【キャラクター創作法】意識の「高い」と「低い」を描き分けよう

意識の高低差って何?

今回は、知って得する「意識が高い」と「意識が低い」の差を解説しようと思う。

現実にも当てはまるが、これが明確に理解出来ていると、キャラクターを描き分ける時にキャラがブレる事がグンと減るだろう。

意識の高低差って、どうやって考えれば良いか分かる?

意識の高低差とは?

結論から書くと、意識の高低差とは、人の持っている「視点の高さ」を指す。

つまり、「意識が高い」とは「視点が高い」と言う事で、「意識が低い」とは「視点が低い」と言う事になる。

では、視点とは何で、高低差によってどの様な違いが出るのだろうか?

物理的高低差をイメージしよう

物理的な高低差をイメージする事で、一気に視点の高低差への理解が深まる。

まずは、地面に伏せた状態で、周囲を見てみよう。

何が見えるだろうか?

地面が、物凄く近くに見えるだろう。

いつも見ている世界が、少し変わって見える筈だ。

では、今度は立った状態で周囲を見てみよう。

今度は、何が見えるだろうか?

日常的に見ている景色が目に入るだろう。

最後に、山や塔の頂上に立って周囲を見てみよう。

視点が高くなったのが分かるだろう。

地面に伏せたり、立っていた時とは違う見え方をしている筈だ。

意識の高さの基本は、これらと変わらない。

意識の高低差は、どれだけ遠くが見えているかの差

物理的に高低差を変えると、世界の見え方が大きく変わった。

これを、物理では無く、意識で行う事が意識の高低差を生む。

で、基本法則は、意識の視点が高いほど、遠くが見え、意識の視点が低いほど、近くが見えると言う事なのだが、この遠い近いと言う物の概念が、物理とは違ってくる。

物理の高低差では、物理的な距離観が変わって来る。

近いとは、ミクロな視点で、遠いとは、マクロな視点だ。

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これが意識になると、物理的な制約が無くなり、概念やルールにも当てはまる様になる。

すると、そこには「今と未来」や「個と全体」と言う概念が大きくかかわる事になる。

どれだけ遠くが見えているかとは、どれだけ遠くの事を想像して、考えて行動出来るかとなる。

なので、意識が高くなるほどに、より「遠い未来」「広い範囲」の事を考える様になる。

だから、意識が高い人は「子供達の、その更に子供の未来の為に地球を守ろう」とか「自分達じゃなくて、みんなの為に何が出来るのか」とか、そういう事を考える様になる。

持っている意識の視点が、高い位置にある物に対して、より遠くて広い範囲に良い行動を取ろうとするわけだ。

意識は時と場合で高さが変わる

この意識と言うのは、高ければ高いほど良いと言う物でもない。

例えば、友人や家族と会話をする時の、適切な視点の高さは、どこだろうか?

地べたでも、山の上でも無い。

相手の顔が見えて、個人として認識出来ている事は、前提となる。

つまり、意識の高さとは、時と場合によって最適解が変わって来る。

相手が意識が低い場合は、その視点の高さに合わさないと、そもそも会話が成り立たない事もある。

これは高い意識の場合も同じだ。

人は、意識の高低差を、自然と使い分ける事が出来る。

自分の事は低い意識で見ていても、例えば、愛する我が子に対しては将来を見据えた先行投資を行うなんて事は、珍しくない。

要するに、大事な物に対しては、人は意識を高くしようとするし、大事さが下がっていけば意識は自然と低くなる。

子供の将来を考えれば、その視点では意識が高くなり、教育熱心になるかもしれない。

仕事の将来を考えれば、キャリアを考えたり資格を取ろうとするかもしれない。

未来を考えて現在の経験値が大切だと考えれば、今しかできない行動を取ろうとするだろう。

いずれにしても、大切な物に対して、人は意識が高くなる。

より未来を予測して、より幸福や裕福を手に入れるには、意識が高い方が有利だからだ。

と言って、高すぎる意識は、意識レベル(意識の視点の高さ)が合っていないと、大きくすれ違う。

子供が親の顔を見て話をしているのに、親が子供の未来しか見ていない時には、悲劇が待っているかもしれない。

これは、友人でも、家族でも、知り合い程度の相手だって同じ事で、大事なのは意識が高いか低いかでは無く、相手や状況に合った意識を持つ事になる。

意識は偏っているほど、面白い事になる

意識レベルが偏っていると、コミュニケーションのギャップが起きる。

例えば、環境活動家は、高すぎる意識しか持ち合わせていない場合に、周囲の理解を得られない。

どんなに高い意識で、将来的に正しい事を言っていたとしても、理解を得られないので、意識の持ち腐れとなる事もある。

これは、活動環境にある人々の平均的な視点の高さにまで視点を下げて、理解出来る様にしないと解決しない。

学校でも会社でも、意識が高い人々は、そういう意識の高さからくるコミュニケーションギャップが大きいほど、意識が高いから煙たがられたり、意識が高いのに裏で馬鹿にされたり、そういう悲しい目に遭う事がある。

誰しも「あの人だ」とか「自分じゃん」と思う所の一つや二つあるだろう。

だがしかし、これがフィクションになると、面白いのは意識の高さが偏った人となる。

意識が高すぎても面白いが、意識が低すぎても面白い事になる。

意識が低いとは、視点が低い物事の判断しかしないと言う事であり、これは狭い世界の、近い未来しか考えずに行動する事に繋がる。

つまり、意識が低い人は、刹那的な行動を取りがちになるのだ。

すると、無計画だったり、欲望に忠実で我慢が出来ないと言った行動は、その環境に局所的な波を作る。

そこには、ドラマが生まれ、葛藤が生まれ、喜劇や悲劇に繋がっていく。

意識が低く偏った行動が、ドラマを生む

意識が高いと、遠く広い視点で見た正解を選ぼうとしてしまう。

現実で、夢を真面目に正攻法で叶えるには、とても良いだろう。

だが、そこには劇的なドラマは生まれない。

ドラマとは、意識が低く、偏った状態で下した、あるいは下さざるを得ない状況での行動によって、初めて生まれる。

例えば「出来ちゃった婚・授かり婚」の類は、避妊の事故や、わざと意図していた場合以外は、意識が低い事で発生する。

現実では、結婚の良い切欠になると受け取れる人もいれば、望まずに結婚に追い込まれる人もいるだろう。

いずれにしても、計画的に結婚をするよりも、手っ取り早く大きなドラマが発生するのは想像しやすい。

毎日、コツコツ勉強してテストに合格するよりも、無勉強からの一夜漬けで挑む方が、少しだけドラマティックだ。

お酒が好きだが控えている時に、酒の誘惑に勝つのと負けるのでは、どちらがドラマが生まれそうか?

終わりに

  • 意識の高低差は、人が意識する視点の高低差
  • 意識が高いほど、遠く、広く見える
  • 意識が低いほど、近く、狭く見える
  • 大事なのは、相手と時と場合を考えて意識の高さを合わせる事
  • 意識レベルが偏っているほど面白い
  • 意識が低い行動の方がドラマティックになる

今回は、こんな感じでした。

意識の「高い」「低い」を意識すると、何に対して視点が高いか、視点が広いか、どれぐらい先を考えているか、またその反対も統一感を持って描けるようになる為、キャラの価値観がブレにくくなります。

創作だけでなく現実にも当てはまる事でもあるので、自分と上手く行っていない人と意識レベルが合っているか等も、俯瞰して考えるヒントになるかもしれません。

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