なぜ正論は求められないのか?

正論に足りない視点

正論ほど「正しい」のに、他人に求められない物は無いかもしれません。

正論は、基本的には正しい物です。

なのに、なぜ煩わしく、時に人を不快にするのでしょうか?

今回は、正論が何故「ダメ」なのかと、正しい使い所を説明します。

正論=論理

正論とは「正しい論理・理論」によって構成されます。

つまり、ロジカルに考えれば、それは必ず正しいのです。

論理とは、言ってしまえば「究極に客観的」な状態です。

客観的に正しい論理とは、誰が聞いても分かる正しさがあります。

例えば、

  • 1+1=2

は、客観的に見て、意地悪な考え方をしない限りは正しいです。

  • テストで良い点を取りたいなら、勉強をすれば良い。

これも、客観的に見て正しいでしょう。

勿論、他の解決法もありますが。

  • 病気になったら、病院に行けば良い。

これも、客観的に見て正しいと思います。

安静にする、薬を飲む、頭を冷やし身体を温める、等でも正しい対処である事が殆んどでしょう。

これ等の様に、客観的に見て正しい事を、人は「正論」と感じます。

ですが、ここで問題が生まれます。

それが「感情」です。

感情の視点が足りない

正論は、論理的で、客観的です。

一方、人に必ず備わっている「感情」は、どんな性質があると思いますか?

感情とは、まず主観です。

その感情を形成するのは「置かれている状況」と「これまでの経験の積み重ね」と言う、どこまでも主観的な要素で形作られます。

そして、人は感情を原動力に会話を行います。

つまり、どんな会話であっても、人は基本的に感情で対話をしている部分があるのです。

その際、感情で対話をしている時に、大事になるのが「温度差」です。

正論とは、論理です。

論理は、客観的です。

客観的とは、温度が低い状態です。

「自分を客観視する」とは、自分の主観を置いて置き、冷めた視点で「冷静」に自分を見る事です。

正論とは、感情を廃し、相手の質問に対してロジカルに回答する事になります。

ですが、感情で対話を試みる人は、特に男性は意外に思うかもしれませんが「近い温度の感情」での返答を期待しています。

感情での対話は、相手の主観に寄り添い、悲しんでいる時は悲しみに、怒っている時は怒りに、笑っている時は楽しそうに「返答の温度管理」を瞬時に行う必要がある訳です。

論理と感情は、対極に位置します。

客観性と主観性では、正しさが違います。

ここで起きる温度差と、ギャップによって「正論」による失敗が発生します。

相談相手が求める物が感情か理論か

論理的な答えを相手が求めていたら、尚且つ、相手が「自分で問題解決する気」があるのなら、論理的に返事をするのが良いでしょう。

「正論」が他人に求められる数少ない場面です。

問題の解決法、計算方法、対処法、こういった正論を、それこそ専門家は知識を披露して示す事が許されます。

ですが、世の中の8~9割は、感情で会話をし、「自分で問題解決する気」を最初から持っている事は、まずありません。

つまり、正論は求められず、対話者に必要とされるスキルは、相手の主観と言う感情に寄り添った上での返答です。

感情的「非論理的会話」の重要性

ここで、男性に多いのは「共感しても問題は解決しない」と言う意見です。

感情で共感しても気休めにしかならないと言うのは「問題解決」に視点がフォーカスし過ぎです。

人を動かす物は、感情です。

人と言うハードを動かすには、感情と言うソフトを動かす必要があります。

正論が必要になるかどうかの判断は、その先です。

身体と心が整って、初めて人は初めて問題に対処できます。

心を整えるには、感情を制御する必要があり、主観的で感情的な非論理的会話は、問題解決の為には必要なパートなのです。

分かり易い例えでは、

  • 目の前で大怪我をして泣き叫んでいる人が助けを求めている

とします。

正論的な場合、治療をすぐにするでしょう。

感情だけの場合、声をかけ励ましますが、治療は行いません。

感情が伴いつつ正論的である場合、「もう大丈夫」「必ず助ける」と言った声をかけつつ、必要であれば治療もします。

問題解決には、感情は直接は役立っていない様に見えますが、感情を寄り添わせる事の効能は、もし自分が怪我人だったらを想像すれば出来る筈です。

相談を受けて正論のみを返すと言うのは、怪我人に対して治療も励ましも無く「怪我は止血した方が良い」と事細かに対処法を教える様な事になりかねません。

怪我と違い、対話での相談では直接治療が出来ない場合の方が圧倒的に多いからです。

相談をする時点で、何らかの問題を抱えているのは明らかです。

相手が、問題への対処法が分からないから聞いているのか、対処する為に心と体が整っていないから整えたくて対話をしているのか、それを聞くなり察する事が対話者には必要と言う事です。

まとめ

「正論」が上手く働かないのは、返答の中に「感情・主観」と言う相手の状況に合わせた視点が欠ける事が問題と言う話でした。

特に、日頃から「問題解決=正解」と言う思考が刷り込まれていると、感情と言う視点を疎かにしてしまいがちです。

ですが、ハード(身体)とソフト(心)を整えなければ、問題解決をするステージまで人はたどり着けません。

感情の温度を合わせ、適温に持っていく事が出来る人が、良き相談相手となります。

共感によって近い温度に感情を揃えてから、冷え切った心は温め、加熱した心はクールダウンし、問題に向き合える状況を作ってから、ようやく必要になるのが「正論」や「論理」と言ったロジカルさです。

最初に「正論」を出しても、相手がそれを使える状況に無ければ、何の意味も果たせません。

「正論」は必要です。

ですが、問題に取り組むには「感情」の温度調節も、とても大事と言う事を意識すると、コミュニケーションギャップが減ると思います。

この記事が、現実で役だったり、創作のキャラ描写でプラスに働けば幸いです。

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