コンテンツとは「刺激」と言う話

人は、刺激を楽しんでいる

なぜ人が娯楽を求めるのか?

その答えは、極論「刺激」を求めているからである。

マッサージであれば、身体の患部を刺激すれば痛みや快感が身体を走る。

これが映画や漫画と言ったコンテンツにも当てはまる。

ただし、物理的なマッサージとは違い、肉体ではなく精神を刺激する物がコンテンツと言える。

精神を刺激する装置

映画を見て、感動した経験がある人は多いだろう。

感動は、精神の感動する部分を、的確に「刺激」する事で起きる。

つまり、心を触る事が出来る”孫の手”的な物と考える事も出来る。

だが、この孫の手には、様々な形や用途があり、それによって「刺激」は大きく異なる。

ホラー、サスペンス、スリラーを見るとハラハラする様にコンテンツが精神を「刺激」するし、ラブストーリーであればドキドキする様に精神が「刺激」され、アドベンチャーであればワクワクする様に精神が「刺激」されるし、コメディでは精神を直接くすぐる様に「刺激」を受ける。

この刺激は、現実の中にも存在している。

つまり、コンテンツとは「刺激」を再現し、感情の動きを誘発する物と言う事だ。

簡単に体験できない事を疑似体験させる

コンテンツの強みは、現実の中に存在する「刺激」を、好きに選んで再現する事にある。

そして、その「刺激」の選択は、体験自体が難しい、あるいは不可能な「刺激」まで用意されている。

例えば、他人視点の人生、現実では在り得ない事、通り過ぎた過去の追体験、そう言った現実の「刺激」の再現と追体験が、人々をコンテンツに熱狂させ、更には特定の種類に固執する様にさせる。

ガチャガチャは、数%の確率で当たりを引き当てる「刺激」を何度でも味合わせてくれるし、アクション映画は視聴者にヒーローの人生の中にある「刺激」を追体験させてくれる。

アクションゲームは、相手に攻撃する「刺激」と、相手に攻撃される「刺激」を、手軽に体験させてくれるが、これらは現実では手軽に体験する事が難しい物だ。

コンテンツを作る際は、コンテンツ利用者が、どんな「刺激」を求めているかを、あらかじめ想定しておく必要がある。

これが、ジャンルやカテゴリーを選ぶ事で、おおよそで決まる事であり、分類を決める利点でもある。

ホラーを見たい人は、ホラーの「刺激」を求めているし、ラブストーリーを見たい人は、ラブストーリーの「刺激」を期待している。

「刺激」には善悪も上下も無く、要は、精神のどこを、どれぐらいの「刺激」でマッサージされたいかと言う事と言える。

あなたが肩が凝っていたり、腰がだるい時に、どんなに気持ちいい頭皮や足のマッサージをされても満足できない様に、欲しい「刺激」を的確に与える事が、非常に重要となる。

薬の刺激

薬には、脳に働きかけて直接精神を「刺激」する物がある。

コンテンツが五感から「刺激」を受け取って、精神に作用する一方で、薬は患部を直接触りに行く。

そういう意味では、外科手術的な強引さがあるが、病気になったら外科手術が必要な人がいる様に、薬によって精神に刺激を与える事が必要な事は普通にあり、現代では必要な事とされている。

違法なドラッグの場合、精神に対して直接大きな「刺激」を与える事で快感を得るのだが、身体に強い刺激が欲しいからと言って剣で刺したら傷つく様に、処方されていない、あるいは処方を間違えた薬物による精神への刺激は、精神に刺さる剣を突き立てる様に、危険な刺激となる。

それを考えると、コンテンツとは、「刺激」を追体験する合法ドラッグと言う見方が出来るのも分かるだろう。

売れるコンテンツは「刺激」が上手い

コンテンツは「刺激」の追体験を提供する物だ。

コンテンツの良し悪しは、この「刺激」の精度にある。

例えば、感動で泣けるコンテンツは、精神の『ここを刺激されると泣ける』所を的確に「刺激」出来るから、泣けるのだ。

もちろん、肉体と同じく精神も人それぞれなので、「刺激」によって感じる感動の大きさも、ツボの場所も違ってくる。

優秀なコンテンツは大多数の人のツボを丁度良い強さで刺激する物だ。

つまり、コンテンツ作りには「刺激」のデザインが不可欠であり、これが上手くいっていると、物語のストーリーラインが途中で崩壊しても、「刺激」を与える装置としては十分に機能したから視聴者は満足なんて事もある訳だ。

