ご都合主義にならない為に
それは、偶然の出会いから始まった。
こんな物語、数多くありますよね。
偶然「手に入れた」「出会った」「遭遇した」「知る事となった」と、物語の中に偶然は付き物です。
ですが、
その時、敵の頭に偶然、隕石が命中し絶命してしまった。
なんて物語は、聞いた事ありませんし、見たくも無いですよね?
どちらも似た様な「偶然」なのですが、どうやら「偶然」には種類がある様です。
今回は、そんな物語の中にある「偶然」と言う要素について、解説していきます。
幸運と不運
「偶然」とは、要するに登場人物から見て「前触れの無い出来事」を指します。
その上で、偶然は「ラッキー」と「アンラッキー」に分けられます。
例えば、『宝くじが当たった』と言う展開は、イカサマや偽造でもしなければ、前触れ無く訪れます。
『宝くじが当たった』は、多くの場合「ラッキー」です。
『交通事故に遭った』等になれば、それは多くの場合「アンラッキー」になります。
大事なのは、物語の中においては「ラッキー」も「アンラッキー」も、必ず物語を動かす役割を持って「切欠」として使われなければならない事です。
物語を止める役割で使われる「偶然」ほど、物語に害をもたらす物はありません。
- 幸運が物語を動かす場合は、幸運の後押しによって主人公が行動を起こす切欠を得る事で役目を果たします。
- 不幸が物語を動かす場合は、不幸の後押しによって主人公が行動を起こさざるを得ない状況に陥れられ、その役目を果たします。
一方で、
- 幸運が物語を止める場合は、幸運の後押しによって、主人公の行動とは別の力で問題が解決してしまう場合です。
冒頭で例に出した『敵に隕石が命中』は、主人公が乗り越えなければならない敵を、自然現象が偶然倒してしまう事で、物語に急ブレーキがかかります。
- 不幸が物語を止める場合は、不幸の後押しによって、主人公の行動とは別の力によって、一連の行動が徒労に終わる場合です。
例えば、スポーツ大会の優勝争いをしていて、何の前触れもなく優勝直前に主人公が病気で倒れたら?
その展開に納得出来る人は、相当少ないでしょう。
物語を動かす「偶然」は正義で、止める「偶然」は悪なのです。
前振り不要のラッキーが許される唯一の場所
物語を動かす「偶然」が正義と言いましたが、それでも「ラッキー」に関しては、物語の中で使える場所は、限られています。
物語を動かす「アンラッキー」は、広い範囲で使えますが、物語を動かす「ラッキー」に関しては、事実上使えるポイントは一ヵ所しかありません。
それは、ストーリーパラダイムで言う「起承転結」の「起」の部分。
「3幕構成」の「1幕」、「序破急」の「序」。
つまり、前振り不要のラッキーは、前振り不可能である「始まりの切欠」でしか、事実上使えない訳です。
更に限定するなら、インサイディングイベントと呼ばれる物語が本格的に動き出すイベントの直前と言うピンポイントとなります。
インサイディングイベント以降の「ラッキー」描写に関しては、必ず前振りを入れて納得性を担保し、多少矛盾した言い方ではありますが「起こるべくして起きた幸運」として描く必要があります。
これを無視すると「ご都合主義」と揶揄されたり、下手な脚本と切り捨てられる原因となります。
まとめ
- 許される偶然は、物語を動かす。
- 許されない偶然は、物語を止める。
- 純粋なラッキーを使えるのは、たった一ヵ所。それは、インサイディングイベントの直前。
- 物語を動かすアンラッキーは、広い範囲で使える。
- インサイディングイベント後のラッキーは、前振りや伏線が常に求められる。
以上を気を付ければ、ご都合主義なんて誰も思わない、良質な物語を作る事が出来るでしょう。
ただ「偶然」が悪いのではなく、「偶然」によって物語の中の納得性に亀裂が入り、悪ければ急ブレーキがかかる事が、良くないと言う話でした。
納得性があり、物語が加速するならば「偶然」は「主人公の運命」となって、物語を面白くするのに役立つツールになります。