逆算が苦手な人って多い?
肌感で恐縮だが、ストーリーテリングするにあたって「逆算」で創作する人は「積算」で創作する人に比べて少なく感じる事が多い。
なんて言いながら、この記事を書いている私も、昔は積算、いわゆる「積み上げ式・順算」で物語を書こうとしていたし、実際書いてもいた。
どちらの創作法が優れているか、劣っているかと言う話に行きたがる人もいるが、一長一短であり優劣は、そこには無い。
優劣論は、算数で「足し算」と「引き算」のどちらが優れているかを聞いてくる幼い子供の質問の様な物で、問題となるのは「使い所」や「使い方」の方である。
積算式の創作法
積算式、積み上げ式、呼び方は何でも良いが、頭から話を作り始めるタイプの創作法には、こんな利点と欠点がある。
積算式の利点
自由
積算式の創作は、何といっても自由度が高い。
- 1×2×3×……
と続いて、次に「4」でも「5」でも「100」でも配置する事が出来る。
そんなイメージだ。
つまり、
- 冴えない日常を生きている×運命の人と出会った×運命の人と恋人になれるチャンスが巡って来た×……
と続いて、次に「恋人になれるように努力する」でも「相手を振り向かせる為にわなを仕掛ける」でも「告白は成功したが自分の余命が僅かだと分かる」となっても良いし、なんなら「隕石が落ちてくる」でも「異世界に転移する」でも「宇宙人が侵略してくる」でも構わない。
順に積み上げて行くのが基本なので、乗る様であれば何でも乗せる事が出来て、とにかく自由だ。
事前の計画が簡単で良い
物語に限らず創作をする際、最初でも途中でも「こうしたい」や「こうしよう」と言った「計画」が生まれる。
この計画を練る事が苦手な人からすると、積算式の創作法は綿密な計画を必要としなくても「動き出す」事が出来る点で、非常に都合が良い。
走りながら考えて目的地を決められる点は、大きな魅力だろう。
積算式の欠点
処理能力
利点を見て想像できたかもしれないが、積算式の欠点は表裏一体だ。
自由度が高い為、自分の計算能力を超える展開を配置すると、おかしな事になる。
- 1×2×3×4=24
と言う感じの、シンプルな物語であれば、計算は容易い。
シンプルな数字(要素)を積算していくのであれば、欲しい数字(結末)に積算しながら近づける事も余裕で出来る。
しかし、物語を紡ぐ要素で複雑な物を自覚無く積算してしまうと、途端に計算が難しくなる。
- 1×2×3×123456789=?
例は極端にしてあり冗談みたいな話だが、これが実際に積算式物語創作では頻繁に起きる事故である。
時間をかけられれば、積算式でも正しい答えを導ける。
- 1×2×3×123456789=740740734
と。
だが、数字の様に物語は分かり易くない。
締め切りに追われる事も普通だ。
つまり、計算時間に限りがある。
なので、答えは処理能力が低い人ほど曖昧になっていく。
例えば「約7億」みたいな感じで。
物語における、この作者の処理の曖昧さによって、物語は大味になっていく。
逆に、処理が精密であれば物語は精密さや緻密さを兼ね備える事になる。
テーマ察知能力
積算式の創作法は、即興劇の様な処理能力を求められる事が分かった。
だが、それだけであれば良いのだが、積算式の創作法には大きな落とし穴がある。
それは、計算で例えた様に「表現方法が合っている要素」を入れ込める事が出来れば良いが、物語の場合、全然違う物を入れてしまう事がある。
- 1×2×3×四
- 1×2×3×Ⅳ
- 1×2×3×よん
- 1×2×3×ヨン
- 1×2×3×100(2進法)
- 1×2×3×(2+2)
- 1×2×3×8/2
と言った表現のズレ方であれば対応出来るだろう。
だが、
- 1×2×3×猫
- 1×2×3×積乱雲
- 1×2×3×スマートフォン
とまで来ると、もはや連想ゲームかクイズか、表現が違い過ぎる事で「テーマがブレる」事がある。
推理物かと思ったら途中で異能バトル物になったり、柔道をしていた筈が野球物になったり、そういったテーマのブレだ。
積算式の創作法の場合「扱っている物語の要素にあるテーマ」を嗅ぎ分けたり見分ける能力が低いと、処理能力以前に処理する事自体が難しくなると言う事が起きる。
ミステリーやどんでん返しは、かなり苦手
積算式の場合、ミステリー等の答えがある前提の物語を作るのが、一気に難しくなる。
