狙って感情を溢れさせれば感動できる法則

感情を溢れさせる為にするべき事

感動は、感情が溢れた時に表出する。

どうすれば溢れさせる事が出来るか、これが分からないと狙って感動を起こせない。

そこで、今回は誰でも狙って感動を起こせる様に、そのメカニズムを解説する。

第一段階:情緒

上記図を見て貰いたい。

中心は「無感情」で、感情がフラットな状態だ。

基本的に、何も無い時はこの状態で、アイドリング(稼働即応状態)している。

中心の一個外側、そこが感情の第一段階と呼べる場所で「情緒」の感情領域だ。

情緒は、物事に触れて起きる感情や雰囲気を表す。

つまり、あらゆる興味を引く情報に触れると、そこに情緒の変化が起きる。

触れる情報と、触れる人の持つ性質の相性で、最初の感情変化が起きるのだが、まだ情報が完全には自分事では無い。

  • 感傷的:懐かしい
  • 動揺:吃驚
  • 不安:不信
  • 容認:信用
  • 安らぎ:好ましい
  • 関心:興味ある
  • 苛立ち:どうにかして欲しい
  • 倦怠:好ましくない

それぞれ、触れる情報から受けるイメージで、情緒が変化する。

懐かしい情報に触れると、感傷的になる。

興味が湧く情報に触れると、関心が湧く。

好きな情報に触れると、安らぎを感じる。

と言った具合だ。

どれも、他人事である。

第二段階:思考の支配

情緒は、情報によって感情が淡く染まる程度だった。

次の段階で、情報の種類が変わり当事者意識が湧く状態になると、感情は強く染まり、自分事となった事で思考が支配されてしまう。

  • 悲しみ:良さが失われた状況
  • 驚き:想定できない状況
  • 心配:出来ない・出来ていない状況
  • 信頼:出来る・出来ている状況
  • 喜び:好ましい状況
  • 予測:想定できる状況
  • 怒り:どうにかしたい状況
  • 嫌悪:好ましくない状況

これらを呼び起こす自分事の情報に触れた時、人の感情は強く染まり、乱れてくる。

ただ、内心は穏やかではないが、この時点での感情は外側に漏らさない事も可能だ。

第三段階:感情発露

第二段階に加え、更に感情を動かす情報が加わる事で、人は感情を抑えられなくなる。

加わる情報によって、感情が処理不能状態に陥る為、溢れてしまうのだ。

  • 悲観:良さが失われたが『二度と取り戻せない』
  • 驚愕:想定できないが『気付いた時は手遅れ』
  • 恐怖:絶望的だが『希望は無い』
  • 敬愛:理想的だが『自分の物にならない』
  • 恍惚:好ましいが『好きに出来ない』
  • 警戒:想定できるが『防ぎようが無い』
  • 激怒:どうにかしたいが『どうにも出来ない』
  • 憎悪:好ましくないが『避けられない』

と、どれも『どうする事も出来ない状況』と言う情報が加わる事で、感情的には問題解決か理想成就を目指したいのに、目指す事が出来なくなり、結果的に処理不能の感情が堆積し、溢れ出してしまう。

water dam between mountains
Photo by JACK REDGATE on Pexels.com

感情のダムには、限界がある。

感情のダムに情報が加わると、水位が上がり感情はフラットな状態に戻す為に処理を始める。

感情の処理が「感情の表出」と「問題解決行動」であり、少し水位が上がったぐらいでは、表情を変えたり、情緒が不安定になったり、気になる対象をどうにかしようと問題解決行動を起こしたりと言う『放水』で、ダムは維持される。

ところが、『どうする事も出来ない状況』と言う情報が加わると、もう適切な放水は出来ず、ダムには感情がたまり水位が容赦なく上がっていく。

その結果、ダムの上部から感情の水が涙となって溢れ出したり、ダムが決壊してキレるなんて現象に繋がっていくわけだ。

その際、溢れた感情情報の種類によっては、飽和した感情を相殺する為の行動が促される。

第四段階:感情爆発、処理不能感情の相殺行動

人は感情が溢れ出すと制御不能な状態となって、泣いたり、笑ったり、怒ったり、驚いたりする。

複数の感情が臨界に達すると、更に複雑な感情表現が発露する。

  • 自責:自分を責める
  • 失望:希望を失う
  • 畏れる:かしこまる
  • 服従:命令に従う
  • 愛:自分から尽くす
  • 楽観:希望を期待する
  • 攻撃:侮る
  • 軽蔑:馬鹿にする、他人を責める

