【連載第9回】けっこう真面目な魔法の歴史。現実で魔法がどのように生まれ、どう変わっていったのか

魔法の歴史のお話

この記事では、魔法の歴史について多分に推測を含んで考察していきたいと思います。

神話や宗教にも触れますが、それらを否定も肯定もする意図はないので、悪しからず。

18世紀以降の魔法、前編

世界の人口は10億人に迫りつつある時代。

凄惨な「魔女狩り」は、ようやく落ち着きを見せていた。

「魔女狩り」を生んだ「キリスト教会による嘘」によって、「悪魔」と「魔女」のイメージが具体化した事で、人々は「魔法」への想像を膨らませる事となる。

皮肉な事に、キリスト教によって「魔女」と言う概念が生まれ、特別な力を求めて「魔女」に憧れる者さえいた。

「冤罪」でも「本物」でも、どちらにしても「魔女」を生んだのはキリスト教と言う事である。

「魔女狩り」以前にあった魔法は、科学へと繋がる自然魔術や、神や霊を降ろす口寄せの様な物が大半だった。

「魔女狩り」以降は、科学革命によって自然魔術の一部から神秘性が引きはがされ、残った残留物と「想像の魔法」が混ざった「魔女の魔法」が生まれ、体系化を始める。

これは、新しい自然魔術として受け入れられ「ペイガン魔術」と呼ばれた。

「魔女狩り」と「科学」によって生まれたのが「近代魔術」であった。

前の世紀まで「魔女狩り」があったとは思えないほど、18世紀以降の「魔法」は、ある意味でオープンであった。

魔法と関わりを持つ者達

「カニングマン」と呼ばれる民間魔術師が一般にいたが、他にも有名な魔術師が何人も生まれた。

エリファス・レヴィこと、アルフォンス・ルイ・コンスタン(1819~1875)によって高等魔術の教理と祭儀がまとめられた。

フランシス・バーレット(経歴不明)はペイガン魔術のグリモワールをまとめ、後世に残した。

この時期、魔術結社「黄金の夜明け団」が結成され、魔術を学問の様に結合と体系化が組織立って行われたりもした。

ヘレナ・ペトロヴナ・ブラヴァツキー(1831~1891)は近代神智学を広め、サー・ジェームズ・ジョージ・フレイザー(1854~1941)によって「金枝篇」が書かれた。

フレイザーは、類惑魔術と感染魔術を定義した。

エミール・デュルケーム(1858~1917)は、「魔法」を集団なら宗教的現象、個人なら象徴的願望表現と定義した。

エルンスト・カッシーラー(1874~1945)は、「魔法」を「シンボル」「因果律」「融合」で分けて見せた。

魔術復興を目指して「魔法」の分析や体系化を皆が行う中、一人の異端者が現れる。

エリファス・レヴィの死んだ年に生まれたアレイスター・クロウリー(1875~1947)は、自らをエリファス・レヴィの生まれ変わりを自称し、エジプトでエイワスと呼ばれる存在と接触し「法の書」を執筆。

クロウリーは秘密結社「銀の星」を結成し、後に「東方聖堂騎士団」のCHOに就任し、最も新しい魔術師として有名になった。

次回予告

次回、18世紀以降の魔法、後編。

オカルティズムに走った魔法の世界。

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