エンタメ今昔
人は歴史を通じて物語を語ってきました。
その際、一つの文化やメディアを通じて物語が生まれる順番は、
- 実際の昔話
- 伝えられる神話、伝説をベースとした叙事詩
- 下敷きのある悲劇
- 下敷きのある喜劇
と言う事でした。
また、
- 表現ツールの進化(言葉や文字を使いやすく、道具を一般的に)
- 表現方法の最適化(口伝え、絵、文章・楽譜、演劇、漫画、映画)
- 権力者による弾圧と利用(宗教と政治家や軍人は基本的に敵)
- 権威には必ず反発する(隠れてやっちゃうし、必要なら戦う)
- 理論化、体系化を試みる(パターンを探す、誰でもできるようにする)
- エロ表現は世界共通(ある程度、取り締まられるのも共通)
と言う、メディア自体の流れも見えてきました。
今回も、「メディア」「エンタメ」「表現」と言う目線から、歴史を見てパターンを探っていきたいと思います。
1900年~1950年代
1800年代に、人類は「漫画」と「映画」を手に入れました。
それまでは文章なら小説、視覚的な物は絵画か写真だったのが、ここにきて合流した訳です。
日本では、言論一致運動(明治時代まで、しゃべり言葉と書き言葉が一致してなかったのを、統一する流れ)が西洋文化の流入によって起き、読み書きの利便性が飛躍的に進歩しました。
ようやく、普通になったと言った方が良いかもしれません。
それまでは、形式ばっていて文章を書く事は難しい物だったのが、より一般化された訳です。
その時に、ヒットしたのが夏目漱石の「吾輩は猫である」です。
同じ頃、風刺漫画が新聞や雑誌に載る事で、漫画文化が発展し始めました。
なぜ風刺漫画から始まるのかと言うと、冒頭でも書いた通り「実際の昔話」をベースとした物語を伝えるのが風刺漫画だからです。
社会の問題に対して、声をあげたり痛烈に批判したり、皮肉を飛ばす事は、物語の生まれる最も初期の段階です。
生まれたばかりのメディアは、基本的に冒頭の順番に従って進化していきます。
話を戻すと、風刺漫画から始まる漫画文化は、時事漫画から徐々に少年漫画や少女漫画へと枝分かれを始めます。
日本最古の少女漫画「とんだはね子」が生まれ、漫画と言うメディアは届ける対象を広げ始めます。
大人が消費する物から、子供でも消費できる物になろうとする訳です。
1913年、少年や少女の音楽隊ブームの流れに乗って宝塚唱歌隊(現、宝塚歌劇団)が組織され、海外の演劇文化の流入や当時の状況から、1914年には歌劇「ドンブラコ(桃太郎)」を初公演。
1921年、「人の一生」と言う日本ストーリー漫画の原型と呼ばれる作品が発表される裏で、プロレタリア文学(虐げられる労働者の厳しい現実を題材にした文学)が日本に入ってくる。
同じ頃、アメリカでは新聞掲載のパルプマガジンが始まり、アメリカンコミックゴールデンエイジと呼ばれる世代が活躍し始める。
1923年、ウォルト・ディズニーが22歳でウォルト・ディズニーカンパニーを立ち上げ、1928年には「蒸気船ウィリー」を発表しミッキーマウスが誕生する。
1925年、日本では今のNHKによって放送が開始。
当時はテレビの普及が進んでおらず、エンタメを楽しむ類のものではなかった。
1931年には、ベルギーで「タンタン」が発表される。
1932年、欧米から入ってくるナンセンス漫画の影響を受け、漫画業界は進化を続けていた。
風刺漫画から始まった漫画には、「のらくろ」と言うベストセラーが生まれ、子供の物になりつつあった。
この頃から漫画には「コマワリ」「吹き出し」と言う当たり前の形式が定着し始める。
それ以前の漫画は、そういった形式さえ出来ていない状態だった訳だ。
しかし、出来たばかりのメディアとは、最初は値段が高い。
富裕層の子供しか手に入れる事は出来ず、子供にとって一番の娯楽はと言うと、当時は昔ながらの紙芝居であった。
