魅力的なセリフの作り方【間違いを含んだ断言編】

偏った意見は面白い

魅力的なセリフは、物語に華を添える。

どうやって考えれば良いのか、それは様々な手法が存在するが、今回紹介するのは「間違いを含んだ断言」を紹介しよう。

正しい事を正しく言うのは、つまらない

ここで言う正しい事とは、倫理的・論理的にも正確性が高い事を意味する。

つまり、正義でも、道徳でも、論理でも、より正しい事だ。

これらの正確性を高めるのは、とても重要な事だ。

しかし、こう言う類の言葉は、説教臭く、面白みに欠ける。

正しいだけの情報は、言ってしまえば教科書的で、教師的で、精度の高い正解を求めていないと、まあ面白く無い。

ちなみに、このブログの記事の大半は、そんな情報を多分に含む事を目指して構築されている。

エンタメとして面白みには欠けるが、出来るだけ正しさを維持した状態での執筆を心掛けていると言って良い。

なので、大抵の説明に「可能性が高い」「傾向がある」「大半は」「例外的に」等の、断言を避ける言葉が意図的に使われている。

それは、この記事もそうだ。

断言すると言う事

では、魅力をアップさせる、まず「断言」とは、具体的にどんな事だろうか?

例えば「将来、絶対成功する」と言うのと「いつか成功出来るように努力する」では、目指している物が同じだとしても受ける印象は変わる。

まず「絶対」は、限りなく成功率や再現率が100%に近い物以外には、本来の意味では使えない。

つまり「絶対」とは、本来的には正しさを保証する場合、非常に扱いが難しい言葉なのだ。

他にも「必ず」とか「間違いなく」とか、シンプルに「なになに”だ”」とか、断言する言い回しは、使い処によっては間違いを含む状況に陥る可能性が高い。

断言するだけで、不正確率が高まるのだ。

なので、発言の正確性を高めたい人は、断言する言い回しや言葉は、使う機会が減る。

容易に断言出来る事

余談だが、断言可能な事柄には「過去と現在の確定的な事実」がある。

例えば、あなたが家族や恋人を好きだったり、愛している場合、それを伝える言葉は断言で構わない。

ちなみに、歴史の何割かは推測が含まれている上に、立場によって表現が変わるので、実は事実ではないと言う事が時々起きるので、その点は注意だ。

もう一つは、一般的な状態の個別の事柄だ。

物は重力に引かれる、1に1を足したら2になる、太陽を見たら眩しい。

そういう事は、この世界の法則が今後変わらない限りは、未来でも同じ状態が期待できる。

しかし、これは、例えば意地悪な「盲目な人が見たら眩しくない」みたいなパターンが発生しうる。

なので、一般的な状態なのだ。

この条件も、地球上の9割が失明したら条件が変わってしまう。

このように、正確性を高めるのは、とても厄介なので正確な物ほど曖昧を残す。

間違いを含むのに断言すると言う事

上記の様な事がある為、断言するだけで多くの事柄は間違いを内包する可能性がある。

だが、一般的な状態であれば、含んでいる間違いは無視をしても害を感じない事の方が多い。

ここで、一般的さも排除した状態で断言をすると、どうなるかが重要となる。

つまり、間違いを多く含んだ状態を断言すると言う事は、その裏に「間違った認識」か「深い考え」のいずれかが隠れている事になる。

一部の自己啓発本は、間違いを含む断言を行った後で、本の中で「深い考え」を披露していたりする。

だから、後でタイトルの意味が分かって面白い。

他に、差別や偏見が含まれる発言は「間違った認識」が含まれている為、周囲にそれを正そうとする反対の動きを起こさせるに至る事が多い。

賛同者には愉快だが、間違いを理解出来る人にとっては不愉快となり、この偏った意見によって起きる「波」が、人の感情を刺激する。

断言の後で判明するのが「間違った認識」の場合は不愉快に終わり、「深い考え」の場合は感心に繋がる。

この、心の波が後々に面白さに繋がるからこそ、間違いを含む断言は魅力的なセリフへと繋がっていく。

魅力の正体は「成り立たせるロジック」

間違いを含む断言だけでは、フックにしかならない。

強烈・強力なフックだけでも、人は惹きつけられるが、その断言を成立させるだけの根拠が示されて、ようやく魅力的なセリフが表現できる。

ロジックは、論理的なほど感心に繋がり、感情的なほど共感に繋がる。

例えば「○○ってバンドはクソだ」と、誰かが言っていたとする。

そのバンドを、その人が悪く言っている点では、その部分もあるのかもしれないが、あなたはそんなに悪く無いと思っていたとしよう。

その人が言う根拠が論理的で「○○ってバンドは、××ってバンドの曲をパクっていたからクソなんだ」と言われると、その情報が事実だと、あなたの中の価値観が揺らされるだろう。

一方で、感情的な根拠で「○○ってバンドの音楽は、私が好きじゃないからクソ」と言う場合は、かなり趣味が違う人だと思う筈だ。

破綻したロジックの面白さ

例えば「○○ってバンドは、差別主義者の集まりでクソだ」と、誰かが言っていたとしよう。

どうして差別主義者なのか、あなたは知りたくなって聞いてみたとする。

「残念だが事実なんだ」とか「俺が思うに」とか、返されたとする。

質問は、差別主義の根拠を聞いているのに、返答が差別主義なのは事実と言われても、そこに納得は生まれない。

要は、エビデンス(証拠)が示されていないのだが、この「事実は事実」と『事実か分からない事』に対して言ってしまう辺りで、発言者の頭の良し悪しが、なんとなく分かってしまうと言う事なのだが、ロジックに対して反ロジックで返す会話は、以降もロジカルに進む事は望めない。

つまり、ロジックが破綻した会話は、ドンドン予想もつかない回答が飛び出すと言う点で、めちゃめちゃ面白くなる可能性を秘めているのだ。

終わりに

  • 正しい事は、正確過ぎるか、必ず曖昧で面白く無い(教科書的)
  • 間違いを含んでいても断言した方がフックが強くなる(自己啓発本的)
  • 断言した発言を、正当化するロジックが面白さに繋がる(納得か、共感か)
  • ロジックは破綻しても面白い(コメディ的)

今回のポイントは、こんな所だろう。

要は、偏った意見や考え方や、それを正当化するロジックに魅力が宿ると言う話でした。

中立、公平、公正は、使い処によっては正しくなりますが面白く無いです。

物語を描く場合は、何かしらを「変」にする事が重要で、変と言う事は、何かしらのベクトルで偏っていると言えます。

偏った状態を正当化するとは、個性や愛の表現に繋がります。

ヘルシングの少佐の名演説「私は戦争が好きだ」とかは、正に偏った状態を見事に正当化した、愛の表現でしょう。

バットマンのジョーカーが魅力的なのも、ダークナイトでの「混沌の本質は公平だ」と言うセリフに代表される、独特な美学や信念に殉じている生き様が魅力アップを手伝っています。

物語に魅力が足りない、セリフが面白く無いと感じた時は、偏った意見と、それを成り立たせるロジックを考えて見ましょう

キャラクターが、しっかり人格を持っていて、それが個性的なら、持っている偏った考え方に目を向ければ、表現しやすい筈です。

この記事が、創作のヒントになれば幸いです。

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