強い刺激のコンテンツ

それが成立するのは、強い刺激が求められるコンテンツに多い。

例えば、ホラー、エロ、グロ、コメディでは、コンテンツの「刺激」を発生させるパートの精度が高ければ、終わりが酷くても何とかなる場合もある。

もちろん、終わりまで良く出来ている方が良いに越した事は無いが、「刺激」再現装置としての機能が優秀であれば、コンテンツとしては十分に機能するのだ。

例えば、ホラーは、途中のシーンが怖ければ、終わりが訳が分からなくても、欲しかった「刺激」さえ貰えていれば、それで良い。

それ故に「核オチ」や「全滅オチ」さえ、余裕で許容される事がある。

エロも、性的な興奮状態さえ誘発出来れば、その機能が強固であれば、それでコンテンツとしては完結しうる。

だから、アダルトなジャンル作品には、ストーリーが無いに等しい物が多く、ストーリーが「刺激」を邪魔するぐらいなら、飛ばされる事さえある。

「刺激」装置としての機能として、ストーリーが機能していない場合は、コンテンツとしてミスマッチを起こすと言う事だ。

コメディも、ナンセンスやすれ違いの状況を再現し、おかしい「刺激」さえ生み出せていれば、コンテンツとして成り立つ。

綺麗なオチがあれば、大満足なのだ。

鋭利になっていく刺激装置

ホラー、エロ、グロ、コメディ、等、どれも「刺激」を追求し始めると『患部のココを、このぐらいの力で刺激すると丁度気持ちが良い』から、『もっと強い刺激が欲しい』と言う風に、作り手も、視聴者や読者も、感覚がバカになっていく。

要するに、「刺激」に慣れてしまう訳だが(薬と同じように……)、更に強い刺激を求め始めると、マニアックな方向に進んでいく事になる。

今までは孫の手だったのに、ツボを押す突起は鋭いトゲの様になり、精神に突き刺さらんばかりの力で「刺激」してくる様なコンテンツを求める様になる。

ちょっとしたグロに慣れた人で、グロの「刺激」を気に入った人は、スラッシャー系の作品だったり、踏み込んだ表現によって強烈な「刺激」を与えてくれる作品を求める様になる。

血から部位欠損に、部位欠損から内臓表現に、とより強い刺激が欲しくなる。

これは、どのジャンルやカテゴリーでも、突き詰めれば同じ事だ。

大衆的なコンテンツの一部に特定の「刺激」を見出した人は、特定の沼にハマり、「刺激」の再現をひたすら求めていく。

BL、百合、美少女、ケモナー、等の「刺激」が好きになってしまった人は、そこから受ける「刺激」を煮詰めた作品を探す様になると言う訳だ。

自分が好きな刺激を知る

創作者も、読者や視聴者も、自分が好む「刺激」を知るべきだ。

そうすれば、様々なミスマッチが減るからである。

肩が凝ったときに、どこを、どのぐらいの力で揉むと気持ちが良いか、それを理解しているかいないかで、「刺激」の満足度は全然変わってくるのと同じだ。

終わりに

どういう感動を想定したコンテンツか?

これは、コンテンツ作りで非常に重要な視点として有名だ。

これを考える上で、感動を起こす「刺激」と言うモノに、今回は焦点を当てようと思った次第である。

当然だが、この記事中で薬の話題が出ているが、否定する物でもなければ、まして推奨もしていないので、悪しからず。

物語を作るとは、「刺激」の再現を自分でして、更にそれを他人と共有できると言う事でもある。

「刺激」が欲しい時は、好きなコンテンツに浸ったり、創作に打ち込もう。

「刺激」の自炊も、創作動機の基本っつうことよ。

 

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