情報の検索
- 天才の模倣
等にあります。
時間と知性の圧縮
物語の中の天才は、リアルタイムで行動や決断を迫られます。
特に輝くのは、アクシデントが発生した時に、限られた時間や条件の中で困難に立ち向かう時です。
ですが、創作者は即興劇でもない限りは、物語を構築し、発表するまでに時間があります。
さらに、創作者は一人で考える必要はありません。
つまり、大勢が、長時間かけて構築した、一人立ち向かう短時間の物語とは、それだけで天才を表現出来る物な訳です。
短時間での劇的な、目標や目的の達成によって、そこに納得感があれば、天才性が感じられます。
情報の検索
天才は、頭の中に蓄積情報として知識や経験があり、それらを瞬時に取り出す事で天才性を発揮します。
創作者は、創作中であれば、自分の頭の中に無い物も使えます。
人に情報を聞いても良いですし、本を読んでも、インターネットで調べても良い。
ネタ帳に蓄積情報を書き込む事で、外部に記憶し脳の拡張を行う事で、天才を楽に描ける訳です。
天才の模倣
実際の天才が残したエピソードを流用する事で、登場人物に天才性を付与する事が出来ます。
式を解いたり、新しい物を開発したり、探偵の様に凡人と違う視点によって何かに気付いたり。
それ以外にも、偏執的であったり、こだわりや美学によって「ただ者ではない」凄味を感じさせられます。
その2:良いバカ、悪いバカの違い
バカが成功する物語を描く時、バカの種類を間違えると、納得性の無い物語が出来上がります。
成功する為に必要なのは「行動し続ける」事と「成長し続ける」事です。
行動にも成長にも、実行には、リスクやコストが必ずかかります。
凡人や秀才であるほど、未来予測や推測のピントがぼやけるので、リスクが見えず、必要以上に怖い思いをします。
だから、凡人や秀才は、見えていないリスクに対して、大きく見えるリスクやコストを理由に、行動を避ける事で、失敗しない代わりに成功を逃します。
天才は、リスクが見えていたり、リスクへの対処法が見えているので、リスクを取れます。
ここでバカは、リスクが見えない事で、大きさに関係無くリスクが取れます。
リスクを取れば、失敗する事もあるが、成功する事もある訳です。
つまり、成功する「バカ」はリスクを取れる行動が出来る者を指す事になります。
ところが、時々あるのが「バカな言動をする」キャラクターを出し、リスクを取らせずに成功させようと頑張る創作者がいます。
行動し成長するから「成功する」のであって、バカだから「成功する」のではありません。
これは、凡人や秀才でも同じで、行動する切欠を与えられれば「成功する」可能性が出てきます。
良い「バカ」は、行動し成長する「バカ」で、悪い「バカ」は、行動も成長もしない事で、いつまでも愚かで無知なままの「バカ」と言う事になります。
物語の世界では、バカは悪くないが、バカのままである事は悪いと言う事です。
その3:3つの情報量
「バカ」と「天才」の違いですが、「情報量」が大前提として違ってきます。
ここで言う3つの情報量とは、
- 受信情報(いわゆる五感から取り入れる情報)
- 発信情報(反射・反応・一度咀嚼してから、発言や表現する情報)
- 蓄積情報(脳に蓄積した知識や経験の情報)
の3つです。
一つずつ説明すると、
受信情報
受信情報の量とは「同じ情報から得られる情報の量」で、それが頭の良さで大きく違います。
例えば、推理小説に「事件の夜は、犬が吠えていなかった」と言う古典的な物があります。
普通の人々は、殺人事件があった時に被害者の飼い犬が吠えなかった事を「吠えなかった」と言う事実としか認識しません。
ですが天才に分類される探偵は、同じ情報から「犬が吠えなかったのは、犯人が被害者や犬と顔見知りだったから」と推測出来ると言う物です。
シャーロック・ホームズ等の作品を見れば、この「受信情報の差」が天才と普通の差として沢山見られます。
この情報量の差は、一つは、思考のマニュアル運転(マインドフルネス思考)かオートマチック運転の違いにあります。
