物語に必要なのは、理論?
前回の記事で、あなたはパラダイムと自分の作品の比較が役立つ事を、理解出来たと思う。
だが、規範に沿う事で「何故、良くなるのか?」が分からないと、パラダイムに作品を寄せ、何となく真似るだけで、終わってしまう。
理論立てて、論理的に考えないと、理解には至らない。
例えば、
- 2×3=6
で、記号の意味、数字の意味が分からずに、掛け算とイコールを何となく使うのでは、正しい計算は望めない。
人によっては、「×」を二つの数字の間に入れれば、「=」の右に来る数字は、左よりも大きくなると考えてしまうかもしれない。
それは誤りだが、理解していなければ間違いには気付けない。
左の数字のどちらかに「マイナス」が付いたときに、ロジカルに理解出来ていない人は「これで多分合っている筈なのに」と、大いに困ることになる。
これは、物語のパラダイムにも当てはまる。
物語を作るのに、論理的思考は不可欠なのだ。
そこで前回の予告通り、今回はパラダイムを深掘りする事で、物語のパラダイムを理解出来る様に説明したい。
パラダイムを理解するなら論理的に
パラダイムとは、規範・模範の事だ。
それは、前回の記事でも触れた。
そのパラダイムには無駄が無く、全てに意味があり、全てが繋がった状態と言われて、ピンとくるだろうか?
良く出来たパラダイム程、因果関係が明確で、調和が整っていて、自然なのだが、意味が分かるかな?
上で例に出した「計算」に非常に良く似ている。
例えば、
- 起:何かが起きる
- 承:起きた事で、展開する
- 転:展開し、転化(変化)する
- 結:転化の結果が提示される
と言う、前回説明した「起承転結」は、改めて考えてみても無駄が無い。
- 何かが起き、展開し、転化した末に、結果が提示される。
この流れは、全てが繋がっていて「要素を分断したら機能しなくなる」事がイメージ出来ると思う。
同時に、要素が一つでも変われば、連動する要素にも影響があるのも分かると思う。
また何を当たり前の事を、と思う人もいるかもしれない。
だが、当たり前が出来ない、当たり前を忘れる事で、多くの失敗は生まれるって事を忘れてはいけない。
そういう意味で、当たり前を「わざわざ確認する」事には、一定の意味がある。
説明を続けよう。
例えば、
- 事件が起き、解決に乗り出し、衝撃の事実が判明し、事件が解決される
としよう。
- 事件が起きない事には、解決する事件に誰も気づけないし、解決に乗り出したからこそ、衝撃の事実が判明し、衝撃の事実が判明しなければ、事件は本当の意味での解決には導けない。
と、起承転結に見られる一連のパラダイムは、この様な因果関係によって繋がっているのが、先ほどよりも分かりやすくなったと思う。
ミステリー的な物語を例で挙げたが、これは、他のあらゆるパラダイムにも当てはまる。
例えば、会話を描くとする。
- 起:知りたい事がある
- 承:知ってそうな人に、話しかけ、聞き出そうとする
- 転:知りたかった事を、相手から返される
- 結:知りたい事が分かる
と言う流れが、物語の中では延々と続く事になる。
何度も言うようだが、少しおさらいも兼ねて……
- 物語とは、「伝えるべき価値がある物事」を登場人物の行動で表現して、伝えたい相手に伝える為の表現方法の一つだ。
- 行動を「伝えるべき価値がある物事」に合わせてデザインし、「動機」と「目的」を主人公が持てるシチュエーションに設定する事で、物語は動き出す。
- その中で、主人公の行動は「伝えるべき価値がある物事」を表現する為にデザインされている。
- それと同時に、主人公が持つ「目的」の達成に行動は常に向かっている。
- そこには、主人公にモチベーションをもたらす「動機」がセットであり、「欲望」か「状況」が主人公を突き動かす。
- その状況を「起承転結」によって、パラダイムに沿っているのか比較する事で、不足が無いかチェック出来る。
というのが、前回までの流れだ。
- そこに今回の、「要素の因果関係が、矛盾無く全て繋がっているか」と言う観点が加わる事で、物語が「機能しているか」を論理的に評価する事が出来る。
ここまで来る事で、パラダイムを使えている事になる訳だ。
急に複雑に感じた人も、いるかもしれない。
だが、今回の記事で言っているのは、パラダイムは、計算式的なロジカルさを持って使う事で、真価を発揮すると言う一点だ。
それだけ、理解出来ていれば問題ない。
完璧と言って良い。
シド・フィールドやクリストファー・ボグラーやブレイク・スナイダーのパラダイムは、起承転結や序破急よりも要素が多く、複雑に感じるだろう。
だが、あれも、要素が多いだけで、同じ物だ。
「起承転結」と言う式の4要素より、12要素とか14要素に細分化されただけ。
少し複雑な因果関係を内包した、あれらのパラダイムも、ただの式に過ぎない。
そういう見方が出来る。
しかし「式」である側面を認識出来ていないと、人はバカな事をしてしまう。
それが、冒頭の例で示した「マイナス」等の、何となくでは式が成立しないパターンによる失敗等だ。
一度、ちゃんと認識しよう。
物語は「式」や「パターン」に縛られていない「自由なもの」と思っている人は?
そういう人は、あなた以外にも世の中には大勢いる。
大御所の作家や映画監督でも、そう考えている人はいると思う。
紙の上に文字を書けば、物語に出来ると、今でも信じている、昔ながらの人達だ。
だが「王道」と言う概念がある様に、物語には、明らかなパターンがある。
その事も、大昔から実は分かっていた事だ。
だからこそ、2300年前のアリストテレス以降、物語にはパラダイムがある。
規範が存在し、パラダイムは2300年かけて今の形にまで解明されてしまった。
その事で、ストーリーテリングと言う技術は、言葉を使った魔法よりも、今では科学に近い存在になってしまったと言って良い。
現代、物語を学ぶなら、2300年前の古いパラダイムより、より多くが解明された現代のパラダイムを、判明している部分に関しては、ロジカルに理解する方が懸命なのは明らかだろう。
現代、魔法使いと科学者、どちらを目指す方が楽に「真理」に辿り着くかを考え、あなたは選ばなければならない。
魔法使いを本気で目指す場合は、このサイトの情報は、あまり役立たないだろう。
物語の表現を選ぶのは「自由」で、アーティスティックだが、物語全体の構造は、パラダイムによって一定の制限を受けている事を、現代のストーリーテラーは受け入れる必要がある。
例えば、プログラムをする際、プログラム言語のルールに従う必要があるが、何を作るかは自由と言う事に似ているかもしれない。
と、またまた長くなってしまった。
前回までで、作った小さな物語を、パラダイムと比較して不足が無いかチェックしたと思う。
今回は?
当然、ここまでの話を理解出来ていれば、予想出来るだろう。
パラダイムと比較して、「式」として成立しているか、チェックして欲しい。
要は、起承転結でも、ビートシート(12~14要素のパラダイム)でも、因果関係が明確に成立しているかを、チェックして欲しいって事だ。
これが、成立していない場合は、あなたは成立する式か数字となる、物語の要素を探さなければならない。
終わりに
これで、前回と今回の記事によって、人によっては厄介な存在だったパラダイムを理解してしまった事になる。
今回も、簡単だったと思うが、どうだろう?
でも、きっと創作意欲が燃え上がっている、そんなあなたは、進行が遅すぎてイライラしてるかもしれない。
まあ、その場合は笑って許して欲しい(毎日更新だし)。
レベルアップの階段を、楽にのぼる為には、一段を低く、緩やかにする必要があるからね。