今回は「どんでん返し」
このサイトにわざわざ足を運んで来る時点で、知ってる人も多いかも。
http://www.0874296.com/kiso_donden/3monsters_08等のサイトや、物語作りのハウツー本を出している★どんでん返しマイスター・ぴこ蔵★こと、今井昭彦(ぴこ山ぴこ蔵)先生が、『どんでん返しの原型10タイプ』と言う物をサイトや本で紹介している。
その内容は、
(1)敵の正体はこいつだ、と思っていたら、実は、同じような立場のあいつだった!
(2)敵は「主人公の内部に巣食う恐怖」だと思っていたら「主人公の外部に存在する恐怖」だった。
(3)敵は「主人公が生み出した恐怖」だと思っていたら「主人公の外部に存在する恐怖」だった。
(4)敵は「主人公の外部に存在する恐怖」だと思っていたら「主人公の内部に巣食う恐怖」だった。
(5)敵は「主人公が生み出した恐怖」だと思っていたら「主人公の内部に巣食う恐怖」だった。
(6)敵は「主人公の外部に存在する恐怖」だと思っていたら「主人公が生み出した恐怖」だった。
(7)敵は「主人公の内部に巣食う恐怖」だと思っていたら「主人公が生み出した恐怖」だった。
(8)敵は死んだと思っていたら、実は死んでいなかった!
(9)目的は死んだと思っていたら、実は死んでいなかった!
(10)目的はどこか遠くにあると思っていたら実は主人公のそば(内側)にあった!
と言う物で、これ等は、物語に対しての「どんでん返し」からのアプローチであり、詳しくは先生の著書やサイトを見て欲しい。
で、今回は、
物語のパターンや類型を数多く扱うサイトを目指している身としては、こういった既に掘られている場所でも、全く触れない訳にはいかない。
むしろ、更に深く掘れないか、や、もっと上手く使えないか、を考える事が役割の一つだと感じている。
そこで「実は○○だった」と言う「どんでん返し」に置けるパターンでは無く、「どんでん返し」を効果的に活用する為の基本や、具体的な手法を紹介する。
そのうち、類型やパターン化も行っていきたいが、まずは基本だ。
□□でも○○でも「あり得る」物・事
「どんでん返し」の基本は、『実は○○だった』と言う表現が全てを表している。
正確に書けば『□□だと思っていた物・事は、実は○○だった』が全ての「どんでん返し」の基本である。
そこに要素を入れて類型化したのが、記事冒頭で紹介した『どんでん返しの原型10タイプ』だ。
この、「実は」を使うには、一つの物や事に対して、嘘と真実、2つの意味を持たせる必要がある。
また分かり難い説明だ。
そこで、少しでも分かりやすい様に例を出そう。
知っている人が多そうなので、アイアンマンの映画1作目で説明する。
ネタバレになるので知りたくない人は、映画を先に見て、出来れば戻ってきて欲しい。
アイアンマンでは、主人公のトニー・スタークがテロリストに誘拐される事から物語が動き出す。
この物語の大きな「どんでん返し」は、トニーの会社で副社長をしているオバディアが、味方かと思っていたら、実は黒幕だった、と言う点だ。
オバディアは、どんでん返されるまでの間、トニーを気遣い、助言をし、良き友人の様に振舞う。
このオバディアの行動が「どんでん返し」に関係していて、ネタバレを知っていても自然に見える様に設計されている訳だ。
ネタバレを知らないで見ている時には、助言は助言に聞こえる。
だが、ネタバレを知ってから見ると、助言のフリをして自分の都合が良い様にトニーを誘導しているセリフだと分かる。
同じ場面、同じ演技、同じセリフなのに「どんでん返し」の有無で意味合いが変化するのだ。
この「どんでん返し」の有無で意味合いが変化する事柄を大量に仕込む事が、上質な「どんでん返し」に必須である。
初見で「不自然だな」と思ったシーンがどんでん返された時に「やっぱり」となっては興醒めなのだ。
