駄作は俯瞰視点で面白く見るべきと言う話【分析・解説】

駄作は好きですか?

駄作とは、文字通り「駄目な作品」を指す。

出来栄えに、何らかの問題を抱えたまま「完成!」となった作品だ。

より感情的で汚い言葉を使えば、クソみたいな作品の事である。

愚作、拙作なんて言い方もあるが、細かい意味や使う立場によって違うので、この記事では駄作で統一させてもらう。

駄作は、世の中で少ないに越した事は無い。

だが、必ずクリエイターは作った事がある。

駄作を踏まずに名作を完成させるのは、至難の業だ。

しかし、もし駄作と知らずに見ると、憤りと不愉快さに悶絶する事もしばしばだ。

だが、そんな駄作も、実は『メタ』な楽しみ方が出来るエンターテイメントでもある。

そのまま見ても面白くないが「駄作と知った上」で「相応の覚悟」をして見に行くと、そこには違った味わいがあるのだ。

お化け屋敷やジェットコースターの様な、怖いもの見たさに近い。

名作・良作・秀作では味わえない、何とも言えない味わい深さが、一部の駄作には存在する。

王道やパラダイムから大きく外れた作品以外にも、間違った方に尖ってしまった結果、駄作となってしまう作品も沢山ある。

この記事では、そんな駄作を種類毎に分け、例と共に説明していく。

なお、様々な作品のネタバレを含んだ記事なので、ネタバレを避けたい人は読まない事。

あと、筆者の匙加減で駄作をセレクトしているので、好きな作品が駄作に入れられていたら嫌だと考える人も、気分を害す可能性があるので注意してください。

また、駄作要素以外の所では優秀・凡庸な面を持つ作品も当たり前ですが入っています。

駄作の種類

駄作となるには、いくつかの要因が考えられる。

大きく分けて、構造的欠陥と表現的欠陥が主な駄作要因だが、その中にいくつもの細かな要因が存在する。

それが分かると、どうして駄作なのかが分かり、それは裏返せば駄作化を避ける事にも繋がる注意事項にもなる。

構造的欠陥

構造的欠陥は、パラダイムと呼ばれる規範や、当たり前の作法に関わる。

雑設定

雑設定とは、雑な作品設定によって起きる駄作化現象である。

極端な設定の矛盾、描写不足、前振りの無い後付け設定による伏線無しでの新要素、等だ。

良作例と駄作例を見て見よう。

オンラインゲームに入ったままクリアまでゲームをする為に「ソードアートオンライン」では独自のVRゲームデバイス設定とログアウト不可設定、プレイヤーの肉体の生命維持設定が描写されている。

フィクション作品として十分に丁寧な設定が明示され、読者や視聴者は設定に引っかかる事無く作品を楽しむ事が出来る。

一方、オンラインゲームに入っている事実を忘れてゲームをする設定の「ドラゴンクエストユアストーリー」では、長時間プレイの方法、ログアウト方法、プレイヤー主観で無い時のゲームの物語認識等の設定が雑である。

ログイン毎に自分がゲーム世界の住人だと思い込み、ゲームの区切りや時間式で自動ログアウトをするシステム等、設定は考えられるが、あの「どんでん返し」をする為に、その辺の描写は割愛されている。

都合の良いシーンでゲームプレイを一繋ぎに描写しての「どんでん返し」なので描写する尺は無かったにしても、主人公を俯瞰して操作するゲームを主観視点のゲームに変更しても物語として成立する「工夫」が本来は必要である。

前情報の無い一回目にしか通用しない、繰り返し視聴に耐えられない雑な作りなのだ。

※関連記事

他の例で「ケムリクサ」では、ケムリクサやムシの由来と関係が物語の中で明かされ、物語に纏まりがある。

一方の「けものフレンズ2」では、セルリアンが擬態する理由は明かされず、意味があったのかも怪しい。

サーバルの記憶喪失は放置、ビーストの暴走も放置、キュルルの正体も放置、海底火山も放置だし、絵を基にセルリアンが擬態する設定も放置、あらゆる設定が出てくるだけで放置され、まとまりもへったくれも無い。

普通は1クールあれば、何か一つぐらい解明して次のクールへの引きに繋げる等する物なのだが、何も無い事で「虚無アニメ」なんて呼ばれ方をされていたが、実に的を射た表現であった。

一定の体裁が整っているのに、雑な作りで面白くない作品に仕上がっているので、勿体無い限りである。

※関連記事

「ザ・リフレクション」と言うマーベルのスタン・リーが関わった日本のアニメーションが存在する。

独特な絵柄と表現方法で、人は選ぶが見応えのあるヒーローアニメだったのだが、恐らく、タイアップか企画が裏にあるのだろう。

この作品、複数のキャラクターが事件の謎を追い、徐々に集結して最後には大きな事件を全員で解決すると言った内容なのだが、日本の女子高生ヒーローが初期から登場こそするのだが、物語のクライマックスになるまで驚くほど本編に絡んでこない。

