エピローグの役割について
ここでは、パラダイムのパート毎に深く役割を語っていく。
今回は「エピローグ」について。

エピローグとは?
言い方は、何でもいい。
- エピローグ
- ファイナルイメージ
- ラストシーン
- エンディング
- 結末
- 最終章
- 宝を持っての帰還
- 満足した状態
- 勝利後の世界
- 問題解決後の世界
- 輝く王国
- オープニングとの対局状態
と、様々な表現が出来る。
図、ブレイク・スナイダーの脚本パラダイム「ビートシート」ではファイナルイメージのパートだ。
まあ、ここでも呼び方は、やはり重要ではない。
あなたがイメージしやすいシックリ来る表現を、個人単位でなら使えばいい。
パラダイムの他のパートと同じく、各呼び方で意味合いが微妙に変わる所もあるが、大事なのは物語に置いて「構造的に見て、どの様な役割や機能があるパートなのか」と言う事だ。
一般的な認識では「問題解決後の世界」を描くパートだろう。
解決の時に、抱えてきた問題を解決出来たのなら、世界は新たな状態で日常へと戻る事になる。
エピローグの役割
直前、解決の時に事件は解決した筈だ。
主人公が責任を持って取り組んでいた事で、何らかの形で事件は解決し、チャンスなら掴んだか否かが提示された筈だ。
ハッピーエンドであれば、事件は解決し、問題は解消し、チャンスは掴み取った筈だ。
バッドエンドであれば、事件は犯人の勝利で終わり、問題解決はタイムリミットまでに行えず、チャンスは指の間をすり抜けていっただろう。
ビターエンドであれば、一定の成果を出した物の、何もかもが思い通りの成功とは行かなかったかもしれない。
例えば、世界は救ったが主人公が死んでしまったり、多大な犠牲が払われる等だ。
映画「ライフイズビューティフル」は、ビターエンドだ。
オープンエンドなら、目的自体は達成出来たかもしれないが、それ以外の判断が読者や視聴者に委ねられる「遊び」がある状態で終わっただろう。
例えば、世界は救ったが主人公のその後が曖昧と言った感じだ。
映画「インセプション」は、オープンエンドだ。
で、だ。
エピローグは、解決後の世界の日常を描くのが、その大きな役割である。
変化した世界の日常とは、主人公が勝ち取った、あるいは責任を果たせなかった結果の世界だ。
つまり、主人公が長い時間をかけて行動してきた結果、それが正しかった、あるいは間違っていた事の答え合わせをするのが、エピローグなのだ。
エピローグに必要な物
エピローグに必要な物とは、解答だ。
主人公が行動を積み重ねた結果、得られた答えを提示するのだから、それが解答でないのは、かなりの問題がある。
解答は、とどのつまり「創作者からのメッセージ」である。
メッセージとは、考えを伝えるツールだ。
物語のメッセージとは、
- 『こういう状況』で
- 『こういう登場人物』が
- 『こういう決断』をして
- 『こういう行動』をしたら
- 『こういう結末』が導き出せる
と言う事を、創作者なりに考えた結果導き出された、伝えたい答えなのだ。
なので、エピローグでは物語の中で主人公が行動した結果、変化を起こした日常を描く必要がある。
それこそが、解答だ。
それらは、元の日常から正反対、対極の位置に変化する。
三幕構成なら、二幕を挟んで、一幕と三幕が真反対の状態であるべきなのだ。
例えば、
アニメ映画「ヒックとドラゴン」では、エピローグでドラゴンと共存するヴァイキングの村が描かれる。
これは、プロローグや日常の時に描かれたドラゴンと殺し合うヴァイキングの村との分かりやすい対比であり、ヴァイキングとドラゴンの関係が主人公の行動の結果、変化した事を分かりやすく描写している。
明確に新たな日常が描写され、そこには物語を通したメッセージ性もしっかりある。
ヒックとドラゴンの場合「他人への理解が必要か」がテーマとしてある。
ヴァイキングとドラゴンは、冒頭では敵対関係にある。
大昔から、ヴァイキングは害獣としてのドラゴンに襲われ、家畜を奪われてきた。
そこに、切欠の時から主人公の決断と行動が加わり、物語のテーマが鮮明化する。
主人公は、偶然怪我を負わせたドラゴンにとどめを刺せず、ドラゴンもまた主人公にとどめを刺さない事で、お互いが相手を利用する不思議な関係が始まる事になる。
試練の時に、ドラゴンを理解不能の他者や敵として見るのではなく、理解しようと努める事で分かり合える事を主人公は行動で示す。
主人公と相棒のドラゴンの間には、やがて種を超えた友情が芽生える。
理解して利用するのではなく、理解してお互いで敬いあう事を示すのだ。
その結果、主人公はドラゴンが抱える裏事情を知る事となり、問題の本質に辿り着く事になる。
解決の時には、まず主人公とヴァイキング達が理解し合い、主人公を介してドラゴンとヴァイキング達が理解し合う。
そして、理解を示そうと歩み寄る事で、協力して問題を解決し、新たな日常を手に入れるのだ。
その一連の行動を見る事で、観客は「他者への理解無くして平和はあり得ない」とテーマの答えとしてメッセージを受け取る事になる。
つまり、エピローグとは「全体を通して言いたい、たった一つの答え」であり「ストーリーテーマから導き出される、メッセージ」であり「創作者の考えそのもの」なのである。
なので、ストーリーテーマ、メッセージ、伝えたい事、等が曖昧な状態では、良いエピローグは作りようが無い。
もう一つ、忘れてはならないのが主人公の変化、成長の提示である。
日常の対極の変化と共に、その立役者の変化も描写しなければならない。
主人公の生死に関わらず、エピローグでは変化した結果の、可能な限り対極の姿を提示しなければならないのだ。
上述のヒックとドラゴンでは、役立たずのレッテルを押されていた主人公が、最終的には村の英雄として受け入れられる姿が描かれている。
もう一つ例で、
アニメ「ケムリクサ」では、冒頭では自分が何者かも分からなかった主人公達だが、エピローグでは自分が何者かを思い出し、その関係性も大きく変化している事が分かる。
そこには、分かり易い対極の性質が複数提示されている。
エピローグで対比する物
既に上で触れてしまったが、「エピローグ」は「プロローグ」と「日常の時」と対比構造にある。
プロローグで「これからどうなる?」を描写する場合は、変化前の日常に関わる物として、対比を考慮に入れた方が良い。
一方、プロローグで「どうしてこうなった?」を描写する場合は、対比の仕方が変化する。
例えば「だからこうなった」と言う明かされていなかった問題の発端が解答として象徴的に描写されたり、「だからこうした」と言う変化した世界や主人公を解答としての描写をする場合もある。
「そうして~?」と「これから~?」に関して詳しくは、
を見て貰えれば分かると思う。
また、完全な対比で無くとも、解答として機能していれば良い側面もある為、エピローグをプロローグの完全な対比に、無理にしないパターンもある。
対比とは、単純に読者や視聴者に変化を分かりやすく提示する為の手法なので、綺麗に対比していなくとも変化の要点だけ比較して提示出来ていれば変化を伝える事は可能だからだ。
他に、プロローグで「これからどうなる?」と「どうしてこうなった?」の両方を描写している場合に、どちらとも律義に対比する必要は無く、片方だけで十分な場合も多い。
むしろ、エピローグはストーリーテーマへの解答なので、長すぎるエピローグを美しくないとする考え方もあるぐらいだ。
数式的に考えてみれば、無駄がない最小限の表現に、解答の全てが詰まっている方が、確かに美しい。
次に、日常の時との対比だが、エピローグが新たな日常を描くと言う側面がある為、プロローグ以上に分かり易く対比、比較が出来る。
アニメ「コードギアスR2」のエピローグは、満点だろう。
主人公の行動の結果、変化した世界が提示され、登場人物達のその後が描かれるスタンダードな物だが、多くの視聴者が求めていた物が短い時間の中に全て詰まっている良い例だ。
エピローグでも、印象操作が重要
プロローグは、先入観を持たせる印象操作のパートと言う話を以前の記事でした。
エピローグでも、また印象が重要となる。
エピローグに至るまでの物語を楽しんでくれた人達からすれば、もはや先入観ではなく、明確なイメージが出来上がった状態で辿り着く、最後のパートである。
だからこそ、最後の最後には、特に印象深いシーンやセリフが来る事が望まれる。
それは、作品を通して伝えたかったメッセージを、印象深い一言に集約した物であったり、印象深いシーンに集約した物である必要がる。
