【コラム物語論】メディアの発展と衰退。パターンが読めれば未来が見える?その1

エンタメ今昔

人の表現の歴史は、かなり長い。

70,000年前にはアクセサリーでオシャレをしていた。

60,000年前には洞窟に壁画を描いていた。

30,000年前には横笛を演奏してたし、ライオン頭の人型像を作っていた。

20,000年前に農耕が始まり、それから暫く経つ。

長らく最古の文明と言われているメソポタミア文明がブイブイ言っていたのが、紀元前5,000年前

いつだって、人は表現することが好きだ。

今回は、「メディア」「エンタメ」「表現」と言う目線から、歴史を見てパターンを探っていきたい。

大昔

以前の記事世界はパターンで出来ているでも触れたが、文字の原型は紀元前7,000年よりも前から存在するらしい。

エジプト文明でヒエログリフが文字体系を確立させるのは、紀元前3,500年頃の事。

ちなみに、世界的に見ても古いエロ絵は、シュメール文明の線刻画で紀元前3,000年頃の物らしい。

紀元前2,500年頃になると、スフィンクスが建造される。

これは現存、世界最古の石像だ。

この時代、今も伝わる実話や寓話の類は、神話や歴史が殆んどだった。

一般庶民の生活は僅かしか記録に残らず、権力者や歴史の勝者だけが後世に語り継がれる。

そういう時代だ。

紀元前2,000年頃、ギルガメッシュ叙事詩の最古の写本が確認される。

これが人類最古の物語にして、最古の英雄譚と言われている。

紀元前1,280年頃、この辺でモーセが出エジプトをしてユダヤ教が起きる。

紀元前800年頃、この頃になると「イーリアス」や「オデュッセイア」の様なギリシャの叙事詩がまとめられ始める。

紀元前600年頃、バビロニアには不完全ながら世界地図が存在していた。

紀元前500年頃、ギリシャでは、神話の叙事詩だけでなく、悲劇を扱った作品がブームになる。

この頃、インドでは釈迦が生まれ、仏教が起き始めている。

紀元前400年頃、哲学者ソクラテスがブイブイ言っていた時代。

ソクラテスは、当時「文字は発声の補助であり、使わない方が良い」とか言ってたとか。

実際、本人はこれだけ有名なのに著作は無く、今も言葉が残っているのは弟子達のおかげなのだとか。

紀元前330年頃、ようやくエンターテインメントにターニングポイントが訪れる。

アリストテレスによる「詩学」の執筆だ。

最古のドラマ理論によって、物語に学問としてパターンが見いだされた。

古代

紀元前280年頃、最古の楽譜が確認される。

この辺から、人類は音楽を残す術を手に入れた。

これは、当時の叙事詩と悲劇ばかりの西洋演劇のシナリオと、楽譜があれば、もしかしたら当時のエンタメを再現出来るかもって事を示している。

紀元前100年頃、ギリシャにはアンティキテラ島の機械と呼ばれる天文計算機(最古のアナログ計算機)が開発されていた。

一方で、古代ローマでも叙事詩が親しまれていた。

西暦1年前後、キリスト教が起き、同じ頃ゲルマン民族の間ではルーン文字(みんな大好き)が確立していた。

この、神話や伝説とまだ時間続き地続きの時代、キリスト教が勢いを増していく。

その一方で、ギリシャや古代ローマでは演劇が親しまれていた。

この頃は、西ローマ帝国がブイブイ言っていた。

80年にはコロッセオが作られ、時には神話や伝説をなぞらえた剣闘士達の戦いが見世物となった。

このぐらいの時代、日本では卑弥呼が幅を利かせていて、金印を大陸から送られて喜んでいた。

当時、日本には発達した文字文化は存在しなかった。

中世初期

西暦400年頃、東ローマ帝国の時代になる。

古代の反動か、力を持ったキリスト教会による表現の弾圧が行われ、演劇への排斥、批判の封殺、娯楽性の排除が進む。

すると、弾圧に抗う人々は、旅芸人や大道芸人と言った形で表現手法を変えて生き残りを図った。

西暦518年頃、日本では、現存世界最古の企業、金剛組が創業する。

西暦607年頃、世界最古の木造建築、法隆寺が完成する。この頃、金印と共に入ってきた漢字表記の日本語文法化が始まる。

文字は漢字を流用していたが、言葉は古代日本語のままだった為、使える者が少ないのが問題だった。

そこで「夜露死苦」方式で当て字をする試みが始まった。

西暦610年頃、ムハンマドがメッカで神の啓示を受け、イスラム教が起きる。

西暦651年頃、サーサーン朝がイスラム教徒に征服され、イスラーム帝国が出来る。

日本では、「万葉集」がまとまり始める。

西暦712年頃、「古事記」執筆。

西暦720年頃、「日本書紀」執筆される。

奈良時代になると散楽戸がシルクロード経由で大陸から持ち込まれ、日本の芸能の基礎となる。

西暦794年頃、平安時代、芸能が独自に発展。

猿楽、田楽、延年が生まれる。

西暦800年代、「千夜一夜物語」の原型が出来る。

楽譜の形式が、五線譜で固まり始める。

中世中期・後期

西暦900年代、500年近く芸能への弾圧を行ってきたキリスト教会が「もしかして布教に使えるのでは?」と気づき、宗教劇、神秘劇、聖史サイクル劇等を認可し、人々に受け入れられていく。

