ストーリーパラダイム解説「決意の時」とは?

決意の時の役割について

ここでは、パラダイムのパート毎に深く役割を語っていく。

今回は「決意の時」について。

決意の時とは?

言い方は、何でもいい。

  • 決意の時
  • 衣装を着る時
  • 克服と取り組み
  • 賢者との出会い、そして第一関門突破
  • ガイドとの出会い、そして第一関門突破
  • メンターとの出会い、そして第一関門突破
  • プロットポイント1への到達
  • フェイズポイント1への到達
  • 第一ターニングポイント到達
  • インサイディングイベントへの向き合い
  • インサイディングインシデントへの取り組み

と、様々な表現が出来る。

図、ブレイク・スナイダーの脚本パラダイム「ビートシート」では、第一ターニングポイントの時のパートだ。

まあ、ここでも呼び方は、やはり重要ではない。

あなたがイメージしやすいシックリ来る表現を、個人単位でなら使えばいい。

パラダイムの他のパートと同じく、各呼び方で意味合いが微妙に変わる所もあるが、大事なのは物語に置いて「構造的に見て、どの様な役割や機能があるパートなのか」と言う事だ。

一般的な認識では「主人公が問題に向き合って、あるいはチャンスを前にして、向かい合う決意を固める姿」を描くパートだ。

この「決意の時」と言うパートだが、直前の悩みの時と密接に関わりがあるパートで、毎度の事ながら物語にとって必要不可欠な物だ。

悩みの時には、急変する環境や状況に置かれ、主人公はリアクションを起こし、二の足を踏んでいる。

決意の時とは、主人公が起こしたリアクションを踏まえ、それでもアクションを起こすべきだと主人公自身に、主人公以外からの働きかけによって納得させるパートである。

決意の時の役割

多くの人は、決意が苦手だ。

決意をするとは、自分の意志で選択をする事だ。

そこには、否応なしに自己責任が付きまとう。

多くの人が、持っているイメージによって責任を恐れる。

だが、物語に置いて主人公は、自分の意志で選択し、決意を固め、責任ある立場で問題の解決に取り組まなければならない

主人公を問題に対しての当事者として確立するのが、この決意の時の重要な役割だ。

自己責任と聞くと、昨今の自己責任論や、謝罪会見での責任を取れなんて怒号を思い出して、かなり嫌なイメージの方が日本では大きいかもしれない。

しかし、待って欲しい。

責任とは、そもそも別に悪い意味の言葉ではない。

責任とは、簡単に言えば「一つの物事に対して、手がかからなくなる最後まで面倒を見る」と言う事だ。

つまり自己責任とは、自分の選択で自身がどうなるかは、良い事も悪い事も自分で最後まで面倒を見ると言う事でしかない。

これは、ただの事実であり、当たり前の事だ。

現実とは、そう言う物だ。

あまり追求すると話がそれてしまうが、日本社会における問題は、他者が環境要因(本人に選択の余地が事実上無い物)の問題に対してまで自己責任論を押し付ける風土にある。

自分が選択していない事に対して、人は責任を背負えない。

引きこもりの責任を本人や親「だけ」に押し付けるのは、余りにも酷だ。

必ず原因は環境「にも」ある。

環境要因の責任を負わせようとするから、人は重みに耐えきれず歪んでいく。

話を戻すと、人は本来の意味での自己責任以外は、責任を負う必要が無い。

生きた責任とは「自分の意志で選択した部分に『のみ』発生する」と言う物だ。

他人に押し付けられても、人は責任は負わないし、負えないし、負うべきでもない。

逆に、どんなに小さくても、自分で選択し、決断し、向き合ったら、その点においては一定の責任を負う事になる。

だが、責任を負う事と、責任を果たす事は、全く別の問題だ。

他人が果たすべき責任を、誰かが負う事も出来てしまう。

でも、もしも責任を放棄すれば、その人は物語であれば主人公になれない。

主人公は、物語の中で起きる出来事に対して、責任の一端を握っていて、たとえ途中で手放す事があっても結果的には、最後まで握りしめながら駆け抜ける。

それが主人公の条件であり、決断の時は日常を生きてきた中心的な登場人物を物語の主人公として目覚めさせるパートでもあるわけだ。

決意の時に必要な物

しかし、その事を分かっていても、人は選択を躊躇する。

それは、未知への領域に足を踏み入れる事が、酷く恐ろしいからだ。

光一つ無い真夜中の海に飛び込むのは、酷く恐ろしい。

乗っている船が今まさに沈んでいても、である。

得体のしれない怪物を想像し、サメを想像し、クラゲを想像し、溺れる事を想像し、低体温症を想像し、自身の破滅を想像してしまう。

それは、物語でも同じ事だ。

悩みの時を乗り越える為に、必ず必要となる物がある。

主人公には、決断する為の心の拠り所となるモノが、安心感と納得感を与えてくれる存在が必要となる。

それをもたらす存在が、メンターである。

導き手、教師、師匠、時には相棒、呼び方は何でもいい。

メンターで有名なのは、映画「スターウォーズ」のオビワンだろう。

だが、メンターは必ず師匠である必要も、時に一人である必要も、人間である必要さえも無い。

危機的状況に置いてさえ二の足を踏んでしまう、そんな主人公の背中を押す、そんな存在なら何でも構わない。

最初の一歩を踏み出すのを、どんな形でも手伝ってくれる存在。

それがメンターだ。

映画「スターウォーズ」では、オビワンの勧誘があるが、ルークは一度断る。しかし、帝国軍に叔父夫婦を殺される事で、ようやく退路を断たれ、戦いに身を投じる決意が固まり、オビワンと共に旅に出る事になる。

