「品」って何?「上品」「下品」の正体とは?

「上品」「下品」とは、具体的に何なのか?

そもそも「品格」等とも表現する「品」。

元は、九品(くほん)と言う中国の物質や人の性質を分類したものがベースとなっている。

上品、中品、下品の3種に加え、入れ子の様に上・中・下品の中にも上・中・下品が存在する9種類があるので、九品だ。

そこから、中国の貴族社会における下等の家柄や地位を「下品」と呼ぶようになった事に由来する言葉である。

要するに「大昔の格付け」である。

では、だ。

現代において「上品」「下品」とは、何を指しているのだろう?

なんとなくは、分かる筈だ。

  • 「あの人は上品だ」
  • 「あの人は下品だ」
  • 「この作品は上品で好きだ」
  • 「この作品は下品で好きじゃない」

みたいな、受けたイメージから、誰でも自然と「なんとなく格付け」していると思う。

だが、なぜなんとなくであっても、共通認識を持って、つまり、他人と示し合わせた様に、大体同じ格付けが出来るのだろうか?

上品下品の正体

結論から言えば、現代の品とは、

  • 上品とは、「体裁を取り繕った状態で、ありのままの状態に見える」
  • 下品とは、「体裁を取り繕わない状態で、ありのままの状態に見える」

をそれぞれ指す。

体裁を自然体で取り繕っている程に上品と見られ、ありのままの状態に近い程に下品と見られる、それだけの事だ。

例を出して説明しよう。

服を着ている状態と、着ていない状態、どちらが上品か?

これ以上、分かり易い例えは無いだろう。

正解は、服を着ている方が「上品」である。

なぜって、裸以上の「ありのままの状態」があるだろうか?

これは「裸だから下品」なのではなく「ありのままの状態を晒しているから下品」なのだ。

同じ様で、違うので混同しないようにしよう。

『下ネタ』が総じて下品なのも、下ネタそのものが「ありのままの状態」に極めて近い為だ。

『犯罪』が下品なのも、多くの犯罪が「欲望や衝動のままの状態」の行動の結果だからである。

逆に『マナー』を使えると上品に見えるのは、マナーと言う「体裁を整えた作法」を使いこなす必要がある為である。

現代の品の成り立ち

大昔の、語源となった九品が使われ、貴族と平民と貧民が生きていた時代を想像して欲しい。

貴族である程、財があり、良い服を着て、良い地位を着て、良い物を食べる事で身体も綺麗で、より体裁を整える「余裕」があるのが分かる。

反対に、貧民である程、財が無く、その為に服も、地位も、整っておらず、良い物を食べられないから身体のコンディションを整える「余裕」も無い。

だから、結果的に「上品」「下品」と言う現代的感覚の状態になっていくのが想像出来るだろう。

貴族だから上品なのではなく、体裁を取り繕う余裕があり、実際に体裁を整えている場合に、上品と初めてなれる。

貧乏だから下品なのではなく、体裁を取り繕う余裕がない為、結果的に体裁を整える事が出来ない場合が多い為、結果的に下品に陥りやすい。

このイメージが「九品」と言う考えが廃れても残ったため、上品下品の共通認識が文明の中に備わっているのだ。

品を操る技術

この「体裁を取り繕う」と言う上品の条件は、先にも書いたが自然体で「ありのままの状態」に見えなければならない。

例えば、誰かがブランド服、高級時計、高級車を持っていたとする。

それらを持っていて「ありのままの状態」であるかのような「所作、佇まい」等が出来れば、受ける印象は見た目だけは「上品」となる。

だが、「体裁を取り繕う」事が誰の目に見ても「ありのままの状態」に見えないなら、そこに上品さは宿らず結果「下品」となってしまうかもしれない。

逆に、言動の「体裁を取り繕う」事が「ありのままの状態」に感じられる場合は、どんな見た目でも「上品」と人の目には映ってしまう。

ボロを着ていても礼儀正しければ、行動だけは上品と感じられるわけだ。

つまり、上品になりたいならば、「誰が見ても体裁を取り繕っているのだが、それが素である様に見える」と言う状態になるしかない。

それが出来ないならば「ありのままの状態」を晒して、どんどん下品になるしかない。

作品の品格について

このブログで、なぜ急に「上品」「下品」をテーマに取り上げたのかと言うと、これは創作にも深いかかわりがあるからである。

創作物にも「上品」「下品」が存在するのだ。

「上品」「下品」に善悪は無く、そこには良し悪しも無いが、イメージコントロールが出来ない人は、大きく損をする。

例えば、隠喩・メタファーと呼ばれる、別の物にテーマを象徴させて表現する手法は、上品な作品を目指すのであれば、必須のスキルとなる。

ストーリーテーマや、ストーリーメッセージを登場人物に直接語らせるのは、下品な手法となるし、キャラクターのセリフ一つ取っても受ける印象は全然変わってくる。

ラブストーリーの山場で「君といると僕は良い人間になれる」と共にいたい気持ちを間接的に語るのと「僕は君の事が好きだけど、君は?」と直接聞くのでは、与えるイメージが全然違うのだ。

上手い作品程、上品と下品を使い分ける。

具体例

例えば、このブログで最近度々取り上げる「ドラゴンクエストユアストーリー」は、クライマックスの部分でデリカシーに欠けた下品を下手に使った好例である。

逆に、ネットフリックスで好評配信中の「全裸監督」は、上手に上品と下品を使っている。

一方で、ピクサー作品は、基本的に上品寄りな作品作りを心掛けている為、誰でも安心して見ていられる。

ジブリの宮崎作品は上品と下品の塩梅が絶妙だし、高畑作品は徹底した上品な作品作りをしている事で有名だ。

ここで指す上品下品は、扱うモチーフやストーリーのテーマでは無く、クリエイターとして好む姿勢や技法の話である。

あまりにも上品に行き過ぎると大衆に受けないが、下品過ぎても大衆には、やはり受けない。

コンテンツの性質から、求められている「品」を選ぶ事が大事なのだ。

ただし、上品なふりをした下品な作品は、碌な事にならない。

終わりに

「品」の話でした。

人は、自然と見る物のイメージで、先入観等の勝手な格付けをする生き物です。

芸術なら上品、エンタメなら下品みたいな個人の持つバイアスによっても、上品下品の感じ方は変化します。

ですが、どちらにしても言えるのは、ありのままで勝負するか、狙って品を操るなら、それは表現としては有利に働きます。

しかし、下品なふりをした上品な作品はウケますが、上品なふりをして下品な作品をつくってしまうと、他人からは嘘つきの見栄っ張りみたいな作品にしか見えないので、要注意です。

ドッキリは「実は大丈夫だった」と言うシチュエーションで終わるからホッとして見ていられますし、驚かされた方もある程度許せます。

ですが、借金があるのに隠されていて「実は大丈夫じゃなかった」と明かされたら、待っているのは修羅場です。

人は、プラスで終わる嘘は好きですが、マイナスで終わる嘘は大嫌いなのが、基本なのです。

正直者か、嘘つきでも必ず最後に得を感じさせてくれる人が、結局は好かれると言う事です。

あなたの、そして、あなたの作品の「品」を正しくコントロールするヒントに、この記事がなれば幸いです。

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