昔話を分析・解説
今回のテーマは「人形つかい」。
人形つかい
引用:青空文庫
https://www.aozora.gr.jp/#main
著者:ハンス・クリスチャン・アンデルセン
翻訳:矢崎源九郎
プロローグ
いかにも楽しそうな顔つきをした、かなりの年の人が、汽船に乗っていました。
もし、ほんとうにその顔つきどおりとすれば、この人は、この世の中で、いちばんしあわせな人にちがいありません。
じっさい、この人は、自分で、そう言っていましたよ。
わたしは、それを、この人自身の口から、ちょくせつ聞いたのです。
この人は、デンマーク人でした。
つまり、わたしと同じ国の人で、旅まわりの芝居の監督だったのです。
この人は、一座のものを、いつもみんな、引きつれていました。
それは、大きな箱の中にはいっていました。
というのも、この人は人形つかいだったからです。
この人の話によると、生れたときから陽気だったそうですが、それが、ある工科大学の学生によって清められ、そのおかげで、ほんとうにしあわせになったということです。
わたしには、この人の言う意味が、すぐにはわかりませんでしたが、まもなく、この人は、その話をすっかり説明してくれました。
これが、そのお話です。
日常の時
あれはスラゲルセの町でしたよ、と、この人は、話しはじめました。
わたしは、駅舎で芝居をやっていたんです。
芝居小屋もすばらしいし、お客さんもすばらしい人たちでした。
といっても、おばあさんが二、三人いたほかは、みんな堅信礼もすんでいない、小さなお客さんたちでしたがね。
切欠の時
するとそこへ、黒い服を着た、学生らしい人がきて、腰かけました。
その人は、おもしろそうなところになると、かならず笑って、手をたたいてくれました。
こういう人は、ほんとにめずらしいお客さんなんですよ。
そこで、わたしは、この人がどういう人か、知りたくなりました。
人に聞いてみると、地方の人たちを教えるために、つかわされてきている、工科大学の学生だということでした。
わたしの芝居は八時におしまいになりました。
だって、子どもたちは、早く寝なければいけませんでしょう。
わたしたちは、お客さまのつごうを考えなければなりませんからね。
九時になると、学生は講義と実験をはじめました。
今度は、わたしが聞き手にまわりました。
しかし、講義を聞いたり、実験を見たりしているうちに、なんだか、とてもふしぎな気持になりましたよ。
たいていのことは、わたしの頭をすどおりしてしまいましたが、これだけは、いやでも考えさせられましたね――
われわれ人間が、こういうことを考えだすことができるとすれば、われわれは、地の中にうめられるまでに、もっと長生きできてもいいはずだが、とね。
あの学生のやったことは、ほんの小さな奇蹟にすぎませんでしたが、なにもかもが、すらすらといって、まるで、自然に行われているようでした。
モーゼや預言者の時代であったら、あの工科大学の学生は、国の賢者のひとりとなったにちがいありません。
それが、もし中世の時代だったら、おそらく、火あぶりにされたでしょうよ。
悩みの時
その晩、わたしは一晩じゅう、眠れませんでした。
つぎの晩にも、わたしが芝居をやっていると、その学生は、また見にきてくれました。
で、わたしは、すっかりうれしくなりました。
わたしは、ある役者から、こんな話を聞いたことがあります。
その役者が、恋人の役をやるときには、お客の中の、ただひとりの女の人のことだけを、心に思い浮べて、その人のために役を演じて、ほかのことは、小屋からなにから、いっさい忘れてしまうというのです。
わたしにとっては、この工科大学の学生が、その「女の人」になったのです。
この学生のためにのみ、わたしは、芝居をして見せることになったのです。
芝居がおわると、人形たちはみんな、舞台に呼びだされました。
切欠の時
そして、わたしは、工科大学の学生からブドウ酒を一ぱい、ごちそうになりました。
学生はわたしの芝居について話し、いっぽうわたしは、学生の学問について話しました。
あのとき、わたしたちは、おたがいに、たいへん楽しく話しあったように思います。
それにしても、あのとき、学生の言った言葉は、今もなお、わたしの頭にこびりついています。
というのは、その話の中には、学生自身でも、説明できないようなことが、たくさんありましたからね。
たとえば、一片の鉄がコイルの中を通ると磁石になるといったことがらも、その一つです。
ほんとに、これはどういうわけでしょうか?
霊気が、それに働きかけるのです。
しかし、その霊気は、どこから来るのでしょう?