あえて不自然にする事で注目や注意を集める手法もあるが、基本的にどんでん返しにかかる事柄は2つの意味合いで「あり得る」事が重要な要素なのだ。
どんでん返しの手法
物語の中には、いくつも色々な形式で「どんでん返し」を仕込む事が出来る。
「シックスセンス」や「メメント」や「ユージュアルサスペクツ」の様な全編に伏線を仕込んだ大仕掛けのどんでん返しもあるが、今回は規模は小さいが効果的な手法を紹介したい。
大きなどんでん返しについても、そのうち記事にはするつもりだ。
小さなどんでん返しの例えで、私が大好きな物を幾つか挙げさせてもらう。
当然、ネタバレを含むが、今回はどういうどんでん返しなのか詳細の説明は書かない。
知らない人は、是非見て体感して欲しい。
映画
ブレードランナー
- ラストシーン、ユニコーンの折り紙に気付く場面。
ガタカ
- ラスト直前で、医者が主人公に気付く場面。
これらは、物語のラストで「実は」を明かし、主人公に希望を与えるシーンとして私は非常に好きだ。
どちらも、最後の最後に主人公に希望を与える要素となっている。
また、他にも面白い手法として「同じセリフのどんでん返し」がある。
こっちも例を挙げるが、こっちはネタバレなので、嫌ならプレイ後に戻ってきて欲しい。
ゲーム
エースコンバットゼロ
- 「よう相棒、まだ生きてるか?」
相棒に向けた味方同士の通信中の軽口→相棒への届くか分からないビデオレターでの語り掛け
タイタンフォール2
「信じて」
- 主人公をピッチング(遠くに投げる)する時に巨大ロボが頼もしくも不安にさせるセリフ→爆発から主人公を脱出させる為に主人公を投げる際の巨大ロボが発する最後のセリフ
これらは、劇中何度もプレイヤーに対して印象付ける様に、一人の決まったキャラクターが何度も使うセリフに対して、別の意味を最終的に持たせる事で、どんでん返させる手法を取っている。
どちらのセリフも、意味合いが最後に変化した瞬間、大きな感動に包まれる仕掛けとなっているのだ。
これは、最後にセリフの意味を変化させる為に、劇中では何度も同じセリフをシンボリックに提示し続けているので、他の「どんでん返し」とは少し違う。
他のどんでん返しは、主人公が置かれた状況によって「勘違い」や「騙されている」事で、どんでん返される事で「実は」が機能する。
つまり、物・事に対して、主人公が間違った意味でとらえていて、別に正しい意味がある事が、通常の「どんでん返し」だ。
だが、このセリフの「どんでん返し」は、仕込む場面において主人公も発するキャラクターも、セリフを一つの意味でお互い正確に認識している。
どんでん返される時に、発するキャラクターによって同じセリフを別の意味合いで使われ、主人公もまた、別の意味合いで同じセリフが使われた事を認識して受け取っているので、この手法では誰も騙し騙されもしなければ、勘違いも起きていない。
言うなれば、非常にウィットに富んだ、オシャレな「どんでん返し」なのだ。
使っている場面毎にセリフの意味が違うだけ、それに感動出来るのは、セリフの持つ意味合いの大きな変化にある。
ふざけていたり、軽妙な場面で使われていた耳に残るセリフが、真面目だったり、絆を感じたり重みのあるセリフに変化する事で、その落差に気持ち良さを感じる。
この手法を使う場合、セリフの繰り返しが必要な為、勘の良い人は「最後に何かあるな」と途中で気づく可能性があるが、その「最後の何か」が最高な出来なら、勘の良い人は「素晴らしい体験をありがとう」としか思わないので、もっと幅広くみんなに使って欲しい手法である。
終わりに
「どんでん返し」について基本と、具体的な軽い手法を今回は紹介した。
どうだっただろうか?
何か気付きや足しになった?
使いこなせれば物語に強力なパワーを与える事が出来るツールである事が、例から分かってもらえれば嬉しい限りである。
この記事が面白い物語を創作する場で、役立つ事があれば幸いだ。
“効果的な「どんでん返し」の基本と手法について” への3件の返信