この思考の違いに関しては、シャーロックホームズの思考術に詳しく書かれています。
人は、経験や知識から「こうであろう」と言う推測のパターンを無意識に当てはめて判断します。
それが思考のオートマチック運転です。
一方で、ホームズの様なタイプの天才は、経験や知識の推測パターンに頼らず、あくまでも目の前の事実から答えを導き出そうとします。
思考で、マニュアル運転をする事で、自分の思考パターンによる「思い込み」で判断していては、気付けない細部に気付く事が出来ると言う様な事です。
思考のオートマチック運転とは、答えを自分が持っている事を前提とした「思い込み」の思考なので、日常生活では「何も考えないでも良い」ですし、スポーツや武道に置いても「身体が自然に動く」様な場面では、非常に優れています。
ですが、違和感に気付く事や、より多くの情報を引き出す場面では、思考のマニュアル運転が圧倒的優位に立ちます。
情報量の差が生まれるもう一つの要因は、情報の関連付けです。
例えば、大喜利を聞いていて「上手いな」と思う事があるでしょう。
あれは、思いもよらぬ情報の「関連(音や意味)」に対して、大喜利の回答者が蓄積情報にパス(道)があらかじめあるために、瞬時に引き出せているから、凄いのです。
同じ情報を受け取っても、その情報に対してパスが1本しか伸びていない人と、100本伸びている人では、得られる関連情報の差があるために情報量が違ってくる訳です。
「なるほど、天才は同じ情報から多くを読み取るし、多くを連想するのか、じゃあ、そうやって描けば同じ様なカッコいい天才を描ける」
と考える前に、次の要素にも注意してください。
それが3つの内の2つ目。
「発信情報」です。
発信情報
「天才」は、同じ情報から多くの情報を得ますが、その中から必要な情報を選び、仲間に発信出来る事が求められます。
つまり、協力や同意を得る為等の理由で、周囲に自分が受信した情報の根拠を伝え、納得して貰う訳です。
それが出来ないと「天才」は、劇中の登場人物だけでなく読者や視聴者にも「頭が良い」と思って貰えません。
根拠を示せないと、下手をすれば「超能力者」に見えてしまうからです。
この能力が欠けた天才が、バカと紙一重の天才です。
では、情報を多くを受け取り、凡人に根拠を示せれば「天才」が描けるのか、と言えば、まだ足りません。
最後に、3つ目の「蓄積情報」が必要になります。
蓄積情報
少し受信情報の所で触れましたが、
「頭の中に蓄積されている情報」と、照合する事で「受信情報」は同じでも「より多くの情報」を天才は得て、天才以外にも分かる「発信情報」として根拠を瞬時に示せる訳です。
だから、多くの「天才」は、照合する蓄積情報を持っている根拠として、何かのエキスパートであったり、幅広い知識を収集する日課を持っています。
受信情報の照合と、発信情報の根拠の基となる蓄積情報の量が「どれぐらい天才か」に関わって来るためです。
多くの情報を受信する事が出来て、多くを蓄積していて、持っている情報は沢山関連付いていて、その中から適切な情報を適切な形で適切な相手に発信出来る。
受信と蓄積の相乗効果で、天才と凡人は凄い勢いで差が生まれます。
全てが出来ずとも、どれかが優れているだけで、天才的な才能として表現する事も出来ます。
ここまで説明した事は意識せずとも、認識として当たり前に思える事もありますが、キャラクターを描く上で、失敗が多く存在する事も事実です。
良くある失敗は、天才を描こうとしているのに
- 創作者自身の蓄積情報が足りず、キャラクターの発信情報に根拠が欠ける
- 受信情報の情報量が多くなかったり、下手すると低い
- 誰でも冷静だと気付くもっと良い案が、すぐそばに転がっているのに、創作中の「思い込み(こうでなければならない、こうしたい)」で気付けない
等々と言う事が、良くあります。
推理物に限らず「バカ」や「天才」のキャラクターを描く時は、「受信」「蓄積」「発信」の情報量を意識しましょう。