わたしの考えでは、この世の中の人間についても、同じではないか、という気がしますね。
神さまは、人間を時のコイルの中を通過させます。
そうすると、霊気が働きかけて、ナポレオンのような人や、ルーテルのような人や、あるいはまた、それと似たような人が、できあがるのです。
「全世界は、奇蹟の連続ですよ」と、学生は言いました。
「ところが、われわれは、それになれすぎているものだから、あたりまえのことのように思っているんです」
それから、学生はいろいろと話したり、説明したりしてくれました。
で、とうとう、わたしは、すっかり目を開かれたようになりました。
悩みの時
そこで、わたしは、もしこんなに年をとっていなければ、すぐにでも工科大学へはいって、この世の中のことを、いろいろと調べてみたいんだが、まあ、それができないにしても、わたしはもっともしあわせな人間のひとりだと、正直に白状しました。
「もっともしあわせな人間のひとりですって!」と、学生は、ひとことひとことを、味わうように言いました。
「あなたは、ほんとうにしあわせなんですか?」と、学生はたずねました。
「ええ」と、わたしは答えました。
「わたしはしあわせですよ。わたしが、一座のものを連れていけば、どこの町でも、大かんげいをしてくれます。といっても、もちろんわたしにも、一つの願いがありますがね。それが、ときどき、ばけものか、夢にあらわれる悪魔のように、わたしにおそいかかってきて、わたしの上きげんを、めちゃめちゃにしてしまいます。つまり、その願いというのは、生きた人間の一座の、ほんとうの人間社会の、劇場監督になることなんです」
「それでは、あなたは、人形が命を持つことを、望んでいらっしゃるんですね。人形たちが、ほんとうの役者になることを望んでいらっしゃるんですね」と、学生は言いました。
「そして、あなた自身が監督になれば、それであなたは、完全に幸福になると、信じていらっしゃるんですか?」
学生はそれを信じませんでしたが、わたしは信じました。
わたしたちは、さらにそのことについて、いろいろと話しあい、とうとう、意見もほとんど一致しました。
決意の時
そこで、わたしたちは、グラスをかちあわせて、かんぱいしました。
ブドウ酒はたいへん上等なものでしたが、その中には、なにか魔法のくすりでも、はいっていたんでしょうよ。
なぜって、いつもなら、いい気持になって、酔ってしまうのですが、このときは、そうではなくて、逆に、わたしの目は、はっきりとしてきたんです。
と、きゅうに、部屋の中に太陽がさしこんできたように、明るくなりました。
その光は、工科大学の学生の顔から、さしているのです。
思わず、わたしは、永遠の若さで、地上を歩きまわっていたという、大昔の神さまたちを、思わずにはいられませんでした。
わたしが、そのことを言うと、学生はほほえみました。
わたしは、この学生こそ、姿をかえた神さまか、そうでなければ、神さまの家族のものにちがいない、と、ちかってもいいとさえ、思ったほどでした。
――ところが、ほんとうに、そうだったんですよ――わたしのいちばんの願いが、かなえられたんです。
試練の時
人形たちが生きて、わたしは生きた、ほんとうの人間の一座の、監督になったんです。
わたしたちは、お祝いのかんぱいをしました。
学生は、わたしの人形を一つのこらず、木の箱につめて、それを、わたしの背中にしばりつけました。
そして、わたしを、ドスンと、コイルの中に入れました。
そのとき、ドスンと落ちた音が、いまでも、わたしの耳に聞えてきますよ。
わたしは、床の上に横たわりました。
これは、ほんとうの話ですよ。
すると、一座のものが、みんな箱から飛びだしてきました。
つまり、霊気が、みんなの上に働きかけたってわけです。
人形という人形が、すばらしい芸術家になりました。
みんながみんな、自分で、そう言うんです。
そして、このわたしは、監督になったんです。
第一回めの上演の準備は、もうすっかりできあがりました。
ところが、一座のものがひとりのこらず、なにか、わたしに話したいことがあるというんです。
お客さんもおんなじです。
危機の時
踊り子は、自分が片足で立たないと劇場はつぶれてしまう。
なにしろ、自分は舞踊界の大家なんだから、それにふさわしいように、待遇してもらいたい、と、言いだしました。
すると、皇后の役をやった人形は舞台の外でも、皇后としてあつかってもらいたい、そうでないと、へたになってしまうから、と、言いました。
また、手紙を持って登場する役の人形は、一座の中でいちばんの色男役のつもりで、もったいぶっていました。
なぜって、芸術の世界では、小さいものも、大きいものと同じように重要なのだから、と、この男は言いたてました。
いっぽう、主人公役は、自分が出るときは、いつも幕切れのまえでなければこまる、なぜなら、お客さんはそこで拍手するのだから、と、言いました。
それから、プリマドンナは、自分が出るときは、赤い照明にしてもらいたい、それが、自分にはよく似合うのだから、と言いました――そして、青い照明ではいやだ、と言うのです。
絶望の時
みんなのうるさいことといったら、まるで、ハエがびんの中で、ブンブンいっているようでした。
しかも、このわたしは、そのびんの中にいなければならないんですよ。
なにしろ、監督ですからね。
息はつまりそうになるし、頭はくらくらしてくる、わたしはこの上もなくみじめな人間になってしまいました。
