鬱展開とは物語に必要なのか?

鬱展開の定義

最近、SNSで鬱展開が話題になっていたので、記事にまとめてみました。

まず認識したいのは、鬱展開と一言で言っても皆が同じ物を指しているわけでは無い事です。

この記事では、鬱展開の種類を分け、その上で必要か否かを解説していきます。

鬱展開とは何を指している?

これが曖昧だと、そもそも会話が成り立ちません。

多くの場合の鬱展開とは、

  • 登場人物が辛い思いをする展開

を指すと思います。

これは、かなり広義での鬱展開です。

主人公や仲間のキャラクター達が「辛い状況に追いやられる展開」は、感情移入して物語を楽しんでいると、時に辛い物です。

しかし、面白い物語にするには、絶対に必要な要素でもあります。

それは、辛い思いをする展開が無いと、幸せな思いをする展開が、効果的に成り立たないからです。

今度は、鬱展開をより具体的にしてみましょう。

構造上の鬱展開

物語の構造で見る場合は、

  • 起/登場人物の置かれた状況が悲惨な状況からの始まり
  • 承/登場人物が問題を抱える展開
  • 転/登場人物がピンチになる展開
  • 結/バッドエンド

と大雑把に、各パート毎に鬱な展開を設定する事が出来て、それぞれに意味があります。

一応、前もって言っておくと、連続で鬱展開になる事は、基本的にありません。

あくまでも、幸せな展開を挟む事を、構造的には前提としています。

  • 起/悲惨な状況から脱出する展開の為の前振り
  • 承/抱えた問題をこれから解決していく為の前振り
  • 転/幸せの絶頂から一度転落し、絶望の中で本当に大事な物に気付く為の前振り
  • 結/それまでの物語でエピソードを積み上げた末、行きつく当然の結果

と、基本は幸せな状態になる為の「前振り」として鬱展開は配置され、機能します。

一つ、シンデレラで例えてみましょう。

  • 起、鬱/継母と義姉達にいじめられる悲惨な状況で物語は始まります。
  • 承、幸/お城の舞踏会と言うチャンスを得ます。
  • 転、鬱/継母達によってチャンスを奪われます。
  • 承、幸/魔法使いに救われ、舞踏会に参加出来ます。
  • 転、鬱/魔法のタイムリミットで舞踏会から逃げ帰る事になってしまい、元の生活に。
  • 結、幸/王子様にガラスの靴を頼りに探し出して貰い、幸せになります。

と言った感じで、大まかですが構造上の鬱展開と幸せな展開は交互にやってきます。

恐らく、最も多くの人が「これぞ鬱展開」と認識しているのは、起承転結で言う「転」のタイミングで訪れるパートでしょう。

表現上の鬱

次に、表現面で鬱展開を見る場合です。

鬱展開の良し悪しを語る上では、必須となる構造の話よりも、印象を決める表現の部分の方が一般的には重要となります。

軽い表現か重い表現かで、構造上は同じ個所で使われていても受ける印象がまるで変わるので、構造を気にする事の無い人が気にしているのは、大抵こちらの方です。

シンデレラであれば、ピンチの際、軽い表現なら「舞踏会の時間に閉じ込められる」程度で済むでしょう。

継母の目的は、シンデレラが舞踏会に行って、万が一にも姉達を差し置いて王子様に見初められるリスクを減らす事にあります。

ですが、これが重くなってくると、閉じ込めるだけでは足りないと「用意していたドレスを破る」「舞踏会に行けない様に暴力をふるう」「シンデレラを手伝った小鳥やネズミに制裁を加える」と、どんどん鬱展開らしくなっていきます。

生々しい怪我や死が表現として入ってくれば、シンデレラと言えども子供向けから離れていきます。

ここまで見て来た構造と表現で、鬱展開を考えてみると、

  • 鬱展開が嫌いな人は、軽い鬱展開だけで物語が進行する物語が好み
  • 鬱展開が好きな人は、重い鬱展開によって、より幸せな展開が際立つ物語が好み

と言う事が、分かってきたと思います。

鬱展開の上手・下手

鬱展開は構造上必要です。

その上で、表現の重い軽いがある事が分かりました。

ですが、それは全ての物語の中で鬱展開が正常に機能している場合の話です。

当然ながら、鬱展開が機能不全を起こしている物語は、沢山あります。

では、どういう鬱展開が上手くて、どういう鬱展開が下手なのでしょうか?

