【創作裏ルール】好かれるキャラには「誰かの為」精神が必須の法則

「誰かの為」と言う概念の重要性

物語を創作する上で登場人物の造形は、非常に大事だ。

現実に色々な人がいる以上に、物語の中には多彩な人物が登場する。

しかし、愛されるキャラと嫌われるキャラ、愛される作品と嫌われる作品には、明確な差がある。

それが「誰かの為」精神だ。

別の言い方をすれば「自己犠牲」的精神であり、「愛」でもあり、色々な所で何度も言ってきたが、この「自己犠牲」とか「愛」と言う「誰かの為」と言う概念は、かなり大事な要素だ。

もしかしたら、あなたは「必須」とか「大事」と言う事を、ちゃんと理解出来ていないかもしれない。

実際、わかっているつもりになっているが、本当の意味が理解できてないとか、腑に落ちていない人は、かなり多い。

「自己犠牲」「愛」「誰かの為」なんて言葉は、どれも色々な所で聞くし、耳障りが良い程度の当たり前のワードに思えるかもしれない。

人によっては、意識せずとも「誰かの為」と言う要素を作品に取り入れたり、使ったり、実践するだろう。

しかし、この「誰かの為」と言う概念を意識せずにいて、うっかり入れ損ねる人がいる。

すると、途端に、作品への、周囲からの感触が悪くなる。

だが、誰も「誰かの為」が抜けているから好感度が低いとか、不愉快とは言ってくれない。

それでも、事実として、欠けているのは「誰かの為」と言う概念と言う事は、非常に多い。

人は奪われるより、与えられたい

物凄く当たり前の話に聞こえるが、多くの人は「奪われる」よりも「与えられる」と言う行動を好む。

「ギブ」と「テイク」とも言い換えられ、奪うとは「自己中」であり、与えるとは「自己犠牲」である。

この、好む行動への感覚は、当事者だけでなく、第三者にも向けられる。

つまり、自分が奪ったり与えられたりせずとも、目の前の人同士で奪ったり与えたりをすれば、同じ感覚が呼び出されると言う事だ。

罪と罰

犯罪の多くは「他人から奪う」と言う事で成り立つ。

だから、犯罪の話題を聞くと、多くの場合は不快になる。

なので、罰が下ると、不快値が元に戻る事で結果的に爽快に感じられスッキリする。

で、この「他人から奪う」と言う、自己中精神は、何も犯罪だけに限らない。

上にも書いたが「ギブ」によって日常的に発生する。

例え、小さなギブであっても、必ず不快さは付きまとう。

例えば、成功したい、愛されたい、みたいな普遍的なギブであっても、それは他人から奪う行動であり、奪い方によって様々な不快さを内包する事になる。

一方で、情の多くは「他人に与える」と言う事で成り立つ。

人情、愛情、友情、そういった物だ。

これらの話題を聞くと、自分を含めた興味がある人物間の話の場合は、多くの場合は愉快になる。

他人に与えると言う「テイク」精神だが、これも日常的に発生する。

小さなテイクであっても、必ず愉快さは生まれうる。

例えば、挨拶をする、褒める、プレゼントをするとか、小さな事であっても、必ずだ。

バランス

多くの場合、現実でもフィクションでも、この「誰かの為」と「自分の為」は、混ざり合い、同居している。

なので、配合のバランスが、非常に重要となる。

誰かの為が多い場合は、自己犠牲的な行動に移る事が出来る。

自分の為が多い場合は、自己犠牲的な行動に移る事が難しくなっていく。

「嵐」

アイドルグループの嵐を知っているだろうか?

まあ、国民的アイドルなので、知らない人の方が日本では少ないだろう。

嵐と言うグループは「誰かの為」と言う行動の割合が非常に多く、メンバーは他のメンバーの為に、ファンの為に、周囲の為に、そう見える判断を自然に行う事で定評がある。

行動原理の基本が「誰かの為」を地で行く5人だからこそ、ここまで支え合い、圧倒的な人気を獲得できたと言って良い。

「ブレイキングバッド」「コードギアス」

海外ドラマの名作「ブレイキングバッド」は、覚醒剤を密造する化学教師の物語だ。

アニメの名作「コードギアス」は、王子がレジスタンスを利用して王座を強奪する物語である。

どちらの物語も、主人公は周囲を騙し、奪い「自分の為」に行動する。

だが、これらの物語の主人公が嫌われず、愛されさえする理由は、「誰かの為」と言う割合が常に大きなキャラクターだからだ。

ブレイキングバッドでは、主人公は家族の為、相棒の為に犯罪に手を染めていく。

コードギアスでは、主人公は殺された母親と、目と足が不自由な妹の為に父親と戦う事を決意する。

仮に、金儲けや権力の為に主人公が行動を起こしていたら、これほどの人気を得る事は無かったし、名作と呼ばれる事も無かっただろう。

終わりに

「誰かの為」が、必須である事を、この記事だけでは伝えきれていない事は理解している。

しかし、もし、この記事が、誰かの気付きの切欠になれば幸いだ。

腑に落ちていなくても、良い。

創作をする、あなたの為に聞く。

  • あなたの物語の主人公は、誰かの為に行動出来ていますか?
  • それは「自分の為」よりも「誰かの為」の割合いが大きいですか?
  • では、その大事な誰かがピンチになった時に、自分を犠牲に出来ますか?

もし、出来ていない項目があるのなら、そのキャラクターの造形は、一般受けは難しいと言う事を理解した上で創作して欲しい。

一応言っておくと、そういうキャラが悪いと言うつもりはない。

ただ、好かれるのが難しいと言うだけの事だ。

それが主人公の場合は、大ヒットも難しくなるだろう。

好き嫌いは置いておいて、大ヒット作の主人公で「自己中」は、相当に少数派だ。

また、これは創作だけでなく現実でも同じ事なので、もしもあなたが他人に愛されたいと考えている場合は、自分を犠牲に出来る誰かを見つけられると幸せになれるかもしれない。

その場合は、相手が「自分の為」ではなく「誰かの為」に行動できる精神を持った人じゃないと、貢いだ末に奪われるだけで終わる可能性があるので、注意されたし。

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