今までに見たこともないような、とんでもない種類の人間の中にはいってしまったのです。
わたしは、もう一度みんなを箱の中に入れてしまいたい、と思いました。
もうどんなことがあっても、監督にはなるまい、と思いました。
わたしは、みんなにむかって、正直に、きみたちは、なんのかんのと言ったって、けっきょくは、人形にすぎないじゃないか、と、言ってやりました。
すると、みんなは、いきなり、わたしに打ってかかりました。
契機の時
気がついてみると、わたしは、自分の部屋のベッドに寝ていました。
わたしが、どんなふうにして、そこへもどってきたかは、工科大学の学生は知っていたにちがいありません。
けれども、わたしはなんにも知りませんでした。
月の光が、床の上にさしこんでいました。
そこには、人形の箱がひっくりかえっていて、人形たちは、大きいのも小さいのも一つのこらず、つまり、わたしの商売道具がみんな、ほうり出されていました。
わたしは、のろのろせず、すぐさま、ベッドから飛びだしました。
すると、みんなは、箱の中にはいっていきました。
ある者は頭のほうから、ある者は足のほうから、というぐあいに。
わたしは、ふたをして、その箱の上に、どっかと、腰をおろしました。
そのときのようすは、絵にでもかいておきたいようでしたよ。
あなたには想像できますか。
わたしには、今もなお目に見えるようですよ。
「さあ、おまえたちは、そこにはいっているんだよ」と、わたしは言いました。
解決の時
「わたしは、もう、おまえたちが、血と肉を持つようになることを、願わないよ」
わたしは、たいへん気が楽になりました。
わたしは、この世で、もっともしあわせな人間になりました。
あの工科大学の学生が、わたしの心を清めてくれたのです。
わたしは、なんともいえない幸福な気持にひたっているうちに、箱にこしかけたまま、いつのまにか、寝こんでしまいました。
そして、朝になっても、――いや、ほんとうは、もう、お昼になっていました。
びっくりするほど、寝坊をしてしまったものです――わたしは、まだ箱の上に腰かけていました。
あいかわらず、しあわせな気持でした。
なにしろ、前から胸にいだいていた、あのたった一つの願いが、ばかばかしいものであるということを、知ったのですから。
エピローグ
わたしは、工科大学の学生のことをたずねてみました。
すると、あの学生は、まるでギリシャやローマの神さまたちのように、もう、消えうせてしまっているのでした。
このときからというもの、わたしは、世にもしあわせな人間なんですよ。
幸福な監督なんです。
わたしの一座のものは、りくつをこねません。
お客さんも、おんなじです。
みんな、心の底からよろこんでくれています。
わたしは、自分の芝居を、自由に組み立てることができます。
いろんな芝居から、自分の好きな、いちばんいいところを、取ってきても、だれひとり、腹をたてる者もありません。
大きな劇場では、今は見むきもされませんが、三十年前にはお客をひきつけて、涙を流させた、というような作品を、わたしは取りあげて、小さいお客さんたちに、やってみせるのです。
そうすると、小さいお客さんたちは、むかし、おとうさんやおかあさんが泣いたように、泣いてくれるのです。
わたしは、「ヨハンナ・モンフォーコン」や「ダイヴェケ」を上演します。
でも、ちぢめてですよ。
というのは、小さいお客さんたちは、長たらしい愛のおしゃべりなんか、きらいですからね。
あの人たちが好きなのは、不幸です。
それも、てっとり早いのが、好きなんです。
わたしは、今までにデンマークを、すみからすみまで旅してまわりました。
そして、あらゆる人を知り、またわたしも、あらゆる人に知られました。
いま、わたしはスウェーデンに行くところです。
もしスウェーデンでも、運がよくて、お金をたくさんもうけたら、わたしはスカンジナビア会にはいるつもりです。
でも、もうけなければ、はいりませんよ。
この話は、あなたが同じ国のかただから、申しあげるのです。
そして、同じ国の人間であるわたしは、この話を、さっそくそのまま、お伝えしたわけです。ただお話ししたいばっかりにね。
解説
一人称の語り部によって回想形式で語られていく物語だ。
それまで持っていた夢を実際に叶えてみたら、思っていた物と違ったと言う話。
なのだが、劇団を持ち監督になりたかった「人形つかい」の場合、普通に信頼の出来る劇団員を集められれば、こんな気持ちにはならなかったのでは、と思わない事も無い。
元の夢を間違った目標と捉えるか、足るを知る事で幸福に至ると捉えるか、様々な捉え方が出来るだろう。
夢を叶えていき、それが違うと気付き、別の本当に大事な物に気付いたりすると、もう少しハッピーエンドになる。
工科大学の学生と言う夢を叶える存在と出会い、その出会いこそが人形つかいにとって宝となっているのだが、その存在が「謎」で終わっているので、スッキリ感は少ないだろう。
せめて、もう少し絆でも描けると違ってくる。
ちなみに「カール爺さんの空飛ぶ家」や「怪盗グルーの月泥棒」が、構造的には近めの最近の作品だ。
どっちも「冒険をする」とか「月を盗む」と言う夢を叶える事よりも、その過程で出会う「ラッセル少年」や「三姉妹」との出会いこそに意味があるって感じ。
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