感情を動かすには何が必要か?【笑い編】

感情を刺激しよう

感情の上下は、人々を興奮させる。

エンターテインメントとは、感情のジェットコースターだ。

人がエンターテインメントを求めるのは、望んで感情を上下に刺激する事で、心地良い興奮状態になりたいからだ。

つまり、エンターテインメントとは、読んで、見て、聞いて、体験する事によって脳に刺激を与え、結果、感情的に気持ちを良くさせる為の物と、言う事になる。

そういう意味では、間接的に「酒」「タバコ」そして「ドラッグ」と似た物と言う見方も出来るだろう。

しかし、接種方法はどうあれアッパー系・ダウナー系の薬物を直接摂取するのは、必ずリスクがある。

依存や中毒以外にも、それが文化圏で違法行為になれば犯罪と言う大リスクを負ってしまう。

だが、エンターテインメントであれば、大きなリスクは無いし、法に触れる事も無い。

もっとも、特定のエンタメを違法とする文化圏では、その限りではないが……

そんな、比較的安全な感情装置と言う側面があるエンターテインメントだが、装置としての機能には、多様性と共に、個々に大きな差がある。

それは、エンタメと消費者の相性と、エンタメ自体の機能面での性能差に関係してくる。

相性に関しては、予めジャンルを提示したり、予告、宣伝、体験版等によってミスマッチを減らす手段がある。

だが、感情装置としての機能面での性能差、つまり出来の良さに関しては、クリエイターの腕前に全てがかかってきてしまう。

ではクリエイターは、感情を動かす、より興奮させられる、そんなエンターテインメントを意識して作っているのだろうか?

当然、プロクリエイターになればなるほど、より上質な興奮を提供出来るように意識し、日夜努力もしている。

だが、経験則だけで感情装置を組み立てるのは、創作環境としては、酷く脆い。

思い通りに創作出来なければ、経験パターンから外れるだけで機能不全を起こす。

そんな事は、よくある事案だ。

今回は、どうすれば確実に感情装置として機能するエンターテインメントを、作品を、物語を、誰でも作れるようになるのか、そのさわり部分を解説したい。

不完全と言う調和

まず最初に、感情の一つに「笑い」がある。

笑いの基本とは、何か?

笑いが生まれるには、何らかの形で「不完全」である必要がある。

良く分からない?

