エッチなのって好き?
「性的」とくくられる事もある、エッチ、エロス、セクシュアル、センシティブ、まあ、そう言った表現がある。
私は、正直に言えば嫌いではない。
だが、全部が好きかと聞かれると、ハイとも言い辛い。
恥ずかしいとか、そう言う部分は置いておいてだ。
仕事柄、エロ漫画や官能小説でスクリプトドクターをする事だってある。
と言うのも「エロ」と言う大きなくくりは、あまりにも乱暴だからだ。
つまり、好きなエロもあれば、嫌いなエロもある。
まあ、それは誰でも同じ事だろう。
では、その線引きは、どこにあるのか?
良いエロと悪いエロの境界線は?
なお、この記事は、別に18歳未満閲覧禁止では無いので、そういう方向の期待をしている人、ゴメンね。
でも、説明とか書いてある意味がよく分からない人は、読まない方が良いと思います。
そこだけ注意。
表現のエロスと、仕掛けのエロス
エチチな作品の構成物は、まず大きく分けると表現と仕掛けの違いがある。
これらは、分離する事も出来るが、基本的には表裏一体でセットになっている。
表現のエロ
表現のエロは、作品を描く上で表現上必要となるエッチな表現だ。
エッチを主体とした物を描きたい場合は、当然描く事になる。
だが、エッチを主体としていない物を描く場合でも表現上はエッチな表現が必要になる事がある。
きっと、大ヒット映画やドラマを家族で見ていて、場が凍り付く時があるだろう。
登場人物達の感情が爆発し、愛の炎が燃え上がる。
熱いキスやベッドシーン、いわゆる「濡れ場」は、登場人物の関係を表す為に描く物であって、それを見ている人を性的に興奮させる意図は、あまり無いと言って良い。
なので、ごにょごにょっと行為が行われている事が分かる表現は描かれるが、具体的に何をしているのかまで描写する事は、稀だ。
- 暗い部屋に浮かぶシルエット
- 疲れた二人のピロートーク
- すぐ、夜が明けて朝になり、ベッドには裸の二人がいる「朝チュン」
等の、そう言う表現を使って直接描かずに何があったのかを伝える事も出来る。
表現だけエロくして、内容は特にエロくないなんて事もある。
例えば、シャドウバースは、現在こそイラストナーフが行われたけど、リリース当初は「エロメンコ」なんて悪口(愛称?)で呼ばれていて、セクシーなイラストが多いのが売りの一つだった。
まあ、ナーフされたけど、今もエッチなイラストは、正直あるよね。
仕掛けのエロ
仕掛けのエロは、仕掛ける事で、機能的に興奮させたり、性的魅力をアピールする事を意図した物だ。
仕掛けを、表現の中に盛り込む必要がある。
この仕掛けが無いと、見ている方は性的に興奮する事は少ない。
仕掛けとは、共通認識を利用した「連想」であり、特定の暗号を表現に仕込む事でイメージを想起させ、結果的に興奮や連想に導く手法。
逆に言うと、共通認識が無い場合、仕掛けは不発に終わる。
これを利用する事で、子供には意味が分からないが、大人にだけは意図が理解出来る様な表現も作れる。
例えば、下品な名作として有名な「ソーセージパーティー」では、ホットドッグ用のソーセージと、ホットドッグ用のパンの恋愛が描かれる。
ソーセージとパンは「早く合体したい」的な事を言うが、エロ要素は画面上皆無に等しいのに、仕掛けを使ってエロを連想させる事で、コメディとして描いている。
ソーセージを男性器に見立てると言う下世話な間接表現(ある意味、直球)ではあるが、これで映画としては良作なのだから面白い。
直接と間接の表現
表現と仕掛け、この二つの組み合わせに加え、表現には直接と間接の軸が存在する。
センシティブな表現が直接あれば、分かりやすくエロだが、間接の場合は一枚フィルターがある事で分かりにくくする事が出来る。
直接表現
性的な物を、直接描く場合。
例えば、裸の像や絵があるとしよう。
性別は、どちらでも構わない。
その絵は、直接的に性を表現している。
だがエロを連想するかは、仕掛け次第、見る人次第だ。
多くの芸術と呼ばれる作品の場合、美しさや卓越した表現の凄さが先立つだろう。
間接表現
似ている別の物を使って連想させるのは、基本的な間接表現だ。
直接的に描かなくても、興奮に繋がるイメージへと導くトリガーさえ引ければ、人はエロを連想する。
