超大事な視点「自然」
2019年10月3日。
オックスフォード大学で日本学を専攻しゴールドマン・サックスで日本経済の「伝説のアナリスト」として名をはせたデービッド・アトキンソン氏の東洋経済オンラインに掲載された記事『この法律が日本を「生産性が低すぎる国」にした。アトキンソン「中小企業基本法が諸悪の根源」』が話題になった。
内容としては、
- 日本に足りないのは、「徹底した要因分析(原因究明)」
- 日本が出来ているのは、「直観と直接的(運と表面)」な分析のみ
- その結果が、今の「非効率的」な日本社会
- 大きなターニングポイントは1964年(東京オリンピックの年)にあった中小企業基本法と言う「救済法」にある
- 中小企業である事にインセンティブ(得)を与えてしまった為、中小企業のまま「成長を歪める」中小企業が多く出る結果となった
- 健全な効率化を計れば、大企業に「成長」していく所にブレーキをかける皮肉な結果となった
- 「表面」ではオリンピックで好景気感があったが、「裏面」の実態は景気減退だった
- 外資脅威論から「守り」の姿勢を強めた結果、閉鎖的な経済圏が構築されて行った
と、抜き出せる。
氏が言いたい事は「非効率的な構造になる原因にメスを入れないと、表面を幾ら変えても問題は解決しない」と言う事だろう。
この分析は
内で詳しく読む事が出来る。
とは言え、世の中には分析に対して、否定的なコメントやレビューも見られるし、その意図も理解出来る。
そこには「最低賃金の研究のエビデンス(証拠)が否定されている」と言う物や、「全てが大企業化して中小企業が無くなると味気ない」的なコメントもちらほら見られた。
否定・批判的な意見も、肯定的な意見も、私はどちらも理解出来た。
その上で、氏の分析だが、客観的に見てかなり的を射ている様に私は感じた。
その理由が「全ては自然に向かう」法則に逆らっていない為である。
全ては自然な状態になろうとする
この基本法則は、かなり強力だ。
「重力に引かれて物が上から下に落ちる」のが基本である事と同じぐらいの大原則である。
『基本的に』と言う枕詞のあとで、
- 上位に下位は従う
- 環境に集団は従う
- 代表がルールを作る
- ルールにも集団は従う
- 集団に個人は従う
- 損より得しようとする
- 長期視点より短期視点で判断する
- 苦労より楽を選ぶ
- 思考より行動を選ぶ
- 行動より諦めを選ぶ
- 変化より現状維持を選ぶ
- 天才より凡人の方が多い
- 手段が目的化すると失敗する
- 目的を誤った権力は腐敗する
- 嘘は早く良く効く代わりに副作用がある
- 難しいより簡単を選ぶ
- 簡潔より複雑にする方が簡単
- 面倒より単純を選ぶ
等々の特性がある。
それを踏まえ、氏の分析に触れたい。
- 中小企業「救済法」が大きな原因
と言う分析だが、これによって「自然に向かう」事で何が起きるのか?
- 中小企業である事で救済されると言うインセンティブが発生する
- 大企業になった方が確実に得をする状態の一部の企業を除き、大半の中小企業は中小企業の状態を維持しようとするだけでなく、中企業に近かった大企業が規模を縮小して中企業化を計ってインセンティブを得ようとする
- 結果、企業の成長が阻害され、キャップを自ら付けたまま経営を続ける事になる
ここで、インセンティブによって救われる企業と共に、インセンティブで得をしようとする企業が大量発生すると言う問題が起きる。
これは、パート・アルバイトで年収100万や130万、150万の壁と似ている。
年収が低い人への救済が、ボーダーライン上の人達に損をさせたり、損をする感覚を与える事でキャップとなり、それ以上を確実に稼げない人達の経済活動参加への壁になるわけだ。
これは、年金と生活保護にも言える問題でもある。
一定額以上の年金を払い続ける能力が無い人は、生活保護を受けてしまった方がインセンティブが高いと言う状態なのは、多くの人が既に知っている事だろう。
つまり、どちらも「弱者救済を一律で行う為に弱者限定で制度を手厚くした結果、弱者である方が得をする」歪な状況を作ってしまっているのだ。
となれば、自然になろうとする力が働けば、当然だが楽で得をする方に流れて行く。
成功したくても、そこまでの道のりに「弱者の方が得をする期間が長い」事で、苦労するぐらいなら現状維持が楽だと選択する事になる人も出てくる。
それが自然だ。
その結果、優秀な人以外は弱者から脱出しない方が、不満はあるが微妙な得をする社会が出来上がっていくのだ。
都合の良い部分を自然な状態にする事が真の「効率化」
では、この一律の弱者救済制度にメスを入れ、キャップを外すとどうなるか?
