構成の基本。物語の分割線の見つけ方

物語を細かく切っていく

物語の構成が苦手な人は、物語をパートの役割毎に、線を引いて見れていない場合が多い。

物語を「パート毎に区切る線」が見えていないのだ。

話数とか、AパートBパートみたいな分け方の話じゃないのかって?

そうやって分かれてる事もあるけど、必ずしもそうでもない。

今回は、分割線が見えていない人の為に、色々と解説していく。

パラダイムの分割線

物語は、基本的に上の図にあるパラダイムに沿って前進していく。

パラダイムについては、

の方で詳しく触れている。

パラダイムって、簡単に言えば雛型やパターンであり、物語の規範の事だ。

起承転結ぐらいは、聞いた事があると思う。

あれも、一応パラダイムと呼んで良いモノだ。

だが、実際の物語に当てはめて考えるとなると、見分け方が難しいと感じる人もいると思う。

だって、そうだろう。

映画を見ていて、

  • 『プロローグ』
  • 『〇幕』
  • 『エピローグ』

ぐらいは、作品自体が古かったり、オシャレだったりすると、出てくる作品もある。

でも、大半の作品には、そんな表記は無い。

毎クール始まるアニメやドラマを見ていて、一話目の冒頭に「プロローグ」と出て、オープニングが流れ、数分後に「日常の時」等とテロップが入り、15分から20分が経った頃に「切欠の時」等とテロップが入ってくれれば、勉強中の脚本家や映画監督、漫画家に小説家と言った人種からすれば、この上なく分かり易い。

だが実際は、そんな視聴の邪魔にしかならない表記は、どこにも無い。

しかし、表記は無いが、それらは必ずある。

少なくとも、エンターテインメント系の物語には、自然な流れに沿っていつつ、必ず分割可能な該当箇所がある。

パラダイムのパートが無い様に見えるのが、本当に無いのか見つけられていないのかで、作品に対する理解に大きな差が出てしまう。

分割線が分からないと「パラダイムの区切り」が見えない。

それが自身の作品なら、的確に直したり、構成のしようが無いと言って良い。

構成

構成とは、目的に沿って統一的に管理する技術だ。

物語の構成は、話の区切り毎のユニットやブロックの単位で、狙い通りの効果を得る為に順番を変えたり、増やしたり削ったりと言った編集をする事をここでは指している。

例えば、レゴブロックの継ぎ目が分からない人に、レゴは難しい。

物語も、同じ事と言う感じだ。

文字の、単語の、文章の羅列と物語は思われがちだが、明確なルールに従ってユニット毎にグループ分けする事が出来る。

そのブロックを見分けられるか否かで、創作や批評の実力に部分的な差が生まれてしまう。

当然、見分けられるに越した事は無い。

分割線の種類

物語をパート毎に切り分けるのにも、何種類か線を引く基準がある。

図を見て貰うと分かると思う。

  • ストーリーは、アクトの集合体。
  • アクトは、シークエンスの集合体。
  • シークエンスは、シーンの集合体。
  • シーンは、ビートの集合体。
  • ビートは、ショットの集合体。

