物語が生まれた順番について、あれこれ「実話から寓話」「失敗から成功」「悲劇から喜劇」

物語の発生と進歩、その利用

いきなり始めよう。

まず、物語には実話と寓話が存在する。

創作難易度が最も低いのは「実話」である。

実話は、体験や伝聞によって容易に創作可能だ。

実話

実話には、利点も問題点もある。

実際の事件・出来事に由来する事

これにより、実話は最初から具体的で、ある程度の納得感がある。

だが、実話は伝えたいメッセージにも表現にも自由度が限られる。

実話は、ストーリーとしてのパワーは最もあるが、誰かしらの経験に由来する為、経験者がいない物語を描く事は出来ない。

そして、面白い経験は、そうどこにでも転がっている訳ではない。

そこで登場するのが寓話である。

寓話

寓話にも、利点と問題点がある。

実話か寓話に由来する事

実は、寓話には物語のベースとなる下敷きがある。

実話をベースにする場合、別の寓話をベースにする場合、表現をずらす場合、その手法自体は実に様々だが、下敷きとなる物語と情報が必ず必要となるのだ。

オリジナルの物語を考える時に、多くの初心者が陥る落とし穴は「まったく新しい物を作りたい」誘惑に駆られる事だ。

だが、そんな事は土台不可能に近い。

なぜなら、物語を「誰か」に見せる事を前提とした場合、その時点で「共通の認識」となる情報が必要となる。

異世界ファンタジー物を書きたいと考えた時点で、それはジャンルと言う共通認識の部分でオリジナリティは諦める事になる。

「いやいや、お約束の中世ヨーロッパ風ではなく」と場所を変えようとした所で、地図上のモチーフとなる文化がスライドするだけで、完全オリジナルの創作とは孤独で険しい道なのだ。

もし、完全オリジナルの創作をすれば、それは、誰一人理解出来ない物になってしまう。

そんな寓話だが、実話に比べて自由度が遥かに高い反面、抽象的で、納得感を与える事が難しい側面を持つ。

フィクション、実在しない事を描くのだから、表現する物は虚構でも、表現する物で下手な嘘をつく事は出来ない。

だから、寓話の創作は実話に比べて難易度が高い。

「上手に嘘をつく」技術が求められるからだ。

なので、神話、伝説、昔話等の物語は実在の出来事をベースに作られていると考える方が妥当だ。

ベースとなった物語に、どれぐらい忠実かが違うだけなのだ。

失敗の物語

最も作りやすいのは、実話、寓話問わずに「失敗」を扱った物語だ。

誰かの失敗に対して、自分の失敗に対して。

失敗は、多くの教訓を与える。

バカな事をすれば、最後には、こんな目に遭う。

戒めの物語が、失敗の物語だ。

そして、周囲に迷惑をかける存在、権力者や独裁者の行いを批判する行為は、それだけで価値があるとされてきた。

間違った事をする強者に対する「痛烈な皮肉」は、間違った者達に刺さり、それ以外には小気味よく感じられる。

だからこそ「風刺」と言う文化が出来た訳だ。

風刺とは、他人の間違いと言う失敗に対して、皮肉を言ってやる事で、これは「ツッコミ」でもある。

バカの失敗と強者の間違いには「ツッコミ」を入れると気持ちいい。

だから、失敗の物語は、人気がある。

成功の物語

失敗よりも難易度が上がるのは、成功の物語だ。

これも、実話、寓話問わずだ。

成功のために必要な要素を分解して、物語の中で順に獲得する必要が出てくる

それが、成功の物語の特徴だ。

だから、失敗よりも難しい。

必要な物や事の為に、旅に出たり試練を乗り越える必要が出てくる。

成功に必要なものを手に入れるには、危険を冒す必要が出てくる為だ。

こうして、叙事詩の壮大な英雄譚が何千年も前からいくつも生まれてきた。

失敗と成功を伝える物語が生まれると、人はそこに娯楽性を求め始める。

教訓と言うメッセージも大事だが、感情装置としての物語であった方が、人は飽きずに最後まで聞けるからだ。

つまり、メッセージを伝えるために、物語は面白さを獲得した。

悲劇

最初に人が物語の中に型を見出したのは、悲劇だった。

物語に熱中させる為に、悲しいと言う感情を刺激しようとしたのだ。

「成功の物語」よりも「失敗から学ぶ物語」を創る方が難易度が低いように、聞かせる相手を笑わせたり楽しませるよりも、泣かせたり落ち込ませる方が難易度が低い。

感情装置として物語を見ると、ネガティブから入る方が作り手は楽なのだ。

ポジティブは「どうやって幸せにしようか」を計画して表現する必要がある。

ネガティブは「逆境や不幸を設定する」だけで、深く意図せずとも十分不幸にできる

あとは、登場人物に反応させ、共感を呼び起こせば良い。

物語の創作者は、アリストテレスの時代には、計算して感動できる悲劇を創ろうと理論の体系化に挑み始めた。

物語の基本が悲劇の時代もある。

だが、文明や文化のレベルが発達すると、物語は次のレベルにたどり着く。

喜劇

悲劇の対局の物語として、喜劇が生まれた。

悲劇が切なさや自己犠牲を描くのに対して、喜劇は滑稽さや自己中心性を描く

悲劇は成功の物語と相性が良いが、喜劇は失敗の物語との相性が良かった。

失敗の物語の中で描かれる「バカの失敗」や「強者の間違い」に対して、見る視点を変えたのだ。

中心となる視点をバカを見る側から、バカ当事者側に移す事で物語に滑稽さが生まれた。

それまでの物語は、主役と言えば神、王族や貴族、英雄と言った存在が殆んどだった。

物語における主人公に多様性が生まれた事で、物語のパターンが増えた訳だ。

終わりに

実話から寓話が生まれ、今現在、存在する物語は無数の実話と寓話の構成要素によって出来ている。

失敗と成功から教訓を学び、悲劇と喜劇によって感情装置としての物語の基本が出来上がりました。

今の時代の物語は、得られる教訓も、動かす感情も多様化が進み、単純に失敗か成功か、悲劇か喜劇か等で分けられない物語も多くあります。

ですが、創作難易度の話でいえば、今も大きな変化はありません。

  • 実話と寓話なら、寓話よりの方が難しい。
  • 失敗と成功なら、成功よりの方が難しい。
  • 悲劇と喜劇なら、喜劇よりの方が難しい。

ただ、この様な難易度はありますが、物語に優劣はなく、好みと場面や状況の問題です。

ドキュメンタリー映画とフィクション映画で、無理に優劣をつける必要がないのと同じです。

これらの物語で重要な「皮肉」「犠牲」「切なさ」「滑稽さ」と言った要素を意識すると、それぞれ物語に普遍的な魅力が加わります。

さらに、一人一人のキャラクターにこれらの要素を入れると、人間的複雑さを持ったキャラクターにし易いです。

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