機能に名前がついている?
自転車からペダルを取り、エンジンを付けたら、もはやバイクだ。
逆にバイクからエンジンを外し、ペダルで車輪を動く様にすれば、形状はともかく自転車になる。
物に対して名前が付くと思っている人もいるが、実際に名前とは、機能につく物だ。
機能が変われば、同じ物でも別の呼び名になる。
固有名詞も、名付けた個体としての機能に対して名前がつく。
これは、創作にも関わる重要な事である。
期待される機能を満たさない場合、その創作物は、不完全と言う事になる。
創作する際、創作物は「期待された機能を持ったデザイン」が重要になると言う事だ。
機能を果たすデザイン
物語を含む、コンテンツが果たすべき機能には、いくつかある。
- 作り手が情報を込める「情報蓄積装置」
- 誰かに伝える「情報伝達装置」
- 伝えた誰かの感情を動かす「感動装置」
これらの機能を満たし、果たした結果、どうなるか?
- コンテンツを受け取った人が「ファン」になったり、作り手に「相応の対価」が払われる事になる。
ここまで含めてようやく、コンテンツの必要な機能を満たしていると言えるだろう。
得意不得意
クリエイターはコンテンツと言う「情報蓄積装置」に情報を詰め込む事が好きだ。
例えるなら、宝石箱に自分の好きな宝石だけを選び取って並べていく様な物だ。
創作は、それだけで楽しい。
次の段階として、伝達しなければ「情報蓄積装置」は、ただの入れ物になってしまう。
誰の目にも触れない場所にしまっていては、意味がない。
一昔前なら、市場に出すには広告会社、出版社、配給会社、テレビ局を通さなければ難しかったが、今の時代はSNSでの交流、電子書籍出版、等によって、そのハードルは大きく下がった。
「伝達」に必要なのは『こんなコンテンツを創りました』と「知って欲しい相手に認知させる能力」にかわって来た訳だ。
しかし、本当に大事かつ、機能不全を起こしがちなのは次の段階である。
「情報蓄積装置」を「伝達」しても「感動装置」としての機能が伴っていないと、そこで止まってしまう。
次の段階で「ファン」になる事も「対価が発生」する事も止まってしまうのだ。
そこでコンテンツは、長い間「先払い」と言う制度によって「感情装置」としての機能を満たさずとも「情報蓄積装置」と「情報伝達装置」だけ最低限満たせば「相応の対価」が創作者を始めとした関係者に払われる様になっていた。
これは『売ったもん勝ち』と言う「詐欺まがいの伝達」がまかり通る原因であると同時に、広告関連の会社が圧倒的な力を持つ原因でもあった。
機能を満たさない=売れないモノでも、伝達能力次第では売れてしまい、経済が回っていた事で起きていた状態だ。
だが、GAFAを始めとしたネット企業によってコンテンツの売り方に変化が起きた。
徐々に「後払い」や「まとめ売り」等と言った多様な商業形態が常識となる事で、最も人々が欲している「感動装置」と言う当たりハズレの原因となっていた機能の重要性が跳ね上がった。
先にコンテンツに触れ、それから受け取った人が「ファンになる」か「対価を払う」かを決める販売形態が、成立している訳だ。
その中で「感情装置」としての「機能」が著しく低いコンテンツを、昔ながらの方法で騙し売る企業は、信用を失う事となる。
大事なのは、「装置」としての「機能」を、どれだけデザインして詰め込めるかにあるのだ。
感情装置のデザイン
人は何に対して金銭を払うか?
もうお分かりだろう。
機能に対して、金銭を支払う。
そして、この世の中にある「無くても困らない物」は、必ず「感動装置」としての機能を持っている。
つまり、生活や生存にとって必需品でない物は、必ず人を「感動させる」機能がいると言う事になる。
「無くても困らない物」の筆頭として、娯楽があり、娯楽は基本的に面白くなければならない。
その際、感情からデザインする上で、この本は役に立つ。
だが、当たり前の事に思えるだろうが、考えてみて欲しい。
どれだけの「面白くない」と言う機能不全を起こしたコンテンツに出会ってきたかを。
「感動装置」としての機能を満たすと言うのは、コンテンツの構成要素が多くなればなるほど、欲しい機能が多くなればなるほど、その難易度が上がる性質を持っている。
そして、多くのコンテンツは、驚くほど多くの要素で構成され、多くの機能を内包し、機能を果たす事を期待されて作られている。
そうなれば「感情装置」としてのデザインが疎かなコンテンツが、機能を満たす事がどれだけ難しいかも、想像出来るだろう。
機能不全を起こす、ありがちなパターン
機能をデザインする上で、先ほどコンテンツにある基本的な4つの機能に触れたが、覚えているだろうか?
「蓄積」「伝達」「感動」「対価」とでも短くまとめよう。
失敗の原因で、最もありがちなのは「感動」を疎かにする事だ。
だが、考えてみて欲しい。
最も重要な機能なのに、どうして疎かにする事が出来るのか?
クリエイターで「伝達」が苦手な人は、昔から多い。
私自身、「伝達」は正直言って苦手だ。
そこで、こういった本で勉強してもいいが、「伝達」を多くのクリエイターは、専門家に長らく任せて来た。
クリエイターの中には「感動」も苦手な人がいる。
すると「感動」も、専門家に任せる事になる。
良い専門家に任せられれば、運が良い。
広告屋、編集者、プロデューサー、監督等のプロフェッショナルな人々は「機能」を満たしたコンテンツを創り、送り出す事を手伝ってくれる。
だが、ここで「機能」を考えず「売るのが仕事」と言う考えの「自称プロフェッショナル」が関わってくると、話がややこしくなる。
コンテンツの「機能」を考えずに宣伝したり、嘘をついて売り、本来は「機能」に対して払われる「対価」と言う利益だけを見て成否の判断をする様な連中だ。
もっと悪いのは「機能」を理解せずに、コンテンツに口を出す奴だ。
ここまでくると、クリエイターとファン共通の敵であるだけでなく、関わる全ての人に被害を及ぼす事になる。
機能不全が起きる原因で最も多いのは「クリエイターの未熟」だ。
だが、機能不全で最も被害が大きくなるのは「無理やり売ろう思考や、分かったつもりの専門家が関わる時」と言う事だ。
おわりに
良いモノでも「伝達」によって認知されなければ売れないが、悪いモノを「伝達」による誤認知で売っても、一度金が動くとしても、同時に警戒される結果に終わるので、得策ではない。
要するに、詐欺を働く気が無い場合、機能を満たしたコンテンツを売る以外に成功する術は無いのだ。
創作者は、もし「機能」を考えた事が無いのだったら、自分の思う「良いコンテンツ」を一度「機能」と言う切り口で見てみる事をすすめたい。
感動をデザイン出来れば、それは強力な武器となる筈だ。