世界の仕組み。上位に下位は従う。

上位概念に下位概念は従う。

下位概念が「犬」なら、上位概念は「哺乳類」、更に上位概念は「動物」「生物」。

下位概念に行くと「チワワ」や「柴犬」等の犬種や、更に下位に行けば個体名等に辿り着く。

概念は上に行くにつれて範囲が広く、曖昧になり、下に行くにつれて範囲が狭く、具体的となる。

この、カテゴリー分けで使われる上位概念と下位概念の考え方以外にも、上位のルールに下位は従うと言うのが自然と言うのが、この世界の基本ルールの一つだ。

今回は、上位に下位が従うと言う事が自然とは、一体どういう事なのかを説明する。

憲法

例えば、多くの国には、基本的な「憲法」が存在する。

この憲法と言う物は、国に住む者が従う事を義務付けられた最も基本的なルールである。

この、憲法に記されているルールこそが、国の中にある全てのルールの中でも上位の概念となる。

あまりにも当たり前だが、この認識が欠けている人は、かなりいる。

例えば、3章11条の「基本的人権」の条項が上位概念のルールで記されている以上、日本の法が効力を及ぼす範囲に置いて、誰一人として例外無く「基本的人権」を侵す事も侵される事も許されない。

その前提がある以上「基本的人権」に抵触し、反する法律も条例も、どんなローカルなルールであっても国内においては違法となる。

存在が許されないのだ。

だが、憲法にある条項に反する事でも、ルールを作る事が出来ると勘違いしている人と言うのは、かなり多い。

その人は、上位と下位が繋がっている事を理解していない。

憲法は憲法、法律は法律、条例は条例、国は国、ウチはウチ、ヨソはヨソ、そう考えている人は、そこら中に溢れている。

だから、ブラック企業の社則やブラック校則と言うモノが生まれる。

言ってしまえば、憲法や法律に反するルールを使っている人達は、「悪人」か「バカ」のどちらかである。

それらは、より上位の法的拘束力を持つ法律や、さらに上の憲法に逆らっていれば、取り締まり機関や法執行機関に知らせれば是正対象となる。

つまり、上位のルールに逆らえば、罰せられたり、正されるのが、世界を支配しているルールなのだ。

憲法は、人が作り施行するルールの中では、かなり上位の概念になる。

だからこそ、それを変える事には、慎重を期す必要がある。

それまで長らく使ってきたルールが、憲法一つを変えるだけで下位概念全てに影響を与える程の影響力があるから、憲法改正に対して皆が大騒ぎをすると言う訳である。

空気

驚く人もいれば、なんとなく察している人もいるかもしれない。

空気、雰囲気、と言うのは、上位に下位が従う物の一つだ。

例えば「指導者の不正」を隠すのは、この空気作りの為である。

指導者が不正をして、それがまかり通ると言う空気が世間を包めば、下位は上位に従う事になる。

つまり、上位から下位へと不正が連鎖するのだ。

上位が不正をしなければ、そんな連鎖は発生する事も無い。

だが、指導者は、所詮は人間だ。

潔白でいる事が難しいらしく、不正に手を染める事がある。

そして、それを隠す。

だが、不正は法律で禁じられている場合が殆どだ。

そうなると、不正を正す動きが、必ず存在する。

上位の存在であっても、その上にある従わなければならないルールには逆らえない。

不正は暴かれるが、それを指導者が不正の上塗りによって誤魔化す事がある。

上位の力を使い、下位や同位に影響を与えてもみ消そうとしたり、邪魔をしたり、方法は様々だ。

すると、面白い事に、下位は上位に従う為に「不正をして暴かれ、それを誤魔化す所」まで自然と真似をする様に従うと言う現象が起きる。

この、空気の連鎖は、上位にある法律を超越して、空気として社会に浸透する、かなり厄介な存在だ。

空気の連鎖を止めるには、上位を適正に裁くか、上位に従わないと言う莫大なエネルギーを、下位が払う必要が出て来る。

そうなると、上位に従う人達は、不正を見て見ぬふりをしたり誤魔化して、得をし、上位に従わない人達は、疲弊し、いらぬコストを払わされ、損をする事になる。

この、上位の空気は、上位が正しい行いをすれば、下位も正しい行いをしやすくなる様に伝染する性質を持つ。

つまり、上位に下位は従うのは、概念や法律だけで無く、空気も同じであり、社会が腐敗する大きな理由は上位の「腐敗」や「無能化」によるところが大きいと言う事なのだ。

つい先日まで話題になっていた「香港デモ」は、非常に興味深かった。

香港の場合、中国政府と言う上位概念の支配に抗う為に、下位の民衆が逮捕される事も辞さない大規模デモと言う莫大なコストを払い、それでやっと法改正を白紙に戻した。

上位に下位が逆らう事は、これぐらい大変な事なのだ。

これは、香港だけの話では無く、EU離脱でいまだに揺れるイギリス、トリッキーな動きが話題となるアメリカのトランプ大統領、内閣改造や数々の不正疑惑が話題となる日本の政界、どれも上位の判断や醸し出す空気が下位に影響を与えている。

そして、逆らうのはかなり難しい。

思想、意識

上位の存在の姿勢は、空気と同じく、そのまま下位に影響を与える。

理想を語る事・追う事を許す姿勢なら、下位は理想を追い求める事が出来る。

だが、現実を見ろ、大人になれ、冒険をするな、失敗を恐れろと言う姿勢ならば、下位はそれに従う事を強いられ、逆らうには莫大なエネルギー必要とする事になる。

上位が嘘をついて平気な顔をしていれば、下位もまた嘘に対して抵抗が小さくなっていく。

つまり、上位の概念や、ルールや、存在とは、下位に対して多大な影響を与えると言う意味で重要であり、だからこそ能力だけで無く上に立つ者には「人格」や「思想」などの多くの物が求められるという訳である。