1935年、アメリカではDCコミックが生まれ、1938年には「スーパーマン」が登場する事で、スーパーヒーローブームが起きる。
スーパーマンが生まれる前年の1937年には、ディズニーが世界初のカラー長編アニメーション「白雪姫」を公開。
1939年、第二次世界大戦が勃発。
日本国内の漫画文化は系譜断絶状態に陥り、多くのメディアが影響を受けた。
アメリカでも、ディズニーを始めとしたクリエイターはプロパガンダに関わったり、戦場に行くこともあった。
冒頭のリストにある様に、戦争は、エンターテインメントに様々な影響を与え、表現を取り締まる事が分かる。
しかし、デビュー前の手塚治虫は隠れて漫画を描きまくったし、ディズニーは「ピノキオ」と「ファンタジア」が当時はヒットしなくて、抱えた借金を返す為にプロパガンダ映画をたくさん作った事で次につなげた。
1945年、戦後、敗戦した日本の漫画文化は虫の息だった。
物不足で生きるだけでも大変な時代だったが、エンタメが死ぬことはない。
紙芝居から始まった「黄金バッド」が人気を集め、赤本(元は少年向きの講談や落語が載った本の事で、使われる色に赤が多かった為、低俗な内容の本と言う意味で俗称で赤本と呼ばれていた)にもなって、赤本の漫画が増え始める。
赤本は、本屋に並ばず駄菓子屋や紙芝居屋が廉価で販売していた。
だが、いくら廉価でも、戦後のこの時期、まだ子供にはおいそれと買えるものではなかった。
1946年、手塚治虫の「新寶島(新宝島)」が発表され、漫画業界にパラダイムシフトが起きる。
ストーリー漫画時代の到来である。
1950年~1970年代
物価高騰のあおりを受け、赤本と言うメディアが終焉を迎える。
漫画は、貸本の時代に突入し、紙芝居と貸本が子供の娯楽の中心になる。
水木しげるが貸本業界に飛び込むのも、この頃だ。
当時の漫画のジャンルは、大人向けの風刺漫画と、欧米の影響を受けたナンセンス漫画が、まだ殆んどだった。
だが、手塚治虫を始めとした戦後漫画業界の黎明期を支えたクリエイター達によって、少年漫画と言うカテゴリーが確立していく。
戦後復興によって日本人の会社員化が進み、生活習慣が欧米化していった。
テレビが徐々に普及し始めたのは、この頃だ。
一週間刻みで人々が生活を始めると、週刊誌ブームが起きる。
漫画は週刊誌に載るようになり、ナンセンス漫画以外に、時代劇、スポーツ、ヒーロー、そして「ゲゲゲの鬼太郎」の様なホラー作品まで生まれた。
「鉄腕アトム」が発表され、ヒーロー漫画が勢いに乗り、漫画業界には叙事詩が描かれる時代が到来していた。
こんなに勢いに乗っていると、当然目障りに思う人が現れる。
1955年、悪書追放運動が起き、戦後最初の壁に漫画は立たされた。
「鉄腕アトム」も悪書認定されていたのだから、当時の運動がどれだけおかしかったのかもうかがえる。
マンガを読むとバカになると信じる大人が、かなりの数いたのだ。
1960年、日本では明治維新後に生まれた新劇から更に、アングラ演劇や不条理演劇が生まれ、演劇業界も多様化していた時代。
アメリカでは、1961年、シルバーエイジのクリエイター、スタン・リーの登場によってマーベルコミックから「ファンタスティックフォー」が発表され、アメリカンコミックに革命を起こす。
スタン・リーが取り入れた手法は、「超人を人間として描く」事で、以降のアメコミの方向性の舵取りをしていく事になった。
同じ頃の日本では、漫画文化が確立し、貸本と紙芝居が赤本の様に時代からフェードアウトしていた。
この頃になると、少年漫画に加え、少女漫画と劇画、当時はさらに大人漫画と言うジャンルまで分化が進んでいた。
ナンセンス漫画から、ナンセンスギャグ漫画が生まれ、人の滑稽さを笑える喜劇が生まれ始める。
戦後から育ち始めた日本の漫画業界は、ようやく笑いを獲得したのだ。
1963年、手塚治虫によってテレビアニメ「鉄腕アトム」が作られ、新たなメディアの確立と共に、メディアミックスと言う概念が小さな芽を出す。
