【反面教師?】高確率で嫌われる邪悪なキャラクターの作り方

アンチ優しい世界の住人を生み出す!

魅力的なキャラクターの生み出し方は、色々な所で見る。

みんなが求めているキャラクターに、圧倒的な魅力を備えている事が求められるからだ。

優しい世界を描く場合、それで良い。

むしろ、それ以外は求められない時さえある。

しかし、リアリティを求めるとき、世の中はそんなに都合が良くない。

嫌な奴もいれば、悪い奴もいる。

この記事では、あえて「邪悪」なキャラクターの作り方と、そのキャラクターに魅力を備える要素、魅力を削る要素などを解説していく。

嫌われる=自己中

なんにも悪い事をしなくても嫌われてしまう人がいる。

その原因は、基本的に「自己中」である。

自己中と言う言葉は「自己中心的考えや行動」の事で、一般的で、曖昧だが、人が他人を嫌う理由は「自己中」に帰結する。

「自己中」が、それほどまでに重く、取り扱いに注意が必要な概念だと、多くの人が認識できていない。

もしあなたが「あなたは自己中な所があるね」と誰かに言われたら「自分勝手な事をしてたね」と言う意味の裏には、「そう言う所は嫌いなので、出来れば直して欲しい」と言われていると受け取るべきだ。

誰も「あなたは自己中で良いですね」とは、一般的には言わない。

言うとしたら「こういう場面では多少自己中でも強引に進めた方が」等、状況が限られる筈だ。

自己中は、人を不快にし、大半の心の距離を遠ざける。

つまり、嫌われるキャラクターを作る場合は、第一に「自己中」である必要があるわけだ。

感情的に行動する=制御が難しい

次に、自己中を具体的にする為「感情的に行動する」を足そう。

この行動には、発言も含まれる。

論理的である場合、周囲が制御しやすいキャラクターとなる。

そこで、論理的の反対の属性「感情的」が活きてくる。

感情的は、自分の感情に正直なアクションとリアクションを取ると言う事で、非常に自己中な属性だ。

要するに、自分の感情の浮き沈みを最優先し、周囲を軽んじていると言う側面において、自己中なのだ。

だが、「感情表現が豊か」なのと、「感情的に行動する」のは、全くの別物だ。

「感情表現が豊か」なのは、リアクションに限定され、周囲には分かりやすく、好意的に受け入れられる。

「感情的に行動する」は、アクションが追加され、周囲にとって一気に脅威度が跳ね上がる。

理不尽=周囲にとってマイナスの公平性

「理不尽」ほど、周囲にとって恐ろしい物はない。

自己中キャラクターから見れば、そこには切欠が必ず存在するが、そのトリガーが見当もつかない周囲からすると、理不尽な行動はロシアンルーレットの様にしか感じない。

この、「理不尽」と言う、周囲にとってマイナスにしかならない、負の公平性は、周囲から見ると本当に厄介だ。

「理不尽」属性を持つキャラクターが、周囲にいると言う事は、それだけで全員のリスクになる。

その様なキャラクターは、見ていても誰の目にも不愉快に映り、非常に嫌われやすい。

行動のコスト計算が出来ない

以前の記事でも触れたことがあるが、行動にはコストが必ずかかる。

そして、社会において悪い事には、社会があらかじめ高いコストを設定する事で抑止力とする。

例えば、犯罪を犯せば、警察に追われるリスクが発生する。

これは、負の行動に設定されたコストで、社会的に許されない行動には、高い代償が必要と言う事になる。

他にも、犯罪でなくとも禁忌を犯せば、そのコミュニティから排斥される村八分や、追放等、負の行動には、正の行動以上に高いコストが設定される。

ここで重要となるのは、負のコストを踏み倒したり、払う算段を立てる様なキャラクターは、頭が良く、魅力が生まれてしまうと言う事だ。

本当に邪悪な存在は、行動に付随するコスト計算を、そもそもしないで行動を起こす。

だから、厄介で、嫌われる事になる。

例えば「ついかっとなって首を絞めて殺してしまう」様なキャラクターは、一時の感情に身を任せて人を殺せば、どんなコストを払わされるかを考えていない。

当然だが、そんなキャラクターは、誰にも好かれる事は無い。

「あんな事をされれば、殺したくもなるよね」と言う様な状況的な共感を得られたとしても、同時に「バカなやつ」と思われてしまう。

人は、基本的に「周囲に迷惑をかけるバカ」を、好きにならない。

まして、「自己中」な理由で「感情的」に、相手にとって「理不尽」に、そんな事をすれば自分がそのあと「どんなコストを払う事になるか考えず」に行動をとる人を好きになる事等、あり得ないと言い切っても良い。

反面教師にすれば、愛されキャラになる?

邪悪なキャラクターの性質をいくつか語ってきた。

これらの性質を反転させれば、愛されるキャラクターになるのか?

答えは、近づくが、完璧ではないと言う所だ。

  • 自己中⇔利他的
  • 感情的行動⇔論理的行動
  • 理不尽⇔周囲が納得出来る理由がある
  • 行動コストが払えない⇔払う覚悟があるか、行動しない

と、嫌われる事は無いが、だからと言って必ず愛されるとは限らない。

要するに、極端な性質で見て、どちらか多くを満たすと、そちらに寄って行くと言う感じだ。

例えば、感情的行動をしても、利他的であるだけで愛される場合がある。

コスト計算をしなくても、利他的な事で身体が先に動く事は、美徳とされ、共感も呼べる。

一見、理不尽な立ち振る舞いでも、実は意味があると分かる事で、受ける印象は反転する事もある。

しかし、どの場合でも言える事は、自己中は嫌われ、利他的な要素が混ざると、それだけで邪悪さは弱まると言う事だ。

邪悪なキャラクターを描く際、つまり、利他的な思考や行動は、量を制限しなければならない。

少しでも利他的な素振りを見せれば、邪悪なベールは簡単に剥がれ落ちてしまうのだ。

愛される必要があるキャラクターなら良いが、そうでない場合は、そんな風に日和らず、徹底的に自己中を通し、傍迷惑な存在をキープする事が重要となるわけだ。

「自己中」な「自己犠牲」の二段構造は愛される

「自己中」に「自己中」を重ねたら、最高に嫌われる自分勝手なキャラが出来る。

しかし「自己中」に「利他的」な精神、つまり「自己犠牲」を足せば、愛される要素となる。

例えば「自分の好きな人の為になら何でもする」と言うのは、典型的な自己中で自己犠牲的な精神構造のキャラクターだ。

この「自分より大事な他人」を持ったキャラクターは、突き詰めると自己中な行動だとしても、共感を呼び、愛され、応援さえしてもらえる事になる。

つまり、邪悪をキープするには、自分より大事な存在を持たない、たとえ群れていても精神的には孤独なキャラクターにする必要がある訳だ。

裏を返せば、この要素を付け加えると、どんな邪悪なキャラクターも、マイルドな存在になってしまう。

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