どんでん返しも、計算して仕込む方が遥かに楽なので、既に出てるあの設定が実は伏線だった等の様に自分の撒いた設定を拾い、組み立てる必要が出てくる。
なので、かなり難易度が高くなってしまう。
出来ない事は無いが、積算式でわざわざ作る必要があるのかと言う話になってくる。
逆算式の創作法
逆算式は積算式とは色々な点で対照的だ。
逆算式の利点
進む方向が明快
逆算式の創作は、最初にまず「目的地」を決める事から始める。
積算式が
- 1×2×3×……
だったのに対して、逆算式は
- =100
から決めるのだ。
すると「=100」の前に入れられる要素は、一気に制限される。
仮に「300」と言う要素を入れたいのであれば、それを相殺する要素、例えば「-300」が必要になる事が予めわかる。
と同時に「=100」にしたい物語で「300」が適切かどうかを考える事が出来る。
例えば「恋人と結ばれて幸せになる」が「=100」だとして「300」が「宝くじの一等に当たる」と言うイベントだとしよう。
物語上必要無いなら、その要素は完全な蛇足である。
積算式であれば、筆のノリで「300」を入れる所だが、逆算式の場合は「300」が必要かどうかは物語に必要かどうかで決める事が出来る。
なので「=10000」を目指しているのであれば、「300」は使い道があるかもしれないと判断も出来る訳である。
入れる要素が明快
上で書いた通り、逆算式で考えると、求める答えに近付く要素を「逆算」する事になるので、入れたいシーンや登場人物と言った要素も逆算で配置する事になる。
「この結末にしたいから、これが必要」と言う風に考えられるので、何を入れるべきかが非常に考えやすい。
- =100
ならば
- 4×25=100
- 2×2×5×5=100
みたいに、必要な要素を分解して求める事が出来る。
更に、盛り上げたいシーンを計算して入れ込む事も、長さやペースを調整する事も容易だ。
- 1×2÷3×2÷3×5×5×9=99.99……
勿論、数字と違って文章や絵で物語を表現する上では、ここまで精緻なストーリーテリングは難しく見えるかもしれない。
だが、積算式に比べれば逆算式は遥かに物語の制御がしやすく、物語を精密な機械や芸術品の様に作る事が出来るのは間違いない。
共有しやすい
逆算式の創作法は、創作前であっても共有が楽である。
例えば、積算式は「とりあえずアメリカに行く」だが、逆算式は「自由の女神を見にニューヨークへ行く」と言える。
共作するにしても、作品を見るにしても、内容が、より具体的に分かるのは逆算式の方である。
もちろん、積算式でもある程度の共有は出来るが、共有の為に見える化を試みると、逆算式に寄っていく事になってしまうのだ。
逆算式の欠点
結末の認識が必須
逆算式の創作法を可能にするのは、間違っていても良いので(もちろん正しい方が良いが)目的地とでも呼ぶべき「テーマ」や「伝えたい事」と言った「理想の結末の認識」が必須である点だ。
1から100まで事細かに正確に想像出来ている必要は無いが、ぼんやりとした「目的地の景色」を思い浮かべる必要がある。
そうでないと「=100」なのか「=10000」なのかも、決めようが無いのである。
魔王討伐を目指す英雄譚ならば「=苦難の末、魔王を倒し、世界は平和になりました」なのか「=多くの犠牲が出たが魔王は封印しか出来なかった」なのかで、必要になる要素は違って来てしまう。
この「結末の認識」が重要なのだが、これを私は旅で良く例える。
例えば、旅行に行くとして、あなたは「旅に行きたい」のか「目的があるから旅をする」のか、この感覚の違いは、まま、積算式と逆算式に当てはまる事が多い。
「旅をしたい」と言う人は、最終目的地にこだわりが少なく、経過や経験を楽しむ事が多く、「目的があるから旅をする」人は、目的地に行きたい動機が無いと、そもそも旅自体したくもない事が多い。
ちなみに、私は後者の「目的があるから旅をする」派で、旅は好きだが目的や目的地が無いと非常に動きにくい。
この「旅をしたい」人は、結末の認識に「譲れないこだわり」を持つのが苦手な事が多い。
そのタイプの人からすると、逆算式の創作法は、かなり窮屈に感じる筈だ。
一方で、私の様な「目的があるから旅をする」人は「譲れないこだわり」を動機に出来るので、逆算式の方が楽が出来る。
良くある勘違い
逆算式は小さくまとまる?