愛、情、報い、希望、絶望、理不尽、等々と言った作品世界を支配する真理が感じ取れる事が好ましい。
ホラー映画で、怪物が復活して終わるのは、お約束のパターンと言うだけでなく、意味がある。
罪を犯し罪から逃げる人間への皮肉を描くのがホラーの基本なので、苦労して倒したり逃げ切ったのに、罪からは逃げられないと言う真理のこもった皮肉なオチで締めくくっている側面があるのだ。
だから印象にやたら残るし、皮肉な世界に納得も出来る。
ヒーロー映画で、ヒーローが自警活動をしている姿で締めくくる事が多いのにも、やはり意味がある。
力を持ち、使命と責任を帯びた人物は、それを果たし続ける事が宿命であり、真理だからこそ、ヒーローは悪と戦い続けるのだ。
もちろん、これ等は沢山ある中の例に過ぎない。
こう言ったお約束のパターンに頼らずとも、作品世界を支配する真理が描けていれば、印象深いシーンやセリフを生み出す事が出来て、それがあればこそ物語は人々の心に強く残りやすくなる。
真理を描く以外に、もう一つ重要な印象操作のポイントがある。
それは、印象深い描写をする際は、未来を想像する余地を残す事を心がけようと言う事だ。
主人公の行動によって、新しい日常が手に入ったのだ。
その日常は、今後も続いていく筈だ。
その、獲得した日常の続いていく先を想起させる事が、エピローグで出来る最高の印象操作となる。
真理の提示は、どちらかと言えば変えようの無い事実や真実を突き付ける効果がある。
しかし、その先に希望に満ちた未来の連想があれば、それは説教ではなく約束された幸せの予定の提示となる。
それが出来ている物語は、読後・視聴後感が圧倒的に良くなるので作品御テイストにもよるが、説明や説教で終わらない様に注意してみよう。
エピローグをフックに?
海外ドラマで多いが、シーズンの終わりに次のシーズンに繋がる様にあえて事件を最後に起こしたり、事件が終わっておらず中途半端に終わらせる手法がある。
当然だが、物語を続けるなら、有効な手法の一つである。
海外ドラマ「フラッシュ」では、シーズン1の終わりに大事件が起きて終わり、シーズン2は何があったのかを回収する事から始まる。
アニメ「コードギアス」でも、1期の終わりは主人公が隠していた正体がバレてしまい、親友と銃口を向け合うと言う切迫した状態で物語が終わり、2期のR2では、主人公が何事も無かったようにどこか違和感のある学生生活を送っている所から物語が再開した。
これらは、一区切りしつつ続きを作る意味で、とても良い終わりだった。
だが、良い例ばかりではない。
海外ドラマでも、漫画でも、アニメでも、小説でも『打ち切り』によって、フックを設置するだけして放置する地獄の様なパターンが多数存在する。
また、打ち切りであれば諦めもつくが「人気が出たら続きを作れるかも」みたいなスケベ心でフックを設置する作品が時々ある。
それをやってしまうと、綺麗に終わっていれば名作だったのに、打ち切られた感が出る事で、一気に中途半端な作品に見えるマイナスな効果がある為、損の方が大きいだろう。
フックの場合は、未来を想像する余地の提示ではなく、新たな疑問の提示となってしまうので、強力なエピローグの武器を使えない事になる。
あくまでも、エピローグの基本は解答なのだ。
メッセージを疑問形にして解答を用意しないなんて、バカな話は無い。
フックを仕掛ける場合は、続ける覚悟だけはしっかり持って仕掛ける事が、作者として最低限の責任と言えるだろう。
エピローグを作るタイミング
エピローグは「伝えたい事」「メッセージ」、それらを導き出す「ストーリーテーマ」や「主人公の一貫した問題解決行動」が出来ていないと、上手に作りようが無い。
それらが明確なら「解決の時」と同じく、一番最初に作ってしまった方が、作品の目的地がハッキリする為、創作が楽になる。
逆に、メッセージやテーマ等が明確でない場合は、それらが見えてくるまでは触れない方が賢明だろう。
終わりに
エピローグを考えてみて、どうだったろうか?
今回で、パラダイムのパート深掘りは一通り出来たと思う。
この記事で、あなたの「エピローグ」観が何かプラスに変化したのであれば、嬉しい限りである。
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