コンテンツの新しさを決める、表現と時代観とは?

「なんだか古いんだよね」に対処するには?

長年、創作をしていると、こんな経験は無いだろうか?

「う~ん、なんだろう。全体的に、なんか古いんだよね」

曖昧ながらも、率直な作品への意見。

今までずっと積み重ねてきた技術が、通用しなくなる不安。

自分が慣れ親しんだ物が、過去の物となる恐怖。

今回は、この「なんか古い」と言う現象について説明していく。

その原因となる要素こそが、「表現」と「時代観」である。

表現の新旧

求められている新しい表現とは何か?

全く新しい斬新な物を連想するかもしれないが、それは違う。

新しい表現とは、その「領域内で最先端の表現」を指す。

どういう事か?

例えば、漫画で例えよう。

漫画の絵柄。

絵柄には、明確に新旧がある。

まず、日本の漫画と言う括りで説明する。

日本では、浮世絵や水墨画等の流れから、平面的な「記号」から徐々にリアルな絵になる流れがあった。

つまり、記号を徐々にリアルに近づけると言う進化を、日本の絵は辿って来た訳だ。

厳密にはもっと細かいが、ザックリ説明すると、

浮世絵から文明開化で外国文化が流れ込み、日本の漫画が生まれる。

記号的な戦前漫画が第二次世界大戦によって流れを断たれ、戦後漫画として手塚治虫が台頭した。

1947年以降、手塚治虫がストーリー漫画を日本で普及させると、手塚治虫に憧れた次世代の漫画家達が手塚治虫の作り上げた漫画の記号を独自進化させ始める。

1950年代から劇画ブームが起き、漫画の絵柄をリアルにする試みが加速。

1969年にはドラえもんが連載開始。

その後、漫画の表現や絵柄の進化の中で、青年誌ブームが起き、カムイ伝がヒットする。

こうして、徐々に漫画の絵柄は「より記号的」か「より現実的」かに二分され、劇画や青年誌が「最新」では無く「当たり前」になると、それぞれに最新の絵柄と言う物が生み出される事になる。

表現の進化は止まらない。

1970年代になると、頭身はリアルながら目が大きく鼻が簡略化されたキャラクターが生まれ、少年誌や青年誌の良い所どりの表現が、トレンドとなる。

「美女・美少女キャラクター」の登場、1975年開始の同人誌即売会「コミックマーケット」の登場によって、漫画業界の最先端を生きる「オタク」と言う人種が生まれ、定着し始める。

1980年代になると、飛びぬけて画力の高い漫画家が現れ始め、漫画の世界に「立体」と言う概念が持ち込まれる。

それ以前にも写実的に描くリアルな漫画はあったが、ドラゴンボールとAKIRAの登場は業界にも衝撃を与え、当然、その表現が当時の最先端であった。

1990年代になると「記号的漫画」と「写実的漫画」のハイブリット化は加速し、目鼻口の省略法に始まるキャラクターや作品の系統分けが、より細分化していく。

リアルに寄っていく物、記号に寄っていく物、だけでなく連載誌や師事したり憧れた漫画家の絵柄から、樹形図の枝分かれした先端に向かって進化を続け、その先頭が常に最先端だ。

2000年代、そして

2010年代を見ても、なぜか分からないが「絵柄が新しいか古いか」が、年代関係無く感じられるのでは無いだろうか?

それは、樹形図の先端ほど「新しく」根本に近いほど「古く」感じるからである。

と言うのも、樹形図になって漫画業界全体の絵柄が変化していく流れには、全てに理由がある。

何か、それまでの形式から、足したり引いた結果、表現が新しくなったのだ。

そして、その最新の表現が、業界に衝撃を与え、広まる事で、時間をかけて当たり前になる。

つまり、またザックリ書くが

  • 記号+リアル=漫画1
  • 漫画1+デフォルメ=漫画2
  • 漫画2+萌え=漫画3
  • 漫画2+立体感=漫画4
  • 漫画3or4+漫画5or6

と言った風に、表現が増え続け、ナンバーが増えるほど最新に近い事になる。

このナンバーが古い表現に慣れ親しみ、それを新ナンバーが生まれているタイミングで、旧ナンバーの型をそのまま使うと「なんか古い」が発生する。

漫画で例えたが、これは小説でも、映画でも、ゲームでも、何にでも言える事だ。

だから、一線で活躍するクリエイターやアーティストは、自分の型(自分が最先端だった時の表現のナンバー)を使い続ける人と、独自に進化して常に自分の型を最先端にしておく人で、分かれる。

漫画なら、単純な画力のアップでは無く、絵柄の変更に近い進化をする者が少なからずいるのは、この為だ。

最先端にする方法は、漫画の絵柄であれば、ブームの絵柄に寄せるなんて手法が一般的だろう。

リアルな絵を描いていた人が、急に萌え絵にチャレンジするなんて事も、結構ある(単純に好きなだけの事もあるが)。

これは、単純だが自分のアップデート法としては、十分ありである。

だが、自分の型を変えない戦略も、現状が売れ続けているのなら正しい戦略だ。

その場合は、表現の新旧では無く、その「創作者の型」を皆が求めているパターンだろう。

そういう事も、よくある。

その点の見極めが、表現面では非常に大事だ。

時代観の新旧

もう一つ、表現の上で気を付けた方が良いのは、時代観にマッチしているか否かだ。

例えば、分かりやすいのが

  • パンをくわえて登校
  • スカートめくり

と言った表現は古典的表現だ。

「古い型」を想起させる以外では、真面目に使えないだろう。

  • タライが落ちてくる
  • 目から星が出る
  • 目あ背景が燃える

なんて表現も、古典だ。

タライに関しては、なぜ落ちてくるのかの元ネタを知らない人も増えているだろう。

また、もっとシビアな話になれば、「人種問題」を抱える人種に関する表現等も時代観を見極めて表現する必要がある。

現代では「人種差別は悪」とされる「時代観」である。

これは、上で取り上げた漫画の絵柄の変化と同じように「人種観」が長い時間をかけて変化していった結果だ。

絵柄と違い、この「時代観」に逆らうと、「なんか古いね」では済まされない事が、多々ある。

今の時代「人種差別は正」とする表現は、それだけで時代観に合っておらず、攻撃対象になる事が多い。

下手をすると「人種差別は悪」を表現する為に「人種差別は正」の表現をする事にさえ反発される。

時代観を無視し、意図しない印象を与えてしまう表現を選ぶと、それだけで「古いなぁ」と思われてしまう訳である。

終わりに

最後に、では、物語の構造に新旧は無いのか?

これが実は……ある。

しかし、構造の場合も表現と同じく、最新の物を追い、それを取り込んでいれば、常に最先端の状態でいられるし、構造の場合は構成物の変化ではなく、バランスの変化が主なので表現程時代遅れになる事は少ない。

例えるなら、一軒家の構造は大昔でも、今でも、似たような物と言う事と一緒だ。

あえて言うなら、最新の構造になればなるほど、効率的で最適化が行われている。

それだけ、必要要素が長い時間をかけて特定されたと言う事になる。

だから、今の時代でも2,300年近く前のアリストテレスの理論が、キャンベルや、フィールドやボグラーが広めた脚本術の理論が通用する訳である。

自分を、常に最先端にアップデートし続けないと生き残れない時代なので、もし「最近、アップデートさぼってるなぁ」と思った人は、何でもいいので、最先端の物に触れてみて欲しい。

何事も、慣れ親しんだ古い物以外にも目を向けないと、時代に取り残されてしまう危険があるのだ。

今回は、そんな話でした。

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