キャラの良し悪しは、これで決まる!
善悪ではなく、キャラクターの出来で「良い」とされるには、様々な条件が存在する。
今回は、そんな条件と、その実現の仕方を解説する。
共感
真っ先にキャラクター評価の軸に上げられるのが、共感できるかだ。
共感出来ないキャラクターは、それだけで興味を持たれづらい。
興味を持たれないと言う事は、好意を持って貰える可能性も低い。
共感するポイントは、基本的に共通点に対してだ。
では、共感には、どんな種類があるだろうか?
自分と立場が同じ
まずは、社会的な役割だ。
学校、職場、家族、友人等、所属するコミュニティ・環境内での肩書で、十分に共感は生まれる。
親の立場なら、親の物語が気になるし、兄が主人公なら、兄には共感度が違ってくる。
自分が好きな人と同じ
自分が良いと思っている人と同じ要素を持っていると、自然と気になってしまう。
この要素は、好きでいようとする自己肯定の圧力もあって、どうにか嫌いにならない様にする。
反対に、自分が嫌いな人と同じ特徴があるモノには、反対の作用が働く。
例えば、自分に愛する子供がいると、子供と共通点が多いキャラクターの事は自然と応援して見てしまう。
自分の子供と年恰好が近いキャラが、親の為に頑張っている姿なんて見たら、泣いてしまう親は多い。
自分の弱さと同じ
かつて持っていた弱さ、まだ解消出来ていない弱さを描くと、そこに共感が生まれる。
好きな人に告白する勇気がわかないとか、いじめられていたり、いじめを黙認して何も出来なかったり、挫折したり、そう言った事だ。
どうすれば良かったのか分かっていても出来なかった事は、誰もが抱えている。
そう言う弱さは、人生のハイライトとして残っていて、作中に登場すれば記憶が呼び起こされる。
弱さに負けても気持ちが分かるし、立ち向かうなら応援出来る。
弱さを描くのは、とても強力な共感装置となる。
自分の気にしている身体の特徴と同じ
身体的特徴は、時に共感に繋がる。
ただ特徴があっても、それだけでは足りない。
その特徴によって、良い思いや悪い思いをした経験が、共感に結び付く。
泣きホクロや口まわりにホクロがあってセクシーだと言われた経験があれば、そう言う特徴のあるキャラクターに小さな親近感がわくかもしれない。
例えば、ホクロなら、誰にだってホクロはあるが、額にあって茶化された経験があれば、額にホクロがあるキャラが少し気になる。
事故で半身不随になれば、半身不随のキャラクターが気になるだろう。
低身長がコンプレックスなら、低身長を気にしながらも頑張っているキャラクターは、応援の対象に成り得る。
自分の憧れと同じ
まだ持っていないが欲しい、やった事は無いがやってみたい。
あるいは、手に入れようが無いが出来れば手に入れたい。
そんな物に対する強烈な想いは、共感に繋がる。
例えば、人によっては、最初は弱かったのに身を挺して仲間を守る様なキャラクターに対して、憧れの姿を見るだろう。
貧乏だったのに、運でも努力の結果でも金持ちになれば、そこに憧れを持つ。
美女が悪者にさらわれたから、危険を乗り越えて助けに行く姿には、憧れがある人もいるんじゃないだろうか。
大事なのは、最初から憧れの結果を体現しているのではなく、憧れをどう実現させるか、その先でどうするのかを見せる事だ。
これは、やってはいけない事に対しても働く。
犯罪は実際に出来ないし、やってはいけない。
だが、大掛かりな強盗をして大金持ちになるモチーフに、ロマンを感じる人は、沢山いる。
盗む相手が悪者なら、罪悪感も少なくて済む。
自分が欲しかった存在と同じ
自分の失敗で大事な人をガッカリさせてしまった。
そんな落ち込んでいる時に、最後まで離れず、見捨てず、再び立ち上がれるように傍にいてくれる友人がいたら?
きっと、あなたにとって、その友人は特別な存在になる。
迷走し、失敗し、悩んでいる時に、親身になって相談に乗り、導いてくれる先生がいたら?
