「一線」を超えた表現の持つ力について解説

超えて良い線は、どこまで?

人は、誰しも「線引き」をして生きている。

それは創作上の表現でも同じで、やって良い表現と悪い表現が存在する筈だ。

これは、個人の中ではモラルやトラウマ等の価値観で形成され、社会では文化的なタブーや価値観で形成されている。

この記事では、その「一線」を例を交えて解説していく。

価値観が線を作る

「一線」は、先にも書いたが、基本的にモラルやトラウマ、タブー等の価値観で形成される。

個人や社会が持つ倫理観やルールを破る事、個人や社会が恐れる事等の実行は、一線を超える事になる。

つまり、

  • やっちゃいけない事=モラル、タブーの線
  • やりたくない事=トラウマの線

の2種類が存在する。

具体化するほど線がハッキリ見える

超える一線は、具体化するほどに誰の目にも明確になる。

例えばだ。

戦争を想像して欲しい。

上ほど曖昧で、下ほど具体的な表現になる。

曖昧↑

  1. 戦争があった。
  2. 戦争で大勢が死んだ。
  3. 戦争で10万人以上が死亡した。
  4. 空襲で町が焼け野原になり、10万人以上の市民が死亡。
  5. 空襲で家が火事になり、家族が死んだ。同じように10万人が死んだ。
  6. 空襲で家が火事になり、娘のマリアが焼け死んだ。同じように10万人が死んだ。

具体的↓

これらの文章は、同じ出来事を曖昧な表現から具体的な表現まで表した物だ。

どれも「戦争があった」と言う事は、共通している。

2になると、戦争があったのだから、大勢が死んだという当たり前の事を明言する事で意識を向けさせている。

3では死者数を具体的に、4では死者の立場を具体的にしている。

3と4には、大きな差がある。

3までなら、前線の兵士が死者の大半を占めるかもしれないと想像する事が出来るからだ。

4まで具体的にする事で、この戦争は市民だけで10万人もの死者を出している大惨事である事が明確になる。

5で更に具体的にすると、10万人の内訳が判明してくる。

10万と言う数字は、誰かの家族である筈なのは分かっているが、それを言葉にする事で表現として重くなる。

そして5で既に当事者となっていた上に、6で個人名を出す事で具体化度は更に上がる。

こうなると、1の時に感じていた物と、6の時に感じる物では大きな差があるだろう。

どの表現から抵抗があるか

戦争を例に出したが、どの表現から抵抗を感じただろうか?

