アイディアとの向き合い方

アイディアに命を吹き込む

困ったぞ。

すっごい良いアイディアを思いついてしまった。

これを作品に出来れば、名作間違い無しだ。

 

散歩中か、風呂で、トイレで、寝る前でも良い。

ちょっとした拍子に、アイディアのパズルが噛み合った。

あなたは、とても良いアイディアを思いつく。

 

それは、まるで天才になった様な万能感や、運命の神か何かに愛されている様な幸福感だろう。

 

しかし、そのアイディアは、最も重要な物かもしれないが、その状態では無価値同然でもある。

最重要だが、価値が低い物

アイディアとは、頭の中にあるだけでは、あなたを興奮させる小さな電気信号に過ぎない。

 

アイディアに価値が生まれるのは、それが世界を変える物と証明された時だ。

世界を変えるには、アイディアを形にしなければならない。

 

形にするとは、他の人と認識を共有したり、あなたの行動を変える力を持つ事だ。

共有するには、外の世界に出る形を得なければならない。

 

アイディアとは、種や卵だ。

芽も出ていない種と大きく育った大樹では、卵と産まれた生物では、その価値に大きな差があるのも頷ける筈だ。

 

あなたは、どう育つのかも、ちゃんと育つのかも分からない種や卵を、丹精込めて育てるか否かの選択を迫られている。

それが、アイディアとの遭遇だ。

 

そして、あなたはアイディアを内包した、ある種のハンプティダンプティなのだ。

 

あなたは、アイディアと改めて向き合う。

確かに、良いアイディアに思える。

育てば、きっと大きく立派に育つ。

種であれば千年は生きる大樹になるし、卵であればドラゴンが生まれる気さえする。

 

そこで、ふと我に返る。

あなたが夢中になっているアイディアが、その他の物よりも最も輝いて見えるなら、大事に、投げ出さずに育てれば良い。

 

だが、似た様なアイディアが沢山あったら?

あなたは、その中から一つを選ぶ事が出来るだろうか?

 

アイディアを同時に育てるのは、かなり難しい。

アイディアが一人立ちするまでは、面倒を見なければならない。

また、アイディアが一人立ちしたなら、あなただけの物では無くなってしまう。

 

あなたは、アイディアと向き合う。

 

思いついた時は良いアイディアに思えるが、本当にそうか?

全てのアイディアを実現出来るなら悩む必要は無い。

しかし、あなたが死ぬまでに実現出来るアイディアには、数に限りがある。

 

すると、あなたはアイディアに対して、少しだけ厳しい目を向ける事になる。

 

良いアイディアに思えるが、手間がかかり過ぎると言う事は無いか?

自分以外の誰かが既にやっていないか?

自分がやるべき事か?

自分が本当にやりたい事なのか?

形にしたとして、どれぐらい価値がある物になりそうか?

自分以外の人にも価値があるのか?

 

そうやって考えて行くと、あなたはアイディアの大半を頭の中の引き出しにしまうか、忘れてしまう事になる。

 

それは、それで良い。

それまでのアイディアだったのだ。

あなたがアイディアを形にしない事による害は無い。

 

だが、そのアイディアが本当に良いアイディアに思えるのなら、育ててみる方が遥かに面白い。

割とすぐに、アイディアは形を持ち始めるからだ。

アイディアが形を持ち始める、が

あなたは、良いアイディアを育てようと心に決めた。

すると、すぐに困る筈だ。

 

思ったより面白くない。

なら、モチベーションが続かないので、そっと忘れよう。

 

上手く形に出来ない。

なら、アイディアの本質を考えてみよう。

何が面白いのか、何が価値があるのか、それが見えないと形にしようが無い。

 

あなたは完成予想図や設計図、計画表を作ったり、構想を書いたり、とにかく形にして共有できる形にする。

 

その中で、必ず分からない事が出てくる。

出来ない事が出てくる。

面倒だったり、やりたくない事が出てくる。

 

アイディアを形にすると言うのは、そういう「障害」と向き合い、対処する事に他ならない。

それが面倒ならアイディアを育てる事なんて、不可能だ。

 

分からないなら、分かる様になるか、分かる人を探す必要がある。

出来ないなら、出来る様になるか、出来る人を探す。

面倒だったり、やりたくない事なら、代わりにやってくれる人を探すでも、やらずに問題をクリアする方法を探すでもしなければならない。

 