上位存在が、人格的・品格的に大きな問題があると、下位にそれが影響を与えてしまうのだ。

他に、上位が能力主義に偏重すると、下位は全てを能力や成果で判断する事が普通になる。

上位が関係主義に偏重すると、重要な役職も選択も上位の関係者を優先する様になり、下位は蔑ろにされる。

すると、下位は、それにもしっかりと影響を受け従い、下位の中で関係主義が普通になり、より下位が蔑ろにされる負の連鎖が起きる事もある。

上位が下位に与える影響は、正も負も連鎖反応を起こし続ける事は重要なポイントだ。

上位に求められる物

概念にしても、ルールにしても、存在にしても、上位に求められる物は下位にまで浸透して問題の無い「普遍的な価値」が第一に求められる。

例えば、生物の普遍的価値は「生きていて、子孫を残せる」と言う要素がある。

これは、以下の下位概念が従っても問題が無い普遍的価値だ。

同時に、従わなくても自由である。

従った方が、生物的に得な普遍性である事が重要なのだ。

憲法なら、基本的人権は下位の法律にしても条例や社則校則にしても、全てにおいて普遍的な、下位が従っても問題が無い普遍的価値がある。

この価値は、守らないなら、法律によって罰せらえる。

自分は人権を主張して、他人の人権を蔑ろにする事は通らない。

他人の人権を優先して、自分の人権を蔑ろにする事も通らない。

基本的人権に始まる憲法のルールは、国にとって、そこに住む国民にとって、その様な普遍性を持った価値の集合体なのだ。

つまり、上位に求められる物は「下位が上位に従う事で、概念やルール内の全員が得をするか平等性、公平性を保たれる物を下位に引き継ぐ事」と言う事になる。

この考えが抜け落ちると、上位は下位から搾取する様になる。

上位に下位は従う事が普通なのだから、上位がめちゃくちゃな事をすれば大半の下位はそれに従わざるを得ない。

上位は、一時的に潤い満たされるが、長期的に見ると下位がボロボロとなり、潤いは一時的な物でしか無い事が分かる。

民主主義、独裁主義、社会主義

社会システムは他にもあるし、上手く行く例も腐敗例も沢山あるが、一例までに。

民主主義が上手く機能すると、社会全体がそれぞれの信じる上位の考えに従い行動し、緩やかだが成功も失敗も本人が納得した上で社会がまわる様になる。

社会主義が上手く機能すると、社会システムと言う上位の管理者に従い、公平性や平等性が高い社会に近づいて行く。

独裁主義が上手く機能すると、社会全体が頭の良い指導者と言う上位存在に従って全てが動き、すばやく社会が動く。

一方で、民主主義が腐敗すると、社会全体が信じる上位を失い、自分勝手に行動し。社会の中には小さな独裁者が何人も生まれる。

社会主義が腐敗すると、上位の管理者が事実上の独裁者となり、下位は公平、平等に疲弊する事になる。

独裁主義が腐敗すると、頭の悪い指導者によって国は振り回される事になる。

これらの成否は、上位のルールや、存在の優秀さや、人格によって左右される。

民主主義

民主主義は民主主義のルールと言う上位を民衆と言う下位の存在が理解しないと機能不全を容易に起こす。

なので、実は民主主義はシステムとしては非常に高度で難しい部分がある。

そこで、民衆の代表を選ぶ事で下位の民衆がルールを深く理解しなくても代表者が代わりに執り行う事でシステムとして正常に機能させようとするのが一般的だ。

だから、議会や国会と言うシステムが重要になる。

