昔、中国で死にかけたんだけど興味ある?

死にかけて良かった事、悪かった事

数年前、私は死にかけた事がある。

このサイトを始めるより前で、会社に勤めていた時の事だ。

色々と「ひどい」話でこそあるが、ある意味でどこかフィクションの様な、貴重な経験なのでここに記しておく。

舞台は中国

数年前、プロフィール等でも触れた事がある大変お世話になった社長の会社で、まだ務めていた時の事だ。

 

私は、会社の先輩で役員のFさんと、私を会社に誘ってくれた友人で先輩のK君、そして通訳・案内役として同行してくれる事になっていた中国人の先輩同僚Sさんの4人で、中国に出張する事になった。

 

海外出張すると言っても、明確な仕事内容が決まっている訳では無く、かなり大まかにいえば「先を考えての下見」に近い物だった。

プラスで、観光みたいな感じだ。

 

私は、国内なら自転車でツーリングこそするが旅行慣れしておらず、海外旅行も過去に別の仕事や、学生時代の旅行でいずれも中国に行った事があるぐらい。

 

だが、まあ仕事だし、特に中国内の情勢が悪い何て話も無かったので、旅の荷造りだけして、旅券の準備とか旅行保険とかは会社に任せ、何てことなく普通に飛行機で旅に出た。

初日は観光

飛行機が目的地に到着すると、現地でタクシーを捕まえて更に数時間移動。

田舎寄りだったのか建物がぽつぽつとあるだけでだだっ広く「外国感」と言うか、日本では無い異国の空気、黄砂かPM2.5かは知らないが、少しくすんだ景色に何とも言えない気持ちになった。

目的の町についたら日が落ち始め、初日はホテルに荷物を置いて周囲の観光をした。

と言っても、観光と言うほど観光する場所も無く、周囲の店をぶらつく程度だ。

夕食に食べた「肉の茄子のはさみ揚げ」がやけに美味かったのが印象に残っている。

いや、現地の料理は、どれもやけに美味かった。

どれぐらい美味いかと言えば、私は「大の野菜嫌い」で、子供みたいな味覚なのに、写真の料理がどれも美味いと感じたぐらいに美味かった。

まあ、特に事件も無く、初日は移動と観光で瞬く間に終わったのだった。

2日目

朝から皿山もりの小籠包をファストフード店で食べ、車で砂漠へと向かった。

今回の車は予め予約していた現地の運転手さんの物で、砂漠を走れる4輪駆動車。

2日目の目的地は、砂漠を超えないと行けない場所だったのだ。

最初は、長閑な風景が広がっていたが

数十分も車が走ると、周囲は荒野と砂漠の間ぐらいの環境に。

この光景、写真で見ると寂しい物だが、現地に行くと中々感動する。

 

周囲360度が地平線、つまり、半径4キロ内に何もないと言うのは、雄大な自然を肌で感じる事が出来て面白い経験だった。

 

また、楽しいのが、何も無い様に見えて砂漠がかなり凸凹で、そこを車が走るのがジェットコースターの様で、非常にスリリングだった。

 

しかし、私はこの道の記憶が行きの一度しかない。

 

砂地にタイヤを取られた車とすれ違ったりしつつ、かすかな道を進み砂漠を超えて最初の目的地に到着。

 

そこは、現役でシャーマニズムが現存している僻地の村。

 

旅の最初の目的と言うのが「本物のシャーマンに占って貰う」と言う事だったのだ。

 

まだ観光かよ!

ってか、シャーマンってスピリチュアルかオカルトかよ!

