罪と報いの物語
今回は、間違った目標や手段をテーマにした物語の作り方について簡単に説明する。
セーブザキャットを履修済みの人には、人生の岐路、と言った方が分かりやすいかもね。
人の性質
まず、この形式の物語を描くには、大前提を一つ理解して貰いたい。
大半の人間は、とにかく変化を嫌う。
これが、この間違った目標や手段をテーマにした作品では、超重要となる。
望まない人生の岐路
まず、主人公が受け入れがたい状況を想像して欲しい。
どうしても受け入れられない、何かを失う状況だ。
これが、人生の岐路、まさしく人生の分かれ道だ。
この形式の物語を考える時は、必ず都合が悪い人生の転換点が、主人公に訪れる。
そこで、主人公は、強制される変化を、どうにかして回避しようとする。
- 病気によって迫る死期
- 足りない治療費
- 今さら成功するのは難しい状態での借金の返済
- 望まぬ恋愛の予感
- ルールに従っていたら救えない命
etc.etc.……
そんな状況でも、変化を嫌い、現状を出来るだけ変えずに、問題に抵抗を試みる訳だ。
すると、どうなるか?
一番苦しくない最小の変化で、最短距離の成功を求める
主人公は、そもそもが、正攻法で今の状態の人間なので、持っている物やスキルをフルに使っても、現状を変える事は出来ない。
つまり、苦労して新しい物やスキルを手に入れたり、置かれている状況を変えるために未知の別の場所に行く以外に、状況を好転させる事が出来ない。
でも、出来るだけ変化をしたくない。
この、変化をしたくないと言う衝動は、とても強力で、この状況下の主人公が自分の意志で乗り越えるのは困難な物だ。
そういう、状況なのだ。
だから、主人公は、変化をしないで、どうにかしようと必死に足掻く。
すると、気付く事がある。
一番苦しくない最小の変化で、最短距離の成功を求めると、それしか手段が無い事に。
それは、ズル、だ。
ズルい事をすれば、大きく変化しないで状況を変えられると、気付く。
つまり、罪を犯すわけだ。
葛藤するが、自己正当化が勝つ
主人公は、最初は葛藤する。
一線を越える事は、正攻法の大変さとは別ベクトルの壁が存在する。
それが、罪悪感だ。
どう考えても、倫理的、道徳的、常識的、あらゆる意味で間違っている事は、主人公だって理解している。
だが、悩んでも、主人公が変化せずに問題を解決する方法は、それしか用意されていない様に見える。
だから、主人公は一線を越えるのだ。
自分を納得させ、これぐらいなら、これぐらいまでなら、と小さく罪を重ね始めるわけだ。
嘘つきは泥棒の始まりと言うが、これは、かなり的を射た言葉だ。
罪の一線を最も手軽に、自己正当化を持って超えさせる行動が、嘘をつく事だからだ。
一線を越えて、自己正当化の仕方を覚えれば、主人公は言い訳を次々に生み出して、罪の範囲を広げる事になる。
ズルによって得られた大成功
間違った方法で問題の解決を試みる事で、主人公は大成功を収める。
現実では大成功にならない事も多いが、面白い物語では必ず主人公は大成功を収める。
でも、ズルをすれば、罪を犯せば、必ず反動が来る。
間違った成功の代償は後払い
犯罪なら、警察に追われる事になるのは、想像できるだろう。
嘘をつけば、嘘を本当にしない限りは、いつか嘘がバレる。
例え当事者が死んでからだって、かならず重大な嘘は、誰かに矛盾をつかれて暴かれる。
それが、重大で影響力が大きい事なら、なおさらだ。
悪い事をすれば、相応の報いを受ける。
本人が受けずとも、本人の関係者が肩代わりさせられる事になる。
被害者がいれば、復讐される。
罪を完璧に踏み倒すと言う事は、実は、かなり難しいのだ。
それは、ズルや罪は「価値の前借り」であって、前借りに気付いた人が、必ず取り立てにやってくるからだ。
間違った目標や手段を使うと、一時的には上手くいったように見えても、必ず、どこかで大きなしっぺ返しが主人公を襲う事になる。
結局受け入れるしかない変化
因果応報とは、避けたり、逃げ続けてきた、現実を違う形で受け入れる事だ。
この形式の物語は、変化を嫌った普通の人が、大きな罪を犯して、その報いを受け、最後には変化を受け入れるまでの物語と言える。
主人公は、罪を犯してまで避けた変化と向き合わざるを得なくなり、罪の清算を強いられる事となる。
その際、主人公が変化を受け入れ、自分の意志で罪を清算し、本来あるべき姿に変化しようとすると、主人公は成長を受け入れた分だけの小さな報酬を得る事となる。
反対に、最後まで断固変化を受け入れないと、待っているのは破滅だ。
終わりに
今回は、間違った目標や手段をテーマにした物語の作り方について簡単に説明してみた。
新しい視点とか、気付きに繋がれば幸いだ。