しかし、徐々に大衆が喜ぶようにと娯楽化が進み、またキリスト教会は制限をかけようとする。

制御が効かないエンタメは、当時のキリスト教会から見ると『悪い文化』だった。

西暦1008年頃、紫式部が源氏物語を執筆する。

扱いにくい漢字や万葉仮名ではなく、草書体の万葉仮名、ひらがな、カタカナの発明と確立によって、日本のエンタメは一気に飛躍することになった。

文字を一部の知識人だけでなく、幅広い層が使えるように改良を加えた事は、間違いなく革命だった。

一方で、漢字が使える知識人は、崩した文字は良くないとソクラテスみたいなことを言っていたとか。

西暦1185年頃、鎌倉時代。

武家の時代、能楽が起き、日本の芸能も悲劇を取り入れ変化する。

この辺で、日本最古の漫画とも言われる「鳥獣戯画」が描かれる。

和歌の一つ、連歌が読まれ始める。

西暦1269年頃、能楽から狂言が生まれ、悲劇ではなく笑劇と言う試みが行われる。

西暦1336年頃、室町時代、京都を本拠地にする宮廷の公家が主に使う都言葉が上品でイケている時代。

連歌の気軽化を目指し、俳諧が考案される。

日本語も、芸能、文字、話し言葉と変化を繰り返し、近代化が進んでいく。

西暦1400年頃、世阿弥が能楽を体系化、序破急等を書にまとめる。

同じ頃、ヨーロッパでは、寓話的喜劇・道徳劇が生まれる。

アリストテレスの詩学が見直され、ルネサンス期以降の欧州に広まることになる劇・戯曲の理論化がイギリスで始まる。

イタリアでは、新古典主義演劇に始まる様々な形態の劇が生まれ、貴族向けの娯楽として愛される。

西暦1531年頃、浄瑠璃が起きる。

イタリアでは、オペラが生まれる。

イギリスでは、シェイクスピア等のスター作家が生まれ、大衆向けの演劇がもりあがりを見せる。

扱う題材は、悲劇が多かった。

しかし、ピューリタン革命の内戦によって、イギリスの演劇文化は一旦幕を閉じる事となった。

フランスでは、他の国と同じように独自の発達をし、悲劇・喜劇の名作がいくつも生まれた。

近世

西暦1603年頃、江戸時代に突入。

廃藩によって地方が関所で分断され、方言が熟成される。

安定した300年近い治世によって、能、人形浄瑠璃、歌舞伎、落語と言った芸能が起きる。

寺子屋(学校みたいなもの)が置かれ、往来物と呼ばれる挿絵付きの教科書によって幅広い層が勉強に励み、日本の識字率は七割程度にまで高められた。

この数字は、同時期の諸外国と比べても、驚異的と言って良い。

識字率が高くなり、読本と呼ばれる伝奇小説がブームになった。

ここで、それなりに真面目に生きてきた日本人も、西暦1655年頃、京都で春画(エロ絵)を出版する。

1722年に一度禁止されたが、その後も闇取引が続いた。

同じ頃、1605年に「ドン・キホーテ」が執筆される。

映画「ナインスゲート」でジョニーデップが探すやつだ。

スペイン演劇は黄金時代。

内戦で一旦幕を閉じたイギリス演劇界は、フランス演劇の影響を強く受けつつも王政復古と共に演劇を再開。

上流階級の風俗を喜劇的に扱う、風習喜劇が起きる。

イギリスに影響を与えているフランスでは、コメディ・フランセーズと言う現存最古の劇団が結成されて、盛り上がっていた。

三一致の法則と呼ばれるフランス古典演劇の法則も作られた。

産業革命前後、ヨーロッパでは啓蒙思想や理性化が始まり、今までの反動から脱権威主義が推し進められた。

啓蒙時代は、聖書や神学よりも理性を重んじて、演劇自体を時代に合わせて最適化していくことになった。

演劇自体の停滞こそ起こったが、演者中心の時代になり、客層も王侯貴族から中産階級向けにシフトして大衆化が一気に進んだ。

ドイツでは、市民劇と呼ばれる中産階級を描く作品が書かれ、演劇の新たな時代が到来した。

一般人が主役になりえる時代になったのだ。