当然だが、氏の言う様に効率化の作用が働き、人々は働いた方が得する状況になるだろう。
そうなれば、長い目で見れば賃金もアップする事は間違いない。
だが中小企業は、自然淘汰される事になる。
ここで、多くの人が勘違いしているのが、中小企業が完全に無くなるのでは無いかと言う事だ。
そんな事は制度が輪をかけて余程おかしな事になって無ければ、あり得ない。
まず、救済制度が無ければやっていけなかった中小企業が淘汰される事になる。
他の企業に吸収される事もあれば、ただ単に潰れる事もあるだろう。
それが、比較的短期的に起きる。
そこで、ニュースは制度の改悪を叫ぶだろう。
だが、起きるのは、あくまでも自然淘汰である。
経営が下手か、運がなかったか、時代にマッチして無いか、そんな企業が潰れたり買収されて行く事になる。
好きな企業や残したい伝統的な企業が潰れる危険性も当然あるが、自然淘汰に関しては自動的に行われ、全てが救われる事は無い。
それは確かに恐ろしい事だが、自然に従うと言う原則に逆らって救済し続けられるのは、救済者に余裕がある時だけだ。
残念ながら、日本は救済がとんでもなく下手な国な上に、救済する余裕を刻々と失って来ている。
全てを救済するには、時間もお金も、既に無駄な所に支払い過ぎたのが現状だろう。
都合の良し悪しを計るには、あまりにも多くの物を無駄にしてしまった為、都合の悪さも許容する選択肢以外は、どんどん減っている。
だが、起きる事は都合の悪い事だけでは無い。
救済制度によってキャップを被っていた中小企業は大企業になり、その他の中小企業はそのまま維持されつつも効率化をそれぞれ目指す。
それが、長期的に起きる変化だ。
肥大は駄目だが、成長は健全
経済活動は、ある程度の規模までは大きくなる程に効率化される事になる。
効率化すれば、効率的に企業はお金を稼ぎ、質が高いサービスや製品を安く供給し、従業員や関係企業は効率的に儲ける事が出来て、それが更に経済を回す事になる。
自然淘汰によって中小企業が吸収されたり潰れた事で、生き残った中小企業の出すサービスや製品は選ばれる確率が上がり、それでも選ばれないなら遅かれ早かれ自然淘汰される。
そんなに上手く行くわけがない?
正直、私もそう思うところがある。
今の日本で、氏の言う改革のみを強行しても、それ以外の部分でブレーキが働く事が容易に想像出来るからだ。
手厚すぎる弱者救済による弱者が得をする社会化は、他にも多くの制度によってガッチガチに固められ、そこには既得権益も発生しているし、変化を嫌う人、自然淘汰を恐れる人の多さを考えると、どこから手を付けたらいいのかと言う問題だ。
ただ、一つ言える事があるとすれば「全ては自然になろうとする」力は強力で、法律や制度で小手先の変化を起こしても、氏の言う要因分析による原因からの根本解決を行わない限りは、上位に従って停滞を続けて行く事だけは間違いが無い。
停滞の先にあるのは、停止、つまり死だ。
嫌でも動かなければならないのが自然なのだ。
停滞の原因
日本を取り巻く多くの法律、制度、空気が「内向き」に働いている事は、多くの人が既に気付いているだろう。
「守り」の政策は、それが関わる全ての物に「守り」の方が得をする状況を作りだす。
上位に下位は従うからだ。
この流れは、日本のみならずどの国でも起きている。
アメリカではトランプ大統領が徹底した内向き政策に舵を切り、イギリスではEU離脱のタイムリミットが迫っている。
「守り」は、調子がいい時には役立つが、不調の時に行えば、どんどん選択肢が失われる延命措置にしかならない。
一部の人は「攻め」に「外向き」に抗うが、その人が上位の環境以外には関係が無い。