もし、あなたが超天才で、そういう障害が一個も無いなら、あっさりとアイディアは形になるだろう。

 

だが、あなたがまずまずの天才でも、秀才でも、凡人でも、バカ者であっても、アイディアを形にする為に障害を乗り越えなければならない事実は変わらない。

 

もし、あなたが超天才でないのに、アッサリとアイディアが形になったのだったら、それもやはり大したアイディアでは無かったと言う事だ。

更に簡単なアイディアは、大抵の場合、過去既に実現されている。

 

種を育てるなら、日光を適量浴びせ、水と肥料を適量与え、害虫から守る必要があるだろう。

卵なら、適温で温めつつ、外敵から守り、産まれた後も当分は食べ物を与え続けなければならない。

 

アイディアを育てるのは、苦労の連続で、超大変だ。

ちゃんと世話をしても、あなたの力不足で無くても、外敵からの攻撃であっさり死んでしまう事もある。

 

それでも、この記事を見に来た「あなた」はアイディアを育てる必要がある筈だ。

そこで、いくつかアイディアを育てるにあたって助けとなる考えを提示したい。

アイディアとの向き合い方

あなたが生物の命を平等で尊い物と感じる善人でも、それをアイディアにまで向けるのは危険な考え方だ。

 

アイディアは、沢山の中から選ばなければならない。

 

もし、あなたが一つのアイディアを大事に持っているなら、他のアイディアを沢山生み出してでも比較して欲しい。

本気で良いアイディアを沢山生み出すのだ。

元のアイディアを際立たせる飾り物を生み出しても、何の意味も無い。

沢山生まなければならないが、数を稼いでももちろん意味が無い。

 

本気で、全力を持って沢山生み出し、沢山捨ててこそ良いアイディアに辿り着く可能性が高まる。

 

沢山捨てる必要があるのは、沢山生む必要があるからだ。

捨てる為に生むのではなく、生んだ結果育てられずに捨てるのだ。

 

生物に例えるとゾッとする考え方だが、自然界で考えれば合理的だ。

 

沢山卵を産む生き物、爬虫類、両生類、魚、虫、何でもいい。

沢山生み、自然と言う「ふるい」にかけられた結果、生き残った個体だけが生きる事を許される。

一人立ち出来る強さが絶対条件と言う事だ。

 

アイディアとは、そういう物なのだ。

 

アイディアを生み出す数が多い方が良く、個体差と多様性がある方が、生き残る確率が上がる。

アイディアを我が子の様に扱う人がいるが、それは厳しい選別の後の段階なのである。

 

沢山生み、その中から良い物を選び、他は捨てる。

これが出来なければ、本当にアイディアを形にする事は、到底出来ない。

 

アイディアとは組み合わせ

良いアイディアとは、まだ実現されていない上で、登場によって世界が良くなるアイディアだ。

 

世界を良くするが、既に実現されているなら、それは良いアイディアとは言えない。

 

既存の物を、見た事が無い組み合わせにして、調和させて生み出す。

それが良いアイディアだ。

 

その為、沢山の中から選んだアイディアを育てる前に、それが「世界から見てどれぐらい新しいか?」を確認しなければならない。

 

車輪の再発明は、可能な限り避けなければならない。

価値の低いアイディアを大きな労力で育てるのは、愚かな行為だからだ。

 

既存の物を組み合わせた新しいアイディアだが、これはどちらかをベースに設定する必要がある。

 

既存の物と既存の物を混ぜると聞くと、ミキサーにかけて混ぜ合わせるイメージをする人が結構いる。

だが実際は、片方を土台にして、もう片方の特徴を融合させると言う方が遥かに近い。

 

そうする事で、半分だけ新しくなる。

この、半分だけ新しいと言う事こそが、世界が求める新しさであり、良いアイディアの条件だ。

 

まとめ

  • アイディアは、価値が低いが重要な物。例えるなら種や卵。
  • アイディアを育てるとは、形にする為の障害を全て取り除く事。
  • アイディアは、沢山の中から自然淘汰的に選ばないと危険。最後に一人立ちできる強さが必要。
  • アイディアは、組み合わせ。半分だけ新しいのが良いアイディア。

と言うのが、アイディアとの向き合い方でした。

アイディアの作られる過程としては、思いつく前段階で

  • 資料集め
  • 心の中での組み合わせの試行

等があり、それも非常に重要です。

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