【勝手に】けものフレンズ2は、どうすれば良かったか会議

学べる事が多すぎる

前回、【たられば添削】「ケムリクサ」と戦って「けものフレンズ2」は、どうすれば良かったのか?で、けものフレンズ2が順当に製作される場合に、どうすれば正当な続編として認められるかを説明した。

結論から言えば、前作へのリスペクトや、前作と同じ物語構造を維持した作りが必要であった。

今回は、様々な角度から「けものフレンズ2」を分解して見ていきたい。

会議の前提

この記事は、原作者・監督・脚本家・プロデューサー・製作スタッフ・製作委員会・その他の関係した全ての個人・団体、を非難する目的はありません。

あくまでも作品への客観的な分析・評価です。

また、ネタバレが含まれます。

そのつもりでお読み下さい。

作品の置かれた環境の前提

けものフレンズ2は、けものフレンズ一期の監督降板騒動以降、明らかにバイアスのかかった目で見られてきた。

そういう意味で、視聴者の評価が厳しめである。

  • 前作との比較
  • 続編としての評価
  • ネガティブな感情による厳しい評価
  • アンチの活発な活動

等によって、本来純粋な評価を得られる環境は、外の世界には初めから用意されていない訳です。

同時に「2」を冠する事で、製作者サイドの「出来る事」に大きな制限が出来ています。

  • 一期の要素を消化する課題
  • 一期の物語構造を模倣する事が「正解」なのに、それを「監督降板騒動」によって封じられている「詰み」の状態からのスタート
  • 事故物件的要素のある作品を扱う上で、自由の少ない状態で関わらずを得ないクリエイターの状況

等があり、「物語構造の模倣」をすると「真似るとたつき監督の勝利」的な図式がある為、使いにくい「空気」にあったり、状況的に熱量を込められるクリエイターが限られるであろう状況が、両方の足を全力で引っ張っている事は想像に難くない。

これだけ(本当は、もっと嫌になるぐらい)作品の「外側」にデバフがかかった状態でのスタートと言う事実は、忘れてはいけない。

けものフレンズ2の物語としての評価

上記したバイアスや、厳しい制作環境にあった事を考慮しても、決して高くはない。

前作ありきの続編として見ると、単体作品として見るよりも、更に評価が下がる。

けものフレンズ2を面白いと感じた人の割合は、ニコニコ動画のアンケートでは3%程度だったが、純粋に作品として評価しても「妥当」に思える出来であった。

つまり、上記したような「評価されにくい」環境と「作りにくい」環境に置かれ続けた事で「製作者側の心がどこかで折れていた」としか思えない、最低水準の作品になっている。

表現から見る、けもフレ2

けものフレンズ2の良かった点から見ていこう。

  • OP・EDの歌
  • 声優陣
  • キャラクターのデザイン
  • CGのクオリティが一期よりも上がっている部分がある

と言う風に、良い点もちゃんとある。

次に賛否両論の点だ。

  • キャラクターの設定崩壊
  • 世界観の設定改変

これらは、2から見たり、一期の設定に思い入れが薄ければ、そこまで気にならなかったかもしれない。

正攻法で言えば「変えない方が無難」なのだが、より面白く出来るなら「変えても良い」部分である。

最後に、悪かった点である。

  • キュルルと言う主人公が、主人公として機能不全を起こしている(これは後述の構造にもかかってくる)
  • それに伴うイエイヌの可哀そうな「まま」の設定
  • 世界観や作品観を鑑みても、リアリティや納得性が低いシーンが多い(状況無視、セルリアンの強さ設定の適当さ等)

主に、酷評している人が表現面で気にかけているのは、ここら辺が主であると思われる。

これ等を見て分かると思うが、良い点と悪い点が、共通していない。

悪い所はとことん悪く、良い所は普通に良いと言う事だ。

構造から見る、けもフレ2

次は、物語構造から見ていく。

まずは良い所だが、

  • 「2」なのに「テーマ変更」と言う悪手から始まっているとしても「テーマ」がある
  • 作品に「テーマ」がある為「メッセージ」もある

この点は「見たいものじゃない」と言う視聴者側が感じる問題が起きるが、クリエイター側の「何らかの答えを提示する」と言う姿勢は、素直に評価すべきだ。

そして、悪い点も当然ある。

  • 物語を通して解明する(と思われていた)謎の放置。(キュルルの正体、本当の家、記憶喪失の原因、等)
  • 構造的仕掛けの為に用意される不自然な展開(集合絵、放置された海の超大型セルリアン、海底火山、目的不明のビースト、サーバルに過去を話さないカバンちゃん、唐突なメンター・フウチョウ、多すぎる偶然のご都合主義展開)
  • 良い点にあった「テーマ」に、納得性が薄い結末。
  • 典型的な旅物語を、物語の中心に置いているのに、旅の目的を果たさない。
  • キュルルに感情移入しにくい表現が多い事で、共感してもらえず、結果的にメッセージもテーマも陳腐に感じられる。

こうしてみると分かると思うが、構造的に見て、けものフレンズ2には、実質「良い所が無い」と言って良い。

これは、先述の環境に置かれ、真価を発揮出来なかったであろう監督や脚本家と言ったシナリオに影響を与えられる領域の人々に責任があるが、同時に最大の被害者的側面も見える。

制限無く、自由に素材を料理できた「たつき監督」と、制限だらけの状態で、限られた素材と時間の中で『昔の味が良い』と言われ続けながら料理をせざるを得ない状況の「木村監督」とでは、状況が違い過ぎる。

