【知らない創作者必読!】模倣の定義と法則、オリジナリティの生み出し方

無から有を生み出せるか否か

今まで何回も様々な場所でこすり倒されてきたテーマだが、創作を扱う以上触れない訳にはいかないテーマでもある。

最初に結論を書くと、「模倣」無くして創作は、絶対にあり得ない。

無の状態から有を生み出せる人は、そもそも「無の定義」を間違えている。

情報・思考・自然物・人工物、必ずベースとなる「何か」があって、それを模倣する事で「創作」は行われる。

つまり「模倣」しない事には、何も出来ない。

だが、この世には「オリジナル」と言う考えがある。

「模倣」無くして何もないのに「オリジナル」とは、何を指すのだろうか?

模倣の定義

模倣には、必ず模倣先と模倣元が存在する。

何かを真似するのだから当たり前だが、この関係が存在する事で模倣は相対的に判断する事が出来る。

模倣元と、模倣者だ。

まずは、こすり倒された「模倣」の種類を説明する。

1:リスペクト

模倣者は、模倣元の「創作者」に敬意を払っている。

創作者の持つ「独自性」を解釈して模倣しており、影響を受けた事も分かってほしい為、秘密性は無い。

模倣元の創作者は、大抵の場合は好意的に受け取る。

2:オマージュ

模倣者は、模倣元の「創作物」に特別な思い入れがある。

創作物の「表現様式」を模倣しており、表現様式を知る人が気づいたら嬉しい為、やはり秘密性は無い。

模倣元の創作者は、大抵は好意的に受け取ってくれる。

3:インスパイア

模倣者は、模倣元の創作物に「衝撃」を受け影響されている。

創作物の「アイディア」を解釈して模倣しており、アイディアの着想を得た模倣元を前面に押し出したいとは思っていない為、秘密性が生まれ始める。

模倣元の創作者は、大抵は許してくれるが、多少の秘密性がある事で「パクリの言い訳」と考える人が出始める。

最初からオープンにしていると、パクリとは言われない。

4:パロディ、コピー

模倣者は、模倣元の創作物に対して「不満」か「憧れ」がある。

不満を解消する為に「自分なら、こう表現する」と言う、別のアイディアを足した創作を行い、憧れの場合は純粋な模倣をする。

なので、模倣元を知る人に分からなければ困ると言う特性がある。

ポジティブな不満解消は「二次創作」に、憧れは「模倣行為」等のファン活動となり、模倣元には好意的に受け止められる事が多いが、版権問題や表現手法によっては止められることもある。

ネガティブな不満解消は「風刺」等の問題提起となり、模倣元にとっては頭が痛いが、「風刺」される模倣元に問題がある場合もある。

ポジティブ・ネガティブ共に、ケースバイケースである。

5:パクリ、劣化コピー

模倣者は、模倣元の創作者・創作物・アイディアが「優れている」と考えているが、そこには基本的に敬意は存在しない。

模倣元の創作物にある優れた要素を「中心」に、自身の創作を行う為、模倣元を知る人には、盗作と分かる。

しかし、模倣者自身は「表現を少しでも変えれば『オリジナル』である思い込んでいる」か、あるいは「バレなければ・訴えられなければ、問題無い」と考えて、模倣元を隠して発表する。

なので、模倣元を知る人にバレると困るし、模倣元も「創作者の独自性」を「あたかも模倣者の物」みたいに使っている模倣者には厳しく、見つければ訴える。

また、模倣元を知る人が見つけた場合も、模倣元を守る為や、他人のふんどしで甘い汁を吸おうという人を叩き潰す為、騒動になる。

オリジナルの生み出し方

模倣には、模倣元を模倣者が「独自に解釈し、要素を抜き取り利用する」事が重要だと分かったと思う。

「要素の抜き取り」を行わずに「要素の周りにパーツをつける」事をすると、一気にパクリや猿真似に近づいていく。

だが、模倣元も元々は何かに「インスパイア」を受けたり、誰かの「リスペクト」や、何かの「オマージュ」「パロディ」だった。

それが、どうして「オリジナル」になったのだろうか?