まあ、笑いだけに限った話ではないが、今回は例として笑いに注目して説明する。

まず、完璧な物は、笑えない。

それが基本だ。

正しい数式を見ても、笑えない。

調和が取れ、自然な状態の物は、面白くない。

笑いを考えるなら、何を「不完全」にするかを考えなければならない。

数式は、間違っている方が笑える可能性があるし、思わぬ間違い方をしていれば、そこには大きな笑いが潜むことになる。

だから、間違ったテスト回答集は面白い。

他に……

例えば、道徳観は不完全なほど笑える。

ただし、ただ純粋に不道徳な物は、クスリとも笑えない。

つまり、純粋とは完全なので、不道徳的にも不完全である必要がある。

不道徳をマイナス面に振り切ってしまっても、それは別の完全な物になって笑えなくなってしまう。

不道徳なだけでは、それは「悪」と言う憎むべき概念になってしまうのだ。

不完全とは、欠けて、無くなってるのではない。

どちらも併せ持って、歪な調和が取れた状態だ。

道徳観なら、「道徳的」にも「不道徳的」にも不完全である必要がある。

どちらでもあり、どちらでもないのだ。

正反対の要素を持ったグレーであり、要素が綱引きをしている状態だ。

だから、不完全なだけで、その「不完全さを認識出来れば」面白くなる。

これは、魅力的なキャラクターや、物語に葛藤を生み出す手法とも通じる。

手法としては古くからあり、このサイトでも何度も取り上げている。

万能の創作ツールの一つであり、黄金の法則の一種と言った所だ。

また、違う例え話をしよう。

嫌いな人もいるかもしれないが、この世の中には「下ネタ」と言う物がある。

笑える「下ネタ」には、「下品」な要素と同時に「上品であろう」等の正反対の要素が必ず入る。

下品だけでは笑えないし、上品だけでは下ネタにならない。

例えば、国境関係無くどこの世界でも「トイレを我慢する話」がある。

これは、「すぐ排泄したい」と言う「出来れば避けたい」要素と共に「トイレと言う正しい場所で、誰にも見られる心穏やかに排泄したい」と言う「絶対そうありたい姿」を求める姿勢がある事で結果、笑いとなる。

当事者が「我慢したい」が「楽にもなりたい」と言う、綱引きのの様な葛藤を強いられ、切迫した状況に置かれる程、それは面白くなる。

清く正しくありたいのに、それが叶わないかもしれない、そんな状況だ。

その様に、正反対の要素が引っ張り合う状況を作れれば、そこには笑いが生まれるわけだ。

笑いの技術

引き続き、笑いを題材に説明する。

笑いには、大きく分けて2種類ある。

それは「笑わせる技術」と「笑われる技術」だ。

笑わせるには、不完全で調和が取れた存在に何かをしたり、自らがなったりする勇気が必要となる。

品位、道徳、論理、常識、等のそういった「皆が表向き求めている物」を持ったまま、全く別の物と混ざり、調和が取れた状態にするのだ。

例えば……

人気のある歌手や俳優が「実はオタク趣味で」とか「実は下ネタが好きで」とイメージ外のキャラクターを披露すると「それが実は好き」な人からの好感度が増える事がある。

混ざる事が無かった物を混ぜた状態で調和が取れれば、それは強力な武器になり、面白がってもらえる上に愛されるのだ。

これが、ただのオタクになってしまったり、ただただ下品になってしまうと、元からいたファンは逃げてしまう。

あくまでも、両立する事が重要なのだ。

もう一つ、笑われる技術は、似ているが別物である。

上で説明した笑わせる技術は、概念的に考えれば、左右が混ざると言える。

対等の概念が結びつく事で、不完全となっても元々持っていた概念は変わらず持ち続ける事が出来る。

人々に認識させる不完全さは、その物の一部として許容してもらえる。

それでも、勇気が必要な笑いだ。

だが、小さな勇気で良い。

品位が不完全になっても、そこに品位は残っているし、他の物でも同じ事だ。

そういう意味では、笑わせる技術は、笑われる技術よりも、当事者の自尊心が傷つくリスクは低いと言える。

しかし、だ。

笑われる技術では、その概念を上下に配置すると言える。

要するに、である。

格好つけているメッキが剥がれ、その結果まで含めて計算した事で、初めて自然となる状態な訳だ。

まだ、分かりにくいだろうか?

例えるなら、だ。

「格好つけている」「頭が良い」と思われようとしている人が、だ。

「実は格好悪く」「バカである」事を、隠そうとしているのに、ことごとく露呈する。

そのダメな所まで露呈する事まで計算した、ある意味で捨て身とも言える笑いなのだ。

全部がポンコツと言う事を見せつける事で、笑われるのだ。

もちろん、本気の天然である事もあれば、そこまで計算している事もある。

笑われる場合は、当然ながら誰も「格好いい」とも「頭が良い」とも思わない。

ある意味で純粋なのだが、純粋さを不完全にしているポイントは、見栄を張ったり、自尊心の為に見た目を取り繕って、大きく見せよう、良く見せようとする姿勢からくる、そういった一種の「情けなさ」や「滑稽さ」である。

