お約束の匙加減
あなたは「お約束」と聞いて、どんなイメージを持つだろうか?
- ワンパターン
- テンプレート
- 王道
等の、そんなイメージかもしれない。
世の中には、お約束を避けるクリエイターも大勢いる。
しかし、お約束は別に悪い物では無い。
むしろ、適量なら必要な物だ。
だが、用法容量を間違えると、ろくな事にならない劇薬でもある。
それは「アンチお約束」も同じ事だ。
今回は、そんなお約束の表裏に関する匙加減を話したい。
お約束を避けたい人々と、付いて回るお約束
突然だが『アンチお約束教』と言う宗教に入信するクリエイターには、いくつか宗派がある。
- 他と違う事がカッコイイ派
- お約束は先が読めるから面白くない派
- お約束を逆手に取って風刺する派
大半は、三大宗派に属し「お約束」と言う「大衆的」かつ「世俗的」な物を避けた、あるいは正面から皮肉った創作活動をする事になる。
当然『お約束教』とは、表向き仲が良くない。
どの宗派に入っても、ヒット作を生む事は可能だが、宗教の戒律に縛られ過ぎるとそれも難しくなる。
と言うのも、アンチお約束教の信者の作品もまたお約束に沿って作られる事になるし、お約束教の作品もお約束だけではダメだからだ。
他と違う事がカッコイイ派
この感性で創作する人は、マイナーな物に引き寄せられる。
クラシックが流行っている時のポップス、ポップスが流行っている時のロック、ロックが流行っている時のメタル、みたいな感じだ。
これらは表現が違うが、抽象的な構造は大体同じだ。
音楽なら、イントロ、Aメロ、Bメロ、サビって感じに見ると、どれも似た音楽が基本だろう。
つまり、マイナーならマイナーな物のお約束に、結局は準じる事になる。
その上で、更に尖る人がいる。
他と違う事がカッコイイ派の人の中でオリジナルに走る人は、極めて少数派だ。
オンリーワンを目指す人は、クリエイターと言うよりはアーティストで、創作者と言うよりは表現者に近い。
しかし、そこまで行ってもしつこくお約束は付いて回る。
音楽なら、楽器を自作したとしても弦楽器、打楽器、等の様に分けられてしまう可能性があるし、それは楽譜もだ。
あらゆる「お約束」を排除していくと、一昔前の前衛芸術とか「新し過ぎる何か」と言った「そっち方面」に辿り着き、大衆からの理解は得難くなってしまう。
他人に理解される為には、何かしらのお約束を残しておく必要があると言う事だ。
お約束は先が読めるから面白くない派
この感性で創作する人は、創作物の構造を変えたくなっていく傾向にある。
先が読める大きな原因が、物語の構造が、パラダイムと呼ばれる規範に沿っているからだ。
次にある、大きな原因は定型化した表現パターンにある。
例えば、
- 戦争が終わったら結婚するんだ
- 分からないけど大事な事を忘れてる気がする
- 殺人鬼がいるのに部屋にいろって、バカ言わないで
と来れば、次はどうなるか読めてしまう。
これらに逆らう為に構造的には、時系列シャッフル、時系列逆転、並列進行、様々な技法がある。
シーンの順番を変えるだけなら構成次第で面白い物がいくらでも出来る。
パラダイムを組み替えても、要素の必要さえ満たされれば物語はロジカルに機能するからだ。
表現なら、お約束に該当するセリフや行動を避けたり、あえて演じさせてお約束通りにしなければ良い。
だが「先が読めない事こそ面白い」と勘違いする所まで行く狂信的な信者ともなると、こだわりが一線を越える様になる。
先がとにかく読めない様に情報を極端に減らしたり、前振りや伏線を隠し過ぎたり、お約束では考えられない展開を入れる事で、物語を分かりにくくし、更には散らかしてしまうのだ。
情報は、適量出す必要があるし、伏線は気付けなければ機能しないし、お約束にはお約束なりのちゃんとした理由がある。
先が読めないのではなく、先の読みようが無くなると言う訳だ。
その先に行くと、誰も先を読みたく無くなってしまう。
そうなると、作品としては手遅れだ。
もし、そっち側に行きそうなら、
「先が読めないのが良い物語では無い」
と言う事を、認識しなければならない。
先が見え見えで手に取るようにわかるのは、確かに問題だ。
だが、物語は基本的に、先の展開を期待と予想が出来る。
そういう構成である必要がある。
先の展開を具体的には読めないが、
- 「こうなるだろう」
- 「こうなって欲しい」
- 「こうなるかも」
と言う『先読みと、答え合わせ』を作者以外の人間が出来なくなっているとしたら、その物語は問題を抱えていると考えて良い。
それに、お約束は「これは、この後でこうなる合図だ」と言う約束事と言う側面と同時に、「これは、こういう演出をした方が、この後でこういうシーンを入れるなら効果的になる」と言う先人の知恵でもある。
お約束を逆手に取って風刺する派
この感性で創作する人は、お約束を攻撃したいか、反対に、実はお約束が大好きである。
お約束に対して、皮肉な状況を徹底的に突き詰めていくのが基本のスタイルだ。
お約束を提示し、それを破壊する事で、お約束でありながらお約束から外れた作品を作る事が出来る。
ただ、この宗派の人で、お約束への風刺攻撃を主体としてしまっているクリエイターは、気を付けた方が良い。
お約束が大好きな人の風刺は、お約束への愛もあるので笑えるし、次の風刺の為に次のお約束に物語は繋がっていく為、結局はお約束通りに物語がある程度進む。
だが、お約束への攻撃が目的になってしまうと、誰も求めていない現実感に物語が支配されてしまい、やり過ぎると物語は息苦しい物になって行ってしまう。
そして、最初のお約束への風刺をした後は、先に風刺するお約束が現れない区間が現れたりもする事がある。
それでは、風刺の継続が出来ない。
あくまでも『お約束→風刺→独自の解決→次のお約束』と言う風に物語を回していく必要がある事を忘れてはいけない。
また、お約束への風刺を扱う場合、その物語の読者はお約束を知っている事が求められる事になる。
なので、風刺するお約束がニッチなら、お約束を知らなくても楽しめる様に表現を工夫する必要がある事も忘れない様にしよう。
まとめ
お約束を意識して物語を作る際は、
- マイナーに走るなら、マイナーな上で必ずお約束を入れる。
- 先が全く読めず期待も持てない物語は、先が読める物語より面白くない。
- お約束を風刺するなら、お約束を皮肉る事を目的にしてはいけない。
って感じの匙加減で、お約束を使って創作をするのが良いと言う話でした。
お約束だけでは面白味が無いですが、避け過ぎるのも問題があると言う事ですね。
お約束と新しい要素の両立した作品が、良い作品の前提です。