きっと、恩師だと思う筈だ。
親、兄弟姉妹、祖父母、友人、先輩、先生、師匠、そう言った存在に恵まれない人は、世の中多い。
と言うか、どれかには恵まれたが、どれかは手に入らなかった人ばかりだろう。
もし、そんな存在が自分の傍にいたら、人生は変わったかもしれないと思わせる様な存在は、圧倒的な共感と共に、キャラクターとしても人気を博す。
反感
反感は、共感の反対の軸と言えるだろう。
要は、キャラクターに対して嫌悪感を抱く特徴だ。
自分と敵の立場
学校でいじめられた人は、いじめっ子のキャラクターを本気で嫌う。
毒親に悩まされている人は、毒親キャラクターなんて見たくもないだろう。
この様に、トラウマを想起する様な共通点は、嫌われる対象となる。
敵として出す分には問題無い様に思うかもしれないが、トラウマスイッチがある人の中には、この手のキャラが出るだけでダメと言う人も、かなりいる。
それだけストレスがかかる特徴と言う事だ。
特に、身近な要素は、それだけ地雷率も上がる。
もし、味方になったりするなら、そんなキャラとなったバックグラウンドを明かして、読者への言い訳を行う必要がある。
バックグラウンドを明かさない場合は、スカッとするカタルシスを得る為の捨て駒にするのも手だ。
ステレオタイプの理不尽な不良、いじめを見逃す教師、パワハラ上司、家庭内暴力やネグレクトに走る親等は、フィクションの世界では加害しただけ凄惨な報いを受ける確率が高い。
そうしないと「存在を肯定」する事で、読者にストレスがかかるからだ。
自分が嫌いな人と同じ
理不尽、訳が分からない、怖い、すぐ暴力を振るう。
そう言った要素を好む人は、少ないと思う。
そう言う、嫌いな人と同じ特徴を持っていると、当然、嫌われやすくなる。
また、人だけでなく物も、時に当てはまる。
フィクションには、擬人化等の手法が存在するからだ。
例えば、ゴキブリや鼠が本気で嫌いな人は、そのモチーフを心から好きになるのは難しい。
擬人化やキャラクター化するにしても、嫌いな特徴を相殺するだけの、プラスの要素があって、トントンだ。
ミッキーマウスは、病気を広げる事も他人の家に勝手に入って食べ物や配線をかじる事も無いし、群れで行動する事も無いし、面白く、時に知的でさえある。
ウォーリーに登場したゴキブリは、明らかな知性があり、孤独なウォーリーの数少ない友人として振る舞っていた。
だから、この要素を敵に使うと、効果的になる。
テラフォーマーズでは、人型のゴキブリが登場するが、相手がゴキブリかつ人を殺していくモンスターだからこそ、人型の存在を殺す事に対して抵抗は、むしろ少ない。
自分の醜さと同じ
弱さは至らなさだが、醜さは残酷さに通じる。
出来ないのではなく、出来る悪さだ。
醜さは、見ていて気分が良い物ではない。
例えば、友人がいじめの標的になってしまい、それを、感情・論理的に、弱さゆえに助ける勇気が出せなかった場合と、醜さゆえに友人を見捨てた場合では、同じ行動でも受け取られ方が違う。
弱い存在は共感出来るが、醜い存在には共感が難しくなる。
どうにか助けるべき友人を見捨てて「そうするしかなかった。それが正しい」と合理的に思う人よりも、感情的に「どうにか助けたかった」と思う人の方が多いからだ。
自分の嫌っている人の身体の特徴と同じ
嫌っている人と顔が似ているキャラがいたら?
きっと、とっつきにくいと感じる筈だ。
自分の嫉妬と同じ
自分と同じ様な立場から、憧れの存在になった訳では無い場合。
例えば、親が金持ちだったり、貴族や王族だったり。
もし、自分がそう言う対象に憧れを持っている場合、最初から持っている相手に対して嫉妬の気持ちを持つことが少なからずあるだろう。
努力して金持ちになったキャラと、親の遺産で最初から金持ちのキャラがいたら、どっちの方が好かれやすいかは、感覚で分かると思う。
嫉妬の対象に、その立場なりのバックグラウンドを説明する機会があれば、そのヘイトは無くなる。
例えば、王族や貴族なら、立場なりの立ち振る舞い、志し、役割が付いて回り、良い事ばかりではない。
親が金持ちで会社を継ぐにしても、親の七光りとみられるとか、マイナス面は何いかしら有る筈だ。
反対に、嫉妬の対象のヘイトを高めれば、良い悪役になる。
親が金持ちだから、親の金で威張るとか、金で物事を解決しようとするとか、本来ある筈の責任や義務と言ったマイナス面を感じさせない様にすれば良い。
自分を追い詰めた存在と同じ
あなたは、あなたの至らなさ、失敗、あるいは悪い事をした事実を、「言いつける」人を、どう思うだろうか?