等が、そうだ。

いずれにしても、これらは処理不能の溢れた感情を処理する為に行われる。

ここまでで、感情の仕組みは分かった。

だが、狙って感情を溢れさせ、感動を誘発させるにはどうすれば良いのか、まだ腑に落ちていないかもしれない。

そこで、ここからは処理不能感情の相殺行動を、感情の発露として見ながら、解説していく。

感情発露の形

泣いたり、笑ったり、怒ったり、驚いたり、そう言った典型的な感情の発露を目標にして、面白い物語に始まりコンテンツ群は作られている。

発露した感情の形に合わせて、相殺行動と対象で分類すると、どの感情がどの情報によって引き起こされているのかが分かってくる。

「自分がするか、他人がするか」で分けられる

  • 悲観
  • 驚愕
  • 恐怖
  • 敬愛
  • 恍惚
  • 警戒
  • 激怒
  • 憎悪

と、感情の発露のみではなく、「自分がするか、他人がするが、自分がされるか、他人がされるか」の行動が伴う

  • 自責
  • 失望
  • 畏れる
  • 服従
  • 楽観
  • 攻撃
  • 軽蔑

に分けられ、更に、これら「処理不能感情の相殺行動」によって引き起こされた事態が「処理不能状態」だった時に、ようやく感情の爆発が起きる。

誤魔化しを受け止める時

処理不能状態とは、葛藤状態に陥り、感情に任せた行動にブレーキが掛かる時に起きる。

第三段階では、根本的に「どうしようもない状況」に陥る事で感情が漏れ出してしまった。

既に、どうしようもない状況なので、本当は、どうしようもない。

だが、感情のダムが要領がオーバーして溢れ出し、処理不能感情を相殺しようと「誤魔化しの行動」を取る。

問題は解決しないのだから意味はないが、誤魔化しの行動はダム決壊を防ぐと言う意味では大きな価値がある。

この誤魔化しの行動が、感情が溢れ出す正体だ。

処理不能な事を、無理やり処理した結果「笑い、泣き、怒り、驚き」等の感情が表に出てくる。

その時点でどうしようもない事から発せられたので、その先に行こうが基本的には、どうしようもない。

すると、誤魔化しの行動の連鎖が起きる事になる。

例えば、第三段階の激怒:どうにかしたいが『どうにも出来ない』状況に陥り、 第四段階の攻撃を誰か自分より弱い相手に行ったとしよう。

すると、理不尽な攻撃を受ける人が必要になる。

処理不能感情の影響を受けると、どうなる?

この攻撃を受けた人は、理由を考え、状況を受け止めようと処理する。

もしも、ここで出した答えが、激怒:どうにかしたいが『どうにも出来ない』状況だったら、その先に攻撃か軽蔑の行動連鎖が待っているし、自分が悪いと勘違いすれば自責に行動連鎖が起きる。

人と人の繋がりは、ピタゴラスイッチの様な物だ。

ここで、処理が済んでしまうと、そこで連鎖は終わる。

その場合、最初に攻撃をした人から見ると、攻撃を受けた人は体の良いストレス発散の相手だ。

解決出来ても、処理は済む。

ここで、処理が済まされずに反撃に出ても面白いし、軽蔑をしても共感出来るだろう。

自責等と勘違いから、何か努力を始めれば、応援できるかも知れない。

感情の処理をし切らない事で、ピタゴラ装置は止まらずに動き続ける。

だが、もっと面白くなるのは、処理先が本当に無くなった時だ。

処理不能感情を受け止めきると、どうなる?

どうしたって、問題は解決しないし、処理も仕切れない。

そんな処理不能感情を、受け止めきる為には、何が必要か?

それは「納得」と「赦し」だ。

これを上手に扱えるようになると、狙って感情を溢れさせる事のハードルが下がる。

怪しい自己啓発本や宗教みたいなワードが出てきたが、怪しく無いので安心して欲しい。

  • 自責
  • 失望
  • 畏れ
  • 服従
  • 楽観
  • 攻撃
  • 軽蔑

これらから発せされる「どうしようもない行動」を受けた人が、行動をした人に対して納得と赦しを与えた時、どうなるか?

そこには、大きな感動が待っている。

イメージしてみよう。

物語で見る者の感情が動くのは「赦された・報われた」と感じる時

処理可能な事を処理しても、そこに感動は起きない。

解く事が出来る数学の問題を解いても、それで泣く人はいないだろう。

だが、何十年、何百年も解けていない問題を人生をかけて解いたら?

その時は「報われた」と感じて泣く事も可能だろう。

処理不能、処理困難な問題を、処理した時に、感情は大きく動く。

だから、物語の中で扱われるトラブルやチャンスは、どれも困難な道を辿らないとならない。

だが、全ての物語が壮大だったり困難な状況を扱う訳では無い。

では、日常の延長線だったり、大した事件が起きない物語では、どうやって感動させればいいのか?