1964年の東京オリンピックと重なった事も、テレビ普及の追い風になった。
この頃、一般普及に伴ってテレビではプロレス以外にお笑いもエンターテインメントとして一般化する。
テレビの第一次お笑いブームによって、家で落語等を楽しむことが出来るようになった。
1964年、日本初の青年漫画誌ガロが創刊される。
ガロ掲載のカムイ伝は、当時ブームだった学生運動ともマッチして大ヒットする。
漫画は風刺か、子供の物、と言う概念が音を立てて崩れ、漫画は大人が楽しむに足るエンターテインメントとして認められ始める事になる。
後発で手塚治虫がCOMを創刊し、青年誌と言う新たなジャンルに参入する。
COMは、編集者よりも創作者を優先する経営方針を打ち出し、その姿勢に感銘を受けたアーティストの流入によってアート漫画の方面で発展。
同時期にアメリカで発生していたアンダーグラウンドコミックに近い作風と評価され、日米の漫画業界の成熟度が手塚治虫らによって拮抗しているのが分かる。
1966年、ウォルトディズニーが65歳でこの世を去る。
1968年、週刊少年ジャンプ創刊。
マガジン、サンデーに比べて後発だった為、ジャンプがとった戦略はCOMとも違う面白い物だった。
今でこそ有名だが、若手登用とアンケート方式採用によるデータ主義、実力主義を徹底することで、漫画家と読者両方からの支持を集め、急成長したのだ。
2007年に公開されたブラッド・ピット主演の「マネーボール」で描かれるデータ主義、実力主義の勝利と似た戦略に、類似性を感じずにはいられない。
1970年代
コミケに始まる同人誌即売会ブームが起き、そこから高橋留美子を始めとしたプロ漫画家が多数生まれる。
大阪万博があったのも、この頃だ。
大人漫画と言うジャンルが衰退し、漫画のカテゴリー最適化が起きる。
そんな時期に、「宇宙戦艦ヤマト」の劇場映画が大ヒット。
これによって、鉄腕アトム以降進んでいたメディアミックスの流れがさらに進む。
漫画の出版業界全体の割合が、国内で15%にもなり、漫画業界を誰も零細だとは思わなくなってくるが、業界としての成熟は、まだ出来ていなかった。
漫画=漫画雑誌時代で、漫画雑誌の収集や保存に一部の人が動き始める。
当時の漫画は、大半が単行本化されず、雑誌が捨てられれば二度と読めない状況なのに、雑誌は読み捨てる物と言う矛盾した状態だったのだ。
更に、雑誌で読み捨てる認識が漫画家にも編集者にもあったため、原稿は一度印刷すれば不要と考えられ、読者プレゼント企画によって永久に失われた作品も、いくつも存在した。
と言うのも、雑誌で読んだ漫画を、単行本で買わないだろうと言うのが、当時の考え方だったのだ。
しかし、出版社が一つの作品で何度も儲けたいと言う思いから、二次使用目的で単行本化の文化が始まる。
すると、良い誤算として、単行本は売れに売れた。
単行本化が一般化し始めると、雑誌を買わない単行本派と言う新たな読者を獲得すると共に、本屋に漫画コーナーと言う棚が生まれる切欠にもなった。
バブル景気直前、日本全体の富裕度が上昇している時期であったことも大きい。
1974年には、日本初のコンビニエンスストア、セブンイレブン一号店がオープンし、漫画を売る手段はさらに増えていた。
同じ頃、アメリカではアメリカンコミックのブロンズエイジによって、アメコミの多様化が行われていた。
主流はヒーローコミックのままなのだが、扱うテーマが勧善懲悪から範囲が広がり、社会問題を扱ったりと、メッセージ性が強くなってきた。
いや、メッセージの種類が増えていったのだ。
その後、モダンエイジによって、ダーク調な世界観と復讐劇のブームが起きる。
アメコミのレベルは飛躍的に上がり、グラフィックノべルと言うジャンルが出来、あの名作「ウォッチメン」や「ダークナイト」もこの時期に生まれた。
