パラダイムは怖くない
前回、簡単に小さな物語を作ってみた。
全くの初心者であれば、第一歩と言った感じだと思う。
前回までのレッスンで、想像の世界が広がったのであれば、嬉しい限りだ。
しかし「そんな、ワンシーンぐらい前から作れた」って人からすると、物足りなかったかもしれない。
そこで今回は「物語のパラダイム」について説明をする。
「パラダイム」なんて聞くと本能的な拒否感が出る人もいるかもしれない。
だが、難しい事は一つもないし、簡単に使える物なので、気楽に読み進めて欲しい。
パラダイムとは、模範や規範と言う概念だ。
それを、今回は簡単だと思えるように理解しよう。
名作はパラダイムに沿っている?
面白い物語は、パラダイム、つまり模範的流れに沿って作られているのか?
それとも、面白い物語によってパラダイムが作られたのか?
卵が先か、ニワトリが先か?
こんな疑問を持った人も、いるかもしれない。
世の中を見ても過去には、結構いた。
だが、この疑問への回答は、大昔に、既に出ている。
- 面白い物語が、先に作られた。
- 面白い物語を幾つか比べる中で、その中に共通のパターンが見つかった。
それが、パラダイムだ。
そして、
- 面白くない物語にパラダイムを適応したら、面白くなったり、マシになったりする事が分かった。
だから、以降の「物語作り」では、パラダイムに沿って作る事は、絶対では無いが、効率的と見なされるようになった訳だ。
パラダイムは、合理的なパターン
パラダイムが「人類が面白い、正しい」と感じる「共通のパターン」と言う事が分かれば、もう何も怖い事はない。
これは、物語以外のパラダイムでも同じ事だ。
で、物語と言うコンテンツは、この合理的パターンに支配されている。
このパラダイムと言う物は、意識しなくても、あなたが面白い物語を作ってしまうと、作品に自然と適応されてしまう。
それは、パラダイムが「人間が正しいと感じるパターン」でしかないからである。
人間が別の何かに進化しない限り「人間が正しいと感じるパターン」は大きく変化しない。
なので、パラダイムも大きく変化しない。
面白い物語を作ると言う事は「人間が面白い物語を作る」事になり、そうなると自然とパラダイムに沿ってしまうのだ。
これが、パラダイムの正体だ。
パラダイムとの比較の重要性
あなたは、小さな物語を作った。
その物語を整えよう、育てようと考えた。
その時、思いつくままに書ける人は、書いてみて欲しい。
最初にやった時と同じで、詰まってしまう人もいれば、前よりも書ける人もいるだろう。
ポイントとなるのは「思いつき、想像でき、書ける所」で無く「目が向いていない所」だ。
つまり「あなたが認識していない、あるいは出来ていない所」に対して、パラダイムは気付きを与えてくれる。
例えば、そうだな。
ダンスだ。
ダンス教室にあなたが通っているのを想像して欲しい。
何のダンスでも構わない。
あなたは、先生に習った通りにダンスを習得し、練習し、上達しているとする。
壁一面の鏡の前で踊っている自分を見ると、中々様になっている。
だが、そこで先生が、あなたの隣で、全く同じダンスを踊って見せたとしよう。
すると、見えてなかった自分のダンスの拙さに、あなたは愕然とするかもしれない。
先生を自分を比べてしまう為だ。
キレが違うのが、動きの滑らかさが違うのか、あらゆる差が見えてくる。
あなたは、先生の動きから「自分を高める要素」を真似ようと努力するだろう。
そうすれば、あなたのダンスは、あなたのダンスのまま模範的な動きに近づき、向上する訳だ。
これが、物語作りでも起きる。
あなたが見えていなかった「認識の外にある拙さ」を、パラダイムはあなたに認識させてくれる。
日本人が何故か好きなパラダイム「起承転結」
日本で幅を利かせている物語作りに役立つ有名なパラダイムに「起承転結」がある。
そう、「起承転結」は、列記としたパラダイムなのだ。
ちなみに、前回気にするなと言った「序破急」や「3幕構成」もパラダイムだ。
過去記事があるので、もしパラダイムに興味が湧いた人は、そちらも見て欲しい。
「起承転結」は小学校でも習うが、出来事を説明する上で、基本中の基本である。
- 起:何かが起きる
- 承:起きた事で、展開する
- 転:展開し、転化(変化)する
- 結:転化の結果が提示される
様々な説明や解釈が出来るが、おおよそこの様な個々の意味がある。
これを物語に適応する事も、当然出来る。
だが、この「起承転結」は、あまりにも「根源的」過ぎる為、物語の全体でも、シーンでも、あらゆる「一括り」の中に存在する。
物語全体なら
- 起:事件が起きる
- 承:事件に対処する
- 転:対処の結果、衝撃の事実に辿り着く
- 結:衝撃の事実を乗り越え、事件を解決する
と言う風に、物語をパラダイムに当てはめる事が出来る。
シーンなら
- 起:主人公が話しかけられた
- 承:主人公が返事をした
- 転:会話の中で新たな情報を得た
- 結:得た情報をもとに、事件を追った
みたいに、全体の中にあるシーンが入れ子構造になっている。
一括りの、どこにでも「起承転結」は当てはまってしまう為、ある意味で非常に扱いやすい。
だが、シンプル過ぎる故に、見た目に反して実は扱いが難しく、多くの初心者は「起承転結」を『最初は気にしない方が良い』事に、気付いていない。
どのパラダイムもだが、比較する自分の作品が無い状態で気にする行為は、もちろん人にもよるが「パラダイムに縛られる」と言う状態に陥る事がある。
つまり、ダンスなら、先生の模範のダンスを最初から完璧に真似ようとして、先に進めなくなってしまう状態だ。
これが、どんな状態に陥っているか、分からない人もいると思う。
前提として、あなたはオリジナルの物語を作ろうとしている。
ここの例えの場合、ダンスもオリジナルだ。
つまり、先生は、あなたのダンスを模範的技術を使って踊る事で、手本を示す。
だが、あなたが自分の踊りたいダンスを持っていない場合、先生はあなたに合った模範演技を演じる事が出来ない。
その状態で、あなたが先生の模範的技術にばかり目を向けていると、あなたは踊りたいダンスではなく、先生の様に上手く踊る事を目標にしてしまう。
だが、大事なのは、あなたが自分の踊りたいダンスを踊る事。
あなたが「伝えるべき価値がある物事」を「伝えられる物語」を創作する事が目的で、その為のパラダイムなのであって、パラダイムに沿って作る事が目的になってはいけないのだ。
だから、パラダイムの扱いに慣れない人は、先に自分の作品を拙くても良いから作る方が、落とし穴に落ちる確率がグンと下がると言う訳だ。
と言う訳で、既に自分の物語を前回の記事で作っているだろうから、それを現状の物語全体に「起承転結」として、適応してみよう。
もちろん「序破急」や「3幕構成」でも構わない。
終わりに
次回は、パラダイムを深掘りしようと思う。
今回も、簡単だったよね?
パラダイムなんて気取った言い方だけど、要は「人が正しいと感じてしまうパターン」を意識したら、良くなるよって事。
それって、当たり前だよね。
じゃ、また次の記事で。