ストーリーパラダイム解説「絶望の時」とは?

絶望の時の役割について

ここでは、パラダイムのパート毎に深く役割を語っていく。

今回は「絶望の時」について。

絶望の時とは?

言い方は、何でもいい。

  • 破滅の時
  • 絶望の時
  • 望みが絶たれた時
  • 王国の混乱、そして荒野を彷徨うへ
  • 環境の混乱
  • 世界の混乱
  • 全てを失って、そして心の暗闇へ
  • 鬱展開
  • 鬱パート
  • 落ち込む時
  • 奈落の底
  • 失敗の代償
  • 敗北の代償

と、様々な表現が出来る。

図、ブレイク・スナイダーの脚本パラダイム「ビートシート」では、全てを失ってと心の暗闇のパートだ。

まあ、ここでも呼び方は、やはり重要ではない。

あなたがイメージしやすいシックリ来る表現を、個人単位でなら使えばいい。

パラダイムの他のパートと同じく、各呼び方で意味合いが微妙に変わる所もあるが、大事なのは物語に置いて「構造的に見て、どの様な役割や機能があるパートなのか」と言う事だ。

一般的な認識では「主人公が敗北した姿」を描くパートだろう。

これまでの物語の流れをパラダイム的に見ると、

試練の時を乗り越えてミッドポイントに至った主人公に、危機の時に敵が不意打ちを食らわせ、試練の時に準備していた物を奪い去ってしまうと言うパートまで来た。

その後、大事な物を奪われた絶望に打ちひしがれ、打ちのめされ、敗北した姿を描くのが、この絶望の時と言うパートである。

説明を読んでいるだけで嫌な気持ちになる人もいるかもしれないが、このパートは表現の程度に差こそあるが、魅力的な物語には構造的には必要不可欠な物となっている。

排除しては、本当に面白い物語を作る事は出来ないのだ。

絶望の時の役割

試練の時によって様々な準備が整った。

ミッドポイントに至った事で、主人公は前までの未熟な主人公とは違った存在になった。

だが、危機の時に、せっかく準備してきた大切な物を、悪者やトラブル等によって奪われてしまった筈だ。

絶望の時とは、望みが失われ、何かが死に瀕する中で、敗北や挫折と主人公が向き合うリアクションパートである。

死に瀕する何かは、主人公自身の時もあれば、大切な仲間や叶えなければならない夢や目的の場合もある。

拠点が破壊されたり、仲間が傷つけられたり、重要なアイテムを失ったり、主人公や仲間の命が危険にさらされたり、夢が永遠に叶わない事が確定的になったり、とにかく主人公は大ピンチにさらされ、苦境に立たされる。