似ている物以外に、擬人化もある。
上記した「ソーセージパーティー」は、似ている物を擬人化する事でエロを間接的に表していた。
あと、間接表現と言えば、事前や事後の表現が良く使われる。
例えば、パンツは衣服であり、ただの布だ。
なぜ、パンツで興奮できる人がいるのかと言えば、パンツから興奮する対象や状況、行為等を連想出来るからであって、直接パンツに対して興奮するには性癖を相当歪める必要がある。
他にも、「コンドーム」「妊娠検査薬」や「アフターピル」等を、劇中に記号として使用させる場面があれば、意味が分かる人にだけ、登場人物の関係性が即座に理解出来る。
また、エロではないが、児童虐待を扱う作品等には、子供に対する性的虐待と言う描きづらいモチーフを表現する為に、PTSD等、間接的な表現が良く使われる。
性に否定的とか、男性恐怖症のキャラクターが登場すると、社会問題を共通認識として持っている人が見ると「うわぁ……」とバックグラウンドを連想出来るからだ。
だが、上記のどれも、知識や連想力が足りない人にとっては、記号の意味が分からず説明が必要になる。
「房中術」とか「遊郭」「吉原」「花街」「遊女」「花魁」とか「大奥」とか、知識が無いと本来の意味は分からない。
間接的な直接表現
要素の半分や、フィルター越しに直接的に描く事で出来る「それ、ほぼ直接じゃん」と言う表現。
例えば、
- バナナやソーセージ等の男性器に見立てた物を頬張る様な描写
- 乳袋と呼ばれる巨乳キャラクターの記号的服装
- 布越しに存在する人体の突起
- パンツの股間部に出来るシワ
- なぜか頭からかぶる牛乳やカルピス等の乳飲料
等は、青年誌や、下手をすると少年誌でも見られる事がある。
中には、もはや発想が天才的な物もあったりする。
これらは、日本の未描画・モザイク文化を逆手に取ったり、あざ笑う表現だが「エッチなのはいけないと思います」と言う人でも規制する事は、ほぼ出来ない。
間接表現を規制し出すと、何も表現出来なくなるからだ。
「あれはエッチな気がする」で、表現規制出来ては、何も成立しない。
エロの物語としての役割
物語としての役割で描かれるエロは、実に様々だ。
登場人物の関係を表現する為以外に、登場人物の羞恥心を刺激して葛藤させる為や、幸福や絶望の表現と実に多岐に渡る。
例外無く言えるのは、良いエロ表現は、物語に必要不可欠な物として登場する物だ。
必要は無いが自然に登場する場合も、悪くはない。
問題は、必要も無いし、不自然に登場するエロだ。
これは、物語と言う観点から見ると、駄エロである。
ダメなエロ表現は、物語を白けさせる。
例えば、やたらと無意味にパンチラ表現を入れても、邪魔に思う人の方が多いだろう。
エロと言う異物を目で追ってしまう事で、意識が散って集中できないのは、寝ている時に耳元にやってくる蚊のモスキート音並にうるさい。
ここぞと言う場面でしっかりと描くからこそ、エロは機能する。
エロければ手軽に人気が取れそうなジャンルだとバカに出来ない、技も作法もあるジャンルなのだ。
エロの興奮装置としての機能
では、興奮装置としての機能として見て見ると、どうだろう?
興奮装置としてのエロは、表現も仕掛けも、直接も間接も、全てがエロに座標が合っている事が望ましい。
その上で、興奮装置としての機能に特化するなら、直接・間接問わずエロの邪魔になる要素は排除するべきだ。
エロの邪魔になる要素とは、興奮度合いを下げたり、現実に引き戻して冷静にさせる表現だ。
興奮を下げるのはNG
例えば、魅力がありそうに描いていた顔が隠れていた登場人物が、実は不細工だったら?
嫌でもガッカリするのでは無いだろうか?
不細工が悪いのではなく、期待を持ち上げて落すのは、やってはいけないと言う事だ。
上げてから下げて”終わる”のは、バッドエンドと同義だ。
下げるぐらいなら上げない方が良い。
最初から不細工と言う事が明かされた設定の方が、表現上必要なら、受け入れられる。
冷静に引き戻すのは、興奮を下げるのと同じなのでNG
また、冷静にさせる表現は、興奮装置には危険な要素だ。
例えば、エロい目で見たい(作品として見るべき)登場人物が、親や兄弟と言った家族や、嫌いな人と同姓同名だったら?
それだけで冷める人は、結構いる。
名前に関しては仕方がない部分もあるが、現実を連想させる表現は、興奮を嫌でも冷めさせる。
他に、あまりにも設定が突拍子も無かったり、不自然過ぎると、シチュエーションと言う面で冷める事がある。
登場人物に感情移入出来ないのも、大きな問題だ。
こう言った要素があると、表現や仕掛けで優れた点があっても、エロとして機能し辛くなる。
都合の良い設定
物語の中での役割よりも、興奮装置として、つまりエロをメインテーマとして扱った上で、見る者に快感を与える表現を心掛けるなら「一定の都合の良さ」も、欠かせない。
- 既に主人公が好きだったり、すぐに気に入る切欠がある
- 幼馴染や親友、同級生、同僚、片思いの相手
- 社会的な価値が高い要素がある(王族・貴族、金持ち、アイドル、天才、等)
- ある程度以上の美男美女
- 属性的魅力がある(ツンデレ、ボーイッシュ、おっとり、等)
- 二人きりになれる空間(あるいは、行為を止められない状況)
- 主人公と結ばれる事で幸せになる
- 発展性、あるいは明るさを暗示する未来の予感(都合の良い状況が続き、今後インフレする)
- 犯罪だとしても自己肯定できる言い訳の用意(同意があった、愛がある、相手も幸せ、自分は被害者、等)
- 特殊な描写(一人称視点、断面・透視図、等)
こう言った都合の良さがあって、興奮装置としての機能が存分に発揮される。
クオリティとしての、良いエロと悪いエロ
では、エロの良し悪しとは、何か?
それは、物語を優先した作品では役割として役に立っていて、興奮を優先した作品では機能として役立つか、だろう。
出来ている場合は、良いし、出来ていない場合は、悪い。
物語の一部になっているエロは、エロが重要な意味を持つ。
その行為が、物語の伏線やターニングポイントとして機能するからだ。
エロが機能にのみ特化した作品も、決してバカには出来ない。
ポルノ・アダルトビデオ、エロ本、エロ漫画、官能小説、エロゲー等がそうだが、そこには分かりやすくも大きな市場があり、需要と供給が成り立っているのだ。
もちろん、物語の中で役割を果たしつつ、興奮装置としても高い機能を備えた作品も、世の中には沢山ある。
だが、そう言う作品は、エロと言う障壁によって、知る人ぞ知る作品になる事も少なくない。
倫理観としての、良いエロと悪いエロ
物語とは、必ず何らかの倫理・道徳的な側面を持っている。
エロを扱う作品の場合、そう言った点で取りざたされる事も、非常に多い。
なので、創作者は、描き方に気を付けないと、思わぬ痛い目に遭う事がある。
社会の、場合によっては個人の持つ倫理観に反する作品は、まるで有害図書の様に叩かれる事がある。
作品に非がある場合もあるが、住み分けの失敗や、攻撃的な人に目ざとく見つけられて炎上する事が大半だろう。
作品が悪くて炎上する事は、よっぽどの事が無い限り発生しない。
自然と住み分けが出来たり、間にいくつものチェック機能があって作品として形になるまでに正しいポジションに導かれるからだ。
作品世界の文化的な良し悪しの判断
今現在、日本の価値観だけで、あらゆる作品を描く事は、出来ない。
それは、今現在の日本しか描けない事になるからだ。
これをすると、過去の作品を焼く事にも繋がるし、現在の作品も未来で焼く可能性が出てくるので、かなり危険な思想の入り口だったりもする。
で、色々な時代や文化があって、価値観があって、それらは許容されるべきだ。
だが、これはエロで、どう切り分けるかの問題が起きるポイントにもなる。
例えば、過去や異世界を描く場合、現在の価値観での子供との恋愛、あるいは子供同士の性的な関係が合法として描かれる場合に、それは劇中では一定の正しさがある事として描かれる場合がある。
日本だって、一昔前までは12歳で元服とかあったわけだし、当時を史実のママ描く際に、登場人物の結婚年齢や出産年齢だけ現在の基準に直すと、色々な歪みが出る。
これは、フィクションでも同じ事だ。
また、近親者の恋愛や結婚も、時代と文化によって基準が変わる。
日本は4親等離れていないと結婚出来ないが、多くの外国は5親等離れていないとダメだったりする。
つまり、外国の常識からすると「いとこ」との恋愛や結婚は、NGに見える場合がある。
また、時代によっては近親婚が当たり前でも、現在は法律で禁じられていて、親兄弟姉妹との恋愛は、現実世界ではタブーである。
だが、フィクションでは、禁断の愛として好まれるモチーフだったりもする。
こう言った切り分けは、多くの場合、国毎に基準が決められ、基準から外れたとされた作品は場合によっては禁止国内での流通、販売、場合によっては所持が禁じられる事になる。
最も、インターネットによって国境が機能しきらない現在、輸入や密輸でもしないとならなかった頃以上に、抜け道は多いだろう。
いずれにしても、時代・文化的な表現は許容されるが、国単位で違法とされる場合は十分にあり得る事は、気に留めておきたい。
終わりに
こう言うテーマの記事って、まあ広告は剥がされるわ注意されるわで、正直良い事無いけどさ。
創作の参考になれば良いと思いました。
どう?

“エッチな表現を説明しようと思いました。” への1件の返信