重要なのは「オリジナリティ」と言う「新規性」

このブログでは「新規性」と言う言葉をよく使う。

コンセプトには「普遍性と新規性が必要」と言ったり、アイディアには「魅力的な新規性」が必要と言ったりだ。

この「新規性」こそが「オリジナリティ」の正体である。

「新しい要素」を足せば「オリジナル」を名乗って良い。

だが「新規性」は「どこに足す」か、あるいは「入れ替える」かが重要になる。

新規性で見る創作の「表現」と「構造」

まず、説明する好例として提示したいのは、ゲームである。

戦艦×美少女ゲーム

「艦隊これくしょん」は有名なので知っている人も多いだろう。

このゲームには、類似ゲームが多い。

「戦艦少女r」「アズールレーン」「アビスホライズン」が類似ゲームとしては有名だろう。

これら「艦隊これくしょん」の「パクリ」「パロディ」「インスパイア」のどれかによって生み出されたゲーム群は、「表現」と「構造」の類似度によって、盗作度を測られている。

「戦艦少女r」は「表現=戦艦をモチーフにした美少女」と「構造=ゲームシステム等」を合わせて見て、絵の流用が無かったり、改変点がある事を含めても「パクリ」と言う見方を日本ではされるだろう。

一方で「アズールレーン」は「表現」は似たものであるが「構造」をシューティングゲームに入れ替えた事によって「パロディ」や「インスパイア」程度になり、日本でも市民権を得ている。

「アビスホライズン」は、「表現」と「構造」がアーケード版の「艦隊これくしょん」の「パロディ」となっているのだが、表現が似すぎている為「アズールレーン」程の市民権は得られず、運営サイドも一時ゴタゴタがあったり、セガに訴えられたりと酷い目に遭っている。

この「アズールレーン」が生き残った事例は「構造」を大幅に変えてしまえば、「表現」が似ていても「パロディ」か「インスパイア」でユーザーには許される好例だ。

「表現」の類似性を初期は指摘されたが「構造」が全然違う事と、「艦隊これくしょん」でユーザーが感じていた「不満の解消=自機の操作」によって、好意的に受け入れられた訳である。

バトルロイヤル

「PUBG」によって一般層にまで裾野を伸ばしヒットしたバトルロイヤルゲームだが、「荒野行動」や「フォートナイト」の登場で一強時代は驚くほど速く過ぎ去った。

「PUBG」と「荒野行動」の「表現」と「構造」の大きな差は、正直言って私には明確に説明できない。

どちらもやった事ならあるが、初期の段階で言えば、両者はかなり似ていた。

「PUBG」が「荒野行動」を訴えた事件は記憶に残っているし、しょうがないと多くの人が思っただろう。

だが、3者の中で戦いを制したのは、後で出てきた「フォートナイト」だった。

「フォートナイト」は「表現」も「構造」も「PUBG」とは変え、バトルロイヤルと言うジャンル以外は別物のゲームだ。

トゥーン調の「表現」、クラフティング要素と言う「構造」を足す事で「新規性」を獲得し「オリジナル」の存在になったのだ。

位置ゲーム

「イングレス」「ポケモンGO」、そして今度は「ハリーポッター」も話題のナイアンティックの「お家ゲー」である実際の地図とGPSの位置情報を使ったゲーム群は、「基本構造」は使いまわして「表現」を変える事で次々とヒットさせている。

そんな中、日本でも「妖怪ウォッチ」や「テクテクテクテク」と言った模倣が行われ、つい先日「テクテクテクテク」が撤退を決めた。

どちらも「基本構造」を使いまわし「表現」を変える手法を本家と同じように行った筈なのに、どうして本家を超えられないのか?

それは、一概には言え無いが、最も大きな理由は「表現」の「コンテンツ力の差」と「新規性」の大きさである。

ナイアンティックは「基本構造」は変わっていないが、その上に乗せるゲームシステムは毎回一新して、必ず「新規性」を持たせ、「表現」の方でも「ワールドクラス」の人気コンテンツを必ず使う。

