一方的な攻撃による快感の仕組み
物語の種類によっては、効果的な演出となる「一方的な攻撃」描写。
重い物では「肉体的な暴力」や「精神的な追い込み」となり、比較的軽くても「いじめ」や「いじり」と表現される。
だが、重さや軽さには絶対的な尺度は無く、相対的に受ける者がどう感じるかによって重さの総量が変化する。
つまり、一方的な攻撃は、主観的な重さに関係無く、扱いには実際にもモチーフとしても、注意が必要と言うことが大前提にある。
攻撃者と被虐者の要素で、一方的な攻撃は、いくつかの種類に分けられる。
攻撃者が求める物と、被虐者の反応だ。
攻撃者は、一方的な攻撃をする際、被虐者に特定の反応を求めている。
反応を求める攻撃
被虐者に特定の反応を求めているのが攻撃者の前提だ。
ここで返ってくるのが「求めて”いない”反応以外」の場合、攻撃者は快感を得る。
被虐者の反応が期待通りの時に、一方的な攻撃は大成功した事となる。
攻撃者が求める反応は様々で、
- 苦痛に歪む表情
- 絶望に染まる顔
- 滲み出る無力感や悲壮感
等々、そう言った反応を求めている場合は、被虐者は一度でも期待に応えてしまうと、攻撃者に味をしめられてしまう。
これが「いじめ」と世間で呼ばれる一方的な攻撃行為の大半に当たる。
そう言った反応を弱者や、攻撃者に弱者と設定された人に一方的に行う、そんな攻撃者の心理は、反応を引き出す事で自身は相手よりも相対的に優れていると言う自己肯定感の獲得や、気に食わない相手が苦しむ姿に興奮を覚える嗜虐心を満たす事が目的で、それを意識していない場合でも突き詰めればそこにたどり着く場合が多い。
一方的な攻撃は、ここまでの説明を見ると酷く醜悪な物に感じるかもしれないが、見せ方や扱い方次第では別の効果を得る事ができる。
攻撃者が、別の反応を求める場合
攻撃者が、相手を苦しめたり、苦しめる事で優越感を感じたい以外の場合がある。
愛情表現として好きな相手をからかったり、うざがらみしたり、無理難題を言って甘えたり、そう言う場合がある。
これらが求める反応は、優越感を感じたい以外の要素が多分に含まれる場合に、一方的な攻撃のままに、行動の持っている意味合いが変わってくる。
不器用な愛情表現ゆえの攻撃の場合、求めるているのは、攻撃をしても許し、受け入れ続け、壊れることのない絆の強度確認が主目的となる。
攻撃する側は、被虐者にある意味で甘えていると言う事だ。
攻撃をして相応の反撃が返ってきたり、期待を裏切られる場合は、絆の強度が足りないと言うことになる。
子供が好きな人を攻撃してしまうのは、絆の強度確認の時が多く、下手だと普通に嫌われて終わる事も多い。
(余談、子供の場合、羞恥心から身を守る為に、好きな人に攻撃してしまう事もある。)
一方的な攻撃が、攻撃者目線で成立するには、反応を示す被虐者側も条件が整っている必要がある。
優越感を感じたい場合は、被虐者は攻撃者より弱い状況である必要がある。
単純に弱い以外に、人数差、武器の有無、身体の自由、そう言った優位性を得られる支度を攻撃者側は準備をしておく必要があり、被虐者は条件を簡単に満たせる相手ほど選ばれやすい。
絆を感じたい場合は、既に出来上がっている関係性の上で許されるレベルの攻撃を行うか、弱い攻撃で徐々に慣らし、どこまでならやっても許されるかをチキンレースのように計りながら、徐々にエスカレートする必要がある。
関係が出来ていない状態で攻撃をすれば、一撃で絆が崩壊したり、手痛い反撃が返ってきて当たり前だ。
「キャル虐」に見る、優しい虐待のデザイン
虫料理を食べさせたり、部屋に窓から入ってぬいぐるみを壊したり、囮にして放置したり……
ゲーム原作のアニメ作品「プリンセスコネクト リダイブ」に登場するペコリーヌとキャルの関係は、天然キャラのペコリーヌによって結果的に酷い目に遭わされるキャルと言うお約束の関係で、ファンにはキャル虐として親しまれている。
ペコリーヌの場合、基本スタイルは愛情の押し売りと、それのミスマッチによってキャル虐状態に陥る事が多い。
ペコリーヌは虫を食べさせようとするが、これはあくまでもキャルが虫を食べたくないだけであって、ペコリーヌ自身は虫を自分では普通に食べている。
つまり、虫と言う一見するとゲテモノにしてあるから、極端さから虐待に見えるが、実際はピーマン嫌いの子供に美味しいのにと食べさせようとするのと変わらない。
窓ガラスを割って突撃してくるのもキャルの安否を心配しての事だし、それによってぬいぐるみを破壊した事も修理という形で弁償する事で償っている。
病院のエピソードで囮にして放置した際は、危険は無いと判断しての事であり、基本的にペコリーヌによる虐待は、行動の空回りから発生していると言って良い。
そして、キャル虐で最も重要なのは、被虐者であるキャルが、ペコリーヌとの絆によって、何をされても許せる状態である事だ。
ペコリーヌの意図せぬ虐待による絆の強度確認に対して、キャルは終始、ペコリーヌとの絆の強さは盤石だと、虐待に耐える事で示していると言える。
絆がない場合、意図しようがしまいが、攻撃をする相手の事は全力で避ける。
しかし、絆がある場合は、攻撃行動を迷惑がるが、攻撃者を嫌いになる事は無い。
これは、家庭内暴力や、ネグレクト状態の親に愛情を求める子供にも言える関係性で、そう言う子供の場合、一気に悲惨になるのは、親からの攻撃が絆の確認ではなく、無責任な放置や、優越感を感じる事に重きを置かれていて、親の期待に応えても応えなくても地獄しか待っていない為だ。
一方でペコリーヌは、空回りを許せばキャルは変わらぬ愛情を受ける事が出来る。
被虐者が望まぬ攻撃を止めるには?