あなたを追い詰める行動を取った人を、あなたはきっと嫌いになるだろう。
それが当事者で無いなら、より「余計な事を」と思うかもしれない。
これは、共感にも当てはまる。
直接的な敵でなくても、良かれと思ってやったとしても、あなたを過去に追い詰めた行動を取った人と同じ行動を取る人の事は、きっと好きになれない。
あなたが学生で、窓ガラスを誤って割ったとする。
謝ろうか逃げようか悩んでいる最中に、先生に言いつけられたら?
逃げきったと思ったら、言いつけられていて怒られたら?
きっと、自分が悪いとしても、腸が煮えくり返る人は、大勢いる。
学校の掃除の時間に、少しふざけていたら「ちゃんと掃除して」と言ってくる人がいるだけでも、物凄く面倒に感じるだろう。
仮に、あなたがブラック会社の社長や中間管理職で、内部告発を受けて公的機関の捜査が入ったら?
あなたが100%悪くても「よくも追い詰めやがって」と、思ってしまう事だろう。
この様に、追い詰める存在は、立場によって敵にも味方にもなる存在だ。
被害者側からすると、報告者は、強い味方だ。
だが、加害者側に立ってしまうと、一転、厄介な存在になる。
問題は、加害者側に一度もなった事が無い人など、この世に存在しない事だ。
犯罪の経験や前科が無いとしても、誤って人を傷つけてしまった事や物を壊した事ぐらい、長く生きていれば必ずある。
その際、事が前に進むまでのタイムラグや、心の準備期間を飛ばし、悪いと「謝ろうとしていたのに、先に怒られる」とか「自首を考えていた矢先に逮捕される」なんて不運も、起こりえる。
更に、世の中には、冤罪が存在する。
つまり、非が無いのに、嘘や勘違いで報告する事で、追い詰めてくる人が存在する。
冤罪事件の被害者になれば、きっと追い詰める存在は、忌々しい要素となるだろう。
共感と反感をコントロールする方法
入れたい要素や使いたい要素を好きに詰め込んで、良いキャラクターが出来るなんて事は、偶然や持ち前のセンスに頼る事になる。
偶然に頼るのは、サイコロを6個同時に振って、6個とも6が出る様な物だ。
コントロールするとは、サイコロを一個ずつ振って6個6を揃えるぐらい、違う。
自分の使いたい好き嫌いと、他人の見たい好き嫌いが良い感じ一致していれば、サイコロの出目を自在に操れるようにさえ、なるだろう。
問題は、センスが根本的にズレている時だ。
その時は、自分の使いたい好き嫌いと、他人が見たい好き嫌いで、すり合わせを行う必要が出てくる。
例えば、自信も実力もあって、周囲をぐいぐい引っ張っるキャラを描こうとしたのに、自分が使いたい要素を全部入れたせいで、自意識過剰な嫌な奴に、他人からは見えてしまう事もある。
キャラクターは、しっかりと客観性を持ってデザインする必要がある。
主観だけだと、思わぬ落とし穴があると言う事だ。
自分の好きを全部詰め込んだのに、そのキャラが嫌われたら、きっと悲しくなるだろう。
それを避けるのが、客観性のデザインだ。
自分は、こうイメージしているは、主観のデザインだ。
他人からは、こう見えているが、客観性のデザインとなる。
自分で、他人からは、こう見えているだろう、と言う、主観的な客観的デザインが出来れば良い。
もし、出来ないなら、他人に見せて感想を引き出すのが、一番手っ取り早いだろう。
その時「自分はこう思っているんだけど」と言うと、人によってはオブラートに包んでしまう事もある。
聞く相手を見極めるのも、大事な要素だ。
あなたの作品の向上を本当に願っている人に聞かないと、本当に欲しい答えを引き出すのは難しくなる。
と、今回は、このぐらいで。