その4:情報にピントを合わせられる範囲
「バカ」と「天才」では、そもそも世界の見え方が違っています。
「天才」程、広範囲を細かく、見えている世界の焦点、つまりピントが合っています。

「凡人」程、狭く粗くしか世界が見えておらず、大半の世界はピントがズレて見えているんです。

凡人の視界では、全体にも一部分にもピントが合っておらず、ピントの合っている認識でしか確かな事は認識できません。
もちろん、天才程では無いですがピントを調整出来ます。
先ほどの「受信情報」の情報量の違いも、蓄積情報の絶対量の差以外に、こちらの要素が深くかかわってきます。
例えば「戦争が起きた」と言うニュースが飛び込んできたとします。
「バカ」であるほど、ピントを合わせられる範囲が狭く粗い為「戦争が起きたのか」としか思いません。
「天才」であるほど、ピントの合わせられる範囲が広く細かいので、近くも遠くも細かい事まで見えてきます。
すると、同じ「戦争が起きた」と言う情報からでも「バカ」とは違った視点を持てます。
「そもそも本当に起きたのか」と言う前提を疑ったり「起きた原因は」「あの事件との関連は」「対戦国の友好国はどこだった」と言う過去との関連、「自分への影響は」「何か利用できないか」「何か力になれないか」と言った自分との関連等と、多くの情報にピントを合わせて考える事が出来ます。
ピントが広い範囲で合っている為、過去や周辺の出来事との関連性も推測出来ますし、戦災に遭った人に対して同情したり、その支援を考える様な戦争と言う情報では直接触れない様な情報にも認識のピントが合います。
戦争によって経済の動きが大きく揺れると踏んで、大きな投資に出る人もいるでしょう。
この焦点の範囲と細かさは、広い程ぼやけて、抽象的で、狭い程細かく、具体的である事が自然です。
ピントを合わせられる範囲が、広く細かい程「天才」であり、狭く粗い程「バカ」と言う事になります。
キャラクターを創作する時は、「天才」程広い視点や細かい事にまで目や意識が向かい、「バカ」程狭い視点で、粗い認識しかせず、興味が湧かない様にすると、リアルになるでしょう。
「バカ」は、自分の目でピントが合う範囲にまで物事が迫って来ないと、真面目に取り合わない訳です。
「天才」は、バカよりも素早くピントが合う為、ピンチにもいち早く対応する事が出来ます。
その5:情報にピントを合わせる正確さ
世界を認識する目のピントを「天才」程、広く、細かく合わせられると書きました。
この情報の「広さと細かさ」の認識が正しい位置である事が、より「正しい認識」の情報と言う事になります。
説明します。
例えば、アドルフ・ヒトラーっていますよね。
アドルフ・ヒトラーを認識する上で、焦点の合わせ方は「個人」や「独裁者」や「戦争犯罪者」等、人によって大きく違うと思います。
ここで、天才や、凡人は、正しい情報の「広さと細かさ」を持って、個人差はあれどもアドルフ・ヒトラーを認識します。
ですが「バカ」になると情報の「広さ」や「細かさ」で合わせられるピントに限界が出てきます。
情報への理解が「狭く」「粗く」なる為です。
「ドイツ人」「人間」「男性」と言う様に、認識が荒い状態、つまり「抽象的」になります。
それだけ「知らない」と、焦点を合わせられる情報の「広さと細かさ」に限界が出て来るので、実際は「何も知らない」や「存在は知っている」程度の知っているにとどまる訳です。
ここまでは「無知」であるだけで、学べば「バカ」では無くなります。
学ぶほど、情報の細かさや範囲が増し、ピントを合わせられる範囲が増えるからです。
ですが、本当の「バカ(無知と言うよりは愚か)」は、焦点を合わせる場所が限られている「無知」と言う状態のまま、情報の方の「広さや細かさ」を自分の中で勝手に変えてしまいます。
本来なら「個人」と言う広さや細かさにあるべき、アドルフ・ヒトラーと言う情報を、自分の中で勝手に「ドイツ人」等の上位概念に広げてしまったり、無関係な概念に置き換えて認識するのです。

すると、何が起きるか?
