抽象的な「価値」の具体的な話
「価値」について考えた事はあるでしょうか?
考えたことが無くとも「価値」は高い方が良いのが、直観で分かると思います。
ですが「高い価値」とは、何でしょうか?
それと合わせて「時間と共に必ず価値がゼロになる世界」で、どうやって「高い価値」を維持すれば良いのかも説明します。
高い価値
この世の物には、必ず「価値」があります。
この「価値」とは、
価値(かち)とは、あるものを他のものよりも上位に位置づける理由となる性質、人間の肉体的、精神的欲求を満たす性質、あるいは真・善・美・愛あるいは仁など人間社会の存続にとってプラスの普遍性をもつと考えられる概念の総称。
殆どの場合、物事の持つ、目的の実現に役に立つ性質、もしくは重要な性質や程度を指す。
何に価値があり、何には価値がない、とするひとりひとりのうちにある判断の体系を価値観と言う。
とWikipediaでは説明されています。
- プラスの普遍性を持つと考えられる概念
「高い価値」を語る時に重要なのは、この普遍性、つまり「誰の目から見てもプラスの概念」である事が重要です。
普遍性があり、普通で無い。
これが「高い価値」の条件です。
高いとは限らない価値
逆に、普遍性の無いプラスの概念となると、それは「個人的価値」に依存し、個々人の価値観によって決まる物になります。
「個人的価値」は、当人や似た者には「高い価値」を持ちますが、それ以外の人にとって「高い価値」を持つことが出来ません。
「お金」に「高い価値」を感じるのは、お金の概念に普遍性があり、だからこそ「物との交換」が可能なので「価値がある」と感じる訳です。
「思い出の品」などは「個人的価値」から見ると「高い価値」がありそうに見えますが、実際は「品物そのものの普遍的価値」で判断され、「個人的価値」は換算されません。
だから「個人的価値」が高い物は、品物の普遍的価値が高い場合は「高い価値」を持ちますが、品物の普遍的価値が低い場合は「低い価値」しか持ちません。
価値がゼロに近づく世界
価値の大前提が分かりましたね。
重要と言った「普遍的価値」は、時間の経過と共に必ず価値がゼロに近づく特性があります。
賞味期限や消費期限を連想すれば、想像しやすいと思います。
時間の経過と共に、あらゆる物は価値がゼロに近づきます。
肉も野菜も、時間の経過と共に鮮度が下がり、最終的には肉や野菜としての価値を失います。
これは、あらゆる物に適応されます。
食べ物以外に分かりやすい例えとして、IT業界が取り上げられる事が良くあります。
パソコンの性能で考えてみてください。
数十万円でメモリが16KBだった時代から16MB、16GBと価格は同じで性能がアップしているのは、1Bの価値が急速にゼロに近づいていると言えます。
記憶容量も20年程度で10GBで大容量だった時代から、今では1TBが当たり前になりましたが、価格は似たようなものだったりします。
iPhoneの性能も、初代から最新型までの間、性能は上がり続けていますが価格の上下こそしますが価格帯は大きく変わりません。
一昔前までただのカメラでも高価な物でしたが、今はスマフォの付属物になり、明らかに価値が下がっている事が分かると思います。
ITの世界で言えば、技術力の向上によって、あらゆる価値が急速にゼロに近づくが、向上した技術のおかげで高い価値の物を作る事が出来ている訳です。
時間で目減りしない価値
「普遍的価値」は、必ず時間経過や技術革新によって価値がゼロに近づく事が分かりました。
しかし、その対極にある「個人的価値」は、時間経過があっても価値が目減りしません。
下手すると、時間の経過と共に価値が増大する事さえあります。
「個人的価値」は、個人の持つ価値観を揺るがす出来事が起きない限り、その価値が個人のメモリ(記憶)に保持され、目減りの程度が「普遍的価値」と連動しません。
この「価値」を利用する事で「古い映画、小説、漫画」や「懐メロ」を、今楽しむ際、人によって評価にバラツキが発生します。
当時、それが最新のものだった時に触れた人にとっては「普遍的価値」と「個人的価値」が合わさった評価になります。