なのに、最後に大活躍する物だから、この上なく冷めると言う意味の分からない展開が用意されている。

テーマ、メッセージが一致しない

テーマやメッセージが本編と一致しなかったり曖昧だと、何が原因か分かりにくいですが、まとまりがない散らかった印象の物語になったり、結末に納得が出来ない事になります。

「エガオノダイカ」と言うタツノコプロ制作のロボットアニメは、二国間の戦争を二人の少女の視点で描くと言うスタイルだったのですが、驚くぐらい脚本に纏まりが無く「けものフレンズ2」の陰に隠れて目立たなかったですが、かなりレベルの高い駄作となっていました。

面白くなりそうな要素は沢山あるのに、何を伝えたい物語なのかが全てが浅すぎて逆に分かりにくい、って感じの作品です。

原作改悪

原作がある作品は、原作が作りたいメディアの尺に合っていない事が殆んどです。

例えば、漫画やゲームを映画化したいなら100分前後の枠に、どうにか納めないと作りづらい訳です。

そこで、物語の構成を弄り、登場人物を整理し、メディアに合わせて作り替える訳です。

その際、メディアへの最適化が出来る監督、脚本家、作家等の人々が関われば良いのですが、世の中出来る人ばかりではありません。

別テーマの結末

長い途中や未完の状態で区切りをつけたりする為に、その時点で想定できる結末を用意する事は良くあります。

ですが、既にある材料から構築する結末が、物語のテーマにマッチしているとは限りません。

良い方の例では「鋼の錬金術師」のテレビアニメ版があります。

連載途中にアニメ化された最初のアニメ化で、未完の状態故に途中からオリジナルの展開になります。

オリジナル展開なのですが、脚本が優れていて、その時点で出ている要素とオリジナルの追加要素を使って、上手く物語を結末に導いています。

一方で悪い例になりますが「クロノクルセイド」のテレビアニメ版は、やはり未完の状態でアニメ化し、その時点に存在する要素によってオリジナルの結末に物語が向かいます。

ですが、物語のテーマは途中で脱線し、原作とは180度真逆のバッドエンドに突き進んでしまいます。

原作否定、前提否定

改悪よりも恐ろしいのは、公式が関わる作品での過去の否定です。

「けものフレンズ2」では、前作「けものフレンズ」の旅を否定し、前作主人公コンビの絆をリセットする事で、大きな批判にさらされました。

「スターオーシャン3」では、「1」「2」とナンバリングで続いた世界観を、実はコンピュータの中にある仮想世界での出来事だったと、前作世界の冒険を根本否定する事に繋がる設定を追加してしまい、発売当初は物議を醸しました。

ゲームとして表現されている異世界が、その世界のゲームの中の世界だったと言う前提の陳腐化は、かなり危険です。

「ドラゴンクエストユアストーリー」では、この映画を見て来た時間を全部嘘の話だったと夢オチ方式で否定してくれる事で、大荒れしました。

更に、

  • 敵「ゲームは無駄」→主人公「ゲームは無駄じゃない」→ゲームのキャラ「おめでとう」→主人公「やったぜ」

と言う流れを「主人公が観客をあらわす存在」とした上で、客観的に見せる事によって、メタ的に視聴者に「ゲームは予め用意されたテキストが表示されるだけの娯楽装置で、傍から見るとこんなに空虚」と言う負の側面を叩きつけ、ゲーマーに全力で喧嘩を売っています。

ゲーマー向けの映画で、正気ではありません。

更に、映画関係者がTwitterで「ゲームを卒業して大人になれってメッセージ」的な発言をし、後に謝罪した事でも地味に荒れました。

エンターテイメントとは「フィクションによって真実を語る物」です。

作り物と言う事はプレイヤーも読者も視聴者も、予め分かっていて、分かった上でこそ、そこから大事なメッセージを受け取るわけです。

ですが、フィクションによってフィクションを語って、それを見た人にフィクションを肯定するフリをして否定すると言うアクロバティック過ぎる構成は、根本的にフィクションの楽しみ方を理解していないと言う意味で、質の悪い前提否定作品となっています。

求められていない再利用

求められていない再利用とは、既存の作品をベースに「これもう別物じゃん」と言うレベルの別作品を作ってファンを怒らせるテクニックである。

良い方の例では「メガロボクス」と言う「あしたのジョー」を未来を舞台にリメイクしたアニメがあり、表現的には別物なのだが構造的には原作を踏襲していて、非常に見応えのある作品に仕上がっていた。