不調の中で「守り」のルールに縛られると、一種の閉ざされた環境が形成される。
それこそが日本の場合、ガラパゴス化や島国根性と呼ばれる物だが、この「内向き」の行動を続ければ、瓶に溜めた水が淀む様になっていく。
これは、環境を考慮しない不調時の「守り」には、タイムリミットがある為だ。
国の場合、鎖国でもしていない限りは環境は世界となる。
世界と言う環境に囲まれている以上は、嫌でも外向きの政策が必要となる。
日本と言う瓶の中の水は、かなり淀み、少子高齢化と経済成長停滞によって泳いでる魚の元気もない。
だが、日本は新鮮な水や魚を瓶に入れる気も無ければ、大海に出てやっていく気も無い風に思える事の方が多い。
絶不調の今、根本解決をはかるには主に「守り」「内向き」の姿勢を全体的に「攻め」「外向き」の姿勢が得をする、環境にマッチしたルールにある程度揃えてやる必要がある。
「内向き」で通すなら鎖国するぐらいの振り切り方が必要だが、世界は既にインターネットで繋がり、更に、日本にはエネルギー問題が山積している事で、外国との関係を今更断ち切ると言う選択肢は、現実的では無い。
台風による千葉大停電によって、電気に依存している事が、より明確になった今、利便性を捨てて鎖国を選ぶ人は圧倒的少数派だろう。
そうなると、環境に順応する為に「外向き」の政策によって、自然な状態に近づけた方が、結果的には何かと楽になる可能性の方が高い。
いや、高かったと言う方が正確かもしれない。
例えば、最低賃金のアップは、不当に低い賃金で労働をさせる企業への対策であり、本来的には仕事内容にマッチした賃金を払うのが最も適切で自然と言える。
そうなると、最低賃金を上昇させただけで仕事内容をアップデートしていない、または出来ない仕事は、企業側の負担が大きくなる。
逆に、賃金相応の仕事内容にアップデートした場合、今度は働く人側の負担が、スキルやキャリアを求められる分だけ大きくなる。
だが、失われた30年の間に人を育てず、安く使いつぶしてきたのが日本である。
賃金相応の人材は少なく、その状態で最低賃金を引き上げれば、条件がマッチしない事による人手不足が起きる事は当たり前と言って良い。
高い最低賃金を払いつつ、使える人材に育てると言う高いハードルを企業に強いる結果をもたらしたのは、舵取りを間違えた日本政府の責任による所が大きい。
韓国では、最低賃金引上げを行った結果、一人当たりの労働時間が削られる事で貧困に拍車がかかった。
つまり、高い賃金を出して惜しくない人材を作らず、多くを使いつぶしてしまった後で、最低賃金の上昇を国策として行っても増えるのは企業と労働者の負担だけで、小手先ばかりでは根本解決にはならない事は、うっすら分かってきてしまっているのだ。
結局、上位に下位は従うのだから、責任を上位が負わなければ下位も従い様が無い。
よって「攻め」の姿勢にしても、世界と言う環境の中では依然として苦戦を強いられる事は覚悟した方が良い。
弱者が得をする不公平を、誰もが得をする公平に変えるには?
映画「バットマン ダークナイト」でジョーカーが言う名セリフに、こんな物がある。
I’m an agent of chaos.
Oh, and you know the thing about chaos?
It’s fair.
日本語訳では、
俺は混沌の案内役だ。
なあ、混沌の本質が何か分かるか?
それは、公平だ。
だ。
これは、一つの真理である。
例えば、押すと100万円が貰えるボタンがあったとしよう。
お金は確実に貰えるのだが、押すと同時に世界中の誰かが自分も含めて公平にランダムに何人か死ぬとしたら、そのリスクを冒せるだろうか?