途方にくれたり、自暴自棄になったり、責任転嫁したり、諦めたり、悪足掻きをしたり、そう言った自然なリアクションを取る事が、表現の重要なポイントである。

絶望の時に必要な物

試練の時に、主人公は拠点、仲間、道具を手に入れた

危機の時が来ると、それらが失われる。

敵が不意打ちによって安全だった拠点を襲ってきたり、主人公にとって頼りになる仲間に対して容赦の無い攻撃をしたり、重要な道具を使用不能にしてしまうと言う事が起きる。

その内のどれかは、多大な被害を受けてしまう。

だが、どれかが大損害を受けるが、その全てを失う事は決して無い。

必ず主人公には、これまでに手に入れた大事な何かが残る。

しかし、主人公は絶望の時では何時だって、残った物よりも失った物の大切さに想いを馳せ、落ち込み、凹み、心を閉ざしそうになる。

その描写には、失った物が主人公にとって、どれほど大切だったのかを描く必要がある。

そして、セットアップ時よりも主人公の置かれる状況が悪化して見える事が、重要となる。

決意の時に「問題を解決する為に選択なんてしなければよかった」と後悔する様な状況に追い込まれるので、絶望的状況に感じられるわけだ。

例えば、

海外ドラマ「ブレイキングバッド」では、最終的に主人公は金も組織も仲間も失い、心の支えであった家族とも離れて逃亡生活を余儀無くされる。

アニメ映画「アラジン」では、ランプの魔人を奪われ、王国も乗っ取られ、アラジンは雪国へと魔法で文字通り飛ばされてしまう。

この様な状況に、落ち込む主人公もいれば、必死に足掻く主人公もいる。

どちらにしても、主人公は大半の物を失い、あるいは失いそうな状況に置かれ、一人では成す術がない。

主人公は、心や、時には物理的に身体が、世界から孤立した状況に置かれ、絶望的状況に置かれる事となる。

そこで、これまでの自分の行いや、後悔を思い返す時間を与えられる。

つまり「何が自分には足りなかったのか」を自己分析する機会を与えられるわけだ。

そこで、失った物は「どうすれば失わないで済んだのか」を考えてしまうのだ。

絶望の時は、別の形の悩みの時

パラダイムに「悩みの時」と言うパートが前にあったのを覚えているだろうか?

悩みの時には、主人公は変化を避ける為に、その行動を取るべきでない理由を探したりと言ったリアクションを示す。

一方で絶望の時となると、主人公は既に変化していて、行動を取らなければならない理由も十分に理解出来ている。

その上で、「失った物は、どうすれば失わないで済んだか」を考える事となり、主人公にとって決定的に足りない物を認識する事となる。

それは、拠点、仲間、道具と言った物では無い。

それらは、失った物だ。

失わないで済む様な、主人公に欠けた要素とは、ストーリーテーマと密接に関わる「主人公の精神的な欠点」が中心に来る。

致命的欠陥や、自己正当化してきた悪癖、欠点に対する気付きによって、決定的に足りなかった物を認識する事になるのだ。

そう言った構造的な見方をすれば違いは大きいが、絶望の時は悩みの時の別バージョンと言ってしまって良い。

これも、きっかけの時と危機の時の対比関係と似ていて、前のピンチよりも更に厄介になった極悪バージョンとなっている。

例えば、

映画「アイアンマン」の悩みの時は、誘拐されて兵器開発を強要され、誘拐時の負傷で心臓はバッテリー接続していないと爆弾の破片が心臓に刺さる状態になり、スーツは開発しなければならず、スーツを起動する時間を稼ぐためにメンターが囮となってしまう。

絶望の時は、胸を保護していたアークリアクターを奪われた事で心臓が停止しかかり、アイアンマンスーツも封じられ、ヒロインの身に危険が迫るが主人公は身体が自由に動かないと言う窮地に立たされる。

主人公は、この時になってようやく暗躍していた本当の敵の存在と真の目的を知る事となる。

そして、この敵を生み出した原因の一つに、自分の傲慢さがある事に気付かされる。

アニメ映画「アラジン」では、主人公は全てを失ってようやく、ランプの魔人との約束をちゃんと果たしておけばこんな事態にならなかったと、そもそも姫に自分は王子だと嘘をつかなければよかったと後悔し、正さなければならない精神的欠点を直視する。

悩みの時は、危険やチャンスに飛び込む前に二の足を踏むパートだった。

絶望の時は、自分の欠点を直視する事に時間を要するパートと言う事だ。

それまでは目をつむって来た精神的弱さを、直視しなければならない状況なのだ。

そうしなければ真の意味で人は、変わる事が、成長する事が出来ないのだ。

絶望の時を作るタイミング

絶望の時は、クライマックスに向けて物語が一度大きく落ち込むパートだ。

上で書いたように、悩みの時との対比関係にあるが、悩みの時が新しい事への不安を描写するのに対して、絶望の時は失敗後の絶望を描写する事が主であり、セットで管理する必要は殆んど無いと言って良い。

だが、試練の時で手に入れた物を、危機の時で失わせる事を考えると、絶望の時は試練で手に入れた物が出揃った状態で構築するのが望ましいと分かる筈だ。

関連するパートを気にしながら構築するのが、最も効率的で自然だろう。

終わりに

絶望の時を考えてみて、どうだったろうか?

この記事で、あなたの「絶望の時」観が何かプラスに変化したのであれば、嬉しい限りである。

次回は、「契機の時」について解説したい。

鬱展開を脱する為の、重要なパートだ。

スポンサーリンク

“ストーリーパラダイム解説「絶望の時」とは?” への2件の返信

コメントを残す

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください

%d人のブロガーが「いいね」をつけました。