人によっては、戦争表現自体に抵抗を感じるかもしれない。

また、人によっては、更に具体化や、設定的なキツさまで許容できるかもしれない。

この表現の具体度毎に「線」があり、超える事が意識・無意識問わずに出来ない所に、あなたの中の「一線」がある。

まず、これで「一線」が何なのかは、なんとなく理解して貰えただろう。

表現上の一線

「一線」を超えた表現は、見る者の感情を揺さぶる。

言ってしまえば、劇薬みたいな物だ。

これが強すぎると受け入れられる人が少なくなるし、これが弱すぎても刺激が少ないと感じる人が多くなる。

この許容量は人によって違い、アルコールに対する強さをイメージすると分かりやすい。

一口で酔ってしまう人や、吐いてしまう人もいれば、強い酒を何杯でも飲めるアルコールに強い人もいる。

そこに、酒のアルコール度数も関係してくる。

このアルコール度数が「一線」の線引きに関わる。

過激で具体的な表現は、度数が高いし、大人しく曖昧な表現は、度数が低い。

主人公は一線を一度は超える存在

物語の主人公は、一線を必ず超える。

超えるのは、日常から非日常に行くタイミング以降で、どこかで必ず超えないといけない。

つまり、一線を全く超えない物語を作ると言うのは、全篇が凪の物語と言う事になる。

なので、作者としては描く事が苦では無くとも、登場人物としては超える事に抵抗を覚える一線を用意する必要が物語には存在する。

登場人物も作者も超える事が辛い一線

作品によっては、作者が描く事自体が辛く感じるが、描かないと本当にしたい表現が出来ないと言う「一線」も存在する。

例えば「主要な登場人物の死」は、キャラクターにも作者の思い入れにもよるが、一線を超える必要が出てくる。

表現的に超えるのが危険な一線

社会的にタブーとされる表現は、表現するだけで時に危険である。

ただ、社会的にタブーでも、作者の中では線が無かったり、既に過去に超えた線なので倫理観がガバガバな状態と言うパターンも存在する。

しかし、社会的なタブーは、作者が表現を苦に感じずとも、表現物としての住み分けを社会的に適切に行わないと、集中砲火をあびたり、思いも寄らぬ注目を集める事になる。

例えば「子供が犯罪の犠牲になる」表現は、どの様な犯罪でも非常にデリケートに扱われる傾向がある。

刑務所の中で、子供に対する罪を犯した犯罪者が、他の凶悪犯に目の敵にされるなんて事もあるぐらい、子供が悪意や害意にさらされるのは危険なラインと言う事だ。

子供以外で、障碍者を扱う場合も、デリケートな表現となりやすい。

表現的に苦痛を感じる事が無い一線の作り方

過激な表現をせず、ライトな所に線を引く事で物語を成り立たせるテクニックがある。

これは、登場人物の持つ「一線」のラインを、低くする事で出来る。

例えば、コミュ障なキャラクターの場合、他人とコミュニケーションを取る事自体が苦痛を伴い、自ら語り掛ける様な行動は、しっかりと「一線」を超えている。

他に「引きこもり」なキャラクターなら、部屋の外に出るだけで、しっかり「一線」を超えたと認識して貰える。

まとめ

「一線」について、だらりと解説してみた。

  • 社会のタブー
  • 作者のトラウマorモラル
  • 表現に使うモチーフ
  • 表現の具体度
  • 見る者のトラウマorモラル
  • 作品世界のタブー
  • 登場人物の持つトラウマorモラル

これらが噛み合うと、創作の中では「一線」を超える表現が、とてつもない力を持つ。

一方、噛み合いが悪いと、例えば、

  • 社会的タブーを侵した内容なら、炎上する事がある
  • 作者のトラウマやモラル観に反した表現は、作者が創作する際に苦しむ事になる
  • モチーフによっては、受ける受けないの差が大きくなる
  • 具体度を下げ過ぎても薄くなり過ぎ、上げ過ぎても濃くなり過ぎる
  • 見る者のトラウマやモラル観に対してライン越えしていると、不愉快に感じられる

等の不具合が起きる。

しかし、作品世界のタブーや、登場人物の持つトラウマやモラル観は、上記した不具合に触れないなら、表現上は何も問題が起きないので、表現自体し易いと言えるだろう。

ただ、表現しやすいとしても、それを作者が表現したいかどうか、価値を感じるかどうかも併せて見ない事には選ぶ事は出来ない。

総合的に考えて、どの「一線」まで超えた作品を作りたいかを考える必要があると言えるだろう。

余談

本当に超えられない「一線」は、誰しも、無意識に意識から外した所や、絶対に触れられたくない部分、あるいは触れようが無い所にこそ存在する。

そもそも考えのテーブルの上に、通常は上がりさえしない「一線」が、誰しも必ずある。

それを、他人の表現によって触れられると、恐ろしい程の強い衝撃を受ける事になる。

その際、それで快感に気付く場合は時に、趣向や性癖が歪んだりが起き、それが不愉快だった場合は表現に対して怒りが湧く事になる。

この、本当に超えられない「一線」だが、経験が少ない程に、自分を中心として狭い範囲で自身を囲う事になる。

狭い範囲で自分を囲う程、一線を超える事は日常の一部となる。

なので、子供ほど自分では超えられない一線だらけであり、刺激の強いコンテンツに触れると「ピョン」と大股で一線を超えてしまい、容易に沼へとハマってしまう。

一線とは、非日常であり、魅力的な非日常にずっと浸っていたいと考えるのは、至極当然だ。

そして、思春期に超えた「一線」も、鮮烈に人生に影響を与え続ける。

あらゆる初体験が「一線」を超えた先にあると考えれば、この「一線」の持つ力、それを表現する事で持つコンテンツの力強さも理解出来るだろう。

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