果たしてゲームにストーリーは必要なのか?

そもそもストーリーは必要か?

あなたが、ゲームで大事だと思う要素は何でしょう?

ストーリー、キャラクター、グラフィック、サウンド、ゲームシステム……

様々な要素があると思います。

ジャンルによっても、何が優先されるかで違ってきます。

ですが、

ゲーム業界の人と仕事をしていると、

  • 「ストーリーはゲームに必ずしも必要では無いよね」

と言う意見を、よく聞きます。

プロのゲームクリエイターが、そう言うのだから、

  • 「あった方が良いが、絶対に必要とは言えない」

程度の要素に思えるかもしれません。

  • 「RPGやアドベンチャーゲーム等では必要だが、パズル・レース・カード・ボードゲーム等には必要が無いじゃない」

と説明されれば、その意見は増々正しく思えてきます。

多くのシナリオや脚本を担当したストーリーテラーが、ゲーム業界の中でそうやって説得され、ゲームを彩る飾り物の様な扱いを長年受けて来ました。

ですがストーリーとは、本来は「ゲームに置いて、必要不可欠な要素と断言して良いもの」なんです。

ゲームにストーリーが必要無いと言っている人は「ゲーム」か「ストーリー」のどちらかを、恐らく深く理解出来ていません。

今回は、ストーリーがゲームに置いて「どうして必要なのか」の説明をします。

ゲームのストーリーは、2種類ある

漫画・小説・アニメ・映画・ドラマ・舞台等といった媒体と、ゲームには決定的に大きな違いがあります。

それは、ゲームとはプレイヤーとして「参加する」事が前提のエンターテインメントと言う点です。

この「参加する」事こそが、一見ストーリーが無い様に見えるゲームにさえ、ストーリーを密接に絡ませる事に繋がります。

共感のストーリー

まず漫画等の媒体と同じ様に、ゲームでも「物語を主人公を通して追う」タイプのジャンルがあります。

それらは「共感のストーリー」で、これが存在しないゲームも先述の説得にあったレースゲーム等の様に作る事が出来ます。

この点が「ストーリーは必ずしも必要無い」と言う論調が生まれ、それが長年広く信じられてきた原因です。

「共感のストーリー」では、物語を「主人公の一貫した行動」を通してプレイヤーに見せ、体感させ、共感させる事で大きな感動を呼び、それは漫画等の媒体とも同じ原理です。

この種類のゲームを作る際は「主人公の一貫した行動をデザインする」事で、行動を通して物語を描きます。

例えば、

  • ポケットモンスター

では、

  • ポケモンを捕まえ、集め、育て、戦わせ、道を切り開く

と言う行動のデザインが一貫しています。

何をするにしても『ポケットモンスター』内では、一貫した行動を軸に、行動の幅が生まれます。

『ポケットモンスター』の主人公は、ゲームクリエイターにデザインされた行動を通してプレイヤーに体感と共感を与えてくれるので、主人公を通して体感したストーリーにもプレイヤーは感動する事が出来る訳です。

そして、今回の記事の本題となる、もう一つのストーリー。

ポイントはストーリーの基本である「行動のデザイン」と、ゲーム特有の「参加性」にあります。

体感のストーリー

ストーリーとは、登場人物の行動をデザインする事によって描かれます。

ストーリーテラーは、言葉や映像を駆使して、文章や絵でストーリーを物語るのでは無く、登場人物の行動によってストーリーを物語ります

これが、多くのクリエイターが認識出来てない事が多いポイントの一つです。

そして、全てのゲームは、本質的にルールと言う行動のデザインによって目的や流れが制御された物です。

と言う事は、です。

分かりますか?

  • ストーリーは、目的に沿って登場人物の行動をデザインする物。
  • ゲームは、目的に沿ってプレイヤーの行動をデザインする物。

つまり、ゲームとは、ルールによって行動をデザインする事で、プレイヤーの物語を自動生成するエンターテインメントと言う訳です。

プレイヤーや運の要素によって、毎回結果が変わる物語の自動生成を、行動のデザインによって行うのがゲームを作ると言う事になります。

パズルでも、レースでも、カードでも、ボードでも、他のどんなジャンルでも同じです。

それらがプレイしていて面白いのは、プレイヤーとしてルールに沿って自動生成されるストーリーを、毎回体感出来るから面白いのです。

結構な数のゲームクリエイターが、共感型の主人公を通したストーリーと、体感型のプレイヤーが直に経験するゲームプレイによって生まれるストーリーを、別物と考えています。

ですが、根っこの部分では、これ等は同じ物なんです。

共感と体感を両立したゲームデザイン

少し余談です。

「ナラティブ」と言う概念が、何年か前にブームになりました。

例えば、物語に沿って動いているのだが、プレイヤーが途中で大小様々な選択をする事で体感も可能としたゲームデザインが重要であり、それを「ナラティブ」と呼ぼうと言った感じです。

私が昔読んだ記事では、RPGで「壊れた橋をプレイヤーが自分で考えて修理しようと思えるゲームデザイン」みたいな話だった気がします。

ゲームの中に状況、行動したくなるシチュエーションを作り、行動をデザインする事で体感を誘発させる訳です。

分かりやすい選択式の選択肢とも違い、プレイヤーは自分が考え、やるべき事に気付いて行動したと感じ、そこには、やらされている感よりも自主的な行動が強くなると言った風な効果があります。

当時も当り前の事ではあった訳ですが、ナラティブと言う概念が言語化された時は、共感と体感のゲームデザインの融合を、たった一言で表せる様になった事に少し感動したものです。

まとめ

  • 客観的に物語を追うタイプのゲームには、登場人物の行動をデザインした共感型のストーリーを
  • 主観的にゲームをプレイするタイプのゲームには、プレイヤーの行動をデザインした体感型のストーリーを
  • 共感型のストーリーを扱ったゲームであれば、体感型のストーリーを混ぜる事で、ナラティブな行動デザインを

まあ、体感型のストーリーを「ストーリーと呼びたくない」人もいるかもしれませんが、事実は変わりません。

そういう人は、スポーツ観戦を想像してみて下さい。

何のスポーツでも、eスポーツでも良いです。

プロプレイヤー達が対等な条件でゲームをする事でドラマが生まれるのは、そこにゲームのルールに沿ってデザインされた行動と、プレイヤー達によって自動生成された熱いストーリーがあるからです。

プレイヤー同士のストーリーを念頭に入れてルールをデザインし、そこに狙ったドラマが生まれるからこそ、面白いゲームとして人々は熱狂します。

ゲームを作る時点で、脚本に絡んで無かろうが、共感型の物語に興味が無かろうが、ゲームクリエイターは結果的にプレイヤーが体感するストーリーを生成する高度な装置を作っている事になるわけです。

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