そこで重要になるのが、処理不能な感情と言う、簡単に処理出来ない最も身近な物になるわけだ。

腹を抱える位の笑いが起きるのは、攻撃が赦された時

「笑い」とは、実は、非常に攻撃的な物だ。

皮肉、イジリ、ボケとツッコミ、あるあるネタ、等々と、どれを取っても誰かを攻撃して笑いを取っているのが、言われてみると分かると思う。

これらが笑いとして成立するのは、その攻撃が赦された時だけだ。

皮肉やイジリが笑いとしてウケるのは、攻撃の対象者が強者か、打たれ方を心得ている上で、皮肉が客観的事実に見える時だ。

つまり、相手がそのぐらいの攻撃では倒れないと分かっているから、赦された状況になっている。

これが、皮肉を気にして引きこもったり、自暴自棄になる様な相手では、笑いは起きないし洒落では済まされない。

ボケとツッコミでは、ボケがワザと間違った事を言ったりやったりという事で、本来的に無意識な攻撃を行い、ツッコミは攻撃に対して訂正や、制裁の攻撃を返しとして行う。

つまり、攻撃のキャッチボールで成り立っている。

あるあるネタは、対象を絞らずに特定のグループに対して変だ何だと攻撃をするが、皮肉と同じで客観的事実に見えるので笑いが生まれる。

お笑い以外でも、笑いが起きるのは、いつだって攻撃が赦された(あるいは、許された)時だ。

攻撃をする事も、される事も苦手な人は、笑いには向かないと言えるだろう。

攻撃が下手な人は、赦されずにヘイトを買うので注意が必要でもある。

弱い情報でも処理不能になると感情が溢れる

例えば「苛立ち」と「関心」が現れる程度の状態でも、笑いの感情発露は起きる。

要は、処理不能な感情が溢れれば、それが感情の発露に繋がる。

強すぎる感情よりも、情緒を搔き乱した方が効果的な場面は多い。

処理不能な情報とは、葛藤が起きている状態だ。

注意を向けていた他人が困ったり、戸惑ったり、パニックになったり、そういう場面を見ていると笑えるのは、自分事ほど強くないのに、処理不能状態の情報が飛び込んできて思わず笑ってしまうのだ。

コメディを描く際等には、これがとても重要になる。

感動で気持ち良く泣けるのは、苦労が報われ、罪悪感が赦された時

笑いの反対で「泣ける」時とは、苦労が報われた時。

そして、抱えた罪悪感が赦された時となる。

これらは、セットでやってくる事が多い。

例えば、物語を見ていて、登場人物がピンチに陥ったシーンで、助けてあげたいが、どうしようもない。

今まで、あんなに頑張ってきたんだ。

どうにかしたい。

でも、何も出来ない。

手に汗握り、どうなるか見守る事しか出来ない。

そんな場面で、別のキャラクターが助けに現れた時、感動を感じる人は多いだろう。

それは、あなたが「どうにかしてあげたい」「どうにかしてあげて」と感情移入して見ている事で、同時に「自分にはどうする事も出来ない」と言う罪悪感を感じているからだ。

そのタイミングで、自分以外の誰かが助けに現れた時、あなたは罪悪感から解放される。

罪悪感と言う表現が分かりにくい人の為に、もう少し詳しく噛み砕こう。

事故現場で危険を顧みずに助けに行くヒーローの様な人を見て、「とても自分には出来ない」と感じつつ、勇敢な行いに感動するのは、自分の持つモラルに照らし合わせれば、その場面で自分は助けに行かないといけないと言う答えが出ている為、それが出来ない事で、潜在的な罪悪感を感じている為だ。