世界でランダムに1人だけ死ぬなら自分が死ぬ可能性は低いが、それでもリスクはある。
自分以外にも知り合いや、知り合いの知り合いが死ぬ可能性もある。
そう考えると、公平の恐ろしさが分かると思う。
公平とはつまり、見方次第では「安全地帯(得をする場所)を作らない」と言う事だ。
誰でも成功すると言う事は、誰でも失敗する可能性を持つと言う事でもある。
だから、公平は怖く、混沌を生み出す。
そこで話を戻し、内向きの守りの政策をやめ、外向きの攻めの政策に舵を切り替えた時、今まであった弱者救済が無くなって自然淘汰が公平に起きる。
そうなれば、公平性によって自然淘汰される人たちは、当然だが反発する。
安全地帯だと政府が言うから留まっていたのに、安全地帯が急に他と同じ危険地帯になったのでは、順応できない人は、どうやったって生き残るのが難しい。
ベーシックインカムの利点
そこで、一部の人が推し進めようとしている作戦が「ベーシックインカム」である。
全国民に定額(7万円前後が良く聞く設定額)を配る事で、ベーシックインカムなら「弱者が得をする」キャップを作らずに、弱者救済をしつつ、経済的成長も効率的に見込める助けになると考えられているからだ。
ベーシックインカムによって、誰も働かなくなる心配をする人もいるが、フィンランドで行われた実験では、人々は少なくとも働く事をやめなかった。
2年限定の実験だったので、だからやめなかったと言う可能性も考える事は出来るが、こればっかりは実際に試さないと結論が出ない。
それでも、ベーシックインカムの方が中小企業救済法、年金と生活保護、パートの100万円の壁よりも、人々に貧乏でいる事のインセンティブを与えない分だけまともに思える。
全員に7万円を配ると言うのは、全員に7万円得する状況を作る事で不公平さを無くし、実質誰も他人より得をしないのに弱者救済も出来ていると言う事だ。
もちろん、ベーシックインカム理論が万能と言うわけでもない。
守りの政策と併用したら、かなりの確率で選択弱者を量産するのは目に見えている。
働いた方が得な政策で、環境を根本から変えて、良い意味で公平な市場にしない限りは生活保護と同じ様な歪みの原因になりかねない。
まあ、ちゃんとしたとしても、全体2割の比較的頭の悪い人は働かなくなり、国にとっての荷物になるかもしれないが、8割の凡人と天才には働いた方が得な環境が出来るのは、かなり健全になる可能性を秘めているので、そこは許容する必要が出てくる事は予想されるだろう。
それでも少なくとも、より環境にとって自然な状態を目指した方が、効率性が高まる事だけは間違いない。
おわりに
「要因分析」が超重要なのは、物事を改善する為には「原因の特定(あるいは推理)」が不可欠である為だ。
既に表出している問題を、深く「なぜ?」と考えず、個別に解決しようとしても、効果の薄い対処療法以上の事が出来ない。
もし体調が悪いなら、専門医が原因を探して治療を試みた方が治る可能性が高い事と同じである。
とにもかくにも、様々な制度によって弱者の方が微妙に得をするかのような社会環境であるうちは、社会主義国が大昔に通ったのと同じ過ちを、ゆるく長いスパンで日本は体験する事になるだろう。
報われ辛い社会では、頑張るよりも弱者に留まった方が短期的には得をする以上、その流れは止められないのである。
そして、そこで起きる基本的な事は「全て自然に向かう」のだ。
是非、日本を仕切る上位の人には、大原則を理解して法整備を行い、報われやすい社会を構築して貰いたいと思う。
やたらと長文の記事になった気もするが、半分勢いで書いた拙い文章をここまで読んでくれた事に、もれなく感謝したい。
最後に、取ってつけたようで恐縮だが、この法則は物語創作の上でも超重要なルールである。
おまけ
- 上位に下位は従う(上司と部下、強者と弱者、等)
- 環境に集団は従う(寒い地方では皆が厚着、等)
- 代表がルールを作る(末端の決めたルールは誰も従わない、等)
- ルールにも集団は従う(憲法、法律、制度、等)
- 集団に個人は従う(国、会社、家族、スポーツ、等)
- 損より得しようとする(同じ物なら安い方が良い、等)
- 長期視点より短期視点で判断する(今貰える100万円と10日後に貰える101万円どっちを選ぶ? 等)
- 苦労より楽を選ぶ(真実を話すか嘘をつくか、等)
- 思考より行動を選ぶ(考えなくて済むなら殴って解決、金で解決、等)
- 行動より諦めを選ぶ(解決を目指すより泣き寝入り、等)
- 変化より現状維持を選ぶ(愛着、面倒、等)
- 天才より凡人の方が多い
- 手段が目的化すると失敗する(国民を幸せにする為ではなく国を維持する為の消耗品と国民を考える、等)
- 目的を誤った権力は腐敗する(立場の責任と義務を果たさずに私腹を肥やしたり、忖度したり、等)
- 嘘は早く良く効く代わりに副作用がある(聞こえが良いが実現は限りなく不可能、実態が無い、等)
- 難しいより簡単を選ぶ
- 簡潔より複雑にする方が簡単
- 面倒より単純を選ぶ