アメコミは、オルタナティブコミックと呼ばれる実験的な大人向けで芸術性も高い作品が生まれるようになり、社会での一般化とマニア化が進んだ。
1980年代
ファミコンが登場し、小劇場演劇がブームとなっていた時代。
過剰なスポコンや商業的姿勢で作られたレベルの低い物語達によって、漫画ブームは下火になっていた。
いや、優劣がハッキリした時代と言った方が良い。
集英社、小学館、講談社が漫画市場の七割の利益を独占し、その七割の大部分をジャンプが独占しようとする「ジャンプ黄金時代」である。
ジャンプではドクタースランプ、サンデーではタッチが共にヒットし、アニメが作られ、アニメによって漫画がまた売れる。
漫画への入り口が、雑誌よりもアニメになっていった時代でもある。
アニメ化と単行本化のスパイラルでジャンプが独走状態。
サンデーはラブコメに特化し、マガジンは不良マンガに特化していった。
三社が少年漫画を過剰に供給することで、子供向けに飽きた背伸びしたい子供や大人たちは青年誌に飛びつき、青年誌市場は好調な時代でもあった。
1988年には、ライトノベルと言う言葉は生まれていないが、ドラゴンマガジンが刊行され、市場にもライトノベルと今では呼べる作品が生まれ始める。
文学と純文学と言う大人向けだった小説業界に、漫画と小説の間として挿絵が多く読みやすい小説が形作られだした時期だ。
1989年、アメリカではシンプソンズの放送が始まり、カルト的なヒットを飛ばす。
その年、日本の漫画の神様、手塚治虫が60歳の若さで亡くなった。
1990年代
漫画は、子供向けではなく、漫画を読んでもバカにならない事に皆が気付いている時代。
出版社目線でいえば、漫画最盛期。
漫画は50年かけて『文化』になり、将来なりたい職業で漫画家を選んでも後ろ指さされない。
漫画の復刻や収蔵が盛んになり、文化保護の為に動く事が当たり前になっていた。
1992年、電撃文庫が創刊し、ゲーム小説と呼ばれる後のライトノベルが一般化の道をたどり始める。
最初は、小説でも漫画でも扱いづらいSFをメインの題材にしてライトノベルは人気を集めた。
それから、世界系、伝奇小説、ファンタジーとジャンルが分化していく。
ゲームは、早くからアニメや漫画とのメディアミックスの相性の良さに気づかれ、ファミコン登場以降はプレイステーションの登場までは任天堂の独走状態。
1993年、ウェブ小説の試みが始まり、1995年にウィンドウズ95の発売によって空前のパソコンブームが起きるが、パソコンもインターネットも値段が高い時代にウェブ小説ブームが起きるはずもなく、試みだけで終わる。
着実に成長している漫画、ライトノベル、小説を内包する出版業界。
テレビ業界も成熟した。
ゲーム業界は、単純なテニスゲームやインベーダーから、マリオ、ドラクエ、FFと言った叙事詩でヒット作を出し、他業界からの流入によって即座に多様化に成功した。
アニメ業界は、1995年に公開された世界初の長編3DCGアニメーション映画の「トイストーリー」によって、転換点を迎えていた。
新しいメディアが出来ても、ノウハウを使える他業界の人の参入によって、物語の多様性はすぐに起こると言う、過去4000年の歴史に比べれば目まぐるしい変化の時代だった。
それぞれの業界がメディアミックスで協力こそするが、独立して成長を続けるかに思えたが、時代は変化を続ける。
2000年代
クールジャパンなんて言葉が使われ始めたのも、この頃だ。
それだけ浮かれていたのか、調子に乗っていたのだろう。
日本では1995年に創業したYahoo!がインターネットを事実上牛耳っていた。
しかし1998年にgoogleが創業し、検索エンジンにおいて支持を集める事でgoogleがインターネットを牛耳る事になる。
この頃になると、インターネットは定額使い放題も徐々に普及し、パソコンや携帯電話で誰でも使えるようになってきていた。
2004年、小説家になろうが開設される。
