好かれるキャラと嫌われるキャラの分布
キャラの好き嫌いが、どこで変わって来るか?
キャラの見た目や属性、個人の好みの差も勿論ある。
だが、「自己犠牲」と「自己実現」と言う切り口の場合、おおよそ好き嫌いの感触は決まっていたりする。
今回は、その辺を解説する。
自己犠牲と自己実現の分布
全体 | グループ | 個体 | |
自己実現(成功を求める) | 審判 | チーム | 自己中/危機回避 |
自己犠牲(他の人の為に動く) | 生贄 | ヒーロー | 愛 |
およそ、この様な感じで、
- キャラクターの性格が「自己犠牲」か「自己実現」のどちらのタイプか
- 対象範囲の広さは、どのぐらいか
が分かれてくる。
個体への偏愛は、刺されば深く強い
特定の個体に対して貢献する愛は、刺さりさえすれば最も威力があると言える。
個の集合であるグループよりも、個の方が刺されば深く好きになるからだ。
キャラが貢献する対象の個体が好きな相手であれば、偏愛は大きな快感を呼ぶ。
一方で、好きな相手でない場合でも、偏愛を注ぐキャラが好きなら、一定の快感がある。
両想いでも片想いでも、誰かの為に行動する姿は、美しく気高く、万人に非常に好まれる。
グループに貢献する存在に、人は好感を持つ
次に愛されるのは、グループを対象とする貢献だ。
キャラと、対象であるグループの事が好きだったり、身近に感じる事で、その効果は大きくなる。
全部を選ぶとは、狂気を孕む
全体に対して貢献すると言う姿勢は、一見素晴らしい様にも感じるかもしれない。
だが、全てを立たせると言う事は、無理や、不可能を求めると言う事である。
つまり、この対象選択は、狂気と言える。
全部を選ぶとは、何も選ばないと言う事でもあり、何も特別ではないと言う事でもあり、特定の物ごとに対して公平・公正・平等である。
すると、プラスの問題解決を行っている筈でも、その行動に対する印象は、グループや個人に向けられていた時よりも薄まり、結果、大きく好かれる事は無くなる。
自己中は悪
最後に、自己中が来る。
自己中で楽しいのは、本人だけだ。
純粋な自己中は悪の領分であり、既に好きなキャラでさえ、そこから嫌われる要因となりうる毒だ。
自己中が許されるのは、間接的に個人やグループの為になるか、完全被害者の状態で危機的状況に置かれた時のみである。
まとめ
最後に、愛されるキャラクター性順で並べると
- 1:個人への自己犠牲/愛
- 2:グループへの自己犠牲/ヒーロー
- 3:グループへの自己実現/チーム
- 4:被害者の個人への自己実現/危機回避
- 5:全体への自己犠牲/生贄
- 6:全体への自己実現/審判
- 7:加害者の個人への自己実現/自己中
と言った、おおよその傾向になります。
トータルでシンプルに考えると、
自分の好きに対して『特別扱い』されると快感を感じ、
自分の好き以外に対して『特別扱い』が加えられると不快を感じる。
と言う事です。
好き以外が嫌いな対象ともなると、怒りさえ湧いてくる事もあります。
余談ですが、自己中キャラで愛されている人が世の中に、稀にいます。
あれって実は、自己中キャラで愛されているのではなく、愛されているから自己中が許されていると言えます。
きっと、その人は自己中な挙動をしつつも、それよりも強烈な別のキャラクター性で自己中が許されている筈です。
大前提で自己中は、基本的に嫌われる物です。
ですが、人は必ず、自己中な部分も持ち合わせがある物で、それが普通です。
では、もし自己中をしてしまったら、どうすれば良いか?
自己中な振る舞いを、素直に謝るだけでも、自己中を中和出来ます。
すると、見ている人が受ける印象は、ガラリと変わります。
これらの性質やルールを使い分けて、様々なキャラを作ったり、好かれるキャラを作る事を目指しましょう。
キャラクター創作で、お役に立てば。