天然で、笑われる気質の人は、当然ながら自尊心が傷つく事になる。

嫌なら見栄を張らなければ良いだけなのだが、それが難しい人もいるだろう。

その点で、笑われる気質の人は、笑っていいのかを考える必要も出てくるが、それはエンタメと言うよりは対人関係やイジメと言った領分の話になるので、今回は深掘りしない。

だが、当事者が天然で、笑われたがっていないなら、笑うべきではない事も往々にしてある事ぐらいは、認識しておくべきだろう。

話を戻そう。

  • 笑わせる技術が秀でれば、対等か、それ以上の関係性を持って笑いを提供できる。
  • 笑われる技術に秀でれば、やはり対等か、それ以下の関係性を持って笑いを提供できる。

どちらが良い悪いと言う事は無い。

人は、感情を上下に刺激したい。

その際「共感」が必要であり、その上で「安心感」か「優越感」と言った感動を起こす為に、エンターテイナーやクリエイター側は、必要に応じて狙った準備をする必要があると言うだけの話だ。

余談

笑いの原理は、奥が深く、全てを使いこなすのは難しい。

ここでは、笑われる技術が、思わぬ角度から反転してしまった事例を紹介したい。

『江頭2:50』と言う芸人さんがいる。

有名なので、知っている人の方が多いだろう。

エガちゃんは、どちらかと言えば身体を張るタイプの、笑われる芸人として人気を博してきた。

激しく動き、時に下品で、髪の毛を抜いたり、下半身を露出したり、破天荒な芸風だ。

特に人を選ぶ芸風でだが、全身全霊を持って場の空気を破壊し、反転させる事で笑いを起こすプロ中のプロである。

だが「芸人としてカッコいい語録」や「震災時に迷わず駆けつける本物の行動力」等が話題となり、世間のイメージが芸の外側から変化していってしまう。

気が付けば、純粋な笑われる芸人と言うのがプロとしての仮面であり、その裏には、素で男気溢れるエガちゃんがいる、と言うイメージが勝手に育ってしまい、笑われる芸人から笑わせる芸人へとシフトしていた稀な例だろう。

稀と言いつつ、もう一例挙げる。

ニコニコ動画で有名な兄貴こと故『ビリー・へリントン』氏は、アメリカで活動していたポルノ俳優だった。

だが、ニコニコ動画で本来の用途と全く関係ない使用方法で出演ビデオの人気に火が付いてしまう。

その段階では、おもしろ動画の素材として、ネットミームとして笑われている状態であった。

だが、英語の空耳から「兄貴語録」が生まれ、その内イベントやインタビューに応じる事で「マジでサービス精神豊富で良い人」と言う人柄から話題となり、気が付けば本物のファンが大勢出来て、フィギュアが発売される程の人気者になっていた。

ネット界隈では、それなりに有名な話だろう。

私の友人が兄貴来日時、イベントに行ったのだが、その時の熱狂は凄まじいものだったのが印象深く、記憶に残っている。

これらの様に、笑わせたり笑われたりと言った事を可能にする技術も、思わぬ角度から、思わぬ要素でシフトする事が現実では時々ある。

反対の事例で、南海キャンディーズの山ちゃんや、安田大サーカスのクロちゃんは、笑わせる側から笑われる側に一度なってしまった典型だ。

どちらにしても、笑わせたり笑われたりする事で人を楽しませる彼らは、間違いなくプロであり、その点で笑う事は出来ない。

終わりに

冒頭で書いたように今回は、さわりの記事だ。

簡単に説明してしまえば、笑いは「不完全だが調和が取れた存在」に「共感」や「優越感」を感じさせる事で起きると言う話だった。

しかし、感情には「笑い以外」にも様々な物がある。

ここでは笑いのみに絞って説明したが、紹介した感情の波を起こす基本要素は、他の感情にも使う事が出来る。

「バランスの取れた不完全な存在のデザイン」によって、感情を操作するのがエンタメの基本と言う事になる。

この辺の記事が、笑い以外でも感情操作や感情装置構築の為、応用して学ぶ上で役に立つと思う。

この記事がクリエイターやエンターテイナーに、何か気付きを与えられれば幸いである。

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