日本はSNSブームも到来し、あらゆる作品の発表も検索も大幅に楽になっていった。
それ以前からも個人サイトやブログで行われていたウェブ小説の試みが、ここにきて、新しいプラットフォームの登場によって一般化され始めたのだ。
誰でも簡単に小説を書いて発表できる「場」の形成は、それから10年近くかけてウェブ小説業界を形作った。
2007年、スティーブ・ジョブズによってiPhoneが発表、発売されると『物の境界の曖昧化』が起き始める。
技術の進歩によってエンタメ、メディア、ハード、ソフト、あらゆるベクトルの境界線が無くなり、新たな市場の最適化が始まったのだ。
最初、特にインパクトがあったのは、2000年初めごろにiPodから始まったiTunesでの音楽のダウンロード販売だ。
多くの人が、CDを買う事に慣れていて、そんな商売はスティーブ・ジョブズのアイディアでも上手くいかないと思っていた。
だが、結論から言えば勝ったのはスティーブ・ジョブズだ。
音楽のDL販売の一般化は、音楽業界に最適化を求め、既得権に多大な損失を与えた。
iPhone発売とほぼ同じ頃、Amazonはkindleを発売し、書籍の電子化が起こり始める。
CDと同じく、実物に慣れた人はデータにお金を払う筈がないと予想していた。
だが、kindleは成功し、出版業界は音楽業界の様に最適化を求められる事となった。
2005年に開設されたYouTubeはテレビ業界を脅かすし、2007年にネットフリックスはレンタルビデオを自身が扱っていたのにビデオオンデマンドを始めて元いた業界を自ら破壊し、VOD業界で大成功を収めている。
こうやってIT化を伴う最適化によって、2000年代はプラットフォーマーの激しい入れ替え劇が起きた。
音楽レーベルも出版社もテレビ局もレンタルビデオ屋だって無くなってないが、そのどれもが2007年に古い物に変えられてしまったのだ。
それは、ゲーム業界も大きな影響を受けた。
スマートフォンの普及以降、モバイルゲームは無視できないプラットフォームになった。
この、プラットフォームの大変革は、それまでは市場、と言うよりは業界のルールに縛られ、既得権益者によってあらゆる影響を受けていた閉じられた世界を一気にオープンにし、コンテンツの発表や配信の場の一般化を行った。
この既得権を無視して活発な創作活動が出来る環境の構築は、新世代のプラットフォーマーとコンテンツクリエイターの力を強めていった。
一昔前だったら、発表の場を得るためにクリエイターは届けたい相手との間に入っている既得権益者のご機嫌伺いをしないといけなかった。
大物になれば、既得権益者の方がご機嫌伺いをしてくる。
それが、どの業界でも当たり前だった。
だが、今の時代は、プラットフォーマーが提示する最低限のルールを守れば、ご機嫌伺いをする必要は以前のようには無くなった。
誰でも自分の責任で発表する事ができ、ダイレクトに反応が返って来る。
個人が力を持つ時代がやってきたのだ。
2010年代
時代に逆行しようとして、多くの人が痛い目を見た。
曲はDL販売で事足りるので、CDを売る為には「おまけ」が必要になった。
アニメのDVDやBDは急激に値段が下がり、だが、アニメが作られる本数は多すぎる。
VODの普及で売れる円盤は限られ、DL販売の一般化で街からエンタメを収めたメディアを扱う小売店は一気に減り、大手だけが残されることになった。
物語ではなく、スポンサーを喜ばせる集金装置を作ろうと、話題だけで中身の無い映画が作られたりもした。
ゲームは、ガチャが主体の集金装置が大量に作られ続けている。
あらゆる境界が曖昧になっていく世の中で、既得権益者が体制の維持を目的に集金装置を作り続けている裏で、何が起きているのだろうか?
今
見るべきは、表現するメディアではなく、時代にマッチしているプラットフォーマーの方である。
小説、漫画、ライトノベル等の本は、どうなっているか?