と、それぞれ下の概念の集合体って事だ。

こんな感じで、要素は入れ子構造になっている。

シーンは数ビートで構成され、シークエンスは数シーンで構成され、アクトは数シークエンスで構成され、ストーリーは数アクトで構成される。

作品によって誤差はあるが、1ストーリーで、およそ40~60シーン程度になる。

1ストーリーは、およそ100分の作品換算だ。

で、大事なってくるのは、線を引く為の基準って奴だ。

ビートは、アクションとリアクションのワンセットで管理できる。

  • 話しかけられ、考え、返答する

みたいな、最小単位のアクションとリアクションがビートだ。

そもそもビートを、上手に構築出来ていない人が、少なからずいる。

物語のテーマに関係無い無駄なおしゃべりや行動を、丁寧に描写している場合、そのビートは死んでいると言って良い。

そういう意味では、ショットの時点でテーマと無関係の画作りをしてしまう人もいるが、そこら辺はストーリーテーマを認識出来れば避けられる失敗だ。

アクションとリアクションで構築されたビートによって、一連の出来事の転換点までを描くのが、シーンだ。

シーンは、場面が変化するので、非常に掴みやすいだろう。

「気が付いたら異世界に飛ばされていた」なんてお約束のシーンは、正に場面の転換点だ。

そう言ったシーンを、一連の価値要素の変化単位でまとめた物を、シークエンスと言う。

複数のシーンで一連の出来事を描写し、その中でテーマに沿って何らかの要素が大きく変化する。

例えば、異世界に飛ばされた主人公が人を探して彷徨い歩いたとする。

人を見つけたら、そこでシークエンスが一区切りとなる。

主人公は、ビート単位でアクションとリアクションを重ね、シーン単位で場面が変化し、シークエンス単位で小さな目標に向かって一連の行動をする。

小さな目標に向けたトライアンドエラーの積み重ねが一区切りする事でアクトとなり、テーマに沿った一連の行動の結末までをストーリーと見る事が出来る。

つまり、

  • ストーリー=テーマに沿った一連の行動の最初から結末まで
  • アクト=テーマに沿った一連の行動の大転換点
  • シークエンス=テーマに沿った行動の転換点
  • シーン=出来事と場面の転換点
  • ビート=登場人物のアクションとリアクションの最小単位

と言う風に、おおよそ分割線の基準を考えれば、物語のテーマないし一貫した一連の行動を見分ける事さえ出来れば、基本的な構成への理解は、誰にでも可能と言う事だ。

ここまで見てきて分かったと思うが、物語は入れ子構造の構造物で構成されている。

そうなると、触れておいた方が良いのが、上下の概念である。

上位概念と下位概念の原則

第一に、上位概念は下位概念の全てに影響を与える。

逆に、下位概念は上位概念の支配下にある。

良い概念の関係では、上位概念と下位概念が連動し、しっかりと機能している。

ストーリーのメインテーマに『家族愛』と言う要素があるなら、アクトでも、シークエンスでも、シーンでも、ビートでも、ショットでも『家族愛』に関係する場面が展開されなければならない。

唐突に『家族愛』を廃したアクト以下ショットまでの場面を配置するのは、ストーリーのテーマに反する事になる。

上位概念に下位概念は従わなければならない。

第二に、上位概念ほど曖昧で、下位概念ほど具体的だ。

『家族愛』と言う要素がストーリーのメインテーマにあったとして、ストーリー全体を見れば「家族愛の物語だった」と感想が出る。

だが、ストーリーの一部分、シーン単位等で見れば「父親は最後まで息子を信じていた」や「娘は母親を見捨てなかった」と言った具体的な場面が描かれている筈だ。

この上位下位概念の第一、第二の基本原則を理解していなかったり無視する事の危険性を、理解すべき創作者は少なくない。

上下概念階層の得手不得手

上位概念は下位概念に従う。

しかし下位概念は具体的で力強く、上位概念は抽象的で掴みにくい。

この性質によって、人によって概念階層を認識し、ピントを合わせる能力に大きな差が生まれる。

つまり、創作の際、得意不得意が生まれる原因となるのだ。

構成の分割線の見分け方以前に、見ているピントの合い方が、人によって大きく違う。

全体を見渡す人

ストーリー等の全体像を俯瞰して見れる人は、映画監督、ディレクター、プロデューサー等の指揮者が向いている。

その視点が本当に広いなら、経営者も合っているだろう。

しかし、明確な目的と計画を持って全体を見渡す広い視点であればあるほど、細かい視点での配慮が苦手になりがちだ。

実際にアイディアを具体化するのは、下位概念を形にする作業と言う事を忘れてはならない。

特に、指揮や管理だけをして、実際に手を動かさない場合は、なおさらだ。

逆に、俯瞰して全体を見れない人を急に指揮者に据えるのは、自殺行為である。

細部にこだわる人

細部にこそ目が行くと言う人は、クリエイターが向いている。

素晴らしいシーンやショットを思いつき、それを形にする力を身に着ければ、その能力は強い武器となるだろう。

しかし、細部へのこだわりが強ければ強いほど、広い視点で物事を考えるのが難しくなる。

何を上位概念として、下位概念である細部を作ろうとしているのかを、いつも忘れてはならない。

上位概念は、一つの作品の場合もあれば、雑誌や出版社、あるいは国と言った単位の場合もある。

自分が急に上位概念に逆らった物を作りたくなっても、決してするべきでは無い。

上位概念には、下位概念は決して逆らえない。

この話をすると「上位概念が間違っている場合は?」と言う人が、稀にいる。

そう言う人は、嫌な上司や腐った権力者か何かと、上位概念を混同している場合が多い。

もちろん、本当に間違った上位概念も存在するので、それも併せて説明する。

上位概念と下位概念の関係

例えば、ポメラニアンの上位概念は犬だ。

犬の上には哺乳類とか、動物とか、どんどん抽象的で、どんどん範囲の広い概念が広がっていく。

概念とは、結局それ以上でもそれ以下でもない。

もし犬の図鑑をみんなで作っていたとして、あなたが猫の写真を急に撮影したくなったら?

