【コラム物語論】おバカな物語の良し悪しについて

良いバカ、悪いバカ

おバカな物語は好きですか?

今回は、頭の悪い登場人物が大活躍する、おバカな物語から、その中にあるバカの良し悪しや種類について考察していきたいと思います。

頭の悪さの表現

物語の頭の悪さは、世界観、登場人物、行動によって決まります。

バカな世界、バカな人、バカな行動

例えば「バカな世界」では「頭の悪い行動」をしても当たり前になる為、「バカなキャラクター」を描く事が容易です。

『シンプソンズ』『サウスパーク』『アドベンチャータイム(アマプラで見放題!)』『魔法が解けて(ネットフリックス配信!)』……

日本の作品だと「日常」でしょうか。

一流の創作者達が本気で作る「バカな世界」は、ただ「おバカ」な時もあれば、「風刺が効いている」様な、侮れないメッセージ性を持っていたり、非常に面白い作品が多いです。

これらは「良いバカ」です。

考えられたバカな表現であり、バカをバカとして描く事で、笑いや皮肉、強烈なテーマを物語で表現します。

これらの作品は、表面上の頭は悪いが、実は知的な物語が多いです。

ただバカな事柄を並べ立てているのではなく、テーマやコンセプトに沿って計算して組み立てられ、物語の区切りごとに明確なメッセージを表現します。

物語のパラダイムやパターンを上手に使い、俯瞰してメタ的に物語や現実の世界を見た上で、鋭いメッセージで不意打ちをする。

そうする事で、伝えたいテーマや、ユーモアのセンスを最大限に生かす訳です。

バカな世界、普通の人、普通の行動

常識人が、自分以外全員がバカと言う状況に置かれると、どうなるか?

ツッコミを入れまくり、常識を周囲に伝えようと努力します。

このタイプの物語は、常識人に感情移入しやすく、バカに囲まれる不条理な状況が面白いタイプの物語です。

『ニニンがシノブ伝』『ラブやん』等の作品がこれに当たります。

先に触れた「全部バカ」な物語よりも、見る人の視点が定まっている為、ツッコミ役に共感しやすい物語です。

普通の世界、バカな人、バカな行動

普通の世界にバカが紛れ込む構図の物語もあります。

『侵略!イカ娘』『こちら亀有公園前派出所』『ドラえもん』等は、強烈なキャラクターの高性能なバカによって物語が動きます。

このタイプの物語の場合、主人公がバカなら、バカな事を着々と推し進め、最後に酷い目にあって終わる事が多いです。

主人公以外の場合は、敵なら『アンパンマン』に登場するバイキンマンの様な迷惑な行動を取り、周囲に止められます。

愛すべきバカを応援したり、笑うタイプの物語と言う事です。

普通の世界、普通の人、バカな行動

このタイプの物語は、犯罪に手を染めてしまうタイプの物語が多いです。

『ブレイキング・バッド』『ウルフ・オブ・ウォール・ストリート』等の作品が代表です。

自分が悪い事をしている、間違っている、バカだと言う自覚はある物の、已むに已まれぬ事情があったり、誘惑に負けたりでバカな行動を積み重ね、自己正当化した先で「やっぱりバカだった」事に気づき、バカをやった代償を払う事になります。

バカな人と普通の人で違うのは、バカな行動に対して自分でツッコミを入れる事が出来る事です。

この「普通の反応」は、共感・納得になり、物語に没入する助けとなります。

悪い、頭の悪さ

バカな世界、バカなキャラクター、バカな行動は、どれも魅力的です。

ですが、全てが良いバカではありません。

「考えられていないバカ」に対して、人は辛辣です。

考えられていない頭の悪い表現は、創作者の不手際や、創作者の頭の悪さとして受け取られるからです。

ご都合主義の設定

物語の創作者は、その創作した世界においては神です。

神は何でも出来ますが、神にも良し悪しがあり、自分が決めたルールを守らない神を人は信用しません。

物語の設定とは、その物語世界を創作した神=創作者が作ったルールです。

ご都合主義の設定とは、創作者が自分で作ったルールを無視する行為を指します。

ルール無視は、

  • 前提を開示しない(前振り・複線の張り忘れ・張り損ねによって起きる、情報や結果の後出し)
  • 前提を都合よく変える(これぞご都合主義)

この二つが主です。

これは、創作者の創作法や性格によっても起きる確率は違いますし、物語の世界観によっても罪の重さは変わってきます。

「世界観」自体がバカである場合は、不条理さとして容認されるパターンも多いです。

ですが「世界観」が普通なり、真面目だった時は容赦無く創作者=神が、ファン=信者達によって厳しいツッコミを入れられる対象に成ります。

創作者として失敗を恐れては何も作れませんが、避けられる落とし穴に突き進むのは避けるべきです。

登場人物達が世界観に反してバカ

納得出来ない設定が公式で運用されると、人は違和感を感じます。

例えば「なろう系」等で、登場人物達がみんな頭悪い物語を「面白くない」と感じる人と気にならない人がいます。

これが気になるのは、中世ファンタジー風の異世界と言う世界観を維持する上で、その知能指数の登場人物達による国家運用や冒険に対して「無理がある」と感じるから起きる拒否反応です。

設定に無理があるから、作品を楽しめない訳です。

気にならない人は、その無理な世界観を「バカな世界観」や「フィクション」と容認しているか、そこまで俯瞰して物語を見ずに、登場人物だけを見て楽しんでいる人です。

また、悪の親玉が無計画で短絡的で表立って最初から暴れたり、あまりにも簡単に仲間になったり裏切ったりと言った描写は、納得感を重要視する人には受け入れがたい物語展開です。

行動が、世界観に反してバカ

登場人物の選ぶ行動が、視聴者や読者が考え付く物よりも何段もレベルが低いと、物語を追う事がバカらしくなります。

最終的に物凄いメッセージやテーマが提示されるとしても、そこにたどり着く前に「苦痛だし、この物語からは、何も学べる事はなさそう」と思われてしまいます。

創作者は、予想も出来ない行動、予想を裏切る行動、予想を上回る行動を考える努力が常に必要とされていると言う訳です。

まとめ

物語を創る上で、良いバカと悪いバカについての考察でした。

良いバカは、計算され、意味と価値のあるバカです。

悪いバカは、無計画で、無意味で無価値なバカと言う事でした。

バカは、物語を面白く魅力的にします。

同時に、扱いを誤ったり、勝手に湧いてきたバカは、物語の勢いを失速させてしまいます。

バカの扱いには、十分気を付けましょう。

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