学校・教室に通えばプロになれる? 教育の抱える問題。本当に必要な創作者のマインドについて

プロ養成所の現実

世の中には、多種多様な創作に関わる専門機関が存在します。

大学、専門学校、教室、セミナーと、形態は様々です。

内容も、漫画、映画、小説、ゲームのクリエイター養成や、俳優、声優、芸人、等の表現者養成、最近ではYouTuberまで科として新設されたと聞きます。

かく言う私も、漫画家を目指して某専門学校に通い、卒業した一人でした。

ですが、望んだコースで仕事として創作に携わる事は、当時は特に劣等生だった私には出来ませんでした。

もちろん、同級生や他の卒業生にも、プロになった人は沢山います。

ですが、それは、ほんの一握りです。

今回は、プロを目指したり夢を追う為に、専門機関を利用しようと考えている人に向けた内容となっています。

養成所や学校みたいな専門機関に通って、プロになれるの?

結論から書けば、プロになれます。

ですが、そこには、条件が付きます

例えば、私が通った専門学校では、初年度に数割、多い時は半数以上の生徒が様々な理由でドロップアウトします。

その残った生徒の中で、プロになれるのは「初めから上手かった」人か「ストイックに上達した」人だけです。

ハッキリ言います。

それまでの人生で、触れた事が殆んど無い創作活動の分野で、養成所や学校に通ってから「初めて始めて」プロになれる人は「何事に対しても、他人から見てストイックな努力が苦では無い」人です。

他は「学校に通う前からずっとやっている初めから上手」な、ほぼ教師から教えてもらう必要が無い人が、プロになります。

逆に「教えてもらおう」と言う気持ちが前面に出ている「受け身体質」な人は、プロになる事が難しいです。

学校なのに、習いに来たらプロになれない?

何か、おかしいですよね。

学校って、専門知識や技術を学ぶために通うイメージがあるのに、それを「教えてもらおう」と言う姿勢で通うと、プロになれないなんて。

でも考えてみてください。

学校って制度は「必要最低限」の知識や技術を習得する為の機関です。

教科書で言えば、初級と中級までで、現場でも即戦力に役立つ上級やプロでも難しい事は、中々教えられません。

ですが、目指している業界と呼ばれる世界では「必要最低限」なんて、出来て当たり前であって、武器でも何でもありません。

入ろうとしている世界で必要になるのは「必要最低限を満たした上で、更に積み重ねられた各々の個人的な長所や魅力」です。

つまり、専門機関から与えられるカリキュラムを受け身に消化した所で、プロへの道には近づけても、プロになれる物では無い訳です。

必要なのは、自分を突き動かす「何か」

プロになれた人には、なれない人とは決定的に違うマインドがあります。

「自己責任で勝手に始めたり、続けられる」能動的な人は、まあまあの確率でプロになれます。

この、積極性とも言えるマインドを持ち、好きな事なのだから「もう始めている」と言う姿勢や、好きな事なのだから「ずっと続けていられる」と言う姿勢がある場合、勝手に上達する為、プロになりやすい訳です。

最近、引退したイチロー選手は、野球の基礎練習やトレーニングを「続けられる」ストイックな性質を持っている名選手で有名でした。

イチローになれとは言いませんが、大なり小なり、そのマインドが無ければ、何事も継続する事が難しく、業界で生きる上での10,000時間の法則にもある様な一定の水準に積み重ねる事が難しくなります。

逆に、ある種の消極的なマインドを持ち、「誰かを頼ったり、許可を求める」受動的な人は、極端にプロになるのが難しくなります。

消極的な人は、周囲の環境や条件によって行動が変化します。

いつも体調がよく、見たいテレビや遊びたいゲームも無く、教えるのが上手い教師や共に切磋琢磨できる親友に恵まれ、家族は夢を応援してくれて、みたいな恵まれた環境なら、プロになれるかもしれません。

ですが、現実は、そんなに甘くなく、周囲の環境や状況によって「他者の責任にして、行動しなかったり、鍛錬を止める」様では、同じ業界を目指している人や、既に業界にいる「ストイック」なマインドを持っている人と戦って勝てるはずがありません。

だからこそ、プロになる第一の条件として、自分を「ストイック」に保てる「何か」が必要になる訳です。

まず必要なのは目標に向けた「欲望」よりも、表現に向けた「情熱」

「何か」を探すうえで、欲望と情熱は、どちらも必要です。

ですが、欲望を優先させると、よくある問題に巻き込まれます。

目標の目的化です。

例えば、有名になりたいと言う目標を持っているとします。

あなたが脚本家になりたい場合、名作を生みだしたいと言うのは?

これも目標です。

ですが、その前に本来必要なのは「こういう作品をつくりたい」と言う、表現に向けられた「情熱」になります。

表現に向けられた情熱があれば、作品を作れます。

ですが、目標が先行してしまうと、作品によってもたらされる目標到達なのに、目標達成のための作品と言う風に、優先順位が入れ替わってしまう事が、往々にしておきます。

そのまま創作を進めたりすると、作品に対する情熱は目標に繋がっているからこそ燃えているのであって、目標達成が難しくなる事で、その熱が冷め、頓挫します。

ですが、情熱が先行している場合は、欲望は、そのずっと先にある物なので、まずは完成に持っていく事が出来ます。

優先順位を意識したマインドの変化だけで、同じ積極性やストイックさを持っていても、成功確率が大きく変わってくる訳です。

終わりに

今回の記事は、ここまでです。

一応、補足すると、教育機関や専門機関は、仲間やコネクションを得たり、基礎技術を体系的に学ぶ上では、非常に有用な物です。

ですが、そこでは大抵の場合、姿勢や思考と言った本当に必要な前提を、事細かにレクチャーしてくれません。

マインドが「ストイックかつ積極的」な人が100人に1人いて、その人が「情熱と目標」を持って創作すれば、プロデビューし、教育機関は実績として誇れます。

ですが、学校はマインドを持っていない人の事を、救済する事は、しませんし、出来ません。

それは、仕方がない側面もあります。

人と言うのは、マインドを変える事を、基本的に拒否しています。

誰かに言われたからと言って、すぐに思考、気持ち、気分、考え、思想等を切り替えられる人の方が稀な存在です。

脳の中だけの事なのに、いえ、だからこそ変えるのが難しい訳です。

それを合法的に変えるのは、非常に骨が折れる事です。

衝撃的な出来事や、変えざるを得ない状況に追い込まれない限り、物語と同じで人は行動をガラリと変える事が出来ない、そういう生き物なのです。

じゃあ、無駄と分かっていて、どうしてこんな記事を書いたのか?

私は、全てが無駄とは思いません。

この記事を読んだ人の中で、一人でも「そっか、姿勢とか思考を変えないとプロになるのは難しいのか」とボンヤリとでも思い、この先、どこかのタイミングで「今こそ変えるぞ!」と一念発起して、面白く魅力的な創作活動に乗り出してくれる事を、期待しての、未来への種まきみたいなものと考えています。

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