国民全員の頭が良い訳ではないから、頭の良い代表に代弁して貰うのだ。

このシステムによって、民主主義はスピードが遅い代わりに下位の満足度が高くなりやすい。

なのだが、一転腐敗が始まると、表面的には緩やかに腐るのだが、賄賂や汚職がはびこり、悪いと国自体が機能不全に陥っていく。

腐るスピードも遅いと言う事だ。

社会主義

社会主義は、民衆第一と言う民主主義の対極、社会が上手く回っていれば民衆は幸せになると言う共同体第一主義の考え方で、上位は共同体の管理者と言う事になる。

こちらも、上位の管理者がルールを上手く作り下位を従わせる事は理論的には可能だ。

問題は、上位が所属する人を幸せにする為の共同体であって、共同体を維持する為に人を従わせると言う本末転倒な状況になると、平等や公平の線引きを間違えて無理に働いても意味が無い状況を作ったり、民主主義よりも腐敗して限界が訪れるスピードが早い。

独裁主義

独裁主義は、上位に一人、あるいは少数の有能な存在を置き、スピーディに判断を下す事が出来る。

しかし、正しい判断が行えれば良いが、上位の頭がよく無い場合に、下位に及ぼす影響にまで意識が回らなかったり、そもそも下位が死のうがなんだろうがどうでも良い上位と言う場合もあり、人格者の天才がいれば全員ハッピーだし、クズのバカがいれば全員が地獄を見る事になる。

歴史を見ると、クズのバカが独裁者になる確率はそれなりにあり、その場合、大抵は大惨事を引き起こす。

終わりに

世界は、上位に下位が従うのが自然、と言う大原則で動いていると言う話だった。

では、上位が間違っている場合に、下位は高いコストを払って抵抗する必要があると言う事だろうか?

それは、ケースバイケースである。

香港の場合は、愛する香港を守る為に人々は危険を冒してまで抗議活動を行った。

だが、上位の共同体や、国に思い入れが無かったり、正す為のコストが高すぎると感じる場合は、別の概念やルール、存在が支配する場所に移動すると言う方法もある。

家族に問題があれば一人暮らしすれば良い、会社なら転職でも独立でもすれば良い、地域なら引越せば良いし、国なら国外だ脱出も手段としては十分現実的だ。

重要なのは、その場で盲目的に上位に従う事では無く、上位に従う事が自然で、下位が逆らうのには莫大なコストが必要となり、その選択が出来るうちに上手く立ちまわる必要があると言う事を認識する事だ。

基本的に、上位に問題がある組織や共同体に入ったら、大半の人は従わざるを得ない。

その場合、危険や不満を感じるなら、クーデターの計画よりも逃げる方が遥かに効率が良い選択である。

それでも戦ったり、抗議活動をする人は、逃げられない、あるいは逃げたく無い理由がある場合に限られる。

下位は上位に従う。

あなたは、どんな上位に従って今があるか、また、どんな下位に影響を与えているか、これからは考えて行動を変えたりするのも良いだろう。

尚、こんな内容の記事だが、創作世界の中でリアリティをアップさせる為に、主に考え方を適用して貰えればと思って書き始めた次第である。

もちろん、創作以外にも適応できる基本的な考え方なので、意識した事が無かったと言う人は記憶の片隅にでも留めておいて貰いたい。

スポンサーリンク
広告

コメントを残す

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください