期待と結果のギャップが重要と言う話

行動だけでは物語は動かない

物語の登場人物は、必ず何かをしようとする。

何かとは、何かしらの問題解決だ。

問題解決をしない事には、物語は動かない。

例えば、だ。

朝起きて、顔を洗い、朝食を食べて、歯を磨き、着替え、髪を整え、学校や会社に行き、授業をこなし、昼食を食べ、部活をこなし、友人と交流し、帰宅し、夕食を食べ、風呂に入り、歯を磨き、着替え、眠り……

と言う行動を描写しても、一見すると物語を描く事が出来る様に思える場合がある。

緻密だったりエモーショナルな表現をすれば、いくらでも読むに堪え見るに堪える作品を作る事自体は、可能だろう。

だが、これは、日常の行動を描写しただけであり、物語性が薄いと言う事も分かる筈だ。

要は、動かない物語になり、短時間であれば見ていられるが、長時間は耐えられない。

繰り返し等、もってのほかだ。

では、そこに問題解決を加えると、どうなるだろうか?

例えば、寝坊をしたら?

遅刻の危機と言う問題が発生する。

そうなれば、遅刻をしない為に問題解決を目指した行動を描く事となる。

すると、そこにはドラマが生まれ、物語が動く事が見ていて実感できる様になる。

顔を洗う時に水が出なかったら?

朝食に食べる物が無いとか、食べる時間が無ければ?

歯を磨く事が苦手なら?

着る服が無ければ?

髪が無くなったり、逆に長く伸び過ぎていたら?

学校や会社に行きたく無かったら?

と、いくらでも問題は思いつく。

この問題と向き合う事で、物語は動く。

期待と結果のギャップこそ葛藤ポイント

人は、期待をする。

期待は、超えておいて欲しい合格ラインだ。

例えば、朝起きるのであれば目覚ましが7時に鳴れば、7時に起きて朝の身支度を開始できると言う期待がある。

期待がある。

だからこそ、そこにギャップが生まれる余地がある。

目覚ましが鳴らない、鳴ったのに気づかない。

起きたら8時だった。

これが、ギャップのある結果だ。

つまり、7時に起きたいのに8時に起きたと言う1時間の差に、その間にある1時間分の余裕が失われる事で、ようやく葛藤が起きる。

期待と結果にギャップがあるほど、大きな葛藤が起きる。

例えば、あなたが現在年齢が18歳だとしよう。

残りの人生は、100歳まで生きると考え、82年あると期待していたとする。

しかし体調を崩し病院に行くと、余命が3カ月と告げられてしまったとする。

82年と3カ月のギャップは、相当に大きい。

あなたの現在の年齢が80歳だとし、同じ目に遭っても、ギャップは19年と9カ月と言った所だ。

もし、あなたが寿命に対して80まで生きられれば十分と考えているなら、そのギャップは小さくなる。

大事なのは、期待と、ギャップが大きな結果、そこから生まれる大きめの葛藤だ。

期待した物と違うからこそ、面白いのだ。

横や上に期待を外すと?

下に外すと、残念な気持ちから大きな葛藤が起きる。

おいしそうなケーキを食べて、ゲロマズだったらガッカリするだろう。

その後、その問題を解決するなら、美味いケーキを求めるかもしれない。

一方で、下ではなく横に期待と結果が外れてギャップがあると、面白く感じる。

美味そうなハンバーガーが、食べたら絶品のケーキだったら?

意外性から、面白いと思う筈だ。

では、上に期待と結果のギャップがあると、どうなるだろうか?

上へのギャップに人は、納得出来れば感動してしまう。

好きな人からの予期しない誕生日の祝福、友人たちからのサプライズパーティ、ギャップが上にふれていれば、感動が起きるのだ。

しかし、納得がいかない状況だと、困惑が生まれる。

好きでも無い人に、突然花束と指輪をプレゼントされたら?

