羞恥心が物語を面白くすると言う話。

羞恥心をくすぐろう

羞恥心とは、恥を感じる際に湧き上がる「恥ずかしいと言う気持ち」を指す。
登場人物の羞恥心描写は、物語を非常に面白い物にする。
登場人物が恥ずかしいと言う気持ちになると、どうして物語が非常に面白くなるのか?

結論から書けば、それは登場人物の「欠点・弱点・至らなさ」と言った描写に繋がり、そこには強烈な葛藤が発生するからである。

この記事では、その辺について詳しく説明する。

羞恥心は物語を面白くする。

肝心の羞恥心は、どうやって描けばいいのだろうか?

羞恥心のメカニズム

羞恥心が生じる重要な要因として、

  1. 他者から期待される信用・信頼や役割・イメージの存在
  2. 1の期待値に対する、事実の乖離・逸脱
  3. 乖離・逸脱を知らせたくない相手の存在

この3つが必須となる。

例えば、家では良い子だが外では悪い子と言うタイプの人がいる。
その人は、道徳的観点で見ると家では家族から期待されるイメージを重要な物と認識し、期待値から逸脱しない様に良い子を演じている事になる。

期待に応えられない事で、至らない人間だと思われる事への抵抗が発生する。
これこそが「羞恥心」だ。
羞恥心がトリガーとなって、人は行動を起こす。

人間は群れる生き物で、本能的に所属欲求がある。
遺伝子レベルで、群の中で暮らしたいと感じる生物なのだ。
だから、所属したい、あるいは既に所属している「群・グループ・社会」から排斥・排除されない事が重要になる。

もし、求められている期待と現実が、大きく乖離・逸脱をしていて、期待を持っている相手に嫌われるのが怖かったら?


そこで、人は選択を迫られる。

勇気を出して事実を共有するか、時間を稼ぐ為に嘘をつくかの二択を迫られるのだ。

「私は期待に応えられる人間ではありません!」と宣言してしまうか、
「別に、期待に応えるとか余裕だし」と、公的な自己像、つまり所属したいグループの人から持たれている期待との乖離・逸脱を隠し、自己に向けられるイメージがマッチしているかのような偽装と言うコントロールによって、群に所属し続けようとする。

かなり回りくどい言い方になったが、要するに「グループを排除される不安」と言う羞恥心を感じたら、「勇気を出して事実を共有する」か「周囲に嫌われない様に、自分を見栄えよく見せようとする」と言うアクションが自然と起きると言う事だ。

以上の事から羞恥心は、他者からの期待に背くなど、『群からの排斥を想像させる』苦境が未来で予測出来る場面に『自己が置かれていると認識する』事によって喚起される事が分かる。
つまり、実際にグループから追い出されるとは限らないのだが「もしかしたら」を考えてしまった時に、嘘をついて現状を維持しようとする心理状態となるのだ。

更に、期待と現実のギャップによって起きる反応は、他者からの期待が現実を大きく超えた賞賛などでも生じる。
イイ恰好を出来るなら、人は無謀にも勘違いに乗っかる時があると言う事だ。

これが、羞恥心のメカニズムである。

羞恥心と罪悪感

過去の罪や失敗に対する否定的評価、反省的加害者意識。
それが罪悪感であり、非のある行動に対してのみ持つ感情である。

一方で、羞恥心は、相対的であり、非や劣があると感じられる自己の全てに対して持つ可能性のある感情だ。

この事から、羞恥心の方が上位概念で罪悪感が下位概念と分かる。

羞恥心は相対的なので「群」と「良く見せたい相手」次第では、あらゆる事で羞恥心を感じる事が出来る。

罪悪感は主観的な道徳観次第なので、羞恥心に比べて範囲が狭く具体的だ。

羞恥心の特性

相対的な他人を物差しにするので、羞恥心を感じやすい人は他人の目をとても気にしていて、自意識が高く、自尊心に支配されがちである。
結果的に屈辱感から自分を守る為に「嘘・責任転嫁・大事でない人への攻撃的性質」を持ちやすくなってしまう。
羞恥心が大きければ、それだけ自分を良く見せたく、自己を肯定したいと思う事になり、実力が伴わなければ自然と嘘をつく事でしか肥大した羞恥心を覆い隠して守る事が出来ない。