逆算式の創作法は、大人しい作品になりやすいと言う人がいる。
これは、積算式創作法の信者に多い言い分だ。
目指す目的地が「小さい」から小さくなるのであって、大人しくなるのも小さくまとまるのも、創作者の手腕が不足しているだけである。
逆算式は予想出来る展開しかない?
逆算式の創作法は、結末から逆算するので入る要素がある程度決まってくる。
これも積算式創作法の信者に多い言い分だ。
予想出来るかどうかは、前後の要素の繋がりが分かり易いか、別の意味を与えられていて分かり難いか、その差に過ぎない。
大喜利と同じで、思いもよらぬ共通点によって要素を繋げる事で予想出来なかったが、共通点を理解すれば納得出来る。
それを答えから実現出来る要素を探すか、要素を見て共通点を探すか、その差でしかない。
結末なんて最初に分かるはずが無い?
逆算式反対派の意見でよく見るのが「結末から作れ」の言葉に「結末なんて分からない」と言うセリフだ。
だが「結末」とは、旅の目的地で言えば最終目的地が分かっていれば、その方が良いが、別に最終目的地だけが目的地ではない。
通過地点、目標地点、中間地点等も、立派な目的地である。
なにも、詳細で完璧なエンディングを思い描く必要は無い。
大事なのは「進む方向」を決められる指針を、どこに定めるかである。
結末から作れとは、出来るだけ遠くの目的地を決め、そこに向かうと言う話であり、具体的な方が良いが、抽象的であっても問題ない。
「結末なんて最初から分かるはずが無い」と言って、目標地点も決めずに歩きだしては、迷子になる可能性が高いのも仕方がない。
途中までで不安でも、怖がらなくていい。
着いた地点から次の行き先を決めれば、どこまでも進んでいけるし、それで良いのだ。
積算式は行き当たりばったり?
話を頭から積み上げて物語を紡ぐ行為は、一見すると行き当たりばったりにも思えるかもしれない。
行き当たりばったりにも出来るが、実は多くの創作者は行き当たりばったりに創作などしていない。
既に持っている創作法の「パターン」や創作者の「得意技」に照らし合わせて、一定のルールに沿って積み上げてストーリーテリングをしている。
例えるなら、テトリスだ。
テトリスは、4ブロックサイズの縛りの様々な形のブロックが、ランダムに選ばれて落下してくるのを、隙間なく整理して並べる事で消して、得点を競うゲームである。
下手であれば、隙間が出来てブロックが天井まで詰まってバースト、ゲームオーバーとなる。
上手くなると、一見ランダムに出てくるブロックを、先を見越した配置をしながら綺麗に配列し、並べては消し、並べては消し、を繰り返してハイスコアを狙える。
積算式の創作は、これと同じで、行き当たりばったりの様でいて、考えた構成がされている。
行き当たりばったりでいいから積算式で創作をするタイプの人は、テトリスが一向に上達しない人と思考パターンが似ているのかもしれない。
つまり、積算式で面白い物語を作り続けられる創作者とは、特定の創作ジャンルにおいてテトリスの達人の様な処理を行っているとも言える。
凄いよね。
終わりに
今回は、積算式と逆算式の創作法のメリット・デメリットについて説明した。
それぞれに向き不向きや一長一短があり、ジャンルによっては向いていなくても使い分ける方が良い事も分かって貰えたと思う。
ちなみに「鋼の錬金術師」「ワンピース」は逆算式寄りで、「ドラえもん」「ジョジョの奇妙な冒険」は積算式寄りで創作されていると言う話だ。
どちらでも面白い物語が作れるのは明らかであり、結局は創作者にどちらがマッチしているかと言う話である。
この記事が、創作で行き詰っている人や、息苦しさを感じる人に、創作法の別の可能性でも示せれば幸いである。