海外ドラマ「ブレイキングバッド」では、主人公は、偶然の再会を果たした元教え子の売人に目を付け、覚醒剤の製造販売の相棒として勧誘する。

アニメ「コードギアス」では、主人公はCCと名乗る拘束具を着た美女と契約を結び、超能力を手に入れる。

漫画「ダンジョン飯」では、魔物を食べようと悪戦苦闘していると、魔物食に詳しいドワーフと出会う。

漫画「うしおととら」では、封印されていた妖怪の言われるままに主人公は呪いの槍を引き抜いてしまうが、呪いの槍の力によって戦う力を得る事で危機を脱しようと動ける。

ゲーム「フェイトステイナイト」では、偶然の召喚によって姿を現したサーヴァントと主人公は契約し、聖杯戦争参加を余儀なくされるが、まだ躊躇しており、参加を棄権をする為に聖杯戦争を管理している教会に行き、管理者の神父と出会う事になる。

色々と例を見たが、どのメンターも、ただ手伝ってくれる訳ではない事が分かると思う。

メンターは、ボランティアでは決してないのだ。

決意の時を後押しするメンターの狙い

メンターには、二種類ある。

  • 主人公を勧誘してくるモノ
  • 主人公に勧誘されるモノ

そのどちらでも、メンターは必ず主人公と同じ目標や目的を持っている存在でなければならない。

だから、変化や選択が必要な説明をする時もあれば、危険から助けてくれる事もあるし、取引や契約で一見した好条件を提示する場合もある。

つまり、

  • 目的が同じで、主人公が役立ちそうだと勧誘してくる
  • 主人公が目的を認識し、そこに向かうのに役立ちそうだからと勧誘する

と言うのが、メンターの本質だ。

例え、下心や打算が無くとも、決意の時に背中を押す存在であるメンターには、メンター自身の目的がある。

メンターは、主人公が足を踏み入れようとしている世界で、多くの場合だが、ずっと長く生きて来た先輩だ。

  • 主人公を勧誘してくる存在は、高い実力を持っているが、目標や目的の達成に主人公が不可欠な存在
  • 主人公が勧誘出来る存在は、長く生き延びてこそ来たが、主人公がいなければ大成出来ない存在

と言うのも、およそ相場が決まっている。

総合的に見て実力が劣る者の方が、いつも勧誘される側として自然なのも分かるだろう。

そうでなければ、勧誘された側が誘いを受け入れるメリットが無い。

もちろん、明確に総合的な実力の上下がある訳では無い。

ある点では、主人公が劣っており、ある点ではメンターが劣っている方が自然だ。

だが、これから向き合う問題解決能力や経験値と言う点に関しては、常にメンターの方が有能である必要がある。

また、メンターの勧誘は、日常で行われても主人公の心を動かす事は無い。

悩みの時に現れるからこそ、主人公の心に深く響き、決意に至らせる力を持つ。

こうしてメンターとの出会いによって自分の意志での選択に至る主人公は、セットアップ時に見せた自分の持つ特技の片鱗が、問題解決に役立つ事に気付く事になる。

  • 勧誘してくるメンターは、主人公の特技を見抜く力を持っていて、共通の目的の為に利用する。
  • メンターを勧誘しようとする主人公は、意識・無意識を問わず、自身の特技を見せてメンターに協力するメリットを提示する。

もとより引き返す道は用意されていないが、この選択によって取り返しがつかない事になるとも知らずに、主人公は完全に一線を越える。

セットアップ時に出てきた要素が、謎を残して遂に収束し切り、物語は次の段階へと動き始めるわけだ。

決意の時を作るタイミング

決意の時は、悩みの時と密接に関わり合うパートだ。

悩み、変化への躊躇いを感じている主人公に、それらを自分の意志で受け入れさせ、ちゃんとやっていける安心感を与え、背中を一押しするメンターを考えなければならない。

そうなると、悩みの時を構築した流れで、どうすれば悩みを乗り越えて、問題と向き合う気になるのかを考えていくのが自然だろう。

終わりに

決意の時を考えてみて、どうだったろうか?

この記事で、あなたの「決意の時」観が何かプラスに変化したのであれば、嬉しい限りである。

余談だが、メンターと言う表現に、スピリチュアル系やら何やらの影響で拒否反応を示している人が、まあまあの確率でいるが、それは言い方とイメージの問題だ。

メンターは、主人公の問題解決、目的達成を後押ししてくれる人生の先輩でしか無い。

そして、面白い物語には、どんな形であれメンターの存在が必要不可欠だ。

悩みの時に見せたリアクションを伴う葛藤、決意の時に見せる克服への第一歩。

やらざるを得ない、きっと出来る、使命感や責任を自分の意志で背負う主人公の描写は、物語を大いに盛り上げてくれる。

また、

  • プロローグ
  • セットアップ
  • きっかけの時
  • 悩みの時
  • 決断の時

と、ここまでが

「物語全体を起承転結として見た時の『起』の範囲にある、最低限の必須要素」

である。

次回は、「試練の時」について解説したい。

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