ですが、初めて触れた人には「普遍的価値」だけでの判断になるので、名作でも面白く感じない、良く感じない事が起こるのです。
創作物の価値を決めるもの
創作物を作る際、「普遍的テーマ」を使い、同時に必ず「新規性」が必要とされるのは、「高い価値」を創作物に持たせる為です。
コンセプトに「普遍性」と「新規性」が必要なのも同じで、あらゆる物は「高い価値」を獲得する為に「普遍性」と「新規性」が必要になるからです。
「普遍性」と「新規性」を持たせる高い価値には「普遍的な個人的価値観」と「普遍的価値の個性化」が必要になります。
「は?」
と思われたでしょうか。
当然の反応だと思います。
どういう事か順に説明します。
普遍的な個人的価値観
創作物の「普遍性」とは「構造の普遍性」です。
建物で言えば柱の様な、普遍的構造は、普遍的機能を持っていて、物語で言えば、それは「ストーリーテーマ」や「メッセージ」の機能です。
物語の「ストーリーテーマ」や「メッセージ」の機能は、受け取る人の「普遍的な、個人的価値観」に影響を与えます。
かなり分かりにくいですね。
例えば「友情」と言う普遍的な物が「お金より大事」と言う個人的価値を描く事で、「ストーリーテーマ」や「メッセージ」の機能を使い、創作者の考えや意見を、物語を通して伝える事が出来ます。
これが分かれば「普遍性」に「普遍的な個人的価値」が必要なのは、分かったと思います。
どうか伝わってほしい……
普遍的価値の個性化
創作物の「新規性」とは「表現的新規性」です。
これは「モチーフテーマ」の具体化です。
創作物の「モチーフテーマ」とは、「個人的な普遍的価値」に影響を与えます。
ちょー朝分かりにくいですね。
例えば「サッカー」と言う普遍的価値のある物を「主人公の目や行動を通して表現する」事で、個性的で個人的な物として伝える事が出来ます。
これは、物語以外にも適応されます。
この法則は、ゲームでも、料理でも、音楽でも当てはまる物です。
創作物の下がる価値、残る価値
高い価値を持って生まれた創作物でも、この様な構成要素がある為に、時間の経過と共に価値がゼロに近づいていきます。
ゼロにはなりませんが、持っていた新規性が環境の変化や消費者の慣れによって普遍化や陳腐化をすれば、その価値は限りなくゼロに近づき、好きな言葉ではありませんが「オワコン(終わったコンテンツ)」と認識されます。
その場合、普遍化した価値は、次の世代の共通認識となり、創作物の持つそれ以上は下がらない価値の下げ止まりとなります。
普遍化せずに陳腐化してしまうと、陳腐化部分はマイナスにさえ働きます。
「オワコン」にしない為には、普遍化の前に「現在の普遍性」と「現在の新規性」を供給し続けて「新しい普遍的価値」と「変わらない個人的価値」を提供し続けなければなりません。
それらが途切れた時、それが人体で言えば血流が止まり、心臓の鼓動が弱まっていく時です。
創作物、コンテンツを生かし続けるのは、生き物を育てるのと同じぐらい大変な事と言う事ですね。
おわりに
長々と説明しましたが「高い価値」を生み出し、保つには、
- 普遍的だが普通でない物を創る為、普遍性と新規性を創作物に持たせる。
- 普遍的価値と個人的価値を両立した、普遍的な個人的価値観と普遍的価値の個性化を行う。
- 普遍化や陳腐化が起こる前に、新しい普遍的価値と変わらない個人的価値の提供を続ける。
と言う事が必要と言う事でした。
まあ、何というか理解してないと小難しいので、簡単に言います。
「あらゆる物の価値は、必ず時間経過でゼロに近づく。なので、新しいモノを創作し続けるしか、高い価値を維持する方法は無い」
と言う、事です。
過去の栄光や、今までの常識に囚われ続けると、足元をすくわれるなんて事が起きるのは、過去の貯金や常識の使用期限切れに気づいていないと言う事になります。
なので、日々成長を心がけ、常識や普通を疑って、新しい物を生み出し続けましょう。
この記事の要素を心がけると、少しだけ楽に考えられる筈です。
立ち止まって考えるのは必要ですが、停滞はリスクです。
この記事が「高い価値」を求める全ての人の役に立てば幸いです。
“【コラム創作論】高い価値の生み出し方。必ず価値がゼロに近づく世界で、価値を持ち続ける方法” への2件の返信