仮に、本当に助けに行った人は、必死だし、自分の行いに感動する事は無い。

そこで助けに行くべきと感じない人も、そこに大きな感動を感じる事は無い。

だからこそ、多くの感動する物語は、モラル観を非常に大事にする。

モラル観が読者・視聴者と乖離する作品は、それだけで感動し辛くなる。

モラル観のマッチした作品は、罪悪感を感じさせつつ、それから解放を与え赦してくれる。

だから、気持ち良く感動する事が出来る。

愛や絆で感動するのは、与え与えられの関係が赦された時

人は相手の気持ちが分からない。

そして、それは相手も同じだ。

相手が好きでも、相手が好きかは分からない。

その分からないと言う不確定な状態から脱するには、手を取り合う必要がある。

一人だけ手を握ってもダメで、二人が手を握り合って初めて通じ合う。

手を握るのは例え話だが、一方がどんなに好きでもダメで、相手が好きになる事を赦してくれないと、絆は成立しないし、愛を注ぐ事も出来ない。

愛さえ、赦しによってようやく機能する。

だから、良くあるピンチのシーンで、高い所から落ちそうな相手の手を取り、相手が握り返したりする事で、絆が結ばれる瞬間を描く描写を行ったりする。

これは、視覚的に絆を描く上で効果的な手法の一つだ。

手を握り返すのは、その場しのぎだろうと一度は相手に気を許しているので、あとはズブズブなのである。

余談1:怒る人は、詰んでいる人

怒りの感情が発露してしまうのは、どうにかしたいが『どうにも出来ない』と言う状態だと周囲にアピールしているに過ぎない。

つまり、怒ってばかり、文句言ってばかりの人は「助けを求めている」と考えて良い。

ただ、そのやり方が下手なのだ。

これが、赤ん坊や小さな子供なら、周囲に保護者がいれば察して、どうにかしようと動いてくれる。

だが、大人で怒る人に対して、周囲の人は「どうしようもないし、どうにも出来ない」みたいだけど、助ける義理も無いと感じる。

有能で、赦してくれる人が周囲にいれば「どうにかしてやろう」となったり、一蓮托生な状況だと「どうにかするしかない」と他人が問題解決する事もあるが、基本的に怒りの発露は下手な「詰んでます」アピールでしかない。

アンガーマネジメントでは「~すべき」「~の様にあるべき」と、自分ルールの『べき』を無意識に作っている人は、『べき』から外れた物事に我慢出来ず怒ってしまうので『べき』を広げていく事を推奨される。

この『べき』を広げるのは、 どうにかしたいが『どうにも出来ない』状況を劇的に減らすアプローチと言える。

そもそも、自分しか自分の意思で変える事が出来ないのに、他人に過剰な『べき』と言う期待をしても「どうにもならない」のは、分かりきっている。

怒るなとは言わない。

だが、怒っている時は「どうにも出来ない」と自覚した方が良いし、怒っている人がいても「どうにも出来ない」のをアピールしているのだなと、被害が出ない場所から生暖かい目で見守ってやるか、落ち着かせてから助けてあげよう。

余談2:怒りが発露しない人の怒りは、本当に怖い

怒りの感情が発露しないと言う事は、2通り考えられる。

まずは、感情ダムのキャパシティが大きくて、ためられる人。

もう一つは、どうにか出来ると考えている人。

キャパが大きい人は、心が広い。

だが、次に重要なのは、処理能力だ。

仮に、「納得」と「赦し」を得られる絆があるなら、水に流してくれるかもしれない。

もし、万が一、単にキャパシティが大きいだけで、溜め込んでいる場合、事情が変わって来る。

その感情と言う水の水位は、下がろうとはするが、下がるのが遅い可能性がある。

もっと怖いのは、専用のダムに意識的に溜め込んでいる時だ。

どれだとしても、怒りが発露しない人は、別に怒りを感じていないわけでは無い。

ため方や処理方法が違うだけだ。

もしかしたら、物凄い怒りをためていて、ある時急に決壊するかもしれない。

その時の処理不能感情によって起こされる行動は、常軌を逸する事は、想像に難くない。

で、本当に怖い方の話に移るが、それは「どうとでも出来る」と考えている人だ。

このタイプの人は、怒りを外に驚くぐらい出さない。

それは、怒りの感情ではなく、問題解決によってスマートに処理出来ると考えているからだ。

世界各国の首相や大統領で、誰が最も怖いだろうか?

怒っている印象がある人より、「どうとでも出来る」と考えてそうな人の方が、万倍怖いのでは無いだろうか?

もしも、心が広いからと甘えている相手がいるなら、一度、考えてみた方が良い。

その人が本当に心が広く、あなたに対して「納得」と「赦し」を与えてくれる人なのか、それとも感情のダムにタプタプの怒りを抱えていて、決壊秒読みなのに、あなたが気付いていないだけなのか。

終わりに

感動は、処理不能な感情を処理する描写を描くか、処理を強制すれば、見ている人の感情も大きく動くと言う話でした。

その為には、

  • どうしようもない状況からの感情の発露と行動
  • 見ている人が納得出来るモラル観・納得感・赦し・報い

等が、非常に重要と言う事です。

感情が発露しない状況も、発露しない処理が可能な状況も、感動を生み出すには不向きです。

処理しきれないか、処理不能な感情を描き、その先に報いと赦しを描き、見ている人もそれを感じられる様にしましょう。

またこれは、感動を呼び起こす、基本的かつ中心的な手法に過ぎず、他にも切り口が違うアプローチや手法は存在します。

感動を生み出すヒントになれば幸いです。

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