上手い鬱展開

上手い鬱展開とは、表現によって

  • 創作者が狙い、消費者が望んだ通りに感情を動かせる

と言う必要があります。

構造的には、

  • 鬱展開に物語上の意味がある
  • 鬱展開を乗り越えたカタルシスがある

と言う事が、最低でも必要になります。

例えば、

良い例として「ミスミソウ」と言う漫画があります。

ミスミソウは、主人公が家族を殺され、犯人達に復讐をしていく物語なのですが、全編ほぼ鬱展開の連続です。

ですが、この漫画は非常に面白く、魅力的で、実写映画にもなりました。

ミスミソウの鬱展開は、構造上、常に物語上の意味があり、鬱展開を乗り越えた先にカタルシスが用意されています。

そして表現上ですが、鬱展開に容赦がありません。

強烈な鬱展開を望む人が読み、カタルシスによって満点の満足を得られるおススメの名作です。

他に、上手い鬱展開では、虚淵玄氏が有名ですね。

まどマギ、フェイトゼロ、ガルガンティア、アルドノアゼロ、アニゴジ……

担当した殆んどの作品で、視聴者の期待に応える印象的な鬱展開を用意している事で定評があります。

他にも例を挙げる事が出来ますが、ここで言いたい事は「鬱展開は、扱いによって強力な武器になる」と言う事です。

下手な鬱展開

一方、下手な鬱展開には、表現で

  • 創作者の狙いと、消費者が望んだ表現がマッチしていない

と言うミスマッチ型と、

  • 創作者が表現上の最適度よりも、過激度を求めてしまった
  • 創作者が物語を制御出来ていない

と言う技術・経験不足型があります。

構造面では、

  • 鬱展開に物語上の意味がない
  • 鬱展開を乗り越えたカタルシスが弱い

と言った場合に、ただただ鬱な感情が読者に残り、モヤモヤが残って終わってしまいます。

鬱展開で、よく耳にするのは、

  • 鬱展開は嫌われる
  • ガラスメンタルな消費者が増えて、鬱展開に耐えられない

と言った声です。

ですが、それらは偏った意見に過ぎません。

構造上の意味が無かったり、表現上で必要以上の鬱展開の物語であれば、人を選ぶのは当然ですよね。

唐突な鬱展開がダメとか、作家の独りよがりな鬱展開がダメと言った意見も見ましたが、それらは鬱展開以外でもダメな物です。

構造上・表現上共に最適な鬱具合だとしても、ミスマッチが起きれば酷評されます。

例えば、多くのディズニー作品や、ジブリ作品の中でも宮崎駿作品では、過度な表現の鬱展開は、誰も求めていません。

反対に、硬派であったり、ハードボイルドな作品では、作風に合った鬱展開が必要となります。

コメディとホラーでも鬱展開に差があるのは、当たり前の事です。

要するに、全ての鬱展開が悪い訳ではなく、必要に応じた鬱展開をデザインする技術が必要と言う話になります。

どうあっても、面白い物語には重さの違いがあるにしても鬱展開は必要な物です。

鬱展開のデザインから逃げてしまえば、出来上がるのは山も谷も無い平坦な物語となります。

鬱展開と胸糞展開は似て非なる物

胸糞展開とは、表現として「胸糞が悪い」域に達した物で、構造上も鬱展開の入るべきパートにあるとも限らない物です。

胸糞展開は、より大きなカタルシスを読者に味合わせる為の前振りとして、必要以上に鬱展開を重くしたり「下卑た」「下品な」「悪意ある」と言った表現にする事で展開されます。

  • 下らない理由で人が傷つけられたり、殺されたり
  • 下らない理由で尊厳を踏みにじられたり

と、基本的に気持ちの良い表現ではありません。

基本的に「理不尽の描写」になります。

ですが、カタルシスの前振りとして「悪をお膳立てする」為の胸糞展開であれば、カタルシスによる救済が待っています。

つまり、マシな胸糞なのです。

本物の、絶対に避けたい胸糞展開は、カタルシスが用意されていなかったり、機能しないパターンです。

言ってしまえば、これは表現の暴力です。

  • ただ自己中心的な人物が好き勝手行動して、周囲に迷惑をかけて終わる
  • 悪人が犯した罪を償う事も、報いを受ける事も無く終わる
  • 恩を仇で返す

こういう展開で物語が締め括られれば、読んでいて気分が悪くなります。

昨今の胸糞と感じた実際のニュースを思い出せば、それらが実際に現場を見た訳でも体験した訳でも無いのに、僅かな文字や画像だけで、十分以上に不愉快な気持ちにさせる力があった事が、より実感として湧くと思います。

鬱展開は、納得感があり、物語であればカタルシスが後に用意されていたり、それ自体がカタルシスになる事さえあります。

だから、使いこなせば鬱展開は武器になり、喜ばれる訳です。

ですが、胸糞展開は、基本が理不尽である為、納得感が著しく乏しい物です。

時に、物語でさえ十分な救済もカタルシスも用意されていない為、複雑な感情を感じたい様なニッチな層を除いて、受け入れられない訳です。

終わりに

構造と表現による鬱展開の定義、表現の軽さ・重さ、役割と必須要素、胸糞展開との違い、等の説明でした。

鬱展開やバッドエンドが嫌いな人、苦手な人は、必ずいます。

ですが、物語の構造上は「鬱展開だ、嫌だな、苦手だな」と感じてから、次に待っているカタルシスを楽しんで貰う必要があります。

創作者が鬱展開を完全排除しては、面白い物語は成り立ちません。

更に、苦手な人には軽い表現の鬱展開しかない物語が合っているか、と言うと、必ずしもそうではありません。

大事なのは、丁度良い重さの表現と納得性、そして大きなカタルシスです。

物語を創作する側の人は、鬱展開から逃げる事は出来ないので、「自分が好きな鬱展開」や「自分が耐えられる重さの鬱展開」を探求して、創作に生かしましょう。

物語を楽しむ側の時は、自分に合った重さの鬱展開がある物語に出会えれば、幸運だったと楽しみましょう。

重すぎたり軽すぎれば、無理しなければ良いだけの話です。

人生山あり谷ありだから面白く、それは物語でも同じ事です。

この記事が、鬱展開に関する誤解を解いて、素晴らしい鬱展開のある物語が生まれる一助になればと思います。

この記事に関して、反対意見・賛同意見、疑問質問、何でも構いませんので、いつでも気軽にコメント頂ければ嬉しいです。

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