 

と思ったかもしれないが、これが大真面目に最初の目的だった。

なんでも、会社の今後を占ってみようと言う事だ。

と言うのも、会社内でそっち系が好きな人がいて、その話の流れでの事だった。

 

ちなみにだが、私は昔から一貫してシャーマニズムに始まる霊的、魔法的、超常的な物に対して、信用も否定もしない中立の立場を取り続けている。

私の持つ魔法感は、下記連載記事が近く、超常的な物は面白いと思うし好きだが、それだけだ。

ムーを読むのは楽しいが、UFOを召喚しようと思った事は無い程度である。

昔、宗教の勧誘をされた時に相手をブチ切れさせた事が数回あると言えば、私がどれぐらい「そっち」にハマりにくいか、少しは伝わるだろう。

 

しかし、ハマりはしないし信用もしないが、単純な興味はあった。

テレビで偉そうな占い師や予言者が未来の予測をしたら、しっかり答え合わせをする様な嫌らしい人種と思ってくれていい。

それは本当だから。

 

興味津々でシャーマンの家にお邪魔すると、日本から来た客人だと歓迎されたのを覚えている。

そこにいたシャーマンは、普通の服を着た普通のおっちゃんだった。

小さな丸テーブルを囲み、運転手さんを含めた、Fさん、K君、Sさん、私の5人と、シャーマンと奥さん、シャーマンの子供、近所の人?や親戚がどんどん増えて、総勢で十数人以上はいた筈だ。

 

歓迎の席で、棚の上に大事そうに飾られていた赤い壺みたいな物がテーブルに下ろされた。

それは、アルコール度数53度ぐらいの酒が入った瓶だった。

どうやら、歓迎の席で振舞われるちょっと良いお酒らしい。

このお酒を運転手さんも含め、酒を飲める全員のコップに並々と注がれ、宴が始まった。

 

勿論、私のコップにも表面張力するほどに注がれていた。

 

 

それまでの人生で私は、酔っぱらった事が一度も無かった。

体質的にお酒にやたら強く、顔にも出ないし、酔ったと言う感覚も僅かにしか感じない。

学生時代は、スピリタス(アルコール90度を超える燃える酒)をジョークで飲んでも何ともなかった。

 

だから、お酒があまり好きでなかった。

酔いにくい私からすれば、割高のジュースである。

 

だが、その席では、飲まないと失礼な気がすると言う、歓迎の圧を感じ、私は周囲の様子を見ながらも水みたいに飲んでいた。

 

すると、歓迎してくれる現地の人たちがおかわりを注いでくれる。

 

言葉は通じないが、酒によって陽気になった場の空気は純粋に楽しく、私を含め、通訳があるからと酒を断ったSさん以外の全員が、何度も乾杯をしてはコップを空にしていった。

明らかに、周囲の人々のタガが外れて行ったのが見え、私はベロンベロンに酔っぱらったFさんやK君を観察しながら食事を楽しんでいたのを覚えている。

 

それから、コップに何度も酒が注がれ、4杯目の乾杯を・・・・・・

 

目を覚ますと、知らない天井が見えた。

時間は、早朝の、確か5時ぐらい。

 

おかしい。

14時間ほど時間が飛んでいた。

体感は、瞬きをした瞬間に時間と空間が跳躍をした感じ。

スタンド攻撃でも受けた様な感覚だ。

 

いや、本当にエヴァンゲリオンのワンシーンみたいだなって感じで、ボケっとした頭のまま、「あれ?」と、そんな事を考えたのだ。

 

私には何本もの管が繋がれ、そこは病院のベッドの上だった。

 

訳が分からなかった。

 

動こうとしても、動けない。

拘束されている訳では無く、両手両足が「在り得ないぐらい浮腫んで」いて、力も入らない。

 

Fさん、K君、Sさんがベッドの脇にいて、意識を取り戻した私の事を心配してくれた。

その3人から事情を聞いて、それらの情報を組み合わせる事で、ようやく自分の置かれた状況が理解出来はじめた。

 

14時間前

 

歓迎の席で、私は急性アルコール中毒で何の予兆も無く急に倒れたのだ。

酒に酔いにくい事が災いし、身体の限界を知らぬ間に超えてしまったらしい。

 

以下、記憶が無いので聞いた話からの想像である。

 

歓迎の席で、コップ並々の53度の酒、その4杯目を空にした。

直後、急に私が静かになったと言う話だった。

記憶が無い。

 