また日本に戻ると、18世紀も終わろうと言うこの時代は、葛飾北斎の活躍によって浮世絵が確立し、戯画や春画が流通して、日本独自のエンタメは多彩になってきていた。

江戸の人口は100万人を超し、娯楽に金を使う程度の余裕もあった。

西暦1868年頃、明治維新が起き、鎖国から解き放たれる。

すると、日本を襲ったのは、西洋文化の波だった。

1862年にはイギリス人が発行した「ジャパンパンチ」と言う漫画雑誌によってポンチ絵と言う言葉まで生まれた。

西洋文化の影響を受け、演劇改良運動が起きると、新派演劇、新劇が生まれた。

古典芸能は、新しい物によって押しつぶされそうになり、いくつかは衰退していった。

写真が一般的になると、春画が廃れ、写真は没収対象として取り締まられた。

俳諧を更に歌いやすくしようと俳句が考案されたのも、この頃だ。

ヨーロッパでは、ロマン主義演劇や自由主義演劇、メロドラマが生まれ、現代の感覚に近い小説と言う概念も生まれた。

1837年には、アメコミの時代が早くも産声を上げる。

海外でコミックと言う概念が生まれ、開国した日本に持ち込まれる事で、既に日本の中に存在するエンタメと融合することで、こんにちの漫画の土台が着々と出来上がった訳である。

1887年、浮雲が発表され、純文学と言う芸術よりの小説が生まれる。

浮雲は同時に、言文一致運動の一つでもあった。

冗談みたいな話だが、この年代になるまで、日本ではしゃべり言葉と書き言葉が完全に一致してはいなかったのだ。

それが言文一致運動によって一致させる試みが行われ、夏目漱石の「吾輩は猫である」によって一般にも広く知られることとなった。

1890年代、「江の島鎌倉長短旅行」と言う、キャラとストーリーのある日本最初の漫画が登場する。

同じ頃、映画と言う発明によって、エンタメは大きく変わろうとしていた。

1900年代は、新聞や雑誌によって風刺漫画を中心とした漫画が発展していく。

ここから、エンタメは一気に近代化ならぬ現代化をしていく事になる。

まとめ

物語は、どうやら

  • 実際の昔話
  • 伝えられる神話、伝説をベースとした叙事詩
  • 下敷きのある悲劇
  • 下敷きのある喜劇

の様な順に生まれるのが自然なようです。

恐らく、娯楽を楽しむ文明的な余裕度と、笑わせる行為の感情に訴えかける難易度が高い事が関係して、喜劇はある程度文明レベルが進まないと生まれ辛いのでしょう。

また、

  • 表現ツールの進化(言葉や文字を使いやすく、道具を一般的に)
  • 表現方法の最適化(口伝え、絵、文章・楽譜、演劇、漫画、映画)
  • 権力者による弾圧と利用(宗教と政治家や軍人は基本的に敵)
  • 権威には必ず反発する(隠れてやっちゃうし、必要なら戦う)
  • 理論化、体系化を試みる(パターンを探す、誰でもできるようにする)
  • エロ表現は世界共通(ある程度、取り締まられるのも共通)

の様な共通のパターンがあるようです。

表現方法の最適化は、ハードの組み合わせパターンでは、種類、配分を変える事で変化します。

この表現方法に新しい物を持ち込んだ表現が、次の標準にとって代わります。

現代になると、資料も多く、その表現の変化による時代の流れも顕著な為、およそ4000年かけて微妙な変化しかしなかったエンタメの変化するパターンがハッキリと見えて面白いと思います。

※情報ソースの大半がネット上の情報なので、全てを鵜呑みにしないでください。あくまでも、大雑把な歴史のパターンを探す試みです。

スポンサーリンク

“【コラム物語論】メディアの発展と衰退。パターンが読めれば未来が見える?その1” への1件の返信

コメントを残す

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください

%d人のブロガーが「いいね」をつけました。