その場合、正しい判断は自分の欲求に従うか、上位概念に従うか、どちらかは明白だ。

欲求は、別の場面で満たすべきなのである。

違う例で、

例えば、あなたの上司が仕事で、あなたに酷い嘘をついて人を騙せ、と言ったとしよう。

あなたは、間違っていると感じつつも、上司が上位概念だから従わなければならないと考えるかもしれない。

だが、それは違う。

何故なら、あなたの上司が、最上位概念では無い為だ。

上司の上にいる、間違っていると考えてくれる階層に助けを求めれば、あなたの上司は更なる上位概念によって正される事となる。

常に、上位の概念に下位概念は従うしかない。

だから、上司が間違っていると感じた場合は、更に上の概念を見れば、正しいか否かの判断が出来る。

これが、上で書いた間違った上位概念云々の話で、懸念していた人が聞きたかった答えだろう。

だが正しさの判断が更に上位を見ても分からない事なんて、曖昧な概念の中にはいくらでもある。

その場合は、上位概念に従う必要がある事の認識が、まずは必要なのだ。

従う必要があるが、従えないと考えるなら、そこはあなたの居場所では無い。

つまり、上位概念が、どう考えても万人が間違っていると考えない限りは、その更に上位概念を判断基準にしようが訴えようが、あなたの一意見となってしまう可能性がある。

だから、内部告発をすれば、腐った組織は正そうと言う上位概念の社会によって修正され、従うしかなくなる何て事もあれば、失敗する何て事もある。

これは、意思を持った最上位概念が間違った道を突き進む場合は、訂正がとても難しいと言う事でもある。

だから、国等の巨大な組織の腐敗は、内部から修正を行う場合、革命によって最上位概念を奪うか、長大な時間をかけて最上位概念を形成して正すぐらいしか、あまり良い方法が無い。

香港のデモが話題になったが、数は単純に力がある。

だが、それ以上にどちらが正しいと、より上位の概念が判断したかで結末が決まってくる。

ここで大事なのは、物語で無く現実の話の場合は、直近では間違いや嘘の方が大きな力を持つ特性である。

長い目で見れば、全ての物は自然な状態に落ち着こうとするし、最上位概念に必ず従う力が働き続ける。

だが、短い目で見ると、嘘が混沌を起こし、間違いが大きな力を持つ事になる。

正義は最後に勝つのは真理かもしれないが、最後がいつやってくるのかは、全く別の話なのだ。

そんな大前提の中で、あなたが上位概念にどうしても従えない場合、あなたの方が従うべき上位概念の選択を間違っている可能性がある。

国なら飛び出せば良いかもしれないし、仕事やプロジェクトであれば抜けてしまうのも手である。

上位下位概念で話が脱線しかけているので、戻そう。

これはストーリーテリングでも同じで、テーマ要素が『仲間の絆』なら、その要素を絡めない描写は、作品の邪魔となる。

つまり

  • 物語の最上位概念「ストーリーテーマ」を、あなたが認識出来ているか?
  • あなたは、それを正しいと感じているか?
  • 最上位概念に、下位概念が全て従っているか?

と言う要素を満たす事が、創作の場ではグループやチームでも、個人でも必要な視点となる。

物語のパートを機能に分けて分割する事が出来て、それぞれの上位下位概念の関係性が見えていれば、構成と言う作業は作品を大いに磨き上げる役に立つ。

終わりに

物語を役割毎のパートに分ける分割線を引く為の考え方は、理解出来たと思う。

合わせてパラダイムも理解出来れば、物語の構成を見たりパラダイムと照らし合わせて細部を直したりと言った事も出来る様になる筈だ。

もっと技術を磨けば、構成の効率化や再構築と言った、ストーリーテリングとして少しずつ高度な技術も使えるようになるだろう。

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