原作ファンは別物として見つつも、ニヤリと出来る原作愛を感じさせる演出や再解釈を受け取って、これはこれでアリと、ニッコリの名作である。

悪い例では「アイドルマスターゼノグラシア」がある。

原作はアイドルを育成するゲームなのだが、なぜかゼノグラシアでは原作キャラクターがアイドルと呼ばれる巨大ロボットと絆を育てて鬱屈とした戦いに巻き込まれていく事になる。

単体として見ればダークな雰囲気漂うロボットアニメなのだが、原作ファンからすると「なぜアイマス?」と言う疑問符と憤りが溢れる問題作に仕上がっている。

推しのアイドルが病んだり敵になったり等と、全国のプロデューサーさんの心えぐった問題作だ。

もう一つ「ドラゴンクエストユアストーリー」では「ドラゴンクエストV」を原作としながら、それをプレイするプレイヤーの物語を騙し打ちで描いた事で物議を醸した。

これも上のゼノグラシアと同じで「なぜドラクエ?」と言う、ファンへの無配慮が問題である。

製作者側が既存のコンテンツを「1モチーフ」として見る事で、リンゴをウサギ型にカットする要領でアイマスをロボット物に、ドラクエをVR物に無配慮に変換してしまう。

しかし、これはファンからすると、大事な思い出の写真を勝手にクソコラに使われる様な憤りを覚える暴挙である。

要するに、製作者側にデリカシーが無いのだ。

では、良い方の例で出したメガロボクスがどうして許されるのか?

それは、原作から構造を変えず、原作ファンに細心の配慮をし、原作ファンでこそ楽しめる要素を入れ込んでいるからだ。

表現的欠陥

表現的欠陥とは、表現方法の問題に起因する駄作要素です。

感情表現、文章的表現、画的表現、構成的表現、演出的表現、等で、構造が骨や筋肉なら表現は皮膚や髪と言った外側に露出した部分を主に指します。

お遊戯会、学芸会

これは、プロが作ったとは思えないクオリティの作品に対しての表現です。

お遊戯会や学芸会レベルとなってしまう原因は、カメラマンやイラストレーターの画力、脚本上の文章力や構成力、監督の演出力、役者の表現力に問題がある場合が殆んどである。

大根役者

極端に下手な役者に大役を任せるのは、明らかに愚かな行為だ。

それがキャンペーンやタイアップを理由としている場合は、なおさらである。

役者が本職で無い芸能人が、映画やアニメの声優に挑戦する事で喜ぶ人は圧倒的少数派だし、その演技が当たる確率は更に少ない。

見た目が良いだけの大根役者が演じても、良いのは止め画だけで作品のクオリティは絶望的な物となる。

洋画の芸能人吹替えで、視聴者にプラスに働く事は無い。

「マスク2」のココリコ田中さん、「スーパーナチュラル」の次長課長井上さん、「LIFE」のナインティナイン岡村さん、等々、芸能人としては好きな人でも聞くに耐えられない作品も結構あります。

芸能人側も仕事になるが汚点にもなるので、トータルで得をしない事を演技によほどの自信が無い限りは理解するべきだ。

役者のミスマッチ

「未来のミライ」では、主人公のクンちゃんの声優が合っていないと批判が多かった。

幼い子供の役なのに、女性の声にしか聞こえないのだ。

これは、役者の演技力不足とも言えるが、それ以上にミスマッチによって起きた弊害の部分がある。

幼い子供にやらせたり、演技が上手い役者や声優を使えば解決する問題だ。

幼い子供を演じる為に徹底した役作りと声作りをさせるよりも、適性のある人にやらせる方がはるかに効率的だ。

※関連記事

セリフで説明、結果で説明

物語とは、登場人物の行動でテーマを伝える物です。

ですが、行動の描写は体力を使い、時に難しく、それを避けてしまう事で駄作化が進む事があります。

「ラストエグザイル銀翼のファム」では、戦場の開戦と終戦を描くが交戦を省くと言う荒業を見せてくれます。

この荒業によって、本当に見たいシーンが消し飛び、結果だけが視聴者に示されて、何とも味気ないと言う現象を引き起こします。

時間が無かったのでしょうか?