いじめ問題をはじめとして、一方的な攻撃は現実社会でも大きな問題となっている。
攻撃者であるいじめっ子は、望まぬ反応以外は、優越感や嗜虐心を満たせる為、被虐者であるいじめられっ子側は、相手が望まぬ反応を返すしかない。
逃げると言う反応も、相手が望まぬ反応の一つだが、いじめっ子が最も望まない事は、ローカルな関係を公に晒す事だ。
つまり、攻撃者と被虐者と言う関係は、ローカルでなければ成立せず、この関係はグローバル化していけばいくほどに、認められない事になる。
いじめっ子といじめられっ子の関係は、正義の第三者の介入で簡単に崩壊する。
学校や職場であれば、問題解決が出来る第三者の立場にある上司や、より外部の警察、あるいはテレビ局などにリークする事で大きな問題にする事ができる。
子供同士だろうが、会社の同僚同士だろうが、いじめは犯罪なので、音声が映像で証拠を保存し警察をはじめとした公にさらしてしまえば、そこで解決の糸口となる例は多い。
一方的な攻撃の証拠があれば、公の状況になればなるほど不利になるのは一方的な攻撃者側になる。
公に助けを求める事に抵抗がある場合は、被虐者が、自力で関係性を変える事ももちろん出来る。
物理的な攻撃に晒されている場合、格闘技や護身術で、一方的な攻撃者と被虐者の関係では無く、対等な対戦者に関係性を変えれば、一方的な攻撃しか出来ない人は関係性を変えざるを得なくなる。
反撃によって変化した関係は、相手次第では不毛な報復合戦に発展する事もあるので、現実では手放しにお勧め出来る手段では無いが、効果的である事に変わりはない。
言葉の暴力やいじりなどの、精神的な攻撃の場合でも、相手が望まぬ反応を返せば、相手は同じ事は出来なくなる。
絆が相手との間に無いのなら、思い切って関係を精算すれば被虐者はすっきりとする事も多い。
望まぬ攻撃をしてくる相手に時間や悩むコストを払うのは、多くの場合はバカらしく、我慢しても得られるものの方が少ない。
どれにしても、必要なのは自分から何かを変える勇気とはじめの一歩を踏み出す事だ。
ネット上の誹謗中傷
インターネット上では、一方的な誹謗中傷が飛んでくる事は日常茶飯事だ。
特に、SNSが一般化した現代では一般人でも有名人のように、一方的な攻撃の標的にされる事がある。
攻撃側は、一方的に手軽に攻撃できる事で、一見楽しみやすい環境に思えるかもしれない。
しかし、インターネット上であっても、一方的な攻撃を止める方法は現実と変わらない。
相手が望まぬ反応を返せば、それで良い。
怒らせたいと相手が思っていそうなら怒った反応は相手を喜ばせるし、心を傷つけて嗜虐心を満たそうとしていたり、正義感から一方的な正義を押し付けてくるのであっても、攻撃者が最も望まない一手が攻撃を止めるのに効果的となる。
SNSなら反応せずに有無も言わさずブロックや通報するのが賢明だろう。
酷い物なら、弁護士や裁判を利用する手段は、まさにローカルを公にする解決手法の代表である。
ネットの特定のサイトというローカルから、現実の、公的な場所に無理やり引っ張り出すのは、一方的な攻撃者からすると最も望まない反応の一つだ。
攻撃されるのが上手い人
世の中には、コメディアンをはじめ、一方的な攻撃を受ける事が、性格や身につけた技術によって、非常に上手い人達がいる。
いじられる事で輝く人達だ。
彼ら彼女らは、時に攻撃しやすい材料を自ら提供し、攻撃を受けに行くが、手痛い反撃は決してしない
つまり、相対する人に、安心して攻撃させ、気持ち良い反応を返す術を身につけている。
反応に攻撃性はなく、自ら提供した攻撃する的を、攻撃に怯まず守り、肯定して守ろうとしたりする事で、さらに面白い反応を返す。
攻撃して良い相手と悪い相手を心得ていると言う事は、周囲から見ると絡みやすく、人気も出やすい。
あやまって攻撃してしまっても耐性が高いと言う事は、それだけ傷付きにくいと言う事で、関係性上甘えやすい相手といえる。
だが、だからと言って攻撃されるのが上手い人が無敵でも無ければ無痛でもない事も、しっかりと理解しておくべきだ。
誰にだって地雷や古傷はあるし、許せないモラル違反は存在する。
一方的な攻撃は、使いこなせば非常に面白い
設定をしっかり整えれば、攻撃する側もされる側も気持ちが良い事さえある。
同時に、どちらかの必須条件が欠けると、悲惨な状態になる諸刃の剣でもある。
反応を求める側、反応を返す側、両者が幸せで無い状態だと、見ている人は不愉快に感じるのは、フィクションも現実も同じだ。
一方的な攻撃は、楽しく、気持ちがいい。
しかし物語の中で描く際に重要なのは、反応もセットという事だけは忘れない様にしよう。