それからテーブルめがけて倒れ、意識を失い、そのまま嘔吐したらしい。

 

何て迷惑な、と自分でも思う。

 

それから、吐しゃ物が肺に入って窒息死しそうな状態に陥り、私は顔色を分かり易く悪くしてぶっ倒れたと言う。

 

それを見て、すぐにSさんとシャーマンの奥さんが気道を確保したり、吐き出した羊肉やら何やらを口からかきだしてくれた事で、ギリギリ命を繋いだ。

 

非常時は肝の据わった女性の方が行動力があるのだろう。

その地方では、急性アルコール中毒で倒れたり死ぬ人が多い為、介抱の仕方は慣れていたらしい。

 

だが、そこは砂漠を超えた僻地の村である。

医者はおらず、そこにいるのはシャーマンのみ。

 

別に、シャーマンと言ってもホイミやケアルを使える訳は無い。

 

ゲロまみれで失禁までして息も弱い、死にかけてる私を助けようと、Fさん、K君、Sさん、そして同じ酒を飲みまくっていた筈の運転手さんは、大慌てで砂漠を横断する羽目になったと言う。

 

Sさん曰く、一人だけシラフで、マジで辛かったとの事。

そりゃそうだと思う。

本当に申し訳ない。

 

運転手さんは、危険な砂漠の道を予定に無い飲酒運転する羽目に。

凸凹の砂漠を猛スピードで移動する事で、身体がはねて首を折らない様にとSさんが私の頭を守るように抑え、なんとか砂漠を抜けた。

死にかけの私と、悪酔いで訳が分からない酔っ払いと化したFさんとK君と、一人シラフで必死のSさんを乗せ、新調したばかりだったと言う新車の4輪駆動車を吐瀉物やら何やらで悲惨な状態にしながら、なんとか病院に運んでくれた。

その話を聞いて、ピカピカの車を思い出し、感謝と共に申し訳なさが込み上げてきた。

 

それですぐに治療されたのかと思いきや、アル中の日本人を診ても得は無いと、一度、病院に断られたらしい。

そこをSさんが粘って交渉し、偶然病院の先生に日本留学経験者がいた事で見て貰える事になった。

 

なんとか現代医療の治療を受けられた私は、命を繋いだと言う事だった。

 

入院

私が死にかける事で、出張の予定は御破算。

会社にも迷惑をかけたが、一緒にいた3人、その中でも一人だけシラフだったSさんには大きな迷惑をかけてしまった。

 

以下、体験して驚いた事だが、ほんの14時間意識を失って、その内数時間を死にかけただけで、人の身体は恐ろしいぐらい衰弱する。

意識が戻っても頭がスムーズに働かず、嫌に疲れたと言うか、気だるい状態から抜け出せない。

手足の浮腫みが徐々に引いても、体力と筋力が低下しているのか、まともに動く事も出来なかった。

 

尿道に刺されたカテーテルは激しく痛み、胃にも管が。

人工呼吸器が邪魔くさい上、咳き込むと、肺から結構な大きさの羊肉を始めとした食べ物がゴロゴロと出てくる。

レントゲンの写真を見せて貰ったが、私の肺は異物で転々と真っ白に染まっていた。

 

既にボロボロなのだが、幸い脳に障害も残らず、4日程度の入院で帰国する事になり、帰国後は日本の病院で見て貰える事となった。

 

ただ、この話はもう少し続きがあった。

シャーマンからの贈り物

シャーマンの家でアル中で勝手に死にかけたのだが、入院中はSさんのご家族やシャーマンのご家族、他にも大勢の人が見舞いに来てくれた。

この点は、人と人の繋がりが希薄な日本と言うか、私の住む東京の感覚とは大きくかけ離れていて有難くも面白かった。

Sさんの知り合いだからとか、歓迎の席に丁度いた人の知り合いだからぐらいの関係性で、わざわざ調子を見に来てくれるのだ。

 

結局、占って貰う事も無かった私を不憫に思ったのか、単純に心配してくれたのか、シャーマンが好意で手製の薬を届けてくれた。

 

ところが、それが私を更に苦しめる事になる。

 

えっ?