一方で「妖怪ウォッチ」は「ポケモンGO」の「パロディ」だし、「テクテクテクテク」の地図を塗りつぶすと言うのも位置ゲームの中では「普通」だ。

どちらも位置ゲームとして見ると「表現」は新しいが、「構造」に新しさが足りないと言えるだろう。

超有名マンガに見る「模倣」のセオリー

ゲームを幾つか例に出したが、やはり触れないといけないのは、マンガの世界だ。

アメコミの「DC」と「マーベル」は、お互いヒーローをパクリ合っている事で、どちらの作品にも似たヒーローがいる状態だったりするのは、アメコミ好きには常識だろう。

劣化コピーの場合が多いが、模倣元のヒーローよりも人気が出る事も少なくない。

DCのヒーロー「スーパーマン」をパクった、マーベルのヴィランで「ハイペリオン」なんてキャラクターがいたりするが、見れば分かるが激似である。

版権やコンプライアンスなんて感覚が薄かった少し昔には、今に比べてそんな事が、日常的によくあった。

鉄腕アトムの髪形とミッキーマウスが似てるなんて話もあれば、ジャングル大帝とライオンキングが似てるなんて話もある。

こういった大物同士の模倣のし合いが良いか悪いかは当事者にしか分からないが、現代では大きな問題になるだろう。

東京オリンピックのロゴに盗作疑惑が出た時は、全て差し替えられる大騒ぎになったし、小説や漫画の新人賞では時々盗作を指摘されて受賞取り消しになったり、商業作家でもトレースやパクリを指摘されて商品回収なんて事は後を絶たない。

そんな時代を生きて来た超大物は、何を、どうやって「模倣」する事で創作してきたのか。

「西遊記」と「アラジンと魔法のランプ」

この既存の作品を足した有名作品がある。

「ドラゴンボール」って言うんですけどね。

主人公の「孫悟空」が7つ集めると「なんでも願いをかなえる」ドラゴンボールを探して、ブルマ、ウーロン、ヤムチャ、プーアルと一緒に旅をする。

天竺のお経と言う「目的物」がドラゴンボールと言う「目的の収集物」に入れ替えられ、三蔵法師はブルマに、猪八戒はウーロン、沙悟浄はヤムチャとプーアルのコンビに入れ替わっている。

キャラクター名が物の名前で悪戯に捻っていないのも、模倣を自然体で行っている感じで面白いし、独特の統一感が出ている点で秀逸だ。

ブルマの家族は基本的に下着の名称で、レッドリボン軍は色、ピッコロ一味は楽器、フリーザ一味は冷蔵庫と、どれも身近で覚えやすい。

ドラゴンボールは、物語が進むと次々と「模倣元が分かる」新しい要素が注ぎ足されるが、昔話やハリウッド映画からが主であり、他の漫画から模倣した要素は驚くほど少ない。

つまり、これが「模倣」のセオリーである。

別の「表現」か別の「構造」の物から模倣する

もし、ドラゴンボール以前に西遊記をモチーフにしたバトルマンガがあったら、ドラゴンボールへの評価はどうなっていただろうか?

恐らく「また西遊記モノか」と思われただろう。

「鋼の錬金術師」の連載中に「武装錬金」が連載されていた時は「表現」も「構造」も別の作品だったにも関わらず「また錬金術モノか」と「モチーフ」と言う「表現の統一感」のイメージによって偏見の目が少なからずあったりもした。

「アイドルマスター」が人気の中「ラブライブ」のプロジェクトが動き出した時も「またアイドルモノか」と感じた人は多いだろう。

だが「モーニング娘。」や「AKB」が人気の中で「アイドルマスター」や「ラブライブ」が登場しても、表現媒体が離れている為「モチーフ」にした事や「インスパイア」等は感じ取れても「パクリ」とは思わない。

そして「表現」と「構造」に明確な差があれば、「オリジナル」として受け入れられ、住み分ける事が出来る。

「ゾンビランドサガ」を見て「アイドルマスター」や「ラブライブ」の「パクリ」とは思わないが「モチーフ」に「アイドル」が共通している事は分かる。

「ゾンビランドサガ」と「グレイテストショーマン」の「物語構造」が似ていても、アニメと映画と言う媒体や、モチーフと言った「表現」が全然違う事で似ているとさえ感じない人も多いのではないでしょうか?

終わりに

以上、模倣の定義と法則、オリジナルの生み出し方でした。

別業界からアイディアを持ってくると言う手法は、良く話題になりますが、それでどうして上手くいくのか、と言う話でした。

「表現」と言う「見た目」か、「構造」と言う「機能」が変化し、そこに強烈な「新規性」が生まれる事で「オリジナリティ」となる訳です。

「表現」する媒体や業界で初になればオリジナルになれますし、「構造」を始めて適応してもオリジナルになれます。

「表現」的にも「構造」的にも似たものがあると、「模倣」となってしまう訳です。

この記事が、読まれた方の創作の助けになれば幸いです。

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