自分が社会的なルールや常識を知らない事でルールに違反してしまったり、自分が望むだけの成果を上げられなかったりした場合に、自分が身の置き所がなくなる。
理想の自分との乖離・逸脱の距離が広がっているほど、自分の首を絞める事になるのだが、羞恥心が大きければ大きい程ほどに、間違いを正す事が困難となる。

この負のスパイラルが自己欺瞞に傾けられていくと、ナルシシズム化が起き、表面は格好つけるが、その内面は隠された地雷だらけとなっていく。

本当の自分よりも、より良く作った自分に安心する様になると、典型的なナルシストとなる。

罪悪感の特性

主観的な道徳観を物差しにする罪悪感を感じやすい人は、自尊心よりも前に罪の清算を求める傾向があり、罪の清算をするには真実のみを口にする必要がある。
その為、自分を本当に良くする為の行動を欲しているので、結果的に善人になりやすい。

だが、罪からの解放を求めて「自己中心的」な姿勢での行動をしてしまうと、結果的に罪悪感を薄める事が出来るが、罪を清算出来ないと言う事態になってしまう時がある。

罪に対して客観性を持たなければ、真の意味で罪と向かい合う事が出来ないからである。

状況ごとの羞恥心

羞恥心が分かれば、そこに必要な状況を構築出来る。

  1. 他者から期待される信用・信頼や役割・イメージの存在
  2. 1の期待値に対する、事実の乖離・逸脱
  3. 乖離・逸脱を知らせたくない相手の存在

と言う3要素を満たすには、

  • 「場所からの期待」
  • 「期待に応えられない登場人物」
  • 「期待に応える動機になる登場人物」

と言う「場所」「期待」「登場人物」が必須だと分かる。

裏を返せば、それだけ設定出来れば、羞恥心描写はいつでも可能なのだ。

場所系

  • 家族:エロ関係、等
  • 友達、恋人:見栄、流行り、好きの裏返し、等
  • 仕事:無能、ハラスメント、等

期待系

  • 豊かさ:年収、自給、仕事、等
  • 見栄え:SNS、ファッション、清潔さ、等
  • 頭の良さ:学歴、経歴、趣味の深さ、等

行動系

  • 道徳:罪、悪、ズル、イカサマ、等
  • 技術:失敗、下手、変わってる、等
  • 知識:ルール違反、無知、知ったかぶり、等
  • 意識:自己中、尊大、傲慢、荒唐無稽、ビッグマウス、等
  • 見た目:ハゲ、肥満、裸、変顔、等

欲求系

  • 睡眠:居眠り、寝言、寝顔、いびき、歯ぎしり、等
  • 食事:食べ方のマナー、酩酊、嘔吐、等
  • トイレ:お漏らし、排泄失敗、紙が無い、排泄物、等
  • 性嗜好:マニアックな趣味、性行為、自慰行為、等

等々の要素の組み合わせでシチュエーションを構築すれば、スタンダードな羞恥心描写だ出来る助けになる筈だ。

 

例えば、トイレに行くが間に合わない様な事態が迫るシチュエーションなら、どうにか漏らさない様にと言う強烈な葛藤を伴うシーンにする事は容易だろう。

漏れそうな時に格好つけたい相手から話しかけられたら、トイレに行きたいが漏れそうなのは悟られない様にしたいみたいな状況を作る事が出来る。

終わりに

羞恥心が感じられる描写がある登場人物は、とても魅力的だ。

恥ずかしがったり困っているキャラクターからは、人間味が溢れる。

一人だと思って熱唱していたら聞かれたくない人がいたら?

それぐらいでさえ、まるで時間が止まる様な恥ずかしいシーンが思いうかぶだろう。

羞恥心は、人の弱さや至らなさを描写する上で、非常に有用なツールなので、是非使ってキャラクターを魅力的にして欲しい。

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