シャーマンの薬は、決められた儀式をしたと言う「布片」だった。

誤字ではなく、布の欠片である。

それが『飲み薬』なのだ。

 

その時点で、赤く染められた布をポンと渡され、私は

「えっ・・・・・・えっ?」

と割と真面目に引いた。

 

詳しい手順は忘れてしまったが、儀式で方角毎に決まった物を配置し、香を焚き、布片を燃やして灰にしてから、その灰を飲め的な説明を受けた。

 

私は、好意は嬉しいが、その薬の世話になる気は正直に言えば無かった。

 

まさか、あんな目に遭うとは。

 

お薬の準備完了

入院何日目かにSさんが、動けない私の眠る病室内で、さも自然な事の様に布片を灰にした。

 

当然ながら、儀式の手順通り火をつけたのだ。

病院的に病室内で儀式はOKなのかどうかとか、

「マジで、そこで火を焚いちゃったの?」

とか色々とツッコミたかったが、紙の上に集められた真っ黒い燃えカスになった布片。

 

それを、私を心から心配する表情で差し出すSさん。

 

私は、もう、どうにでもしてくれと意を決して燃えカスを水で一気に喉の奥に流し込んだ。

それから少し時間が経つと、私の身体には明らかに変化があったのだ。

 

つらい

急性アルコール中毒で死にかけた時は、意識が無かっただけに、目覚めてからの辛さ以外は感じなかった。

 

だが、明らかにシャーマン手製の布片の燃えカスを飲んでから、腹痛で辛い。

辛すぎる。

 

こんなに苦しい思いをする為に命を拾ったのかと思うぐらい、弱った身体に手酷い追い打ちをかけられ、どうすれば良いのか分からない。

 

ここまで読んでくれた物好きな人は、燃えカスにやられたと思っているかもしれない。

シャーマニズムに対して疑いの目を向けているなら、それは少し待って欲しい。

 

腹痛の原因は?

すぐに、腹痛の原因と思しき事象が、別件で判明した。

 

私は、中国旅行中に酒かペットボトル飲料以外は口にしなかった。

私の胃腸は丈夫さに定評など無いので、水物には気を使っていたのだ。

 

だが、私は一度だけコップから水を飲んでいた。

 

燃えカスを喉の奥に流し込む為に、お薬セットと共に用意してくれたコップの水を飲んでいたのだ。

その水が、どこから汲まれていたのかを知ってしまい、私は愕然とする事となった。

 

終わりに

その後、私は帰国し、日本の病院で治療を受けて完治した。

咳き込んでも食べ物が肺から完全にでなくなるまで、数週間かかったが、裏を返せば肺に結構な物が詰まっていても人間どうにかリカバリーできる物である。

会社では報告書作成やら挨拶回りで、割と面倒な思いもした。

だが、旅行保険に入っていたので、入院費、交通費、諸々の金銭的なダメージは最小限に留める事が出来た。

こういう時の為の保険だよね。

 

失った体力は、完全に戻るまでに1年近くかかった気がする。

驚く事に、帰宅直後は家から駅まで歩いて移動する事が不可能なほどに体力がなくなっていたのだ。

 

だが、一度、実際に死にかけて見ると、死生観はテレビの生死の境を彷徨った人みたいに一変した。

あれって本当なんだと思ったね。

「死生観、こんなんで変わるんだ」と思いつつ、急性のアル中が原因と言う恰好付かなさが自分らしいとも思ったり。

 

死にかけると言う経験も、悪い事ばかりではないと言ったら、前向き過ぎるだろうか。

 

この件では、記事に登場した全ての人の本当に良くしてもらい、嘘偽りなく全員に感謝している。

 

ところで、最後にクイズね。

『中国の病院のトイレの手洗い蛇口から汲んだ水を、煮沸せずに生で飲んだらどうなると思う?』

答えは、もしかしたら、この記事のどこかに書いてあるかもよ。

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