【わりと具体的】ミステリー以外でも重要! 事実と真実の切っても切り離せない関係【図解あり】

ちゃんと解かってる?

事実とは、客観的に「誰が見ても正しい情報」です。

虚構とは、客観的に「誰が見ても間違いである情報」を指します。

本の但し書きに「事実をもとに」や「この作品はフィクションです」と言う文言があるのは、その本の内容が客観的に見て「事実」か「虚構」のどちらを扱っているのかを宣言している訳です。

では、真実とは?

真実とは、主観的に「ある視点から見て正しい情報」となります。

そして嘘は、主観的に「ある視点から見て間違っている情報、あるいは恣意的(勝手に、わざと)に情報を歪めたり、不足させた情報」を指すものです。

つまり「主観的」か「客観的」かで、使い分けをする必要があります。

と、いきなり並べ立てましたが、今回は、これらの違いと使い分け方の解説を行っていきたいと思います。

事実と真実、虚構と嘘

『雨が降っている』

この文は、実際に雨が降っていれば事実であり、降っていなければ虚構です。

同時に、それを観測している人からすれば、事実か虚構かによって、真実か嘘にもなります。

単純ですね。

事実を誰かが観測すれば、それは観測者の真実になる訳です。

なので、単純な事実に対しては、一つの真実しか発生しません。

ですが、事柄が複雑に、抽象的になるほどに、事実は不動でも、真実は観測者の数だけ増殖していきます。

例を見ていきましょう。

これが最もシンプルな状態です。

単純な事実の前に、単純な真実しか発生しません。

このように、事実が具体的かつ単純な要素であるなら、某国民的名探偵が言う様に「真実は、いつも一つ!」と言う状態になります。

誰の目から見ても、事実の要素がシンプルである為、真実は同じ物です。

ここに、事実や真実を疑う余地はありません。

もちろん、物語である場合は「実はエイリアンだった」とかやったほうが面白いわけですが。

ここで、少しだけ事実の要素を複雑にします。

この図の様になると、もう既に真実が観測者の数だけ存在する様になります。

例えば、

この様な状態の場合、Aさんにとっての真実はZさんが殺人鬼です。

ですが、Bさんにとっての真実は、現時点では優しいZさんになります。

しかし、Zさんが優しい事も殺人鬼である事も、事実です。

せっかくなので推理モノを想定して見てみましょうか。

これが、推理小説の初期の状態です。

犯人であるZさんの事実を、読者も含め誰も知らない状態です。

Zさんは、優しい人間として振る舞い、AさんBさん、そして読者を嘘で欺きます。

Zさん本人は、嘘つきですが、事実を知っているため虚構を口走っていると自覚している状態です。

あくまでも、AさんとBさんにとって嘘であり虚構であって、Zさん自身にとって嘘として情報は機能しない訳です。

ですが、AさんとBさんにとって、Zさんが殺人鬼と言う真実は成立しません。

当然、与えられた情報を信じるしかないAさんBさんは、嘘に踊らされます。

嘘だと知らずに、二人は自分達の観測した、主観的な真実に基づいて判断し、行動します。

二人にとっても、読者にとっても、この時点でZさんの印象は、真実です。

ですが、必ずしも事実全てでは無い訳です。

この状態だと、Aさんは事実を知ってしまった状態です。

Zさんが証拠を残していて、Aさんが気付いてしまったのでしょう。

当然、Bさんの発言が虚構、間違いである事は分かっています。

Bさんは、Zさんの策略によって自分に自分で嘘をついている状態です。

ミステリーで言えば、犯人を捕まえる直前の状態です。

いよいよ解決に乗り出すと、このような状態になります。

すると、犯人であるZさんは、言い逃れしようとします。

AさんとBさんに対して、様々な嘘をつく事で、自分への疑いを晴らそうとします。

ですが、今回、真実が事実である事を確信しているAさんにとっては、嘘と言う事がバレてしまっているのでZさんへの認識は揺らぐ事がありません。

つまり、Aさんの真実が「確信」ではなく「疑い」であったり、「確信させた事実」を覆す様な「新事実」が出てくれば、Aさんの中の真実が書き換わり、Zさんへの疑いが揺らぐと言う事です。

ですが、事実を示す証拠をAさんがZさんとBさんに提示することができれば、Zさんは認めざるを得ない状況に追い込まれ、Bさんは信じざるを得ない状況になり、ようやくBさんの真実が書き換わり、Zさんの嘘に気付く事が出来ると言う訳です。

全員が犯人はZさんと言う事実を、共通の真実にする事で、推理物は事件の解決を見ます。

ちなみに、全員が虚構だと事実を理解し、嘘だと認識している事は、そのままだとただの虚言です。

ですが「共通の事実」に「虚言で韻を踏む」事ができれば、それはジョークになります。

例えば、上の図の場合、Zさんが犬に似ていたり、犬の様な忠実さ等の要素を持っていれば、それを共通の認識として持っている場合は、AさんとBさんの間でジョークとして通じます。

「共通の認識」に対して、「音や要素・概念等で韻を踏む」事で、虚構は意味を持ちます。

余談の余談となりますが、このシステムは「物語そのもの」を表してもいます。

良い物語とは、調えられた虚構によって、真実を語る物なのです。

そして、人は虚構を好みますが、嘘を嫌います。

嘘は、主観的に発した人を、急激に、嘘の発覚までの間、有利にする働きがあります。

つまり、嘘は、嘘だと認識できない人達を不利にする行為であり、それがわかっているので人は、嘘をつかれる事が基本的に大嫌いです。

逆に、嘘だとわかっている嘘は、意味が分かれば大好きなのです。

だから、謎解きをせずには、人はいられない訳です。

終わりに

物語創作でも現実でも、事実と真実を混同しないようにしましょう。

違いは、客観的か主観的かですよ。

虚構を使って、あなたの観測した真実を語るのが物語です。

物語を書くときに事実の羅列だけしたら、それは教科書か参考書みたいになります。

それがプロットの状態です。

主人公の観測する真実を、事実から膨らませて必ず描きましょう。

それがストーリーです。

また、大事な事ですが、悪者には簡単には嘘だとわからない嘘をつかせましょう。

そして、主人公には、誰か(主に悪者)のついた卑怯な嘘を暴かせましょう。

どんな物語でも、出てくる嘘が下手過ぎると、物語全体の知能指数がグンと下がります。

物語の嘘は、嘘をつくキャラクターが事実の発覚で自分が傷つかずに、暗躍する為のものです。

嘘がバレて嘘をついた人が窮地に立ったり、追い詰められたり、恥をかくのは、クライマックスまで取っておきましょう。

この記事が、創作の役に少しでも立てば幸いです。

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