けもフレ2は、こうすれば良かった

けものフレンズ2は、物語的に言えば

  • 家に帰る為の旅をしてきたが、家に帰る事よりも仲間が出来た事に価値があった

と言う、非常に普遍的なメッセージの物語に収めようとしていた。

ここに持っていきたい事は、初めから分かっていた。

だが、それが出来なかったのには、いくつか理由がある。

けものフレンズ2に足りなかったのは、

  • 家に帰る算段や目途がつくが、帰りたくない理由が出来ると言う葛藤
  • 帰りたくないぐらい、絆の通った仲間が出来る描写

家に帰れる物語のルートにするなら、この二点が必要で、帰れないのなら

  • 家には二度と帰れない理由が判明
  • 家を失って落ち込むキュルル
  • キュルルを立ち直らせる切欠となる出来事
  • 実は無かった家よりも、今目の前で自分の為に行動してくれる仲間が大事である事に気付く

と言う様な要素があれば、物語として一定の水準を保てただろう。

その際、旅の途中で出会うフレンズ、セルリアン、ビースト、海底火山、スケッチブックと絵は、全てキュルルの家に繋がる仕掛けに落とし込む必要がある。

落とし込めないなら、出さない方が良い要素であり、キュルルの家に関わらない要素は蛇足なのだ。

一期のカバンちゃんの正体と言うセントラルクエスチョンを孕んだ物語にセルリアンと言う敵が必要だったのは、フレンズが動物のある種のセルリアン化であり、セルリアンが無機物のある種のフレンズ化と言う世界で、実はカバンちゃんも人間がサンドスターで変化した存在だったと言う理由があり、要素に蛇足が存在しない。

それを踏まえて考えると、けものフレンズ2は蛇足だらけの「散らかった」物語であり、それを整理して、足りないところを補えば、それで何倍もまともな作品になった可能性がある。

けものフレンズ2の楽しみ方

最後に、現状のけものフレンズ2を楽しむ方法を提案したい。

改善点を挙げても、言ってしまえば後の祭りであり、今後の役には立つが、今あるけものフレンズ2は、どうしたって面白くならないように思える。

だが、それは視点を変えてみなければ分からない。

環境の外側に苦しめられたからこその、メタ作品化

けものフレンズ2は、最初に書いたが状況的に外圧に苦しめられ、駄作となってしまった不幸な作品だ。

だが、本当にそうだろうか?

貴重な時間を使って、クリエイター達が、ただの駄作を作るだろうか?

そんな風に思い、私はけものフレンズ2に込められた裏のメッセージを読み解く為に分析を試みた。

すぐに答えは見えた。

それを、可能性の一つとして、この記事の最後に提案したい。

キャラクターの象徴化

  • キュルル=たつき監督を追い出した「誰か」の象徴。空腹は飢えの象徴、絵が上手、何らかの理由で「家」を探している。相手の気持ちが分からず、結構自分勝手。最後は、帽子を風で飛ばされ、カバンの影からある意味解放された。
  • サーバル=けものフレンズと言う「作品」を象徴。理由不明の記憶喪失が、監督降板を表している。カバンに大きく育てられ、根が優秀で良い子なので、キュルルとも上手くやっていこうと頑張る。最終話で、カバンではなくキュルルと共にいる事を選ぶことになってしまった。追加設定により「カバンより以前からキュルルと知り合い」と言う事になっている。それはつまり……
  • カラカル=記憶喪失のサーバルを補助する存在を象徴。ある意味でキュルルとサーバルを繋ぐ緩衝材となろうとしている「誰か」。多分常識人。
  • フレンズ=製作スタッフを象徴。基本的にみんな良い人っぽい。
  • カバン=たつき監督が残した遺産を象徴。主役を降ろされても、サーバル達を助けようと頑張っていた。最終話で、サーバルと涙の別離。
  • 新型セルリアン=アンチとなったファンを象徴。セルリウムによって強い思い=けものフレンズ愛の反転した存在で最終的には「キュルルちゃんが生み出した作品」から生まれた悲しい存在。
  • ビースト=フレンズであり、同時に新型セルリアンでもある謎の存在=フレンズが製作スタッフで、ビーストが最強と言う事は「木村監督?」を象徴。新型セルリアン的要素があると言う事は、関わっているうちにアンチとなった元ファンであり、最後は暴走しながらも新型セルリアンの群から他のフレンズを守った。一人水没するホテルの中に置き去りにされ、キュルルに見捨てられて沈む事に。生死不明。切なすぎる存在。
  • イエイヌ=おそらく、2でも付いてきてくれた3%のファンを象徴。昔キュルルと友達だったらしいが、忘れられている。身を挺してキュルルを守ろうとしたが、キュルルはサーバルちゃんに夢中。労いも無く家に帰され、誰も帰ってこない家で「昔の思い出に浸る」。
  • ロードランナー=キュルルに嫌われているフレンズの誰かを象徴。巷では「ゴマちゃん(ゴマすりクソバードちゃん)」と言う酷い愛称で親しまれてしまっている。恐らく、象徴的に見れば「キュルルでは無く、力のあるフレンズに最後まで従った事で疎まれた誰か」。

これだけでも、既に符合し過ぎじゃありません?

もしかしたら、木村監督は「物凄い問題作」を自分を犠牲にして作った可能性が……

こんな視点で2をもう一度見てみたら、評価変わるんじゃない?

※一部、誤字修正、追加しました。(2019/4/14)

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