価値観が決まれば、求めるモノも決まる!
キャラクターは物語の中で選択し、行動し、常に何かを求め続ける。
そうしなければ、物語は前に進んでいかない。
そんな時、決めるべき事の一つに、例えば動機がある。
英雄が旅に出るのは世界を救うためだし、犯罪者が罪を重ねるのは自分の欲望を満たすためだ。
で、その動機として、大事な人の存在だったり、叶えたい夢があったりする。
そう言うものだよね。
その動機を決める要素の一つに、今回説明したい「価値観」と言う物が大きくかかわってくる。
そもそも、価値観て何だと思う?
価値観と言うのは、その人や集団が「何に価値を感じるか」である。
当り前すぎる?
まあ、一応ね。
で、今回、価値観について、物語を創作するよって人に知っておいて貰いたい事を説明するけど、新しい視点やアプローチの助けになれば良いなって思ってる。
個人と集団の価値観
まず、知っておいて欲しいのは、個人と集団の価値観の関係性だ。
親子、兄弟、家族、または友人や同僚と言った集団から、町や国、または民族や種族の様な括りまで「集団の枠組み」は様々だ。
それぞれに価値観があり、一人の人間の持つ価値観の多くは、その複雑な所属している集団によって決まってくる。
つまり、主人公が兄弟の弟で、両親がいて、友人がいて、同僚がいて、東京に住み、日本に暮らしていて、アジア系の人間であれば、その全ての所属する集団の持つ価値観によって、個人の価値観の大枠が決まってしまうと言う訳だ。
簡単に説明しよう。
弟で、兄と仲が良いなら兄弟と言う概念に共感し、もし険悪なら兄弟の概念を毛嫌いするだろう。
両親に愛されていれば、家族を大事にするだろうし、両親に虐待されて育っていれば愛情に飢えたり、他者への暴力性を持って然るべきだろう。
友人が多いなら、友人の数に良いイメージを持っているかもしれないし、少ないなら質にこだわっているかもしれない。
単に、友達付き合いが苦手だったり、煩わしく思っているかもしれない。
東京に住んでいれば都会的な考えに染まっているかもだし、田舎から出てきたら都会への憧れがあるかもしれないし、故郷へ帰りたいと常々思っていても良い。
日本に暮らしているなら、日本人的な礼儀正しさに重きを置いているかもしれないし、島国根性溢れる排他的で嫌な奴かもしれない。
アジア系と言っても、国籍に近いコミュニティや、民族に近いコミュニティによって価値観は大きく違ってくる。
日本人である場合、ただ単に普通と捉える事もあれば、選民意識を持っている事もある。
外国人でも、それは同じだ。
琉球やアイヌと言った大陸より移住してくる以前の日本人的価値観に誇りを持っていても、その伝統や文化を面倒に感じている場合もある。
長々と並べ書いたが、これらの価値観が一人のキャラクターにギュッと押し込められる事で、複雑かつ一貫性のある登場人物になるイメージが出来ただろうか?
所属する複合的な集団が持つ様々な価値観が、個人の価値観の大枠を決める訳だ。
時代と場所の価値観
個人と集団の価値観を決めるには、実は座標を決める必要がある。
時代と場所、つまり時間と空間を定める事で、同じ集団でも価値観が大きく違ってくる。
例えば、日本の戦後を想像して欲しい。
敗戦し、食べる物もろくに無い時代。
この時代に生きる登場人物を形成しようとする場合、一般人であれば「命」「食べ物」と言った物の価値が高かった。
なので、戦前生まれで戦後を生きた登場人物を形成する場合、そのキャラクターが重要視する価値観には「生」が付きまとう。
しかし、高度経済成長期の日本を想像するとどうだろう?
戦後復興、資本主義、競争社会に変化していく事で、その中で生きる人は「金」「出世」「権力」と言った物に価値を置くのが自然に思える。
バブル崩壊後の日本を想像すると、どうだ?