登場人物の頭が悪い

登場人物の頭が悪過ぎると、視聴者や読者が「こうすればいいのに」と物語の解決策よりも良い最適解を見つけてしまい、冷めてしまいます。

それに、頭が悪いキャラクターが頭が良いふりをしていたり、偉い立場にいるのを見ているのは、かなりの苦痛を伴います。

「縦の勇者の成り上がり」では、敵やライバルの頭がかなり悪く、視聴者は突っ込まずにはいられないレベルです。

王、王女、3勇者は登場頻度がそれなりにあるのに、全員頭が悪くて人によっては、かなりイラつく筈。

すり鉢状の場所に閉じ込められて困っている時に、救援がすり鉢状の底にノコノコ入ってきた時等は、Twitterの実況総ツッコミでかなり面白かったです。

こう言うシーンは、登場人物の頭を本当の意味で良くした上で行動に意味を持たせるか、そうせざるを得ない状況の構築をしてあげるだけで、自然なシーンになります。

「エガオノダイカ」では、一部の登場人物が分不相応に頭が悪い事で、一見感動的なシーンでも水を差してきます。

下手な人形劇

下手な人形劇とは、登場人物の感情や動機、葛藤の大きさに関係なく、物語の都合の良い様に登場人物が動かされている作品です。

「異世界はスマートフォンとともに」と言う作品は、主人公は神様の手違いで死に、異世界に万能のスマートフォンを持って転生する異世界チート転生モノです。

良くある設定のチート部分をスマートフォンにした点で注目を集めた作品ですが、この主人公がアニメ冒頭で神様から状況を説明されて転生するまでの間、感情が死んでいるかのように

  • 「私は神だけど、手違いで殺しちゃったスマン」→「はあ」→「異世界に転生してあげる」→「はあ」→「チートは何が良い?」→「スマホ」→「異世界で頑張って」→「はあ」

って感じで状況を全て受け入れてサッサと転生します。

テンポとしては異常に良いのですが、意見も抗議も無ければ、葛藤も無いので主人公のキャラクターが掴みにくいです。

ただ、主人公の異常性を神様が理解している点は「ちゃんとしている」ので、その点だけまともです。

分析しても意味が分からない

分かりにくい表現は、時に駄作認定を受ける原因となる。

良い方の例では、「2001年宇宙の旅」は狙って分かりにくく作られ、初見では殆んどの人が意味を理解出来ないまま見終わることになる。

だが、一回見た後にテーマ、モチーフ、メタファー、メッセージ等の観点から分析して見直すと、そこでようやく奥深い作品だと分かり、一定の納得が生まれる。

一方で悪い例では「けものフレンズ2」がある。

シンプルで分かり易い物語の様でいて、意味の分からない描写が多々登場し、それらは意味が示されていないが故に相似性のあるどんな物にでも意味を当てはめる事が出来るが、作品を見るだけでは意味の推測が困難で、ハッキリと意味不明な作品である。

画がチープ

予算問題は、いつもクリエイターを悩ませる。

だが、少ない予算であっても身の丈に合ったジャンルを選んだり、工夫によってクオリティを担保する事が出来る。

しかし、作りたい物を作ってしまうのも、またクリエイターと言う生き物。

チープになっても良いから、とりあえず作ると言う精神も時には大事な物だ。

「メタルマン」と言う迷作映画が存在する。

アイアンマンっぽいスーツを着たら脱げなくなったり、そのまま終わったり、とにかくすごい映画だ。

博士のキャラが良いのも見どころ。

パワードスーツ物、と言うか、まんまアイアンマンのパロディを撮りたかったのが分かるのだが、この作品は絵面が恐ろしい程チープで、それが一周回って面白い。

メタルマン以外にも、大作パロディ映画の大半がチープな画で頑張っている。

「トランスモーファー」とかね。

ちなみに、画がチープ以前にパクリと言う誹りは受け付けられない。

だってこのジャンルの映画、隠す気無いし。

他に、サメ映画はチープな絵面の宝庫である。

どう見ても人形のサメ、微妙なCGのサメ、サメ自体ではなくセットが不自然だったり、物理的におかしかったり。

それでもサメ映画はサメ映画ファンの心を引き付けるのは、もはやシンボルとしてのサメに人々が愛着を感じているからなのだろう。

ちなみにシャークネードシリーズは突き抜けていて、かなり面白い。

※関連記事

作画崩壊

アニメーションにおける画がチープとなる現象の悪い奴。

作画者の実力の問題の時もあれば、単純にスケジュールの問題の時もある。

「ロストユニバース」は、伝説的な作画崩壊回が多数ある作品で、その中でも有名なのは第4話で起きた『ヤシガニ事件』だ。

しかし、放映開始当初のオープニング映像が未完成だったり、不穏な空気は最初からビンビン感じられた。

それでも、1998年当時にCGの宇宙船をテレビアニメに出す等、頑張っている部分も多々あったし、物語としては普通に面白かった。

複数を兼ね備えた名駄作

邦画最高峰の超駄作「デビルマン」では、駄作の要素をこれでもかと言うほど詰め込んで作られています。

「けものフレンズ2」はCGのクオリティや声優に恵まれ「ドラゴンクエストユアストーリー」は、どんでん返しさえなければ普通に見られる作品です。

その中で「デビルマン」は、CGは当時にしてはかなり頑張っていましたが、駄作界の王者の風格は未だ衰えず、クリエイターからすると「戒め」の意味でも、もはや見た方が良い作品となっています。

「ハッピーバースデーデビルマン!」とかヤバい。

スポンサーリンク

コメントを残す

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください