「そもそも」の大切さ
「そもそも」とは、前提であり、土台だ。
大前提が整っていないと、その上に何を作ろうとも「そもそも、それって成り立つ? 必要ある?」と言った疑問を解消出来ない為に、台無しになる事だってある。
今回は、そんな「そもそも」の大切さ、どうすれば「そもそも」を整えられるか等を解説していく。
「そもそも」が成り立たない事が引き起こす物
「そもそも」が成り立たない状況は、「前提の矛盾」を引き起こす設定が原因で起きる。
例えば、
- 病気の恋人を助ける為に、病気を治す薬を探す旅をする物語
があったとして、その設定で、
- 主人公は、何でも病気を治せる超能力がある
と言った場合「そもそも」が成り立っていない事が分かる。
「だったらさっさと治せよ」と、設定を読んだ人は思うはずだ。
これは、物語が、
- どうやって主人公が問題を解決するかの行動を描く物
なのに対して、設定で、
- 主人公が最初から解決手段を持っている
事で、肝心の旅に出る理由を奪っている為に起きる矛盾だ。
つまり、このまま主人公が旅に出ると、読者・視聴者は、ずっと「どうして超能力では治さないのだろう?」と思いながら物語を追って行くか、もしくは「アホらしい」と、物語を追う事自体をやめてしまう。
「そもそも」を成り立たせるには?
情報を補う
「そもそも」を成り立たせるには、情報を補う事で、前提を整えてやることが一つ手だ。
例えば、
- 主人公は何でも病気を治せる超能力を持っているが、使うには必要な物がある
と言った設定があれば、「能力があるが、すぐに治せない理由がある」と納得して物語を追う事が出来る。
変えたのは「どうしてすぐに治さないの?」と言う、この設定を見た時に当たり前に持つ疑問に対して、予め答えを用意してやるだけで良い。
これは、後出しでも出来るので、他の設定とも矛盾を起こさない設定を追加するだけで、既存作の矛盾を解消するのにも使える。
その際は、伏線に使える、既に出ている設定を利用すると、あたかもそう言う前提で物語が組まれていた風に見せられる。
情報追加の限度
ただし、この手法を多用すると、複雑な設定や条件でがんじがらめになる事もあるので、注意は必要だし、後出しの多用は使い方を間違えれば白ける原因になる。
例えば、
もし、友人Aが友人Bとジャンケンをして絶対に勝ちたいとする。
友人Bがパーを出した後で、友人Aは後出しでチョキを出し、「後出しでも勝ちは勝ち」と言ったとして、友人Bが一度受け入れたとしよう。
次のジャンケンは「後出しOK」のジャンケンになる。
すると、友人Aはその状態で勝つために、今度は「手を変える」と言う荒業で勝ちをもぎ取る。
次のジャンケンは「後出し・手の変更OK」ジャンケンになる。
友人Aは、今度は「右手で勝負がついた後から、左手で奇襲をかける」事で勝利したとする。
その二人の勝負を見ていて、あなたは「いい加減にしろ」と、どこかで感じるだろう。
仲が良ければ、良い意味でおふざけの茶番で、ウケる事もある。
だが、それが延々と繰り返されれば「ハイハイ」と、も真面目に取り合う気は無くなってしまう筈だ。
伏線を張らずに、ただ情報追加を後出しでやったら、こうなってしまう。
情報の追加は、伏線を張る必要があり、伏線に使える設定が無い状態で情報を追加するのは、後出しジャンケンと同じで、何度も通用する物では無い。
(人によっては、一回目でご都合主義だと白けてしまうだろう)
設定を変える
執筆中であれば、矛盾を起こす設定を変えるのが、最も手っ取り早い。
- 主人公は何でも病気を治せる超能力を持っていない
と言う、それだけで「そもそも」は守られる。
どうしても超能力を持たせたいなら、設定が矛盾しない能力にすれば良い。
終わりに
「そもそも」が驚くほど成り立っていない作品が、立て続けにアニメ化されたので、こんな記事を書いてみた。
個人的に意外に感じたのは、「そもそも」が崩壊している作品が書籍化・コミカライズ・アニメ化されるぐらい、かなりの人には受け入れられている事実だ。
「そもそも」が矛盾していても、気にせずに(あるいは気付かずに?)物語を追える人が、かなりの数いる事になる。
そう考えると、そんな、おおらかな読者や、これでよいと考えているクリエイターにとっては「そもそも」の説明なんて、そもそもが「余計なお世話」なのかもしれない。
それでも「そもそも」が最低限は整った作品が、少しでも世の中に増えて欲しいと願う事を許して貰いたい。