貧困や社会問題に悩むが、戦争は起きておらず、食べ物にも大して困らず、と言って金稼ぎや出世と言った事は既に難しい時代になっている。
すると、登場人物の価値観は、達観して「全てをあきらめる」様になったり、逆に「やりがい」や「利他的幸福感(人の為に役立ちたい)」に重きを置く様になる。
これ等は、つまり、時間と空間の座標を決める事で、価値観は同じ集団でも大きく違ってくると言う事なのだが、そのポイントは、要するに、
その座標に置いて「不足している物にこそ、最も価値がある」と言う事だ。
戦後は食べ物が貴重だから、食べ物に価値があった。
高度経済成長期は、食べ物では満たされたが戦後に奪われた誇りを取り戻す事に必死になり、出世や権力を追い求めた。
そしてバブル崩壊後は、物に満たされた世界で、個人を必要とされる事が難しくなり、自分の集団内での特別な役割を人々は追い求めている。
不足している物に、最も価値がある。

意識が高ければ高い程、万人の共感を得にくくなる。
これは、外国でも、SFやファンタジーの世界観でも同じ事だ。
個人が抱く新しい価値観
個人と集団、時間と空間、これらによって分かる事は、ベースとなる環境の価値観である。
これ等の価値観に支配される人は、その環境内においては「普通」だ。
だが、このサイトのいくつかのハウツーに目を通したことがある人なら分かると思うが、素晴らしい物語には「新規性」が求められている。
つまり、主人公の価値観は、所属する集団に対してや、見る人に対して、どこか「変」である必要がある訳だ。
「変」な価値観と言っても、最も強固な価値観を形成する要因は、上にも書いたように「不足」である。
所属する集団が不足していると感じている事で形成される基本的価値観の中で、主人公は「変」な価値観を持っている事が望ましい。
そこで、主人公が独自の価値観を持てるように設定するのが、強烈な経験である。
主人公は、他と価値観が外れる経験を、予めか、もしくは、新たに経験する事で「変」な価値観の持ち主に変化する必要があるのだ。
例えば「ドラえもん」ののび太くんは、日本に住む、まあ一般的と言って差し支えない小学生で、多少バカで愚図でのろま故にいじめられているが、人並みに好きな人がいる様な普通の少年である。
怒られるのは嫌いだし、勉強も嫌いだ。
いじめられたくないし、好きな子には好かれたい。
のび太くんの価値観が所属する集団から大きくズレる切欠は、ドラえもんである。
将来、自分をいじめているジャイアンの妹のジャイ子と結婚し、就活に失敗して起業した末に会社が潰れる様な、不幸な未来を知らされ、回避法を提案される。
そして、様々な秘密道具を貸して貰い、絶対的な力を突然手に入れた事で、おかしな行動を取って自滅する。
のび太くんは、ドラえもんの登場と、価値観の変化が起きなければ、自滅も冒険も経験する事無く、所属している集団の中で普通に成長し、ジャイ子と結婚して、普通の人生を歩むだけの存在だ。
物語に置いて、登場人物個人が新しい価値観を抱き、所属する集団の中で浮いた存在になる事は、非常に重要な事だ。
まとめ
- 集団ありきで、個人の価値観の大枠が作られる
- 集団の価値観は、時代や場所、文化によって変化する
- キャラクターは、集団の価値観から外れ、浮いた「変」な価値観を持って行動を始める
と言う価値観の前提が分かれば、
この文化や文明レベルで、この価値観の登場人物はおかしくない?
と言った様な、キャラと世界観のミスマッチも減り、仮に起きても過去に、どの様な経験をしていれば自然か、を考える事で解消できて、物語の質向上に役立つ筈です。
この記事が、上質な物語創作の一助になれば幸いです。
追伸
あと、このサイトの来訪者数とPVの一日最高が日に日に伸びてまして、今年初めに比べると2倍とかですよ2倍。
もっと、必要としている人に読んでもらえる様に、記事の書き方やタイトルにも気を使っていかなければと思っております(伴ってないのが現状ですが)。
あと、Twitterのいいねやリツイートも僅かながら頂けるようになり、モチベーションになっております。
絡みが無くても何となく覚えてて「あ、またこの人だ」とか思って小躍りしてます。
本当に、ありがとうございます。
動画は、色々こじらせて、スランプの様に遅々として完成しておりませんが、何らかのアクションをYouTubeの方でも出来る様に暇を作っては準備を進めていますので、続報でお知らせできればと思います。
m(_ _)m