質の悪い「バカ」は、認識を自ら歪めて世界を見るので「ドイツ人は悪い」等と概念を置き換えたりします。
また「バカ」程、粗い抽象的な認識や情報で、知っているつもりになって「断言」したり「決めつけ」たりする事で、周囲の人を混乱させてしまう訳です。

正確な認識が難しい問題は現実問題として多いですが、少なくとも抽象的な認識や抽象度を誤った状態で、断言をするのは、現実では危険な行為です。
正しい広さと細かさでピントを合わせられる情報での断言や推測は、有用な情報となりますが、そうでない場合は、すればするだけ周囲には「バカ」だと思われる事になります。
キャラクター創作に置いても、こういった偏見を持ったキャラクターは時には必要な物語もあるかもしれません。
是非、認識しておきましょう。
「天才」は、より事実に近い物を真実とします。
対して、「バカ」は思い込みを真実とする傾向があります。
その6:カテゴリーや階層で物事を認識する力の差
頭が良い程、物事をカテゴリーや階層で認識し、話をする事が出来る。
先にも書いたが、バカ程、カテゴリーや階層を歪め、論理的に破綻した事をベースに話をする。
一般的なドイツ人の話をしていて、ヒトラーのイメージを持ちだすのは、歪んでいると分かるだろう。
お約束の定型文「私と仕事、どちらが大事?」と言う質問も、カテゴリーが違う物を比べていて、質問としては頭が良くない。
「あの女と私、どっちが大事?」と言う質問の方が、カテゴリーが揃っていて、まだロジカルである。
数学で「1kgと1kmどっちが大きい」と言う様な問題があれば、単位を揃える事がどれだけ基礎的かつ、重要であるかは分かるだろう。
動物の話をしていて「犬」「猫」「兎」と言う流れで「鈴木」と言う個人が出て来たら違和感がある筈だ。
同じ階層に揃えるなら「人間」と言うのが、適切だろう。
また、動物の話をしていて「ダイアモンド」と言うのも、違和感がある筈だ。
同じカテゴリーに無い物だから、比べようがない。
だが、地球上にある物と言う様な、上位の概念(ここでは、会話の主題)であれば「ダイアモンド」だろうが、「木」だろうが、同じカテゴリーにある事になる。
つまり、頭の良い人ほど「より客観的」な基準で、カテゴリーや階層を合わせて思考も会話も出来る。
頭が悪い人ほど「より主観的」な基準で、カテゴリーや階層を、相手に合わせさせた会話を強要したり、自分の都合の良い答えを思考で出してしまいます。
それには、基礎的な蓄積情報が足りない「無知」パターンと、思い込みを押し付ける「自己中心」パターンがあります。
終わりに
バカと天才を描く上で、絶対に知った方が良い6ポイントでした。
バカは、
- 知識・経験の蓄積が少なく、増やすとしても少ない
- 蓄積情報がそもそも少ない為、受信情報の照合が出来ず、より主観的な視点で情報を受信し、発信せざるを得ない
- 世界を、曖昧で抽象的に見ている
- 見えていないので、思い込みで行動するしかない
天才は、
- 膨大な知識・経験を蓄積しており、短時間で効率的に増やし続ける
- より客観的な視点で、情報を受信し発信できる
- 世界を具体的に見ている
- 見えているので、論理的かつ客観的に判断出来、行動出来る
と言う差があります。
「バカ」は「バカ」故の行動を実行する事をきっかけに、知識と経験を増やし、客観的視点を獲得し、世界を具体的に見える様になって行く事で、やがて成長した結果、成功します。
「天才」は「バカ」よりも多くの要素が見えている為、目的に向かう上で必要な物を手に入れる為の行動を繰り返しながら、前に進みます。
どちらを描くにしても、完全なバカも天才も、キャラクターとしては面白く無い事を忘れないで下さい。
バカなら、バカなりの特技や良い所が必要ですし、天才なら、天才なりの悩みや欠点があってこそ、キャラクターとしては魅力的になります。