雑誌でしか読めなかった物が今では、雑誌、単行本、同人誌、電子書籍に、ウェブサービスにアプリ、SNSと選択肢が増えた。
これは、クリエイター側からすれば、出版社や編集を介さずに市場と直接やり取りできる事を意味している。
それは、旧態依然の編集者を必要としない、中には邪魔に想うクリエイターにも発表の場が開けたことになる。
実際、Amazonで電子書籍化は年々簡単になってきているし、他のプラットフォームでも電子書籍として販売も配布も出来る。
そうなると、出版社や雑誌のブランド以上の価値をクリエイターに提供できないと、出版社が生き残れるはずがない。
日本でもエージェント方式を取り入れようと動き出している出版社はあるが、出版社の全部が全部できる訳ではない。
人間は、環境の方が変わっても大多数は過去の成功体験にしがみついてしまうからだ。
テレビ業界は、動画配信サイトのコンテンツを借りてきて流したり、金のかかったコンテンツで勝負しようとしている。
だが、かけた金よりも、大事なのは面白さだ。
限られたチャンネル数と時間で勝負するのと、人の数だけチャンネルとコンテンツがあるのでは、勝負は見えている。
一方で、ゲーム業界は比較的うまくいっている気がする。
据え置きハードは動画配信にさっさと対応し、クロスプラットフォームプレイも出来るソフトはある。
実況だけでなく、eスポーツの盛り上がりも追い風になっている。
アニメ業界は、中々に難しい。
業界全体のシステムが現状の環境に合っておらず、アニメーターは薄給で過酷な仕事を強いられ続けている。
全体の製作本数を減らし、クリエイター視点で環境構築からどこかのタイミングで行わないと、ピクサーと合併する前のディズニーみたいに業界全体が鳴ってしまう。
ディズニーは、ピクサーによって救われたが、日本のアニメ業界を根本からテコ入れしてくれる存在は、こうなってくるとディズニー・ピクサーぐらいしか無理に思える。
終わりに
これから先は、当分はプラットフォーム内でのエンターテインメントの成熟が続くのでは無いかと思う。
プラットフォームに合ったコンテンツの最適化だ。
漫画は、新聞や雑誌に合わせて、今の姿になった。
ウェブに合わせるならページ漫画以外にスクロール漫画が一般化し、ページ漫画で出来なかった表現が生まれるかも何て言われている。
IT、と言うよりはインターネットで当たり前の要素を取り込んで進化するだろうと言うのだ。
小説では「なろう系」の中で叙事詩として「異世界転移物」、悲劇として復讐物に始まる「ざまぁ系」やリゼロや悪役令嬢物みたいな「悲劇回避系」等の流れが来ている。
なので、次は最も難しく業界成熟の証でもある「喜劇」に特化した物語が、大量に生まれ、ヒットするかもしれない。
また、過剰に供給される作品群の中で目立つために、物語のクオリティが高い物や奇抜な作品が投稿される事は想像するに難くない。
ゲームは、サバイバル系が大ヒットしているが、対人戦に疲れた人達によって協力系やパーティ系のゲームが増えてくる事を個人的には期待している。
アニメ、ドラマ、映画等の映像業界は、バーチャルユーチューバーに始まるバーチャルな役者やセットによって、短時間でハイクオリティな物が作れるようになっていくのではないかと可能性を感じる。
ふたを開けてみれば「バーチャルさんが見ている」はバラエティ番組だったが、真面目にやれば現時点でもある程度のストーリー作品は作れるはずだ。
音楽は、ボーカロイドとニコニコ動画による革命が起きたばかりだが、利用したことはないがバーチャルVRライブなんて試みがあるらしい。
日本の未来は、少子高齢化に始まる「どこから手を付けたらいいのか」と言う社会問題ばかりが気になって、お世辞にも明るくない。
だが、エンターテインメントの未来は、それなりに明るく思える。
低品質な作品が一定数あるのは、いつの時代も同じことだ。
新しく作られた高品質な作品が評価され続けている内は、どうとでもなる。
新しいプラットフォームにマッチした、時代に合ったエンタメ作品が生まれる事を確信と共に期待しながら、この記事を終わりたい。
※情報ソースの大半がネット上の情報なので、全てを鵜呑みにしないでください。あくまでも、大雑把な歴史のパターンを探す試みです。
“【コラム物語論】メディアの繁栄と衰退。パターンが分かれば未来が見える?その2” への1件の返信