きっと、受け取らないか、考える時間が欲しくなるだろう。

他人のギャップは下横上、関係無く面白い

人は、期待と結果のギャップで葛藤する。

当事者であると、上のギャップ以外は望まない人もいるかもしれない。

だが、他人であれば、人はどの方向のギャップでも、好き嫌いはあるが、刺激的で、面白く感じる。

当事者となる登場人物の持つ期待を想定し、結果とのギャップをどの方向に広げるかがポイント

物語を作るには、登場人物に葛藤させる必要がある。

つまり、登場人物が持つ、向き合う事への期待が前提として必要になる。

期待が固まったら、それに対してギャップのある結果を起こそう。

平和を望んでいるならば、平和とギャップがある状況なら葛藤が起きる。

反対に戦場を求めているならば、平和こそギャップが起きるかもしれない。

その多くは、登場人物の日常と言う期待を壊し、非日常へと誘う出来事となる。

終わりに

登場人物の行動は、期待と結果のギャップを埋める為の行動だ。

こうあるべき。

だから、その溝を埋めないと納得できない。

期待への結果のギャップが下方向だと、溝を埋めないといけない事が明白で、何をするべきか分かりやすい。

横方向の場合は、本来向いているべき向きに方向修正しようとする力が働く。

これは、ボケに対するツッコミと同じだ。

こうあるべき。

だから、正しい方向を示さないと納得できない。

上方向の場合は、どこまで期待して良いのかを探る事になる。

大きすぎる上方向の期待と結果のギャップだと、こうあるべきが分からない。

こうあるべき?

だから、期待を超えた結果の意味や受け取り方を探る事になる。

都合が良すぎる事は、むしろ怖くなる事さえあるのだ。

あなたが片思いのアイドルと面識もないまま突然付き合う事になったら、どう思うだろうか?

あなたに正常な感覚があるなら、アイドルが自分の事を好きな筈が無い事は分かるし、ドッキリを疑ったり、他に狙いがあると思ったりするだろう。

  • 期待
  • ギャップのある結果
  • ギャップのベクトル(下横上)

これだけ覚えよう。

この記事が、誰かの創作の役に少しでも役に立てば幸いだ。

余談1:間違った期待は人生を期待外れだらけにする

人は、様々な事に期待をする。

中には、その期待に「こうあるべき」と言う常識範囲を大きく超えたラインでの「絶対こうあるべき」を期待してしまう人がいる。

マナーや常識、能力、様々な物に当てはまる。

だが、まずそもそも他人に対して過度な期待は、するべきではない。

期待が裏切られた際、自分の事であればギャップを自分で埋める事が出来る。

だが、他人に対しての場合、ギャップを埋めるコストが跳ね上がる。

次に、自分を過大評価するのも、人生をハードにする。

自分への期待が大きければ大きいほど、期待した結果と現実とのギャップが大きくなるからだ。

すると、物によってはギャップを埋めるコストが、やはり跳ね上がる。

自分や他人に期待するなと言っているのではない。

間違った基準や、過度な期待は、ひたすらにガッカリを生んでしまうと言う事だ。

余談2:現在の期待は、あるがまま。未来への期待は、短く小さく、沢山。

現在に持っている期待は、あるがままに近い程にギャップが小さく、ガッカリが少なくて済む。

だが今の自分は「こうあるべき」が、そのままだと、人は成長しない。

そこで、未来に対しては、問題解決を、成長をする為には、期待を持たざるを得ない。

未来の自分は、「こうありたい」と言う事だ。

その際、過度に大きな期待を持つと、達成が難しくなる。

未来への期待は、短く小さく、沢山を積み重ねて大きくするのが、比較的だが、楽になる。

例えば、超絶美麗なイラストを描きたいとする。

あなたは素人で、絵を描いた事も無い。

その場合、その超絶美麗なイラストをいきなり描こうとするのと、遠く及ばずとも徐々に練習して近づき追いつき追い越そうとするのと、どちらが現実的に感じるだろうか?

小さなギャップであれば、人は小さな努力で埋められる。

小さなギャップを埋めて自分への期待を適正なまま大きくして行った方が、大きなギャップとの距離は徐々に埋められると言う事だ。

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“期待と結果のギャップが重要と言う話” への1件の返信

  1. 素敵な記事だと思いました!創作の参考にしたいです^^

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